the 3rd day[4/7]

『入院の準備は、もうできた?』

僕の問い掛けに沙生はゆっくりと頷く。
沙生の部屋で、僕たちはいつものように何をするでもなく二人で過ごしていた。砂時計の砂が流れ落ちるような、ささやかで儚い時間だ。

『検査入院だから心配いらない。そんな顔をしたら駄目だよ』

僕を優しく咎める声は、普段と変わらず穏やかに響く。
沙生は明日から入院することになっていた。病気の進行や薬の効き具合を調べるために、たくさんの検査や運動能力の測定をするらしい。三週間ほどで退院する予定だと聞かされていた。
僕たち二人は結局元の鞘に収まる形で、以前と同じようにこうして一緒に過ごすようになっていた。
今でも、沙生と瑠衣がした行為は受け入れられない。それでも僕は沙生のことが好きで、こんな状態の沙生から離れることは考えられなかった。

『沙生……』

沙生の肩にそっともたれ掛かる。触れる体温がとても心地よくて、ひどく心細くなってしまう。
しばらく沙生とこの部屋で過ごすことができない。それが淋しくて仕方がなかった。
沙生も僕と同じように思ってくれているだろうか。
沙生との関係は戻ったものの、僕と瑠衣は相変わらず互いを避けて、会話もない状態だった。
二人のことを色々と想像するだけで、冷たい海に浸かったみたいに身体の芯が震える。口にするのもおぞましいような醜い感情が、僕の中からせり上がってくる。
けれど、沙生と瑠衣があれから接触を持っている様子はない。それで僕は少し安心できていた。
沙生は病気のせいで精神的に不安定になっている。だから、瑠衣とそんなことになってしまっただけだ。そうなったのは、沙生をしっかり支えてあげられなかった僕のせいだ。
そう考えることで、僕はどうにか納得しようとしていた。

『おばさんが沙生の入院を心配してたよ。沙生はそんなに長く家を出たことがないからって。病院の食事はきっとおいしくないから、毎日ごはんを作って持って行くって張り切ってた』

『母さんは過保護なんだ。二十五歳の息子に、それはないな』

僕たちは顔を見合わせて笑う。沙生によく似た面差しのおばさんに、僕は小さな頃から面倒を見てもらっていた。僕のもう一人の母のような存在だ。
沙生は僕と付き合い初めて間もない頃に、僕たちの関係をおばさんに話してくれていた。やっぱり驚いたみたいけど、僕たちが二人で一緒に話をしに行くと、困ったような顔で笑いながら認めてくれた。

──正直複雑な気持ちだけど……何となくそんな気はしてたからね。飛鳥はもともと私の息子みたいなものだし。あなたたちが幸せならそれが一番。

そう言って、子どもの頃にしてくれたのと同じように僕の頭を撫でてくれた。

──沙生のことをよろしくね。

沙生の病気がわかってから、きっと僕の知らないところでたくさん泣いて、たくさん覚悟を決めて、明るく振る舞っている。
本当は沙生ともっと一緒に過ごしたいのだろうけど、僕がいるときは遠慮してくれていることが申し訳なかった。

『兄さんがいないから、母さんは尚更俺のことが気掛かりなのかもしれないね』

そう言って、沙生は少し目を細める。
僕はしばらく見ていない(ユウ)のことを思い出す。沙生も侑とは会っていないはずだ。

『侑はどうしてるんだろう』

『電話は時々してるよ。お店が軌道に乗って忙しいみたいだ』

侑は投資会社を立ち上げて、普通のサラリーマンが稼ぐ生涯賃金をずっと上回る財産を築いた。けれど、突然その会社をトレード仲間に託してやめてしまう。しばらくの間世界中を放浪した後、突然日本に帰ってきて半年ほど前にお洒落なバーを開いたところだった。
知る人ぞ知る隠れ家というお店にしたかったらしいけど、最近雑誌に大きく取り上げられて、急に人気が出てきてるらしい。
沙生とひとしきり他愛もない話をしているうちに、夜がどんどん更けていく。それはつまり、沙生と一緒に過ごす時間が少しずつ減っているということだ。
そう考えるだけで心臓がギュッと掴まれたように縮こまる。その痛みをごまかすために、僕は無理に微笑んだ。

『沙生、毎日お見舞いに行ってもいい?」

なるべく明るく聞こえるように訊いてみる。僕をそっと抱き寄せてくれる右腕が温かかった。

『飛鳥が嫌じゃなかったらね』

『嫌なわけがないよ』

沙生の身体からは、柑橘系の匂いがする。その胸に頭を付けて、僕は何かから身を潜めるようにしばらくじっとしていた。
退院する頃には、また少し症状が進んでいるかもしれない。そんなことを想像するだけで、怖くて堪らなくなる。

『沙生……』

僕は少し身体を離して、沙生と正面から向き合う。

『セックスしよう』


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