▼ 01-4.悪夢が街にやってくる
「あ、あの神居先輩……その」
全体に小柄な印象の女子生徒は決して派手さは無いが可愛らしい子である。染めてはいないボブショートのおかっぱ頭に、化粧っけの無い顔、制服を着崩す事無くスカートも規則正しいひざ丈をきちんと守って――いわゆるギャル系とかではないごくごくプレーンな、可愛らしい感じのする女の子だ。
「ずっと試合とか見てて……か、かっこいいなって思ってました」
実を言うとこれまでも数こそ多いわけじゃないが、こういう場面はあったりもする。だがやはり気恥しいものだ、とミイは途端に照れ臭くなり頬を掻いた。
「えっと……ごめんなさい、朝練のお邪魔しちゃって」
「あ、ああ。いいんだ、別に」
「あの……その、もしよければ、付き合うなんておこがましい事はまだ言いませんから、これからも応援させてもらってもいいですか?」
「それは勿論だよ。部活、いつでも覗きに来ればいいよ。まぁ若干女の子にはきつい空間かもしれないけど……」
何と言ってもそこは剣道場。青春の象徴というかまあやはり汗のにおいが……こう言っちゃアレだが自分でもたまにフラっとなってしまうほどだ、ミイは苦笑を浮かべつつその女子生徒に呟いた。
「い、いえ。でもそう言ってくれて嬉しいです……! わ、私……ずっと応援してますね。神居先輩の事……」
はにかんだように微笑む彼女は愛らしかった。その頬もうっすらと赤く色づいていて、素直に可愛いなと思えた。それが好きになる、とか付き合いたい、とか愛しい――みたいな気持ちかと聞かれたら、それはまた別感情のような気もするんだが。
しかしまあきっとこのまま戻ったら冷やかされるに違いないなあ、なんて思いながら戻ろうとしたその時だった。……ふざけてるんだとか、冗談で叫んだとか、とにかくそういう部類ではないシャレにならないような悲鳴が聞こえた。
「……ん?」
ミイと女子生徒は顔を見合わせた。どうやら自分の聞き間違えではないようだ――急いで道場に駆けつけると、顧問の教師と部長が何やら殴り合いの喧嘩でもしているように見えた。
「ちょっと、一体何……」
「……く、く、来るなぁ!」
そう叫んだ部長の顔は――恐らく、教師によって食い千切られた後だった。右の頬を抉り取られでもしたように、奇妙な穴が広がっていた。痛ましいその光景にミイと女子生徒は戦慄して、そこに目が釘付けになった。
「ぶ……部長っ……!?」
女子生徒を庇うようにしながらミイがありったけの声を振り絞り叫ぶ。
「……せ、先生の様子がおかしかったんだよ……! 近づいたら・お、俺の肩やら顔やらを食い始めた、クソ! 神居、他の部員連れて逃げろ……」
支離滅裂なその説明に到底納得できるわけもない。ミイが教師の姿を見ると、教師の腕には同じように噛み付かれて食いちぎられたような怪我があった。
「そんな! 部長、今助け……」
言いかけたものの、ミイは躊躇した。すぐ横で震えている彼女の姿が視界に飛び込んだ――いや、先にこの子だけでも逃がさないと駄目だ! ミイは唇を噛み締めて何かを振り切るように彼女の手を取った。
「せ、先輩……っ……神居先、輩……」
「とにかく君を逃がすのが先だ。ついて来られるね?」
彼女を落ち着かせるよう、静かな声で問いただすと女子生徒は震えつつもゆっくりと頷いた。
「……よし! 行こう」
彼女の手を引こうとした矢先であったが、突然彼女の方から止められてしまった。
「ちょ、ちょっと、早くしないと……」
「先輩、危ない!」
言うが早いか女子生徒が自分の前に飛び出したかと思うと、まるで何かから自分を守るかのように、彼女はしっかりとミイの前に立つ。
次の瞬間、彼女の腹部から鋭い切っ先の様なものが生えていた。彼女のセーラー服が濃い色に染まって行くのに時間はかからなかった、膝を突き、崩れ落ちて行く彼女を抱きとめるので只精いっぱいだった……。
一体全体何が起きているのかは把握しきれないが、分かる事は只一つ――部長に引き続いてまたもや自分が守られた事をミイは悟った。
倒れた彼女の背後に、彼女を殺した奴と思しき男子生徒が笑っている。口や鼻から血液を零しながらそいつは今しがた彼女の尊い命を奪ったと思われる優勝旗を片手に勝ち誇ったようにゲラゲラと笑う。そいつが笑うたびに口の端から血液混じりの気泡が溢れだした。命を失った彼女を膝もとに抱きながら、ミイの静かな慟哭が響く。
「……ミイ!」
聞き慣れた声にミイははっと顔を上げた。次の瞬間には9o弾が優勝旗を槍に見立てて振りかざす男の脚を抑え、片膝を突いた所を華麗なヘッドショットが決まったのであった。
「ミイ、大丈夫だった!?」
倒れた男を飛び越えてこちらへ走り寄ってくる影が二つあった。一つはよく見慣れたユウのもので、更にその奥にいるのは……あの、転校生だった。
――何故こいつらは一緒にいるんだ? それに転校生は何故銃を? あとこれを撃ったのは転校生か?
疑問はいっぺんに、同時にいくつも沸き上がってきた。
「ユウ……」
「ミイ、無事で良かった。……その子は?」
ユウがミイの膝元で虚空を見ている少女の遺体を見て呟いた――ミイはやりきれなさそうに震える手をぎゅっと握りしめている。答えたくは無いのかミイは唇を引き結んで、奥歯を噛み締めた後、見開いたままになっている彼女の目をそっと閉じさせた。
「こ、この子、俺を庇って……」
「ミイ……」
「――信じられるか? 今日知り合ったばかりなんだ。いや、この子はずっと俺を知っていてくれたみたいだけど俺はこの子を今日初めて知ったって言うのに。な、何か変な感じだよ……な。あ、はは」
ミイは力無く笑うばかりだった。ヒロシはその言葉が聞こえているのかいないのか、こちらへ向かって足を進めながらまるで動揺していないような素振りだ。
「まったくここへ来るのにどれだけ弾を消費したことか、君がいちいち襲われている生徒を助けようなんて言うんですから……」
「――何でお前がここに?」
つかつかとやってきたヒロシを見ての第一声がこれだった。ミイの両目は何とも言えない敵意のようなものが満ちていて、はっきりと彼を威嚇していた。
「何ですか、やぶからぼうに。……ユウくんにどうしても手助けして欲しいと頼まれたからですけど?」
ヒロシのその不機嫌そのものといった声に、ユウが思い出したように叫び始めた。
「……は……っ!! そ、そうなんだ、聞いてくれよミイ。何かもう今さ、よく分かんないけどとてつもなく大変な状況になってるだろ、でもでもこのヒロシくん! もー、すごい強くてさ。なあ、一緒に行こう。ヒロシくんの家に避難施設があるらしいから、そこに俺達も一緒に……」
「――断る」
ミイは縋りつくユウの手を払いのけて言うのだった。
「……ミ、ミイ?」
「俺はそいつが信用出来ない。行くんならユウ一人でついていけばいいさ」
「そんな!」
ヒロシは特別興味も無さそうに二人のやり取りを眺めるだけで、反論するでもないしかと言ってたしなめるでもないし口出しもしない。
「あ、争ってる場合じゃないだろう、ミイ。協力し合わなきゃダメだ。石丸やヤブやノラとも合流してそれで……」
「そいつがいるってんなら俺は単独で行動する。そんな得体の知れない奴と協力出来る筈無いだろう!」
振り切るようにミイが叫んだ。さして気に留めた様子もなしに、ヒロシはふー、と一つため息をついた。
「どうも嫌われてしまったらしいですね……ふう、やれやれ。ああ、僕は別に君らを助けたいわけじゃないですし構いませんよ。どうぞ、何でもお好きにしたらいいんじゃないですか」
「――ひ、ヒロシくんまでそんな態度やめてくれよ! みんなこんな時こそ……」
ユウが叫ぶのとほぼ同時に嫌な呻き声が一つした。すかさずヒロシはその訓練されたものなのか天性のものなのか――戦闘のプロフェッショナルじみた何かで敵の現われを察知し、視線を持ち上げた。
「二体、か……早めに処理しておいた方が良さそうだ」
現れたゾンビ二体にヒロシは再び自動式拳銃を構える。
「おい、お前っ……まさか――」
ミイが何かを言いかけるのよりも早く、ヒロシが構えたオートマチックの拳銃……コルトガバメントが炎を放つ方が早かった。空気を裂き、まずは手前のゾンビの額めがけて弾が命中する。派手に脳漿をぶちまけたのを見送った後、ヒロシは更にその奥手側のもう一体に冷静に両手で持って照準を合わせる。
ミイがやめろ、と叫ぶにも関わらずヒロシはすぐに躊躇いもなく引き金をひいた――ぱん、と乾いた音がしてもう一体もあっさりと破壊する事が出来た……。
「部長……っ、せ、先生!」
近づこうとするミイをユウがしがみついて止める。
「離せ! 離せよユウ……っ」
「き、気持ちは分かるけど危険だよ!」
「――っ」
ミイは立ち上がりかけたもののそれを止め、なすすべも無い様によろよろと膝を突いた。それから、せめてもの抵抗なのかヒロシの方を睨みつけて唇を引き結んだ。噛み締めていた唇から、すぐさま呻くような声が零れ落ち始めた。
「貴様ぁ、よくも……っ!」
「ミ、ミイ……」
「てめえが今何のためらいも無く撃ったのはなぁ、俺の部長と大切な恩師だったんだよ!」
多分ミイは殴りかかる気だ、と悟りユウが慌てて駆け寄ったのも束の間、ミイはいささか乱暴にユウを押しのける。ほとんど殺気に近いオーラを纏わせてヒロシの前にまで向かって行く。力任せに胸倉を掴んだ後、ミイは溜めこんでいた涙を流しながら続けざまに叫んだ。
「貴様にとっちゃ何の関係も無い相手かもしれないけど俺にとっては……」
「……暗愚な」
はっ、とあざけるように笑いながらヒロシが言う。
「生きるか死ぬかの状況でよくそんな愚かな事が言えますね、情け容赦かけてる暇なんか無いんですよ。……ためらってる隙にこっちが食われますよ」
「――っ、だからって……だからってそんな簡単によく引き金が引けるよなぁ……? 人相手に」
「はぁ? あれらはもう人ではありませんが? ああ、それと――そこで横たわっている彼女、じきにゾンビ化します。そうならないうちに今のうち撃っておくのが得策の様な気がしますけど」
ヒロシがちらっとフレーム越しの冷たい目で女子生徒の遺体を一瞥する。いよいよ我慢ならなくなったのかミイは握り拳を振り上げた。急いでユウがそれを背後から止める。
「……てめぇはそれでも、それでも、人間か!?」
激昂するミイにもヒロシはやれやれ、と言った様子で呆れ顔をするばかりだった。傍目から見ればヒロシの方がうんと冷静で、こういう状況においては正しい存在のようにも見えた。
ヒロシは乱れた襟元を直しながら蔑むようにミイを一瞥した。
「はぁ……。僕は君みたいなステレオタイプの人が一番対応に困るんですよ、話がまるで通じない」
「ミイ、落ち着こうよ? なっ?」
慌ててユウがミイをなだめる。
「――ユウ。こいつとどうしても行くのか?」
「えっ……」
「そりゃ確かにご立派な武器を構えてるしそんじょそこらの素人よりはよっぽど戦えんのかもしれないけど、弾避けにされるのがオチだ」
ミイは未だ興奮冷めやらぬといった口調でヒロシを指差しつつ言った。
「――で、でも……」
ユウははっきりしないまごついた口調でおどおどするばかりだ。それに業を煮やした様子のミイがもう一度、踏み込むみたいにして叫んだ。
「おい、ユウ? はっきりしろよ、お前はどうしたいんだ!?」
「……、お……俺――、俺は……」
どうしよう、とユウは背後のヒロシをちらと見やる。ヒロシは時間を無駄にしたくないのか早くしろ、と静かに視線で訴えて来る。すぐには答えられずに、ユウはどっちつかずな姿勢のままでうろたえていた。ミイがどこか落胆するみたいに、ため息を吐くのが分かった。
「――もういい。そいつを選ぶんだな」
ミイから突き付けられたその言葉にユウはびくっと身体を強張らせた。選ぶ? そんな事では無くて――いや、否定出来なかった。だって、俺だって自分の身が可愛いんだから、それに家族の事もあるんだよ……ユウははっきりと決断できない自分に戸惑った。唐突に、ミイとの楽しかった思い出が脳裏をよぎる……俺達最強のコンビだろ、と笑うミイの顔が浮かんだ。
「……勝手にしろ」
そしてその回想に終止符を打つみたいに、ミイの冷たい声がして――ミイが離れて行く。それなのにユウは動く事が出来なかった。
――ああ……っ!
何も出来ないままでユウはぎゅっと目をつむった。結局自分は、自分の保身に走ってしまった。友達を、かけがえのない親友を前にして俺は……自省の念に駆られつつ、今追いかければ間に合うと思いながらもそれが出来ないでいる自分にユウは悔し涙にも似た苦い涙が込み上げるのを覚えた。
こうやってウジウジと悩んでいる間にもミイはすたすたと遠く離れて行く。
「浅はかというか何と言うか。いいんですかユウくん? 彼、放っておいても。まぁ追いかけて説得したところで結果は一緒でしょうけど……おおい、ユウくん?」
「……う、う……うぼええ〜〜〜っ」
ヒロシに肩を叩かれた瞬間、ユウはその場で思いっきり汚いゲロを吐きだした。これまで堪えて来たものを一気に噴出させたらしい。
「――バッチいなあ、もう……」
蔑むようにその背中を見つめながらヒロシが呟いた。ユウそれでも尚、胃の中がからっぽになって胃液しか出なくなるまでゲーゲー吐いた。
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