the 3rd day[7/7]

「ヒナ、アスカと仲がいいんだね」

ゆっくりと歩きながらそう話し掛けられて、俺は首を横に振る。

「別に仲良くないよ。付きまとわれてるっていうか、なんかそんな感じ」

「でもヒナが誰かと一緒にいるのって珍しいから。ちょっと妬けちゃった」

ユイが少し笑って、それから申し訳なさそうな顔をする。

「今日、ごめんね。びっくりしたでしょ」

ひと気のない夜の公園を二人で歩いていく。聞こえるのは、遠くを走る車の排気音と俺たちの足音ぐらいで、辺りはすごく静かだ。

「何も謝る必要はないよ。ユイが澤井さんのことを好きなのは、わかってたし」

澤井さんがユイのことを好きなのは、気づかなかったけど。
昼間に事務所で俺に絡んできた奴らのことを思い出す。澤井さんとユイの関係を枕営業だなんて噂してたのは、もしかしたら俺と同じ光景を見たからかもしれない。

「そうなんだ、気づいてたんだね」

「何となくだけど」

歩みを止めて、ベンチに並んで腰掛けた。夜の空気は冷たくて、チリチリと頬を刺激する。
ふと夜空を仰ぐ。都会の星は、どうしてこんなに遠いんだろう。
もう帰ることのない故郷を思い出す。そこまで田舎ってわけじゃないけど、少なくともここよりは空が澄んでた。

「あのさ、俺のことを身請けするって言ってくれてる人がいるんだ」

ユイがこっちに顔を向ける。大きくて澄んだ目が、俺をじっと見つめてた。

「俺、前に言ったことあるだろ。親の借金を返すためにここで働いてるって。その人は、それを全部立て替えて、俺を傍に置いてくれるんだって」

「じゃあ、ヒナはここを出て行くんだね」

「まだちゃんと返事はしてないけど、そうするのがいいかなって思ってる」

俺がそう言うと、ユイはきれいな微笑みを浮かべた。

「ヒナが幸せになるのは嬉しいけど、淋しくなるな」

愁いを帯びた笑顔が、俺の胸をチクリと刺激する。

「僕、ヒナが大好きだよ。ヒナは外見も魅力的だし、自分をしっかり持っててカッコいい。ヒナみたいになりたくてずっと憧れてた」

ユイにそんなことを言われるなんて思ってなかったから、びっくりした。
街灯にほんのりと照らし出されるユイの姿は、すごく儚い。このまま消えてしまいそうに見えて、ひどく不安になる。

「ユイはここから出たいって、思ったことないのか?」

「ないよ」

即答だった。ユイは俯いて、微笑みの形のまま唇を開く。

「ヒナになら言っても大丈夫だよね。僕たちのこと……」

俺に訊いてるんじゃなくて、心の中にいる澤井さんに確認してる。そんな気がした。
辺りには誰もいなくて、星の瞬きさえこんなにも弱いから。きっとユイの声は、俺にしか届かない。

「僕たち、実の兄弟なんだ」

「え……」

心臓が大きな音を立てて鳴る。それは思いもよらない言葉だった。

「あの人は、血が繋がった僕の兄さん」

ユイは震える声を無理に押し殺すようにそう言った。その顔を見つめていると、脳裏に澤井さんの顔が浮かぶ。

「全然似てないでしょ」

俺の心を見透かしたのか、ユイは自嘲気味に言った。その潤んだように煌めく瞳を見つめながら、俺は思い出す。二人がキスしてたときに覚えた違和感。それはもしかしたら、無意識にそこから醸し出される背徳的な雰囲気を感じたのかもしれない。

「僕たちはどこにもいられなくて、ずっと逃げ続けてここに来た。ここにいれば、僕は周りの人に本当の名前を言わずに暮らしていける。兄弟であることを誰にも咎められずに愛し合える。ここは、僕たちが辿り着いた最後の場所なんだ」

ユイはそう言い切って、天使みたいにきれいに笑った。
この二人はこんな形でしか一緒にいられないんだ。
ベンチに置かれたユイの指に自分の指を絡める。その手はひんやりと冷たい。

「……ユイ」

何を言えばいいのかわからない。でも、ユイには幸せになってほしいと思った。少しでもこの体温がユイに移るように。俺より少し小さな手をギュッと握りしめると、そっと握り返される。
ユイが瞳を揺らめかせて俺を見つめる。今にも泣き出しそうだった。星が遠くで瞬いて、俺たちに弱い光を届けようとしてる。

「ヒナ、幸せになってね」

俺の幸せって、一体何なんだろう。自分でもわからなかった。





部屋に帰ると、アスカは布団にうずくまっていた。小さな子どもみたいに、布団を頭に被ったまま顔を上げる。

「おかえり、ヒナ」

「ただいま」

アスカは自分の家みたいにすっかり寛いで馴染んでる。
考えてみれば、帰る場所を失って以来『ただいま』という言葉をを使ったのは初めてかもしれない。
軽くシャワーを浴び直してベッドに行けば、アスカはもう眠ってるようだった。
同じ人間とは思えないぐらいきれいな顔。ここまで整ってると男とか女とか、もうそういうのを超えてる気がする。
起こさないようにそっと隣に滑り込むと、甘くていい匂いが鼻腔を官能的に刺激する。
睫毛がすごく長い。マネキンみたいに整った顔立ちだけど、アスカは人形じゃない。その内面に強く人を惹きつける魅力がある。
美しい寝顔に見惚れてると、不意にアスカの睫毛が震えた。閉じた瞼の間を縫って、ゆっくりと雫がこぼれ落ちる。
次々にとめどなく流れる涙が、天使のカーブを描く頬を伝ってシーツを濡らしていく。

「アスカ……?」

なんて静かに、哀しそうに泣くんだろう。
少し迷ってから、その身体をそっと揺さぶる。

「アスカ、アスカ」

俺は名前を呼び続ける。アスカを哀しい夢の世界からこっちに引き戻すために。
濡れた睫毛が動いて、うっすらと目が開いた。吸引力のある瞳が、徐々に俺に焦点を合わせていく。

「……ヒナ」

きれいな涙がまた流れ落ちる。

「ごめん。夢を、見てた……」

小さな声でそう呟いて、アスカは俺を抱き寄せる。

「傍にいてくれて、よかった」

喘ぐような言葉と共に強く抱きしめられて、甘い匂いに否応なしに包み込まれる。あまりにも必死に縋ってくるから、振り解けない。

「アスカ……」

俺の前に現れた、不思議なアスカ。一人で眠れないというのは、冗談なんかじゃなかったんだ。
俺は何となく気づいてしまう。アスカが、何かに囚われていることに。きっとアスカは、俺とは違う籠の中にいる。
背中に腕を回して恐る恐る抱きしめる。見た目よりも華奢なその身体は、しなやかで抱き心地がよかった。
ヤバイ。なんか、ドキドキする。
うるさいぐらいに音を立てる俺の心臓は、きっと密着するアスカの胸さえ打ってるはずだ。なのに、アスカは俺の胸の中でスヤスヤと寝息を立て始める。

……こんなんで、寝られるかよ。

そうやって溜息をついたはずなのに、急激な睡魔に襲われて、俺は深い眠りに落ちていった。








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