抱き寄せられて心臓がバクバク鳴り響く。聴こえないように必死に身を強張らせるけど、きっと気づかれてる。
「今日はりっちゃんを口説くために来たから。素面じゃないと説得力ないでしょ」
「待って。顔、近いです」
「近づけてるんだから、当たり前」
一体なんでこんなことになってるんだ。
だって俺、彼女いたんだよ? 振られたけどね、1週間前に。
あんな関係を続けていくのはもう無理だって、わかってたんだ。しっくり来ないまま2年もずるずる付き合って、結局最後は向こうから架かってきた電話1本でさよならだなんて、呆気ないもんだった。 詳しい経緯こそ話してないけど、俺が彼女と別れたことは巽さんも知ってる。
密着してる部分が全部熱くて、妙に息苦しい。逃げ場を探して視線を泳がせたところで、どこにも行けそうにない。
「じゃあ、試してみようか」
「た、試すって」
「キスしてみて、嫌じゃなかったら俺と付き合ってみる。どう?」
「………どうって、なんで」
なんで俺に、そんなことを言うんだろう。同じことを言われれば喜ぶ女の子は、きっと星の数ほどいるのに。 そんなつもりで呟いた疑問符を、巽さんは違う意味に捉えたらしい。
「理に適ってると思うよ。だって、りっちゃんはキスするのが嫌な相手とセックスできる?」
それはもちろん、無理だけど。いや、なんで今、セックスの話になった?
一瞬でも納得してしまった自分が悲しい。見つめ合えば長い睫毛の下から覗く瞳に吸い込まれていく。
しっかりと抱え込まれてしまって、逃げようにも逃げられない。いや、違う。俺だって男なんだから、全力で振り切ればこの腕から逃れるのは不可能じゃないはずだ。
けれど俺は、そうしなかった。
職場の先輩後輩という立場だとか、この人と培ってきた心地いい信頼関係だとか。ここで拒むことで大切なものを壊すわけにいかない。
そうやって理屈を捏ねて、逃げられない口実で自分を納得させたかっただけだ。
射竦められて、目を閉じることを忘れて。
ただ、その眼差しに囚われながら。
唇を、重ねた。
新卒で就職してから、地方支社の開発事業部を3年経験して、初めての異動先はなんと本社の広報部だった。
今まで住宅事業に携わってきた俺は、突然そこのブランドマネジメントグループで社内報や企業広告を担当することになった。
『わからないことがあれば、巽に聞けばいいから』
着任して早々、直属の係長から紹介されたのが、同じ部屋で隣のシマにいる巽さんだ。巽さんは俺のポストの前任者で、入れ替わりでそこから広報グループにスライドした人だった。
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