the 2nd day[2/2]

「ユウと同級生だったんでしょ?」

ベッドに横たわりながら、アスカがそんなことを訊いてくる。

「ユウって、高校生のときどんな感じだった?」

「いけ好かねえ同級生だったよ。顔がよくて、頭もよくて、適当に女を喰ってたような、嫌な奴だった」

遠い昔の記憶を手繰りながら答えれば、アスカは愛おしい者を想う優しい表情になった。

「そうなんだ」

あどけない笑みは、情事の際の匂うような色気を振り撒くアスカとは別人のようだ。そのアンバランスなところもまた魅力なのかもしれない。

「お前ら、デキてんのか」

「ユウと僕はそんなのじゃない」

「じゃあ、何だよ。ヤッてねえのか」

即座に関係を否定するからそう訊けば、気まずそうに目を伏せる。

「僕が求めたときだけ」

「何だよ、それ」

考え込むように一点を見つめて、やがてアスカは口を開いた。

「ユウは、僕の保護者だと思ってるんじゃないかな。僕に対して責任を感じてる。だから、僕もそんなユウに甘えてしまう」

表情が浮かないのは、自分でもその関係性をよく理解していないからかもしれない。だが確かに、あいつがもしアスカに恋愛感情を持っているなら、こんなことをさせるはずはない。

「……ねえ。どうして僕のこと、知ってたの?」

アクアリウムの気泡のような淡い光を瞳に湛えながら、アスカは俺を見つめる。見ているだけで吸い込まれそうな、危うい眼差しだ。

「気をつけた方がいい。お前、相当こんなことを続けてきたみたいだな。店の口づてで客を取ったところで、お前の存在は目立つ」

目をしばたたかせるアスカに、噛み砕いて説明してやる。

「PLASTIC HEAVENというバーでマスターと契約できれば、アスカという名の若く美しい男と4日間を過ごせる。但し、マスターは男としか契約しないし、延長も再契約もできない。アスカは何でもできるが、特にセックスは最高だ」

話しているうちに、アスカの表情は次第に険しさを増していく。

「欲しい情報がネットで簡単に手に入る時代だ。お前のことを探ってる奴がいる。そいつはお前が過去に取った客とやり取りしてるようだ」

訝しげに目を細めるのは、何か心あたりでもあるのだろうか。

「……そう。忠告してくれてありがとう」

その話題にはそれ以上触れる気はないようだった。アスカは目を閉じて身を寄せ、俺にキスをねだってくる。唇を重ねれば細い腕が背中に回り、手錠の鎖が小さな音を立てた。

「リュウジさん、離さないで」

俺にとっては既にアスカと繋がれたこの状態が自然になりつつあった。まるでずっと昔からこうしていたかのようだ。

「もう一度、抱いて……」

芳香な甘い匂いが鼻腔を擽った。情欲を刺激する魅惑の眼差しが俺を妖しく誘う。滑らかな肌に手を這わせながら、俺はもう気づいている。
アスカは長い夢を見ている。恐らくそれは、俺と同じ夢だ。





翔子が高校を卒業するまで、二人の関係を隠し通した。
翔子の父親は、地方で単身赴任をしていた。翔子が大学へ進学すると共に、母親と弟は家を引き払って父親のもとへ移り住む。
親への体裁上、翔子は学生向けのマンションを借りた。だが実際にはそこへは殆ど帰ることなく、俺のマンションで暮らしていた。

俺好みの美しい女に成長していく翔子のことが、愛おしくて仕方なかった。だから俺は、翔子を束縛して他に目が向かないようにした。
翔子が友達と出掛けることさえ気が気でなかった。誰と連絡を取り、どこへ行くのかを逐一報告するように強要した。アルバイトも危険だと思い、させなかった。
遊びたい盛りの年頃だったはずなのに、翔子は俺に従順だった。俺を愛しているから束縛されることが嬉しいと、可憐に微笑んだ。

翔子が大学を卒業すると同時に、俺たちは結婚した。翔子は働きには出なかった。
家を出るときと帰った後は必ず連絡を入れろ、心配だから。
そんな俺の言うことを、翔子は律儀に守った。
少女のような瞳をしながら、ベッドの上では妖艶に喘ぐ。子どもはしばらくいらないのだと翔子は言った。

『だって、琉司さんが子どもみたいだもの』

8歳も年下の女は、俺の腕の中で穏やかな笑みを浮かべてそう口にした。
それほどまでに雁字搦めに束縛しても尚、俺は翔子が離れないことだけを願った。





「リュウジさんは独りになったんだね」

情事を終えたばかりのベッドの上で、アスカはポツリとそう呟く。いつの間にか部屋は暗くなっていて、夜が更けていることに気づく。

「独りになって、失った人に関係あるものは全部捨てちゃったんだ。違う?」

どうしてそんなことを言うんだ。背筋を冷たいものが這う感覚に、俺は息を呑む。

「冷蔵庫の下の方にシールの跡があったから。あれ、なかなか剥がれないでしょ」

――自動車のシールを、あちこちにペタペタと貼る小さな手。
見えるはずのない光景が浮かんで、視界が揺らぐ。

『パパ! ブーブ、あげる』

『航太、冷蔵庫なら貼ってもいいよ。パパのお仕事の紙はダメ』

あどけない幼子の声に被さる澄んだ声が優しくそう諭す。
小さな身体を抱き上げれば、汗の混じった太陽の匂いがした。

『パパ、だいすき』

声をあげてはしゃぐ姿がかわいらしくて、頬にキスをする。

『パパ、あそぼ』

愛しい女によく似た面差しをした、俺の血を引く息子――。

アスカが俺を凝視している。異形の者を見るかのような目だった。

「降りるぞ」

俺はアスカを引き摺るように階段を駆け下りてキッチンへ行った。カウンターに並ぶ酒を掴んでは片っ端から呷っていく。

「リュウジさん、駄目だ」

必死に咎めるアスカに俺は瓶を突き付ける。

「うるせえな。お前も呑めよ」

目の前の世界が歪んでいる。流し込むように飲んだせいで頭がクラクラする。今この場でアスカを滅茶苦茶に犯してやりたい気分なのに、俺にはもうそんな気力も体力も残ってはいなかった。

「リュウジさん」

ふらついて倒れそうになる身体をアスカに抱えられる。細い割には意外と体力があるなと、どうでもいいことを思った。

「ほら、横にならないと。向こうの部屋に行こう」

アスカが俺の身体を支えながら、リビングに隣り合う和室に向かう。
そこは駄目だ。止めようとするのに、床が揺れてるせいで身体が言うことを聞かない。
手をかけたふすまをアスカがゆっくりと開け放つ。長い間閉ざされていた部屋からはカビ臭い空気が漂ってきた。
アスカは大きく目を見開いた。その瞳は和室の奥をじっと見つめる。

「ねえ、あれ……」

やっとのことで出た声は怯えたように震えていた。俺は呂律の回らないままに答えてやる。

「ああ。嫁と息子だ」

小さな仏壇の前で、遺影の中の翔子と航太は眩しい笑顔を浮かべて俺を見つめていた。






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