▼ 08
とはいえ全く目を覚まさないほどのダメージがあったわけでもなく、その三十分後、私は目を覚まして彼と正座して向き合っていた。頬はほとんど痛くなかったので、やっぱり器用に加減していたらしい。
「……で、一度整理すると、光忠くん、私に結婚してほしくないんだよね?」
「……ああ」
「光忠くんがいるから?」
「主、意地悪するのはやめてくれないかな……?」
「ハハハやだなそんな怖い顔しないで……でもさっきそう言ってたの、光忠くんだよね?」
私の反撃にう、と言葉をつまらせて、彼は軽くうつむいてからか細い声で返事をした。
「……そうだよ、主には結婚してほしくないんだ。誰か他の人が君の隣にいると思うと、なんだか、つらくて」
「そ……うなの……?」
改めて衝撃の告白をされ、私は思わず身を震わせる。普段あんな態度だったのに、まさか内心こんな感情を抱えていたとは思わなかった。私はそれからどう言葉を返したらいいかわからなくなって、何回か深呼吸した後に返事をする。
「と、とりあえず、お見合いは断る方向で行こうと思います」
私の言葉に、光忠くんは表情を固めて何度か瞬きを繰り返した。本当に断ると思っていなかった、と言いたげな表情である。――あんな近侍の顔を見てお見合いを続行できるほど、私は図太くはない。
彼の言葉を聞くのが少し怖くて、光忠くんが口を開く前に先に言葉を発してしまう。
「……ので、今日はもう寝よう。お互いの部屋に戻って、落ち着きたい……かも……」
私は途切れ途切れに彼に伝える。あまりに気恥ずかしくなってきたので、これ以上彼と同じ部屋にいるのに耐えかねて彼に提案する。
実のところ心臓が早鐘を打っていて、もう光忠くんの顔を見ているのは限界だった。この本丸で審神者をしているうちにこんな素直な光忠くんを見ることがあるなんて誰が思っただろう。
「そうだね。――おやすみ、主」
それに素直に頷いて、彼は立ち上がり退室した。少しだけ拍子抜けではあったがほっとして、私は彼に対して手を振って見送る。
――明日からどんな顔で会えば良いんだろう、というかあれは愛の告白としての言葉だったのか、単に自分以外が主の隣にいることへの妬みなのか、それをはっきりさせるべきだっただろうか。
私は悩みながら、例のお見合いのメッセージを開く。なんとか、丁寧に断る文面を考えなくてはいけない。すぐには寝られないかもしれないな、と苦笑しながら、私はキーボードを打ち始めた。
翌日、私はゆっくりと意識を覚醒させる。昨晩は遅くまで文面を考えていたので、眠りについたのはかなり遅い時間だった。まだ重たいままの身体を起こす気にもなれなくて、このまま再び意識を手放してしまおうか、二度寝してもいいか、と考えながら、開きかけたまぶたを再び下ろそうとする。
「……――るじ」
聞き慣れた声が耳から入ってきて、私はううん、と小さく唸った。その数秒後、私の周りに小さな風が巻き起こり、次いで少しひんやりとした空気が肌に纏わりついてくる。起こすために覆っていた布団を剥がれたのだということを理解して、私はゆっくりと目を開けた。
「あと三時間……」
「だめだよ、昼餉の時間になっちゃうからね。今起きないと朝も昼も君の分が無くなるかもしれないよ」
「ああん……起きます……」
私はのそりと身体を起こして、光忠くんと目を合わせる。起き上がる途中で昨日のことを瞬時に思い出して少し顔が赤くなったが、それを片手で隠しながら彼に挨拶をした。
「お、おはよう」
「おはよう、主」
しかし光忠くんは平然としている。昨日の態度はなんだったのか、彼はいつもどおりの真面目な表情を浮かべ、いつもどおりの挨拶を口にしただけだった。もしや昨晩のあれは夢だったのかと思いつつ、私は着替えを手元に手繰り寄せながら口を開いた。
「そうだ、昨日のことだけど」
私の言葉を聞いて彼はびく、と大きく肩を震わせた。――この態度からして、どうも夢ではなさそうだった。私はそのまま続ける。
「あれ、断るってことで連絡しておいたよ」
「……そっか、断ったんだね」
光忠くんは感情の読めない表情を崩して、明らかにほっとした様子で言った。……かわいいところもあるな、と少しだけにやけてしまう。
「まあ、私には光忠くんがいるからしばらくはいいかなって。ほら、近侍でずっと一緒にいるし、うん」
「答えになってないよ……」
光忠くんはそう言って、ふっと笑った。私は結婚するよりも、こういう風に、ちょっとだけ軽口を叩き合うくらいの仲の彼が隣にいるのがちょうどいい。……ちょっとだけではない気もするけど、それは今後どうなるかわからないし、しばらくは光忠くんとふたりでこの本丸で頑張っていくのが性に合っていると感じるのだ。
「……まあ、君がいいならそれでいいかな。それで、今日の執務は?」
「えーっと、じゃあまずは出陣メンバーの確認から。とりあえず、朝ごはん食べに行こう!」
――とりあえず今はこのまま、彼と曖昧な関係を続けて行きたい。私は立ち上がって、光忠くんに向かって笑いかけた。
「そういえばずっと聞きそびれてたんだけど、結局光忠くんが私にあんな態度を取り始めた理由ってなんだったの? 第一印象悪かっただろうな、とは思っていたんだけど、その割にはただ嫌われているだけじゃないのは感じ取ってたんだけど……」
「……最初は、変わったことを言う主だな、と思って見ていたんだよ。それからだんだん気になってきてしまって、どうしても目で追ってしまうようになって、つい色々なことを言わずにはいられなくなって……」
「え? それもしかして一目惚れから始まる恋ってやつだったのでは……あっうそごめん! 無言で体重かけてくるのやめて! 調子乗ってごめんって! か、身体が折りたたまれるーッ!」
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