高速道路を降りて、市街地を縫うように走り抜ける。重いエンジンを蒸かす大きなスーパーカーは、街行く人全員の注目を浴びてる気がした。気恥ずかしくて居た堪れない。 俺はこっちの地理をほとんど知らない。大学生活を二ヶ月しか送ってなくて、当時は新しい生活に慣れるのに必死であちこちに行く余裕なんてなかったし、デリヘルで働くようになってからは仕事で指定された場所か寮の近辺しか行かなくなったからだ。 それでも、この車が俺の通ってた大学に近い方面に向かってることには、何となく気づいてた。 多分、この辺りは俺の下宿先からそんなに離れてない。 しばらく走って、住宅街の真ん中で停車する。
「ヒナ、ちょっと届けてほしいものがあるんだ」
唐突にそんなことを言って、アスカは真っ白な封筒を手渡してきた。訝しがる俺の顔を見て、艶やかに笑う。
「あのマンションの310号室にいる人に、渡してきてほしいんだ。事前に連絡を入れてるから」
そう言ってアスカが指差したのは、少し離れたところに建つ、何の変哲もない薄茶色の中層マンションだった。
「別にいいけど。誰なんだよ」
アスカに従わないといけないのはわかってるけど、それでも気になる。
「僕の知り合いで、あやしい人じゃないよ。すごく大事なものだから、郵便受けには入れずに直接手渡してほしいんだ」
現金でも入ってるのかと思って封筒の厚みを確かめるけど、薄っぺらくてそんな感じはしなかった。
「知り合いなら、自分で渡しに行った方がいいんじゃないか?」
「いいんだ。ほら、早く」
妙に急かしてくる。手荷物は全部車に置いて、封筒だけを手にして車を降りた。変なことをさせられるなと溜息をつく。 午後三時。俺はアースカラーのマンションに向かって歩きだす。
エレベーターを使って三階に上がると、真っ直ぐに伸びた廊下には扉が近い間隔でズラリと並んでた。 少しの間しか住めなかった自分の下宿先を思い出す。何となく雰囲気が似てる気がしたからだ。 廊下の突き当たりが310号室だった。なぜかドキドキしてる。 インターホンをそっと押してみた。清一郎さんの家に行くときもいつも緊張してたな。そんなことをふと思い出す。 応答がなくて、もう一回鳴らそうとしたその時、扉が勢いよく開いた。
「あの……」
続けるはずだった言葉を飲み込む。 目の前に立ちはだかる、体格のいい男。整ったきれいな顔には、愛想なんて全然浮かんでない。少しだけ青みを帯びた眼差しが、ただ懐かしかった。
「なんで、お前が」
やっとのことでそう言ったけど、その先の言葉が出てこない。至近距離で真っ直ぐに俺を見下ろすのは、紛れもなく雄理だった。 多分、これは何度も見た夢の続きだ。
「突っ立ってないで、上がれ」
もう絶対に会えないと思ってた奴が、突然現れた。強い力で手首を掴まれて、放心状態の俺は引き摺り込まれるように部屋の中に入った。 雄理の性格がよく出てる部屋だった。余計な物がなくて殺風景だけど、きれいに片付いてる。
「座れよ」
呆然と立ち尽くしてると、怖い顔で促された。言われるままに薄いカーペットの上に座れば、雄理もその場に腰を落とす。 腕を伸ばせば届く距離にいる。もちろん、伸ばす度胸はないけど。 自分の顔がすごく強張ってるのを感じる。どうしてこんなことになったんだろう。いろんなことに現実味が感じられなくて怖かった。 そう、俺は怖いんだ。だからこうして会いたかった奴と向かい合ったところで、顔さえまともに見られない。 何を言えばいいのかわからない。居た堪れなくて下を向けば自分の手元が目に入って、俺はアスカに託された用件を思い出す。
「……これ」
目を逸らしながら、封筒を差し出した。それを受け取った途端、雄理は封を破る。 中から出てきたのは、紙切れが一枚だけ。何かが書いてるみたいだけど、覗き込む勇気はない。 その文面を読んで、雄理がちょっと笑った気がした。ふわりと優しい顔になるから、一瞬で心臓が跳ね上がる。 どういう関係なんだろう。雄理と、アスカ。全然想像もつかない。 でもそんな笑顔が見られたのは束の間で、次の瞬間すぐに元の険しい顔に戻ってた。 俺は俯きながら雄理の顔をチラチラと盗み見る。 なあ、ちょっと大人っぽくなった? 久しぶりだし、雰囲気もちょっと違う気がして、全然知らない人みたいに見える。 重苦しい沈黙が続いてた。この空気に堪えられない。逃げ出したくて仕方がない。
「……お前のことを、大学で見掛けなくなったと気づいてた」
雄理がやっと口を開いたから、俺は顔を上げる。その強い眼差しが、真っ直ぐに俺を見つめてた。
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