だらりと力の抜けた男の顎にそのきれいな造形をした手が掛かるのが見えて、アヤハが狙うのは頚椎だとわかった。
そんなことをすれば死んでしまう。
「アヤハ、駄目だ」
必死に起き上がった僕は、飛びかかるようにアヤハの身体に抱きついて男から引き離そうとする。振り返って驚いた顔で僕を見るアヤハは、幾分和らいだ目つきをしていた。
「だって、こいつらはリンを」
「お願いだ。僕の言うことを聞いてくれ」
アヤハは僕の瞳をまじまじと見つめる。その濁りのない澄んだ碧眼に、僕は懸命に訴えかけた。
「いいかい、アヤハ。どんなことがあっても、人を殺してはいけないんだ」
砂塵を含む風が頬をひと撫でして吹き抜ける。しばらくの沈黙の後、ようやくアヤハは神妙は面持ちで頷いた。
「……わかった」
ああ、よかった。
安堵の溜息と共に、その温かさに縋るようにもたれ掛かる。アヤハが僕をしっかりと抱えながら立ち上がり、転がる男の脇へと移動した。緊張感がゆるゆると解けて、身体中の力が抜けていくのを感じながら、僕はふと気づいた。
そうだ、まだ大切なことを言っていない。
「アヤハ。来てくれてありがとう」
僕の言葉に、頬を擦り寄せながら優しい手つきで髪を撫でてくれる。
「遅くなって、本当にごめん。怪我はない?」
「うん、大丈夫だよ」
不意に泣きそうになって、その肩口に顔をうずめる。
アヤハが捨てられた理由が、わかった気がした。
疑いようもなく高性能なアンドロイドではあるけれど、アヤハは世の中の理から大幅に外れている。
旧文明時代から受け継がれてきたロボット工学。そのひとつめの原則を、僕は頭の中で反芻する。
『ロボットは人間に危害を加えてはならない』
アヤハは、マスターのために暴走する欠陥品なんだ。
ああ。それでも、僕は。
「リン!」
遠くでミハルが僕を呼ぶ声がして、現実に引き戻される。これから向き合わなければならない幾つかの問題を想像しながら、僕は溜息をついた。
それでも僕は、アヤハから離れたくない。
*****
アヤハと僕は一旦近くにあるミハルの家へと退避し、夜になってから自宅に戻ることにした。
僕たちが急いでその場を立ち去った後すぐにミハルが人を呼んでくれて、あの男たちはちゃんと医者の元に運ばれている。怪我はしているけれど生命に別状はないというのは怪我をさせた当人の言い分だ。アヤハがそう言うのだから、きっと間違いないんだろう。
けれど、僕たちの前には大きな困難が立ち塞がっていた。
マーケットでいなくなった僕を探すアヤハが尋常じゃない速度で移動するのを見た者が大勢いるらしい。東9区は狭い地区だ。あの男たちが回復すれば、アヤハがアンドロイドだということが知れるのも時間の問題だった。 人間に危害を加えるアンドロイドだとわかれば、僕にはアヤハを処分する義務がある。アヤハの噂はすぐに立つだろうし、それを聞きつけた区の業者が回収に来る可能性もあった。
「あなたたちと同じ色の瞳をした人たちが住む都市があるのよ」
ミハルはいつになく真摯な眼差しで僕を見つめている。
「それが、"大都" なんだね」
僕の問いかけに、ミハルは深く頷く。
「あなたのご両親は、きっと何らかの理由でそこからこの辺りに出て来ていたのね。私はこの町を出たことがない。だけど、大都の話は聞いたことがある。碧眼の民が住む、魔法のような科学技術の発達した立派なところ。アヤハもそこで作られたんだと思う」
アヤハと僕は、元は同じところにいたのだ。 一呼吸を置いてミハルが次に紡いだ言葉に、僕は驚く。
「あなた達はもうこの町にはいられない。2人でここを出るのよ」
「だけど、ヨルミは僕にこの町を出てはいけないと」
「状況が変わったわ。ヨルミとの約束はもう無効」
淋しげに笑いながら、ミハルは僕の頬に掌をあてる。その手がいつの間にか僕のものより小さくなっていることに今更ながら気づいて胸が小さく痛んだ。
「今度は私と約束するのよ。いいわね」
まるで、魔法を掛けるように。ミハルはアヤハと僕を交互に見つめて、唇を開く。
「大都へ行きなさい。あなた達の求める答えが、きっとそこにある」
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