ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 01-2.悪夢が街にやってくる

「ふうう……」

 溜めこんでいた尿意を一気に吐き出しながらユウは天井を仰いだ。

――はぁ〜、汚いけどここのトイレはいつも人がいなくて落ち着くなぁ

 自分達の居る階のトイレは新築でとても綺麗で快適なのだが、それゆえか意味も無くトイレにたむろする連中ばかりで中々用を足せないのだ。手洗いのところでずっと話し込んでいる男子トイレなどを見るとお前らは女子か、と叱り飛ばしたくなる。
 ふと、突然背後から物音がしたので思わずびくりと身が強張る。誰もいないとばかり思い込んでいたが、もしかして先客がいたのだろうか……ユウが背後をそうっと窺い見ると、後ろにあるのは用具がしまってあると思われる個室があるだけなのだった。

――……気のせいかなぁ?

 不審に思いつつもう一度向き直ろうとして、今度は更に大きな音で。ガタン! と一つ、物音がした。驚き過ぎるあまりか、出していた筈の小便が一瞬だけ止まった。こんな事もあるんだなぁと関心しつつ馬鹿な事考えてないでと背後を見やる。

 やはり、何もいない。

 と言う事は、まさかあの用具入れの中に? 何故そんな場所にいるんだ、用務員さんが何かしているのだろうか? それとも猫とか犬が迷い込んできたうっかり入ってしまったとか、やだ、何それ、可愛い……そう言いきかせるようにしてユウが前を向き直る。アホな事考えてないでさっさと排出しきって出て行こう、なあに後ろにいるのは猫だ。可愛い猫に違いないんだ……。

「ぐ、ぅ、う〜」

 低い唸り声。猫にしては随分と低い、喉を鳴らすような呻き声にユウは珍しい猫もいるもんだな、とちょっとだけ笑う。

「ま、待てよ待てよ。今撫でてやるって……撫でてやるからちょっと待ッ……」

 ユウのすぐ背後で、生温かい吐息がうなじを撫ぜる。それにしてもハアハアという尋常じゃないくらい荒い息遣いだな……ここへきてようやく奇妙な疑いを持ち始めるユウだったが、ユウの両肩を過ぎて伸びて来るのは紛れも無い人間の両腕――だった。

「ねねね、猫じゃねえっ!」

 ユウは叫ぶとすぐさま振り返った。
 そこには……顔の半分、厳密には顎から下の部分が半分ほど抉り取られている男がいる。勿論、こんな知り合いはいない。つーかこんな状態で人間って生きられるものなのだろうか? ヤブに今度、聞いてみなくては。それも自分が生きて帰れたらの話だが……。

 男は下顎以外に損傷は無さそうだが、両目とも虚ろで、意識があるのか無いのかちょっとよく分からない。尋常ならざる状態であるには代わりは無いのだ。これが人間だろうとそうじゃない存在だろうと、いずれにせよヤバイ奴に違いない。

「うあ、あ、あっ」

 声にならない悲鳴を上げながらユウはイチモツを丸出しにしたまますっかり逃げ腰だ。顎の無い男の、獣の如き咆哮が唸る。時折見え隠れする舌、かろうじて声帯は残されているのだろうか――一応潰れた蛙のような、声らしきものは上げている。

 やがて男は両腕をユウに向かって伸ばす。が、ユウは咄嗟に座り込んでそれをかわす事に成功する。

「はわわわわわ、ヤベエ、これヤバイって」

 ユウは四つん這いになりながら必死にそこを逃れると恐怖に踊った足を無理やり立たせるのだった。引っかかったズボンが邪魔だったので後ろに下がりながら脱いでおいた。もう、人目なんか気にしてられるか。

「何、何だよあれ、馬鹿じゃねえの!? ばば・バーカ、バーカッ!……特殊メイク!? ばーか、俺をハメようなんてなぁ十年早い……」

 廊下で叫んでいると、トイレから男がぬーっと現れた。まるでゾンビ――いや、もう認めようか。あれはゾンビそのものなんだろう。男は焦点の合わない目をこちらへ向ける。

「ちょ、ちょっと待とう? ね? おー、お兄さんそういうの良くないと思うな……、や、やりすぎだよ君……」

 今度はしっかり、男の目と焦点が合う。虚ろだった筈の瞳孔にまるで猛禽類の如き鋭い眼光が瞬時にして走るのが分かった。男は口の無い口元でしっかりと笑った後、ウォーミングアップのつもりか首の関節をゴキゴキと鳴らした。

「あ……や……ちょっと」

――こいつは多分鈍間なゾンビなんかじゃないぞ……

 長らく離れていた陸上であったが、久しぶりに勘が冴え始めるのをユウははっきりと感じた。こいつ、多分、追いかけて来る気だ。……考えるよりも早く足が動き、踵を返した。

 同時にユウの足は現役時代に戻っていた。スタートのピストルの合図が、ユウの脳裏に響き渡ったかのようだった。それは自分でも評価したくなるほどの完ぺきなフォームなスタートダッシュだった。惜しむらくは下半身を丸出しにしていた事だろうがとにかく――ユウはつま先で一歩一歩廊下を踏みしめる度にほとばしる当時の感覚に戸惑いつつも受け入れるのだった。

 背後で、フシューと唸る声がした。大体十五メートルは離せたかと思ってユウが少し見やると男もいた。男もまた、陸上部エース顔負けのフォームと走りでユウを追いかけていた。

「いいっ!? マジかい!」

 驚いて目を見開くユウとの距離が少しずつ、縮まって行く。

――おい嘘だろ!? 嘘だろ!?

「……っちきしょお!」

――冗談じゃねえよ、俺まだ童貞なのに……じゃなくて、死んでたまるかよ!

 こんなとこで負けてたまるか、とユウは力を振り絞る。

――だ、ダメだ、トレーニングさぼってたせいで横ッ腹がいてえ……っ!

 おまけに肺活量がグンと減ってしまったらしいのだ、残念な事に。ユウは少しずつだが確実に縮められていく男との距離にひたすらに昔を思い返していた。

――ああ……っ、! 俺はもうダメだ。最後に会いたかったよ、透子……。それに母さん。あと父さん、ダメ親父だったけど育ててくれてありがとう……ばあちゃんも、悪いところばかりじゃ無かったよな。ああ、ミイ、ごめん、俺達もう最強コンビになれないんだ……さよなら、さよなら、さよなら


「伏せろ」


 その言葉が現実のものか定かではないがユウはその声に導かれるように、その場に滑り込むようにして伏せることにした。野球のヘッドスライディングの要領で、ユウは頭っからその床に飛び込んでいた。その頭は既に混乱しきっていたが、ユウは残る理性を総動員させて、ほとんど縋る思いでその言葉に従ったのだった。

 次の瞬間にはユウにとびかかろうとしたゾンビ男の頭が、銃声と共にものの見事に弾け飛んだ。

「あ……あれ?」

 肘を突きながらユウが上半身を起こして男と背後を交互に見やる――。

 逆光でその全貌がよく見えなかったが、その声でそいつが誰なのかを、大よそすぐに理解した。

「危ないところでしたね、僕がいなければ今頃あいつらのお仲間になっているところでしたよ。何だか全力疾走するゾンビがいると聞いたものですから、早めに手を打っておこうと思って見に来たのが正解ですよ……」

 ユウを助けたのは例の転校生――そう、九十九ヒロシだった。

 ヒロシは一体何のつもりなのか、戦争でもおっぱじめようとでも言うのか、制服の上にショルダーホルスターを巻き付けて腰にはマガジンベルト、片手にはオートマチック式の拳銃を構えている……。
 何が起きたのか瞬時には理解し難いその光景に、ユウはしばし絶句してしまう。ちなみにこちらの姿はと言えば片手に脱いだズボン、下半身はパンツを腰骨にひっかけた状態でチンチン丸出しという露出狂まがいの出で立ちである。ヒロシはそれを軽蔑するような視線で見下ろしてから、実に冷たい口ぶりで言い放った。

「それよりも何とかならないんですか? あながちトイレ中に襲われたんでしょうけどせめてそれくらいは隠して下さいよ……全く」

 あざけるように言いながら、ヒロシはさっと目を伏せた。そこでユウはようやくあっと思い出して出しっぱなしのブツを慌ててしまうのだった。それからズボンを履いてベルトをし、ユウは倒れたゾンビをちら見した。

「う゛……」

 すると、吹き飛ばされた筈のゾンビが僅かに指先を動かした。ヒロシは舌打ち混じりにオートマ拳銃を構え直した。

「――まだ生きてやがるのか」

 忌々しそうに呟いた後、ヒロシはためらいもなくその引き金を引いた。発砲音がしたかと思うとゾンビの身体が宙を踊った。もう一度、脳味噌がスイカ割りのように弾け飛んだ。ユウは「ひっ」とくぐもった声を洩らして、思わず反射的に耳を塞いだ。

「ゾンビの活動を停止させるにはこうやって脳味噌をしっかりと吹っ飛ばす事です。基本的に首を切るだけじゃダメですよ、あいつら首だけになっても襲ってくる場合もありますので……ゾンビの腕力や運動能力は常人のそれらを遙かにしのぎます、やるなら徹底的に潰さないと。ああそれと……」

 ヒロシは淡々と、まるで業務的な作業でもこなすかのように言うのだった。振り返り、茫然と硬直したままのユウへと更なる信じ難いような説明を続けた。

「どうもこのゾンビども、個体差があるみたいですね。古来より知られるのろのろしたゾンビばかりではなくて、生前の運動能力も反映されているんでしょうか。いずれにせよ、厄介な奴らですね。……全く貴方も運がいい、先程のフォームと言いひょっとして陸上部だったんですか? その経験が貴方を助ける結果に――」
「あ、ありがとうっ、ヒロシくん!」

 ユウはヒロシの足にしがみついて泣きじゃくるのだった。

「なっ……ちょ、ちょっと止して下さいよ。馴れ合ってる暇なんて無いんですから」
「ありがとう! 死ぬかと思ったよおお〜っ」

 思いっきり引いたような顔をさせてそこから逃れようとするヒロシだったが、ユウは信じられないくらいに強い腕力でしがみついてくるのであった。ひとしきりに泣いた後、ユウは満足したのかようやく身を離した。

「まぁ何だっていいですが……とにかくここにいるのは危ないですよ。逃げるなり何なりしないと、僕はどうなっても知りません」
「――な、なあ他のみんなはどうなったの?」

 そういえば、とユウが思い出したように問いかけるとヒロシは眉根を顰めながらしれっとして答える。

「さぁ?……知りませんよ」
「ミイや……ノラやヤブや石丸や……クラスのみんな、は?」
「いちいち個人の名前なんか覚えちゃいませんけど――あ、僕らのいたクラスは襲われていましたねぇ、そういえば」

 そう言ってのけるヒロシは本当に興味が無さそうに、そんな事よりこっちが優先と言わんばかりに銃のマガジンを交換している。ユウの全身にさぁっと戦慄がひた走った。

――ミイ達が危ない……っ!

 彼らは逃げ延びてくれれているのだろうか? それともこの事態に気付いていないのかもしれないが。ともかく……只、無事を祈るより他無かった。



加筆、修正前はヒロピーがもっとくだけた喋り方だった。
敬語と荒っぽい口調の入り混じった感じで
今読む直すと「こいつキャラ定まってねぇんだな」
っていう感じがぷんぷんしててウケる。
敬語になったりくだけたりで
亀田こうきの謝罪会見思い出してワロ


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