05
住み込みの仕事をいくつか見つけた銀時は、その中から工場の仕事を選んだ。接客や職人の仕事も見つけたが、あまり人と関わりたくない。人と接する態度というのがどんなものか、知識としては知っている。しかしどうすればイメージ通りになるのか、いまいちわからなかった。
工場の仕事は良かった。狙い通り真面目な顔で黙々と作業し、声を掛けられれば少し会話したり、質問を受ければ答えを返すだけ。複雑な話術は必要としない。
今日も午前の一仕事を終えてコンビニの弁当を食べていると、目の前で草履をはいた足が止まった。工場じで働く者にはない、派手な着物の裾も目に入り、誰だろうかと顔を上げる。

「? だ、れ……っ?」

紫がかった黒髪は所々毛先が跳ねているが癖はない。翡翠の右目と、包帯の巻かれた左目。女物を思わせる派手な長着。口元に薄い笑みを掃いた、獣のように鋭い眼差しの男。
ガツン、と脳を揺さぶられた気がした。ヴェールが揺れる。

「久しぶりだなァ、銀時。三ヶ月ぶりくらいか?」

その姿が、声が、眼差しが、銀時の心に細波を立てた。目が離せなくて、しかし見ていると苦しい。記憶を失ってから、ここまで感情が揺れたことはない。それなのに、彼が誰なのかわからない。記憶がなくなったことを初めて悔やんだ。
男は銀時の知り合いのようで、銀時の行動は逃げだと指摘した。自分でも気付いていたことを他人に見透かされ動揺する。けれど人から想いを向けられるのが辛い。新八と神楽の気遣いを煩わしく思いそうなほど自分には重かった。だから逃げた。
目の前の男からも逃げたくて足は勝手に距離を開ける。本当は男から離れたくないという思いもあって、それは微々たる距離だった。銀時にとっては勇気のいった一歩なのに、男は悠々と詰め寄った。焦りもあるのに、その距離が心地好い。

(……あれ?今逃げたのはこの人の想いが重かったからじゃない)

荒れる心の中、気付いた。ただ銀時の心を見られるのが恥ずかしかったからだ。彼の視線も、向けられる想いも、重いとは感じない。逃げたいとは思わない。それが不思議だった。

「お前の名前は、何だ?お前は誰だ」

桂と同じことを聞かれる。そんなにこの問いは大切なものなのか。不思議に思いつつ、桂にしたのと同じ答えを返した。

「俺は『坂田 銀時』って名前だよ。俺は……」
「ハッ、変わらねェなおめーはよ」

二人の距離は密着するほどになり胸ぐらを掴まれたが、それが気にならないくらい銀時は目の前の色に惹かれた。強い光を放つ、一つしかない翡翠。その中に銀時が映っている。心臓が早鐘を打ち、銀時の指先は震えた。

「いい加減にしろよ銀時ィ。てめーは今ここで生きてんだ。てめーの目の前にいんのは俺で、てめーに触れてんのも俺だ。しっかり地に足つけて前見やがれ」

銀時は今ここで生きている。銀時の目の前には妙に銀時の心を刺激する男がいて。銀時に今触れているのも、この男。服越しに感じる体温も、銀時に話しかける低い声も、睨むように真っ直ぐ見つめてくる瞳も、目の前の男のもの。
銀時は彼と同じ世界にいて、けれど違う人間。しかし同じ世界に生きているから、触れることが出来る。銀時は世界の中にいて、彼とは違う存在。
目の前のヴェールが消えた気がした。ぼんやりとしていて、鈍いものを伝えてきていた感覚が急に鋭敏になる。目で男を見て、耳で男の声を聞いて、鼻で男の匂いを嗅ぎ、肌で男の体温を感じている。それをしっかりと認識した。今までの感覚は何だったのかと思うほど、世界を鮮明に感じた。この感覚は以前にも体験した気がする。

「……前、も……同じ……?」
「あァ。これを言うのは二回目だ。同じこと何度も言わせんじゃねー」

思い出せない。銀時の体は、心は確かにこの男を覚えている。それはわかるのに、記憶は扉で引っ掛かって出てこない。扉の大きさに対して、男との記憶が大きすぎるような気がした。
片時も逸らされなかった瞳が、瞼に隠される。それは雲が月を隠すようで、男はそのまま頭を下げた。何をするのかと警戒もせず動きを見ていると、首筋に顔を寄せ――喉に歯を立てられた。

「……っ!」

息を呑み体が固くなる。急所を押さえられた恐怖はあるが、体は逃げようとしない。この男に会ってから心も体もちぐはぐで、銀時の思うようには動いてくれない。まるで他人のもののようなのに、自分のものだという感覚はしっかりあった。否、男に気付かされた。

「てめーがそうやって逃げて忘れたままなら……銀時が大事なモンを護らねェなら、俺がソレごとブッ壊す」

言われた言葉は恐ろしいもので、銀時は唾を飲んだ。上下した喉に噛みついて、男は銀時を解放した。
この男は止まらない。銀時の言葉でも止められない。だから止めない。男は自分すら犠牲に望むものを手にしようとする苛烈な性格をしている。けどその姿勢を美しいと思ってしまった。だから代わりに銀時が男を護ろうと思っていた。男も、その大切なものも、自分の大切なものはすべて護る。何もかも背負ってきた自分だから出来ることだ。
そんな想いが頭を過り、一瞬何かが男に重なる。しかし瞬きの間にそれは薄れた。

「オラ、せっかく来たんだ。記憶がなくても抱いてやるくらいしろ」

男の背負っていた赤ん坊を押し付けられ、何とか抱っこする。雪路と同じほどの大きさの赤ん坊は、男と同じ髪色に赤い瞳を持ち、どこかで見たような顔立ちをしている。

「わっ!え、この子誰……?」
「佳月だ。てめェが名付けたんだろォが。佳い月と書いて佳月。なァ?佳月」

佳月――美しい月。
慈愛の柔らかな笑みを佳月に向ける男に、美しい月が重なった。

(そうだ……俺はこの月を思わせる男に、)

惚れたんだ――と思い出した。この俺様で自分勝手で行動力が人一倍あって、けれど銀時の隣を歩こうとする高杉に。

「た……か、すぎ……」

まず高杉について思い出し、続いて雪路と佳月、そこからは雪崩のように記憶が戻ってくる。なくしていたものの大きさに頭が痛んだ。すべての記憶が戻ると頭痛は治まり、痛みの名残を払うように首を振る。腕の中の佳月も真似をするように首を振って、銀時は笑った。

「オイ、今名前……」
「あー……悪かったな高杉。迷惑かけたみてーでよォ」

残念なことに記憶をなくしていた間の記憶もある。記憶を取り戻した今は醜態もいい所で、高杉と視線を合わせられない。
幼い頃の自分は不可抗力でも、この年であの状態は恥ずかしい。
縋るように佳月を抱き締める。

「てめーがとんでもねェ阿呆ってのは知ってるが、」
「あ"ァ!?」
「こんな間抜けなこと仕出かすとは思ってなかったなァ。今度馬鹿な真似してみろ。容赦なく監禁してやるからな。阿呆は阿呆らしく阿呆なことしとけ」

阿呆と馬鹿の違いって何だ。寸前まで喉から出掛かったが、どうせまともな答えも得られず嘲笑われるだけだ。ここは大人しく腹に収めておく。
心配したかはわからないが、苛立たせたのは確かだろうと思うので、大人しく頷いた。

「それで、雪路はどこにやった」
「松田太一ってゆー奴に預けてる。俺の隊にいた奴でよ、信用出来るから心配すんな」

太一にも礼を言わなければならない。雪路を預かってくれて助かった。記憶のない自分より、太一の方が信用出来る。

「雪路も引き取りに行かねーとな。……しっかし久しぶりだなァ佳月〜」

もちもちの頬をつついて、銀時の顔はだらしなく緩んだ。伸ばされる指を掴もうとする佳月は本当に可愛い。銀時と高杉の血が流れているのを疑うくらい可愛い。
へらへらしながら佳月に構っていると、高杉は銀時から佳月を奪った。

「あっ!何すんだよ!?」
「俺ァ暇じゃねーんだ。帰る」

佳月を抱いた高杉は口角が下がっていて、どこからどう見ても機嫌が悪い。
何かしただろうか。銀時が高杉に迷惑をかけるのはいつものことなので、あまり気にはならない。しかし機嫌が悪くなるのが急過ぎる気がする。

「……何か怒ってる?」
「別に。何でもねーよ」
「いやいや!怒ってるよねェ!?」
「うっせーな!記憶戻った途端佳月にだらしねー顔しやがって」
「いいだろ。俺は佳月とあまり会えねーんだから」
「会えねーのは俺もだろォが」
「そりゃ高杉も雪路には会えねェだろーけど……」

むすっとした顔をさせたまま別れるのはあまりしたくない。常に一緒にいる頃は一月くらい口をきかない喧嘩はざらにあったが、今は状況が違う。今後何ヵ月会えないかわからないのに、ギスギスした状態で見送るのは嫌だ。


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