the 3rd day[3/7]

『……出ろよ』

ひどく素っ気ない声だった。悪い夢から醒めたような顔で、光希は僕を見下ろしていた。

『いいんだ……光希、やめないで』

『彼氏からじゃないのか』

ビクリと身体が震えた。

『……出たく、ない』

沈黙の間を無機質な音が流れ続ける。光希の冷めた顔を見るのが怖くて、僕は俯いていた。

『からかっただけだ。本気にするなよ』

──そうだ。光希には彼女がいる。こんな僕を真剣に求めてくれるわけがなかった。

『つまらない痴話喧嘩に俺を巻き込まないでくれ』

いろんなことがあり過ぎて、一縷の望みに縋りたくなるぐらい、僕は自分を見失っていた。
こうして越えてはいけない線を踏み越えようとしたから、僕はまた大切な人を失ってしまう。泣いてはいけないという気持ちに反して、涙が溢れて頬を伝った。

『彼氏とうまくやれよ』

そう言い残して、光希は闇が降りてきた教室を出て行った。
これで、もう二度と光希には会えない。
いつの間にか着信音は止んでいた。喪失感を抱いたまま、携帯電話を取り出して履歴から電話を掛ける。呼出音はワンコールしか聞けなかった。

『飛鳥』

耳元で、僕の名を呼ぶ優しげな声がした。涙をこぼしながら、僕は思い浮かべる。僕の全てを縛り付けて離さない鳶色の瞳を。

『沙生……』

『会いたいんだ、飛鳥。会いたい』

もう十日ほども会っていない恋人の、弱さを曝け出した声音だった。
ああ、やっぱり沙生には僕がいないと駄目だ。

『沙生……僕もだよ』

哀しいことなんて何もないのに、涙が止まらない。

『外にいるから、すぐに帰るよ。少しだけ待ってて』

沙生が少しずつ沙生ではなくなっていくのと同じように、僕も少しずつ自分を失っていった。





時間の経過と共に、微熱に似た火照りは少しずつ失せていく。
ユウが作ってくれた軽い昼食を済ませてから、僕たちは手持ち無沙汰にリビングのソファに掛けていた。テレビの画面に昼下がりのニュースが流れる。
毎日世界中でたくさんの人が死んでいく。消えてしまった生命の中にサキのものが含まれていることを、僕は未だに信じられずにいた。
本当は、サキは少しの間姿を消しているだけなのかもしれない。この瞬間も生きていて、ある日突然僕の前に現れ、優しく抱きしめてくれる。

『アスカ、驚いた? 少しびっくりさせたかっただけなんだ』

いつか、そんなときが来る。
僕の隣に座るユウを横目で見つめる。そしてふと気づく。ここへ来てからずっと、その身体からいつものにおいが足りなくなっていることに。

「ユウ、煙草は?」

「やめたんだ」

肩に鼻を近づけてみる。いつも仄かに漂っていた癖のある煙のにおいが消えていた。

『世界中の奴等が禁煙しても、俺は絶対に煙草をやめない』

僕が高校生の頃、ユウが変わった外国銘柄の煙草を吸いながらそう言っていたことを思い出す。

「どうしてやめたの」

「これといった理由はない。お陰で食べ物の味がわかるようになったな」

少し笑いながらそんなことを言う。けれど、大好きなものを断ったことにはちゃんと理由があるに違いない。
例えば──願掛けとか。

「ユウ。あまり実家に帰って来なかったのは、どうして」

サキの病気がわかってからも、ユウがほとんど実家に戻っていなかったことを僕は知っていた。

「成人した弟が死ぬかもしれない病気になって、足繁く会いに帰る兄貴がいるか?」

質問を質問で返されて戸惑う。僕にはよくわからなかった。

「サキは俺に会えばつらかったと思う。俺はサキを支えられる立場じゃなかった」

ユウは呟くように言う。その瞳は間近で見ると本当にサキと同じ色をしている。顔も性格もあまり似ていない二人だけど、この鳶色を見る度にユウとサキが兄弟であることを実感する。
いつの間にかニュース番組は終わって、ハウスメーカーのコマーシャルが流れていた。
そっとユウの顔を覗き込むように見ると、目が合う。優しい眼差しはサキに似ている。
ユウは僕の生命を預かると言ってくれた。だからと言ってこれから自分がどうすればいいのかもわからない。気持ちはおぼつかないままだ。

「アスカ。お前、仲のいい友達はいないのか」

唐突にユウからそんなことを訊かれて、僕は黙り込む。
大学で唯一の友達だったミツキとは、あんなことになってしまった。高校生のときにも、友達はいたけれど──。
僕はとても懐かしい顔を思い出す。

「いたけど、もう連絡は取ってないんだ。彼女と一緒にアメリカに留学してて、今も向こうにいると思う。初めの頃は連絡が来てたんだけど、だんだん疎遠になってしまって」

高校時代の記憶が眩しい輝きを伴って脳裏に浮かび上がる。
サキのことをたくさん相談していた友達。僕がサキに想いを伝えると決めたときも、ずっと応援してくれていた。
大好きな友達だったけど、今会えば返ってつらくなるだろう。あの頃には二度と戻れないから。

「そうか」

ユウは短くそう言って黙り込んだ。
沈黙を遮るかのように、賑やかな音楽と共にバラエティ番組が始まって、ユウが電源を落とす。

「僕、仕事をしようと思う。ここに置いてもらうのに、何もしないわけにはいかない。ちゃんとお金を渡したいから」

きれいな瞳が、窓から射し込む陽の光を淡く反射している。

「そうだな、考えておく」

ユウは目を細めて微笑んだ。
そんなことを言っておいて、僕は未だに疑っている。僕は本当にサキのいない世界で生きていくつもりなのだろうか。
自分で自分がわからなかった。






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