ナイトメア・シティ | ナノ


▼ 10-5.死ぬのはボクらだ!?


 ヤブが面倒を見ていたのはこの不摂生な生活のせいで体調を崩した者や、満足な栄養が取れていないせいか風邪をこじらせている者等だった。特に老人や子どもはその傾向が大きく見られているようだ……精神面で受けているダメージも計り知れないらしい。

 身体に受けた損傷も勿論だが内面の治療も、立派な医者の仕事だ。ヤブは常にそうは思うのだが自分には果たしてそこまでの能力が備わっているのかと言えば自分では全然未熟だと思っている。

――そういえば、そうなんだよな。僕、血とか苦手だし……本当は医者なんて全然なりたくないんだ

「お兄ちゃん、わたしゃねえ……不安で不安で仕方が無いんだよ……もう先は長くないからこのまま静かに死ねるもんだと思ってたけど、私の事じゃあない。残された娘や孫たちの方が不憫でならない」
「わ、分かります……よ」

 ほら、ね。このくらいの事しか言えやしないんだ、ヤブはつくづく自分の語彙の乏しさを恨む。
 昔から、言葉を選び過ぎて、はっきりと言いたい事が言えないなんてことはよくある。そもそも、精神的に追い詰められている相手に対して「頑張れ」だの声をかけるのは良くないだろうし……自分を奮い立たせることに疲弊しきっている人間に対して更に頑張れだなんて、自分の口からは言えない。ああだでもない、こうでもない、と考えているうちにヤブは何も言えないまま終わってしまう。

 文系な姉は昔っから文章を読み書きするのが得意で、ついでに絵も上手かったから昔から人と接する事に抵抗が無い。悩んでいる人間なんかの悩みを聞いてやるのも上手で、おまけに話もそれなりに上手で。

 ついでに何だか人と違う趣味に走っているみたいで、血とか、残虐なものに対しても何の抵抗も持っていないらしく病院を継ぐのはきっと自分より姉の方が向いているんだと思った。

 でも、姉はそれを反対して家を出た。自分はもっとやりたい事があるのだから、と。そんな風に自分を持っている姉も羨ましかったし意思をねじ曲げないぶれない姿勢も流されてばかりいる自分とは違っていて、数段カッコよく見えた。両親もきっとこんな自分より姉みたいな人種の方を、跡継ぎにしたいと思ってるんだと思う。口には出さないだけで。

「わしはもう短いからいいけれど、残された子達がこんな世の中で過ごさにゃならんと思うと……」
「――そうですね」

 おいおい、こんな事ばかり言ってていいのか? 分かります、そうですよね、僕もそう思います……そんな心にもないうわべだけの相槌だけ打ってて、果たして僕は立派な医者になんてなれるのか?

 ヤブは患者たちの言葉を聞きながらうっすらそんな風に考えていた。ふと、おばあさんがヤブの手を握り締めて来た。

「ありがとう、兄ちゃん。落ち着いたよ、とにかく誰かに話したくて」
「……」

 そう言っておばあさんは本当に綻んだような笑顔を覗かせた。

――……

「そうだなあ。傍にいてこうやって黙って話を聞いてくれるだけでもえらく違うもんだ」
「えぇっ……と……すいません。僕、大して気の利いた事も言えないもので……その」
「いいんだよ、いいんだよ。こんなのは年寄りのたわごとだ、誰か横にいて耳を傾けてくれるだけで十分」

 そう言って快活に笑いながらおばあさんに膝を叩かれてしまった。逆に励まされてしまったみたいだ。

「お兄ちゃんは、お医者さんの息子さんなんじゃろ? 聖都病院の息子さんらしいじゃない。凄いなあ」
「は……はい。でも、僕――血とかそういうの苦手で……情けないものです」

 苦笑しながらヤブが頬を掻いた。

「誰だってそんなの好きじゃないわよ、ボウヤが気に病む事はないんじゃない?」
「はぁ……」

 ボウヤ、という呼ばれ方に何だか酷く懐かしいような気恥しい様な、とにもかくにも居た堪れない気持ちになってヤブはまた口元に微笑を浮かべた。

「でもね……これでは駄目なんです……立派な医者になれない……」

 後半の方はもうほとんど独り言のようだった。呟いてから、ヤブは反射的に俯いた。

「――ヤブ!」

 そこへ飛び込んでくるのは、聞き慣れた友人の声だった。石丸がユウの肩を取りながら息も切れ切れに自分を見下ろしている。石丸の制服は返り血やらで全身汚れているが今更気にしたことでは無かった、ついでに横でぐったりしているユウは真っ青な顔をしているし肩辺りが真っ赤に染まっている……ヤブは驚いて顔を見上げた。

「ユウを、治療してやってくれ」
「治療って。ど、どうしたの一体コレ……!?」
「肩を撃たれた」

 石丸が言葉少なに告げつつユウを降ろしてやる。それだけでも理解したように、ヤブはユウにすり寄った。

「ユウくん!」
「へへっ、平気なのにさぁ、全然……平気、大丈夫だって、大袈裟すぎるよみんな。まるで俺がしししし死ぬみたいに」
「――弾はまだ抜けてないんだね?」
「多分……」

 ヤブが静かに石丸に尋ねるとユウはまた騒ぎだした。

「うえぇっ、と、取るの!? しゅ、しゅじゅちゅするの!? ヤダ……ッ、痛いんでしょ映画とかでよく見るヤツでしょ!? い、いいよ! 別にこのままで……」
「石丸くん、手を貸して。お願いします」
「言われなくともそのつもりさ」

 運ばれてきた怪我人に避難所が騒然としはじめる。

「ちょ、ちょっと聞いてるのヤブ!? 俺がそのまんまでいいっつってんだからそのまんまでっ、あひ〜」
「石丸くん、頭の方抱えていてくれる? 高めに……そう、それくらい」

 ヤブは血を見てやはり動揺を隠しきれないのか声を震わせながら指示を出している。言われた通りに石丸がユウの頭部を抱える。

「こうか?」
「うん、あとハンカチを噛ませて。それを飲み込んで窒息しないよう、しっかりね」

 ヤブは持参してきた医療キットから白い無地のハンカチを取り出すと石丸に手渡した。

「ちちち、ちっ窒息って何っ!? 何する気なのぉ俺に一体!? 俺をどうする気なの! ちょっとヤブ! 石丸! ま、麻酔するよね、やめて、やめてよ……モガガガ〜」

 暴れるユウを押さえつけながら石丸がユウの口にハンカチを噛ませた。ヤブが身を乗り出すと、怯えきるユウの耳元で囁くように言った。

「いいかい、ユウくん。……落ち着いて、聞いて。麻酔は外部に持ち出せるものじゃないから今持ってないんだ。それに麻酔にも色々あってね、そう簡単に使っていいものじゃないから。この出血量と、ここまで心拍数が不安定な時に使うと過換気症候群に陥りかねないし」
「もがもがっ、もがががぁ〜!」
「多分凄く痛いと思う。だけどこのままだともっと痛い。弾から毒素が出て良くない」

 痛い、の言葉にユウが更に暴れかけたが石丸がそれを拘束して許さない。

「ふ、ひぐぅ……」

 ユウはびびりきってしまってもうすっかり竦み上がっている。涙と鼻水で顔面グシャグシャにさせながらユウが怯えきった目でヤブの手に握られたナイフを見つめた。

「……」

 ヤブがごくり、と唾を飲んだのが分かった。吐息交じりに吐き出される声も震えを帯びていて、ヤブがいかに必死でいるかがよ〜く分かる。それからもう一度ごくんと唾を飲んで、更に一度息を吐いた。呼吸を整えるようにヤブは目を閉じて宙を仰いだ。

「大丈夫。僕は、やれる……僕は、父さんの息子だ……やれる、やれる! 絶対にッ!!」
「そうだ! ヤブ! お前は天才だ! 学校の成績も優秀だし凄いぞ! よっ、男前……」
「ちょっと黙って!!」

 ヤブが閉じていた目をかっと見開いて囃し立てる石丸を怒鳴り付けた。

「い、医者なんか、本当はなりたくない。血も痛いのも全部大嫌いだ。でも、でも……」

 ユウの制服のボタンを外すと、ヤブは出血している箇所にナイフの切っ先を突き立てる。ユウの目がいつもより更に大きく見開かれている。

「友達は絶対に救わなきゃ駄目だ……そう、これは僕の意思で決めた事だ。こ・これは誰の指示でも無い! 誰かに決められてやる事じゃないんだ!」

 振り切るように叫び、ヤブがナイフを突き刺した。モタモタしているとより一層痛みを与えかねないし無駄に血液を流しかねない。迷っている暇なんかない、とばかりにヤブは躊躇なくそこを切り開くとユウが声にならない悲鳴を上げて足をばたつかせた。

「ユウくん、ごめんね……痛いし怖いよね、よく分かるよ……でも、一瞬だけだから。絶対に助けてみせるからね!」
「ふぐっ……う、うぅっ」
「石丸くん、ユウくんに何か話しかけてあげて。少しでも気を逸らさせてあげるのが一番いい……」

 ヤブが額の汗を拭いながらそう言うと石丸が頷いた。

「え、えっとユウ、えーっと。げ、元気ですかー!?」
「うぅっ……」
「ちょっとッ! ふざけてんの!? 面白くないっていうかもうちょっとマジメにやれないわけ!?」

 何を言う至って大真面目だ、と言い返したかったがヤブが怒鳴るので止めておいた。何より、彼の集中力を途切れさせるのは良くない。全てはヤブの腕にかかっているのだ。

「……、えぇとだな。ユウ、へばんなよ……ミイも、みんなも頑張ってるよ。みんなここを守る為に頑張ってるよ。じきにあの悔しいけど強い転校生とノラも戻ってくるんだ。会いたいだろ、またみんなでさ……合流したいだろ?」
「――」
「こんなふざけた状況終わったらさぁ、またみんなで色々やろうぜ? 次はあの転校生も加えてさ、エロ話したりバカ話したり麻雀したり。な、な?……あ、そうだ! モンハンだって俺らまだまだやり残したクエストいっぱいあんだろ! 転校生も交えてさ、みんなで狩り行けばいいじゃん」
「ンううう〜」
「だからさ、うまく言えないけどユウも頑張れよ。……い、痛いのは一瞬だけだし! 俺なんか色々痛い事してきたけどお前が一番スゲーよ! うん!」

 石丸のその思いが伝わったのかどうかは分からないが……ユウはさっきより幾分か抵抗するのは止めた。まあ、単にその気力が失せただけなのかもしれないが。ヤブは真剣な眼差しで以前、作業の手を休めない。ヤブの意識は完全に手術へと傾いていたが……こんな時になって思い出す事が一つだけあった。

 忘れもしない、あれは高校に入学して間もない頃の事だ。馴染んでいない制服に身を包み、背丈も肩幅も無い華奢な自分は特別サイズの合っていないSサイズの制服に腕を通す羽目になった。
 背の低い人間によくある悩みだが、手足が短いせいで大方の服の袖が余りがちだ。制服も例外では無く、ヤブはいまいち着心地の悪い制服にちょっとぶすっとしながら登校していた。桜の花びらの散った通学路、スクールゾーンの標識が目印のありふれた道。小学生達の通学も多いこの道では、車の通行は禁止されている筈だった……。

「助けて!」

 その声が耳に届いた時にはもう遅かったらしい。車にひき逃げされた女児が、苦しそうに呻いている。周りに人が集まっている、事態を把握しきる前にヤブは手を引かれた。

「あんた、聖都病院さんとこの息子さんだね!? ちょっと見とくれ!」

 無理やり観衆の中に連れ込まれると、その状況を嫌でも見せつけられた。思っていたよりも女児の状態は酷く、想像より遙かに悲惨なものであった。

「痛いよぉ……お母さん、助けてぇ」

 掠れた声で訴えるがヤブは力無く膝をつくしかない。

「ちょっと! アンタ! 何ぼーっとしてるんだい、この子が苦しがってるんだ、何か処置を……」

 肩を掴まれた時にはヤブの意識は遠のいていた。ヤブはそのまま後ろに倒れ込んで、気絶してしまった……。再び目を覚ました時には自分も一緒に病院に運ばれていたらしい。自分の家の病院で目が覚めた、あの女の子は無事だったと聞かされて、ひどく安心した。

 あんなにもひどい状態を見せつけられるなんて、僕は絶対に医者なんかなりたくない。無理だ、絶対に無理だ……、と思った。……そうだ、その時は。




 こちらの体力も底を尽きかけていたものの、ゾンビも少しずつだがその数に限りが見え始めていた。当然こちらの犠牲も払いながらの苦しい戦いであるが、どうにかこちらにも余裕が生まれるくらいには――、

「もうちょっと粘ればきっと……!」

 ヒトミが顔を上げながら、手にした二挺の拳銃で応戦していた。銃器だけでなく、ヒトミは体術の心得もきちんとあるらしく見事なハイキックを交えながら小柄な身体で奮闘している真っ最中であった。……ミイは刀を振るいながらも、そんなヒトミの言葉にどこか安堵しきれないでいた。

――数も減っているのだが……何だか、胸騒ぎがするのは何故だ?

 ユウの事も気になるが、何故かこれで上手く終わりだとは思えなかった。ミイが肩で息をつきながら、周囲を注意深く見渡した。

「……」

 自分が神経質になっているだけなのだろうか? ミイは刀を降ろして息を潜めた。再び周囲を見渡してみる。感覚を研ぎ澄ませていると、瞬間的に無音の世界になった様な気がした。
 世界が歪む、耳鳴りの様な感覚が次いで襲いかかってくる――ミイはせり上がってくる何とも言えない底の見えない恐怖と戦いながらめまぐるしく歪む視界の先を見据える。

 恐怖の正体はすぐに、やってきた。

「――っ……!?」

 大量のゾンビ、さっきと同じくらいの数……いやそれ以上かもしれない。そしてその軍団を引き連れるように中央を歩くのは、ウサギの着ぐるみ……を、着ているのであろう中身はきっとほかのゾンビと変わらない。

――何だありゃあ……

 ウサギは既に返り血を浴びた状態のまま、その右手に引きずっているのは随分と大層なナタだった。どっぷりと血液の染みついたナタをずるずると地面に滑らせながら、ウサギは飽くまでも可愛らしいウサギの顔のままでこちらへと向かってくる。

「――は……っ」

 乾いた笑いが自分の喉から漏れて来るのを、ミイは我が耳にてはっきりと聞いたのだった。

「マジかよ」

 口々に皆、絶望的とも取れる声を洩らし始める。

「まさかどこかの遊園地から逃げ出して来たのか……? あんな物騒なモン持ってとんでもないアトラクションだな、おい……」

 まだ冗談を言える余裕が残されている事に多少驚きもしたが、ミイもほとんど疲弊しきっていた。戦い慣れたヒトミですら、その顔に引き攣った笑いを浮かべている。

「困ったわねぇ……弾は足りるかしら?」
「――応援がつくまで……持てばいいだけです」

 ミイが囁くように言うとヒトミは同意するように小さく頷いて見せる。

「まあ、それもそうよね。みんな、あと一息! 絶対に絶対に絶対に死ねないわよ。こうなりゃここにいる全員、誰も死なないで終わるんだからッ」

 強いて作ったようにヒトミが笑顔を浮かべつつ叫ぶ。その激励に皆も何とかかんとか返事をするが、やはり限界は近い。ミイは再び前へと向き直ると刀を正眼に構える――、残り少ない弾薬と、僅かな体力だけを共にして。

 どこかの遊園地から逃げ出してきたのかウサギはあくまでもコミカルな笑顔を浮かべたまま……その手にしていた巨大なナタを大きく振り、目の前の宙を大きく切った。

prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -