▼染井吉野書店





その日は雨だった。肌を撫でる霧のような春雨。

「すみません。小説を探しているのですが。」

大きな傘を持ち、青年は来店した。
青年が言うに、それは初々しい少年と少女の話らしい。
タイトルもわからない。著者名もわからない。
ただ、昔読んで初々しい少年と少女の恋愛に心惹かれるものがあったそうだ。
それを今頃になって思い出して、探している。だが、わかるのは内容だけ。
見つかるわけがないと、青年は途方に暮れていた。

「兄さん、わかりますか?」

奥にいる巫へと投げかける。
彼はお手上げだと言わんばかりに方を竦めた。
自信家な節がある彼だったが、この情報だけでは本を特定できない。ましてや恋愛物だと青年は言うではないか。

「ねぇ、君。幾つか候補を出しておくから後日また来店してくれないかな。」

青年は頷き、その日は帰っていった。
大きな傘をさして。
青年を見送った紬は巫の方へと向く。
巫は広い店内を歩き、先ほど言った通り候補を選別していた。
こうなってしまっては紬の出番はない。
ここにある本の内容は全て兄の頭の中。
どこにどんな本があるのか、それはどんな内容で、作者は誰か。
全て巫の頭の中。
紬はただ彼を労う為に茶を入れる事しか出来なかった。

「・・・これぐらいだな。」

数十冊の本を本棚から出し、机の上へ置く。
巫は記憶の中にある文章と照らし合わせ候補をだし、更に絞り込むつもりだ。
辺りを見回すと紬がいない。
何時もならここで腰掛けているか、レジのところにいる筈なのに。
紬が巫に何も言わずにどこかへ行くなんて事は滅多にない。
店を経営するようになってから染み付いた二人の癖だ。
辺りを何度か見回していると、ふわりと香る緑茶の匂い。
優しい匂い。

「兄さん、どうしたんですか?」

きょとんとした表情の紬がそこにいた。
緑茶の匂いはお盆に乗せた急須から香っているようだ。
もちろん湯飲みは二つ。
少しでも心配をした自分を馬鹿らしく思い、何時も通りの微笑んでいるような顔の紬に少し苛立つ。

「・・・別に、どうもしてないよ。」

椅子に座り本を読もうと表紙を捲る。
紬も反対側に座り、茶を注ぐ。

「拗ねないでくださいよ。」
「拗ねてなんかないよ。」
「いいえ、拗ねてます。」
「確証はあるのかい?」
「長年一緒にいるんですから、わかりますって。」
「なんだいその双子の勘みたいなの。確証にならないさ。」

話の区切りに一口、茶をすする。
そして目線を紬から本へと変えた。
それにつられて彼も目線を巫から本へと移す。
それだけで、巫が言いたい事を理解する。
やはり二人は双子なのだろう。
同じ環境で育った双子は二人で一つになろうとする。
故に反対になる。
反対の性格をしている二人だが血の繋がりは確かにあり、互いの意図する事を汲み取れる。
巫は本を読み始め、紬は茶を一口飲んでから兄を追うように読み始めた。

「兄さん、これは違うみたいですよ。」
「あぁ。これも違う。」

そんな会話ばかりを続けながら数時間、ひたすらに本を読み続けた。
元々読書が好きな桜庭兄弟。
普段から量ある物を読んでいるので、苦にはならない。
店の方も霧雨のおかげで人が来る気配はない。
全ての本を読み終わる頃には隠れていた太陽も沈み、月が空を見渡していた。

「流石に疲れるねぇ・・・。」

後ろに仰け反り、何度も入れ替えた茶をすする。
冷たくなってしまった茶は一息に飲むのには丁度よかった。
けれども、温かいのが飲みたかったと巫は思う。

「温かいのいれてきましょうか?」

返事を聞かずに立った弟に対して湯のみを差し出す。
それを受け取った彼は巫の態度を気に留めた様子もなく、何時もと同じように微笑みかけるのだ。
一度、紬の方を見てから巫も席を立つ。
今まで読み漁ってた本たちを仕舞う為にだ。
青年が言った内容では断定が難しく、読んだのは過去のことで内容が記憶の中で改竄されている可能性もある。
普段よりも広く、緩い条件で本を絞り出していたら何時の間にか膨大な量の高さができていた。
三桁もいくような本たちを運んでは仕舞い、仕舞っては運ぶを繰り返した。

「よく一人でやろうと思いましたねー。」
「君を待ってたら効率が悪いだろ。それにこれは僕の仕事だ。」

一つ二つ山が減ったぐらいの仕事量。
本たちはぐるりと机を囲み、佇む。
その山の中に属さず、一人机に座り込む彼女の手をとり紬へと渡す。
その彼女の名は“雨傘”

「多分それだと思う。が、確証はない。」

雨傘を見て、紬は微笑んだ。
彼女と紬、二人は互いに微笑み合う。

「何ニヤニヤしてるんだい。」

奥とここを行き来する巫が不思議そうに首を傾げつつも眼鏡のブリッジをあげた。
巫には見えていない彼女。
紬は一度彼女と顔を見合わせ、これであってると思いますよと言った。



ーーーーーーー



「こんにちは。」

その日は雨だった。肌を撫でる霧のような春雨。
またも大きな傘を持ち、青年は来店した。

「やぁ、待っていたよ。」

普段は奥に篭って出てこない巫が青年を出迎える。
その手には“掌の小説”を携えて。
青年に彼女の手を引かせ、巫は彼を奥へと通す。
相変わらず埃っぽい店。
それが普段は太陽の光によって茶とオレンジに照らされているのだが、今日は雨。霧雨。
太陽の色とはまた違った電球色の色が店を包み込む。
言われるがままに椅子に座った青年は、何度か瞬きをした。

「君が所望していた小説のタイトルは“雨傘”。そしてその小説が収録されているのは川端康成著の“掌の小説”・・・つまり今君が持ってる本ってわけ。」

そこまで話したところで、お茶を淹れてきた紬に怒られる。
巫は客の前だというのに机の上に座り足を組んでいたのだ。
決して行儀がいいとは言えない行為。
巫は怒られたというのに少しも反省の色を見せようとはしない。
机の上から退き、話を続ける。

「・・・幸い、この店にはあまり客が来ない。つまりだよ?君がその本が本当に望んでいた物か確かめる時間がたっぷりあるという訳だ。」
「全く、兄さんは素直じゃないですね。ゆっくり読んでいってください。そして貴方の記憶と照らし合わせてみてください。」

言葉が足りない分を紬が補う。
気に障ったのか、巫は一度睨むように弟を見るとどこかへと消えていった。

「兄が無礼を働いてしまい、申し訳ありません。ゆっくりしていってくださいね。私はレジのところにいますので。」

紬までもが立ち去り、青年が両手を伸ばした世界には彼と雨傘だけが残った。
静かな静かな世界に紙が擦れる音だけが響く。
何時もの、世界。
一人イレギュラーがいるが、それをも飲み込み馴染ませる空気。
雨傘は短編が故に青年は直ぐに読み終わった。
熱いお茶も丁度飲めるぐらいの暖かさ。
青年は紬の元へと行き、帰っていった。
これが彼の望む本だったのだ。

「ありがとうございます。彼女を大事にしてくださいね。」
「彼女・・・?」

青年の問いかけには答えず、紬は微笑んだ。
彼と、彼女に手を振り、見送る。
青年が大きな傘を差し、頬を染めながら帰るのを見送った少し後の事。
捻くれ者の巫が顔を出す。

「あれであってたのか。」
「えぇ。ね、言ったでしょう?彼が雨傘を求めていたように、彼女は彼と再会したがってたんですよ。」

青年が店を出て傘を差してた時、隣に彼女が見えた。
青年が本を手に入れられて頬を紅葉色に染めたように、また彼女も青年との再会に胸を躍らせたのだ。
紬が手を振った時、彼女は嬉しそうに頬を染め笑顔をこちらに向けていた。
まるで、恋する少女のような、そんな笑顔。




その日は雨だった。肌を撫でる霧のような春雨。
表へと出た彼女は青年の大きな傘を見て、雨だと知ったのだった。









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