アヤハとの奇妙な共同生活は、慣れればそれなりに心地のいいものだった。
アンドロイドは食事を摂らないから、そういう面ではお金が掛からない。アヤハは一通りの家事はできるらしく、僕がガラクタの修理作業に没頭しているときなどには特に進んで身の回りの世話をしてくれた。夜には一緒にスクラップ場へ行き、修理すれば使えそうなものを拾ってくる。アヤハは身体能力が高く、僕にはとても持てないほどの重さのものを持っても全く平気そうだった。
「大好きだよ」
くすぐったい口癖や、隙を見せる度に与えられるキスにも、少しずつ慣れてきた。
プログラミングされた言葉だというのに、そのきれいな顔でまっすぐに見つめられながら好きだと告げられれば僕の胸は嵐の夜に樹々が揺れるようにざわめく。
1人でいることに慣れていた僕の生活に、アヤハはすんなりと溶け込んでいった。
「リンは、セックスしたくないの?」
そうやって僕を日に幾度も甘やかに誘う。僕には性の経験はないけれど、それでもアンドロイドを相手にそういう欲を発散するのがいいことではないとわかっているつもりだった。
「僕は本当にいいよ」
「リンのことが好きだから、したいんだ」
セックスをすることがアヤハの存在理由だというのはわかる。けれど、何も考えずにそれを受け入れられるほどに僕は成熟してはいなかった。
ああ、彼が。
彼がもしも、人間だったら。
「それはアヤハの意思じゃないよ。アヤハはマスターとそういうことをするように作られているんだ」
「どうしてリンはそうやって僕のことを否定するんだ。たとえプログラミングされていたって、これが僕の意思だということには違いないよ」
今にも泣き出しそうな表情で、アヤハは僕に訴える。
そんなつもりはなくとも、僕の言葉はアヤハを否定するものにしか聞こえないんだろう。
だって、きちんとラインを引かなければ、僕は引き返せないところへと足を踏み入れてしまいそうなんだ。
ごめんと謝る僕に、アヤハは悲しそうにかぶりを振る。
「………これが、僕の "自我" だったらいい?」
ぽつりとその唇からこぼれた言葉に僕は耳を疑う。
「だったら僕は "自我" が欲しい。そうすればリンは僕を認めてくれるんだよね」
突拍子もない台詞に呆気に取られる。どうやったらそんな結論に辿り着くんだろう。
アンドロイドが独立した自我を持つ。それはつまり、人間になるということだ。
それが、アヤハの見る夢。
*****
「リン。外に出たいんだけど」
シャワーを浴びてきた僕に向かって、ソファに掛けながら待っていたアヤハが開口一番そんなことを言う。
こうしてアヤハが僕にセックスやスキンシップ以外の要求をしてくるのは、考えてみれば初めてのことだった。
「今から?」
僕が外へ出るのは夜だと決まっていて、確かにもう日は暮れているけれど、できればもっと人通りの少なくて遅い時間が好ましかった。
「違う。明るい時がいいんだ」
アヤハがそんなことを言う理由に僕は思いあたる。アンドロイドは動力源として光を蓄積している。昼の間このビルに閉じこもる生活を続けているうちに、必要なエネルギーが不足してきてるんだろう。
「でも、その姿で外へ出ると目立つよ」
アヤハを見てアンドロイドだと気づく人はいない。けれど、美しい容姿と碧色の瞳はあまりにも人目を引き過ぎる。
「大丈夫」
そう言って、アヤハは僕を抱き寄せる。どくんと鳴ったこの心臓の音は、聴こえただろうか。
「リンも一緒に出よう。その姿で」
耳元でそう囁かれて、僕はびっくりしてしまう。
「駄目だ、僕は」
幼い頃にヨルミと約束してからずっと、僕はこの瞳を明るい陽射しの下に晒したことがなかった。
「一緒なら平気だ。どんなことがあってもリンは僕が守るから」
心の中を見透かすようにそう言って、アヤハは僕を抱く腕に力を込める。
再起動して間もないアヤハは、この世界に対してまだあまりにも無防備だ。勝手のわからないまま、1人で外へ出すわけにはいかなかった。
「僕はこのままじゃ出られないよ。ミハルに付き添ってもらうように頼もうか」
「リンはいつまでそうしてるつもりなの」
今まで見たことがないほど険しい顔が向けられて、僕たちは至近距離で見つめ合う。
「素顔で外に出られないなんておかしいよ。今までリンは1人だったかもしれない。でも、もう1人じゃないんだ」
時を刻む小さな音が、コチコチと聴こえてくる。
僕の瞳を覗き込むのは、僕と同じ色に輝く瞳。
東9区でこの瞳を持つ者はいない。だからこそ他の人に見られてはいけないというヨルミの言いつけを守り、僕なりに隠してきたつもりだった。
素顔で堂々と太陽の下を歩く。
それは、皆にとって当たり前で、僕にはそうじゃないことだ。そしてそれがなぜなのか、僕にはわからない。
幾度も見た夢を思い出す。 陽の光を浴びながら誰かと外を歩く夢。 アヤハと一緒なら、できるのかもしれない。
「 ──── わかった」
僕が恐る恐る頷けば、アヤハは花が開くように美しい笑顔を見せた。
ヨルミ。僕はもう、1人じゃない。だから平気だ。
心の中でそう言い訳をしながら、それでも僕は拭いようもない罪悪感を覚えていた。
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