「一体どうするんだよ」
俺はアスカに詰め寄る。でも、わかってる。つまらない挑発に乗った俺が悪い。
「どうしようかな」
アスカが妖艶に笑う。昨夜のしおらしい泣き顔が、嘘みたいだ。
「俺、知らないからな」
不貞腐れながらブルーバードの後部ドアを開けようとして、考え直す。今日は仕事じゃないんだ。だから後ろに乗る必要はない。 この状況に、まだ気持ちがついていけてない。 なんで。なんでこんなことになったんだよ。 原因を追及すれば身体が熱を帯びてきたから、慌てて頭を振って消したい記憶を追い払おうとする。 自己嫌悪に陥りながら、大きく息をついて助手席に乗り込んだ。
目が覚めると、トーストが焼ける匂いがした。
「おはよう、ヒナ」
ハムとチーズを重ねたホットサンドに、玉ねぎの入ったコンソメスープ。アスカがあり合わせで作ってくれた朝食にありつく。
「お前のは?」
「僕、朝は食べないんだ」
そう言って、アスカは座卓越しに俺の顔をじっと見つめる。 潤んだように煌めく魅惑の眼差し。昨夜の涙を思い出して、心臓がどくんと大きく鳴った。 朝食を全部平らげて、身支度を始める。だけど、アスカがやけにのんびりしてる。一応出掛けられるような格好はしてるのに、全然出て行く気配がない。 アスカの出勤時間って、俺より早くなかったっけ。
「まだ行かないのか?」
「ヒナと一緒がいいから、今日はシフトをずらしてもらったんだ」
そう言ってから、アスカは花が咲いたような笑顔でとんでもないことを口にした。
「ヒナ、今日は一緒にここを抜け出そう」
「……はあ?」
「僕がヒナを連れ出してあげる」
意味がわからなかった。頭がおかしくなったのかもしれない。
「どっか行くんだったら次の休みにしてくれ。仕事に穴は開けられない」
「だけど時間がないんだ」
アスカが俺ににじり寄る。言ってることは突拍子もないのに、妙に真剣な眼差しだった。
「今日じゃないと、駄目だ」
「意味がわかんないよ。いつでもいいだろ」
急に無茶を言われて、俺はイライラし始めた。だから──俺は気付かない。アスカが俺を嵌めようとしていることに。
「じゃあ、賭けをしようか」
アスカが少しずつ距離を詰めてくる。本能で後ずさるうちに、気がつけば背中に壁があたってた。
──追い詰められた。
壁に押し付けられた状態で、股間にアスカの手が触れた。
「あ……っ」
ぞわっと鳥肌が立って、変な声が漏れた。
「ヒナ。ここ、他人にされてもイけないって言ってたよね」
蛇に睨まれた蛙って、まさにこのことを言うんだろう。ゆっくりと布越しに俺の半身を弄る手つきに気が散って、頭がうまく働かない。
「ああ、そうだよ」
やっとのことで頷くと、アスカはまるで子どもに言い聞かせるみたいに、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕がヒナを満足させてあげる。時間を決めて、我慢できたらヒナの勝ち。だけどもしも僕が勝ったら、今日一日だけヒナの時間を僕にちょうだい」
なんでそんなことになるんだよ。言ってることが滅茶苦茶だ。 俺はたじろぎながらも、必死に抵抗しようとする。
「じゃあ、俺が勝ったら? お前は何かしてくれるのかよ」
アスカが、俺の鼻先で妖艶に微笑んだ。
「代わってあげる」
愛を唄うような甘い声が、ゆったりと部屋に響く。艶やかに煌めくその瞳から、目が逸らせない。
「僕がヒナの代わりにずっとここで働いて、ヒナの抱えている借金を返すよ。ヒナみたいにうまくはできないかもしれないけど、無理じゃないと思う」
「冗談はやめろよ」
「本気だよ。その代わり」
アスカの手が、俺の喉元にそっと掛かる。
「ヒナが、僕になって」
上目遣いで俺を見つめるその瞳が、わずかに潤んだ。その瞳に吸い込まれそうになる。 なあ、なんでそんなに哀しそうな顔をするんだ。
「……いいよ」
その途轍もない吸引力に飲まれて、俺はつい承諾してしまう。 アスカがふわりと柔らかく微笑んだ。こんな状況なのに、至近距離のきれいな顔に見惚れる。すごく整ってるけど、少しあどけなさの残る顔。その危ういバランスに魅了されて、目が離せない。
「制限時間はヒナが決めていいよ」
いつの間にか、俺はこの理不尽な賭けに乗せられてた。
「……五分」
そう言ってから、短過ぎたかなと思い直す。 俺はもう勘づいてる。アスカはきっと経験豊富だ。でも今まで女の子とセックスしても駄目だったし、店で働くようになってから誰とプレイしても無理だった。だから俺には絶対に大丈夫だっていう変な自信があった。
「五分?」
アスカが眉を上げた。意外そうな顔だ。やっぱり、短過ぎるよな。 十分にしようか。そう口にしかけたそのとき。
「そんなにいらない。三分だ」
言うや否や、軽く身体を引っ張られた。
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