第17章 独りぼっちのワンルーム



 中学生のサッカー大会だとはいえど、全国大会の2回戦ともなればテレビで生中継されるようになるらしい。
 私は少し遅めの昼食を取りながら、雷門と千羽山の試合をテレビ越しに眺めていた。電気屋さんで古いからとまけてもらった小型テレビからは、ノイズや実況の声に紛れて彼らの戦う声が絶えず聞こえている。カメラが映す試合風景、その中心にいるのは、トレードマークのゴーグルを通して冷静に状況を分析する鬼道有人だった。特徴的だった赤のマントは雷門の色調に合わせ青へと変わり、風で強くはためいている。



 どうやら鬼道は雷門に無事に溶け込めたらしい。勧めたのは自分なので少々不安だったが、彼が溶け込めたなら雷門の勝率は格段に上がるはずだ。現に今、彼の鮮やかな指揮が千羽山を確実に追い詰めている。千羽山と言えばディフェンスが強いチームだと有名なようだが、この調子だとその守りを崩すのも時間の問題だろう。



(…………サッカー、か)



 格段に強くなっている雷門。フットボールフロンティアにすら出られないと言われていたあの頃とは、もう似ても似つかない。
 私がこの学校に来た理由は、サッカーが強くないからである筈だった。此処ならエイリア学園に目を付けられることはないだろうという確信をもってこの学校に来たのに、気が付けば彼らは中学サッカー界の中でも特に注目される存在となり、私はそんな彼らに誤魔化しが利かないくらい深く関わってしまっている。影山に目をつけられていたことから考えても、きっとエージェントに見つかる日はそう遠くない。
 もう彼らの試合には見に行けないだろう。全国放送されるくらいだ、もしそこで顔が映ってしまったらその時点で終わりだ。危ない橋は渡れないし、彼らにはもう私の手助けなんて必要ないこともわかってしまった。此処まで上り詰めたのは紛れもなく彼ら自身の実力あってこそだ。多少の山なら、きっと彼ら自身で乗り越えられる。



 なんだか、苦しいなあ。そっと心の中で呟いた。思っていた以上に自分が追い詰められていることを、再確認してしまった。
 彼らと過ごすのは居心地がいい筈なのに、少しずつ息苦しくなっている……身動きが取れなくなってくる。まるで蜘蛛の糸に囚われた蝶のように。サッカー部にばかり友人を作ってしまったのも原因の1つだろう。サッカーをすることも出来ず、友人と容易にかかわることも出来ず。自身の居場所が狭くなる恐怖は、少しずつ私を蝕んでいる。



 この調子なら今回も、きっと勝つことは出来るだろう。画面を見るたびに溢れ出る孤独感に耐えきれなくなって、思わずテレビの電源を切った。ぷつりという音とともに、古いテレビ特有のノイズ音も消え去り、辺りには静寂が広がる。
 ……嗚呼。今日も狭い四畳半は、嵐の前の夜みたいに静かだ。


 


 第17章 独りぼっちのワンルーム


 


 千羽山中には無事に勝利したらしい。あの後試合を見ることは無かった私の元にも、サッカー部の面々からは次々に勝利報告のメールが届いていた。いつの間に私のメールアドレスはサッカー部公認になったのか。褒めてもらいたそうな文面の数々に内心苦笑したのは内緒だ。



「………………おは、よう?」



 翌日の朝。いつものように豪炎寺と登校していた私は、校門の前に止まったリムジンから出てくる見知った顔を引きつった笑みで出迎えた。執事に開けてもらったドアから降り、荷物を渡されるまでかかった時間はおよそ10秒。彼はやっとこちらを向くと今気づいたという風に「ああ、おはよう」と手を軽く上げる。



「ねえ……まさか、いつもこうなの?」



 多数の生徒の注目を浴びながら、間に(何故か)私を挟んで豪炎寺と鬼道は歩く。目立ちたくないのに朝から最大級に目立っているので、割と切実にやめてほしい。それなら離れればいいのでは、とも思うがそれは無理な相談である。職員室に案内しろと言われたら、流石に断れない。鬼道がいつもと変わらない様子で「こうとは?」と余裕の笑みを浮かべているのを見て、私は大きく溜息を吐いた。最悪だ。自覚があるとはまた性質が悪い。



「リムジンに執事に、送迎付き。今時どこの貴族なの……と言いたいところだけど、君そういえば立派なお坊ちゃんだったねえ」
「雷門夏美も同じようなものだったと記憶するが?」
「…………、ああ、雷門さん…………あんまり関わらないから忘れてた。そういえば雷門さんって理事長の娘だったね……」



 渾身の嫌味を躱されたあげく、此方の痛いところを的確に突いてくる。天才ゲームメイカーを睨みつけても大した効果もなく、居心地の悪さに耐えられず、そっぽを向いた。こんなマンモス校を建てた理事長の一人娘なのだからお嬢様なのも頷けるし、そういえば以前から彼女もリムジンで登校して執事を隣に引き連れていたけれど。

「……意外だ。サッカー部とは全体的に仲が良いと思ってたんだが、雷門夏美は別なのか」
「その言い方は語弊を生むから止めてよ」
「事実なんじゃないのか?」
「ら、雷門さんとはそもそも関わる機会が少なかったの!……だって雷門さんとまともに話したの、初対面のときと……サッカー部が理事長室に忍び込んだときくらいだもん」
「初対面といえば……俺がサッカー部に入るきっかけになったあの時か?」
「そうそう」



 別に、雷門夏美のことが特別嫌いなわけじゃなかった。ただ、彼女とまともに話したことがないから、出会った頃の数少ない印象が脳裏に蘇るだけだ。



「あの時、豪炎寺の背中を押してくれたのは雷門さんだったけど……彼女、豪炎寺のこと色々調べてたでしょう」
「…………ああ、だがそれは」
「分かってる。彼女なりにサッカー部のことを理解したいと思って行動した結果だったんだよね。……でもやっぱり、私は怖い」
「…………、」
「恐らく――――ううん、確実に私のことも彼女は調べてる。調べても何も出てこなかったとは思うけど、あの純粋な目にじっと見つめられてるのかと思うと、どうしても気になって」



 嫌い……というより、本能的に苦手だと感じているのかもしれない。彼女はサッカーをしたことがなくて、生粋のお嬢様で、この学園の生徒会長で……私とは何もかも正反対だ。それに加えて、以前帝国にやられた時も思ったが、自分の情報を握られるのはかなり居心地が悪い。そして調べて何も出てこなかったとしても、彼女が私の情報を握ろうとしたという形跡が消えることはない。
 決して嫌いになりたい訳じゃない。だが、彼女がサッカー部を倦厭していたころの台詞の数々が脳裏を過ぎって、どうしても話しかけるのを渋ってしまう。話を聞いていても良い子だということは伝わってくるのだが、こればかりは仕方ない。



「……雷門さんには言わないでほしいな。あの子、ああ見えて傷つきやすいでしょ」
「…………分かった」
「あんまり関わったことないし、気にしないでいてくれるならそれで良いんだけどね」



 幾ら彼女が苦手なひとだとはいっても、自分のせいで悲しむ人はこれっぽっちも見たくなくて。豪炎寺と鬼道は私にも苦手な人種が居るのかと驚いていたが、言わないでほしいと苦笑気味に頼めばこくりと頷いてくれた。嫌いたい訳じゃない、ということは伝わっているといいのだけど。
 不意に訪れた静寂。周りの元気な騒ぎ声が妙に煩く感じる。この沈黙は耐えられない、だからこんなこと言いたくなかったのに……なんて言える状況でもないが、心の中でぼそぼそ呟いた。しんみりしてしまった雰囲気を挽回しようと、私は柄にもなく大きな声を出して話を変える。



「ッそういえば!鬼道は今日から正式に雷門の生徒になるんでしょう?どこのクラスに入るか知ってるの?」
「いや、未だ聞いていない。本当に突然の手続きだったからな……。むしろ、今日から通えるように取り計らってくれた雷門には頭が上がらない」
「俺たちが頼み込んだのは、確か一昨日の夜だったからな……」



 元々私と豪炎寺が考え付いた計画だ。雷門サッカー部の監督には豪炎寺から話を通してもらったが、全てを押し付けるわけにはいかない。ただでさえ理事長は事故に遭って入院中で、今の理事長代理は娘であり生徒会長である雷門さんだ。サッカー部の問題とは言え、只の一生徒である彼女に多大な迷惑をかけることに変わりない。結局話し合って、二人で――――正確には当事者である鬼道も含め、三人で頭を下げることになった。
 サッカー部でなく、ましてやあまり雷門さんと関係が良好でない私が頼み込むのは相当な違和感があっただろう。……だが、彼女は聞き入れた。前日の夜に転入手続きをすることがどれだけ難解かは想像に難くない。苦手な人だが、そのことにとても感謝しているのは確かだ。



「とりあえず、職員室に行けば担当の先生もいるだろう。後でまた雷門に礼を言わねばな」
「……うん、そうだね」



 雷門さんの話もそこそこにして校舎へ進んでいく。話題は打ち切られ、いつしか試合についての話へと切り替わっていく。次の対戦相手は決まってないが、今の雷門に欠けているのはなんだ、それを身に着けるための練習はなんだ、必殺技を新たに生み出さなければ。二人で交わされる会話に私はただ耳を傾けている。



「なあ、神崎はどう思う?」



 ふと、鬼道が聞いてきた。きょとんとした私は、然しすぐに苦笑を零して首を横に振った。



「それはきっと、君たち自身で解決できるよ。私が口を挟む問題じゃない」



 心からの言葉だった。私が口を挟むのは、彼らが本当に立ち上がれないときだけだと心の中では決めていた。
 彼らがもう自力で立ち上がれるのは私自身がよく知っている。立ち上がれるのにわざわざ手を伸ばすのは、彼らのためにはならない行為だ。恐らく話に馴染めない私を気をかけてくれたのだろう、その気遣いはとてもありがたいとは思う。ただ、私が口を出す理由には成り得なかっただけで。



「さあ行こ。職員室はもうすぐだよ」



 鬼道と豪炎寺が少し寂しそうな顔をした。そんな顔をさせたいわけではないけれど、仕方がない。私は曖昧に笑って校舎へと足を踏み入れた。





***


 


「今日も練習してんだね」



 きっと其処にいるだろうという、妙な確信があった。
 豪炎寺がタイヤを蹴り上げ、ロープで木につなげられたタイヤはそのまま1回転し、構えている守の元へ。ゴッドハンド!掛け声と共にどがん、と大きな音がして、あんなに勢いのあった筈のタイヤは完全に受け止められていた。部活の後にわざわざ個人練とは、矢張り気合が入っている。全国大会の決勝がかかっているともなれば当然か。



「お、葵!どうしたんだ、こんなとこまで……!」
「やっほ、守。練習熱心な君達の様子を見にね」



 私に気付いた守は、嬉しそうにこちらへ駆け寄ってきた。にっこり笑って差し入れに持ってきたビニール袋を掲げれば、感極まったかのように「葵、お前ってやつは!」と言って抱きつきに来たので、ヒョイと避けてやった。ドンと軽い衝撃音。流石にそこまで泥だらけな君は受け入れられない、ごめんね。心の中で謝る。守の盛大にコケた音に、豪炎寺と鬼道は軽く吹き出していた。



「まだ試合までは時間があるんでしょう?其れなのに今からこんなに夜中まで特訓して大丈夫?無理のし過ぎで試合に支障出すのはやめなよ」
「生憎と俺たちにはそんなことを気にする余裕はなくてな」
「それに、この学校に来てからと言うものいつもこの調子だ。もしこの程度の練習で体調を崩すなら、とっくの前に崩してるだろうな」
「まあ……ふふ、確かにね」



 特に守なんてこの調子じゃなかったことの方が少ないかもしれない。確かに今更の話だ。いつもぎりぎりの戦いを強いられている雷門に休む時間などほとんど無いのだろうが、本人たちがそれを楽しんでいるなら何も問題はないだろう。心配は無用だったか。
 差し入れを手渡すと三人はとても喜んでもらえた。ただの清涼飲料水だったがお気に召してもらえたようで何よりだ。勢いよく飲む三人に苦笑しながら私は辺りを見渡す。もうすっかり空は真っ暗だ。鉄塔広場の少ない明かりだけが辺りを薄く照らしている。
 こんな時間まで練習するなんてご苦労なことである。未だに深夜にイナビカリ修練場をコッソリ使っている私が言うのもなんだけれど。



「お前こそ珍しいな、こんな夜遅くにわざわざ差し入れだなんて。夜道は一人じゃ危ないぞ?何してたんだ?」
「ああ、夕飯の買い出し。家事を済ませてたら遅くなっちゃって。そのまま帰っても良かったんだけど、鉄塔広場が見えたから、もしかしたらいるかなーって思ってね」



 大きなビニール袋を掲げると納得したように豪炎寺は頷いた。「へー、今日の夕飯何にするんだ?」と守が身を乗り出して聞いてくるので思わず笑いながら教えてあげた。



「今日はね、煮物作ろうと思って。うーん、お魚の煮付けと迷ったんだけど、今日は筑前煮かなー」
「筑前煮……う、うまそう……」



 途端、辺りに木霊する大きいお腹の音。発生源の守は恥ずかしそうに頭を掻いていた。どうやら夕飯はまだらしい……当然か、今までずっと練習していたようだから。そのときふと思いつきが頭を過ぎる。



「……あ、そうだ。よかったら、うちに来て夕飯食べる?」
「え?……えええ!い、いいのか!?」
「うん。まあ作るのに時間がかかるから、それは待ってもらわなきゃいけないんだけど。一人で食べるの味気ないし……嫌なら別にいいんだけ――――」
「いく、いくいく!お腹減った!」
「……ふふ、はいはい。鬼道と豪炎寺はどうする?折角だし、もし時間大丈夫なんだったら二人も来なよ。御馳走するよ?」
「お前がいいなら、是非とも御馳走してもらおう」
「鬼道みたいなお坊ちゃんにとっては、うち、とーっても狭く感じると思うけどそれだけは勘弁してね」
「お、俺も……いいのか」
「うん、もちろん。ほら、確か前話したじゃない、手の込んだもの御馳走するって。良い機会だし食べに来てよ、ね?」
「……」



 こくりと頷きが1つ。豪炎寺がいつもと様子が違うように見えるのは気のせいだろうか、鬼道が意味ありげに笑みを浮かべていたのがなんとなく気になったが、声を掛けることでもなく。守は夕飯のことで頭が一杯のようで、今までずっと練習していたとは思えないほど軽い足取りでもう階段の方に向かっている。兎に角、三人とも来てくれる方向で話はまとまったようだ。
 そうとなれば話は早い。さっそく私の家へ向かうことになり、今日の特訓は終わりを告げることになった。





***





 自分にとっては馴染みのあるボロアパートの二階。右から数えて二番目の部屋が私の部屋だ。



「お、お邪魔しまーす……」
「どーぞ、狭い家だけどゆっくりしてって」



 耐久性に少し問題がありそうな鉄製の階段を上り、自分の部屋の前で立ち止まる。結構遅い時間になってしまった。
 辺りはとても静かだ。それも当然で、このアパートでは今のところ私の使っている部屋以外にもう二部屋しか使われていないのである。一度家の前まで来たことのある鬼道やよく共に登校している豪炎寺はともかくとして、初めて見る私の住む部屋に守は驚いている様子だった。
 一人暮らしとしか言ってなかったから、思っていた以上にぼろいと思ったのかもしれない。守を気にすることも無く私はいつものように鍵を開けると、小さな部屋へと三人を招き入れる。彼らは物珍しそうに辺りを見渡しながらい恐る恐る部屋へと足を踏み入れた。



「ごめんね、本当に狭いんだけど。空いてるところ適当に座ってて」
「あ、ああ、お構いなく……」
「今から準備するから、お腹空いてるとこ悪いけどもうちょっと待っててね」



 流石に落ち着かない様子で三人は部屋を見渡している。三人とも実家で暮らしているから一人暮らしの部屋は新鮮なのだろう。部屋にある家具や置物を見られるのは少し気恥ずかしい。あまり見られたくなくて、棚の上に飾っていた写真立てをこっそり倒した。
 私はささっとエプロンを身に纏うと、脳内にある筑前煮のレシピを思い出しながら手慣れた動作で料理を始めた。



「……随分と片付いているんだな」



 野菜を切っていく音だけがとんとんと部屋に響き渡る。妙に静かで居心地の悪い空間を破るように、ぽつりと鬼道が呟いた。鬼道こそお坊ちゃんでこんな空間とは縁がないだろうと思っていたが、案外この三人の中では一番ゆったりとした様子で堂々とこの空間に居座っている。他の二人は未だに落ち着かない様子でそわそわとしていて、見ていて少し面白い。



「うん、見た通り小っちゃい家でしょ。置けるものなんて限られてるし。……何より、私はあまり自由が出来る身分でもないし」
「……、というのは?」
「……んー、なんて言えばいいのかな。私、今はちょっと訳があって両親じゃなくて姉さんに仕送りをもらってるの」
「へえ。神崎には姉がいるのか」
「ん、そうね。結構年が離れてるんだけど、私の自慢の姉さんだよ。私ね、姉さんに無理言ってこの町に来させてもらったの。生活費は全部姉さんが支払ってくれてる状態なんだよね。だからあんまり我儘は言えない……ううん、言いたくないの。これ以上あの人に迷惑はかけられないから」



 本当に優しい姉だ。一人暮らしはどれだけ切り詰めてもお金がかかる。中学生でアルバイトも出来ない身分だから、足しにするお金も稼げないのに。いくら吉良財閥が大きいのだとしても、イタリアに逃亡した時も、今だってそうだ。孤児一人にかける金額では決してない金額をいつも姉さんは出してくれている。感謝なんてしてもしきれない。



「……ん?」
「……?どうしたの、守?」
「いや、うーん…………葵ってお姉さん居たんだなって思ってさ!俺、お前の母ちゃんと父ちゃんには会ったことあるけど、お姉さんには会ったことないなーって」
「あ…………、うん。…………そうか、守は会ったことないんだったね。んーそうね、姉さんは……優しくてあたたかい人なんだ。普段はしっかり者で厳しい人なのに、家族のことをとても大事に思ってくれていて。私になんていつもとっても優しいんだから」
「へー!会ってみたいなあ、お前の姉ちゃん!」
「うん。……そうね、会えるといいね」



 守の言葉に思わず少し動揺してしまったが、寸でのところで平静を保ち、返答した。きっと上手く誤魔化せた、と思う。守が私の両親について知っていると言っても、それは10年くらい前のことだし、そもそも会った回数も多くて数回だろう。違和感を覚えることは無かったはずだ。私に姉さんが居たとしても何の不思議もない。自然な動作で他の二人の様子も確認したが特に怪しまれた様子はなかった。心の中で安堵しながら料理を続けていく。
 次第にいい匂いが漂い始め、三人はすぐそちらに気を取られたようだ。彼らは自然と食の話題に移り、楽しそうに談笑している。結局のところ彼らも育ちざかりのただの中学生だということか、私にとっては願ったり叶ったりだ。いい具合に出来上がって来た筑前煮と出来合いの汁物を眺めながらサラダをさっさと作っていれば、見計らったようにご飯の炊ける音がした。
 そろそろ頃合いか。



「さて、ご飯も炊けたし夕食にしますか」



 おお、と三人から歓声が上がる。練習終わりから暫く経っていた為にかなり腹が減っていたらしく、よそった料理を持ってくると今にも食べたそうに輝いた目で料理たちを見ていた。それだけでも作った甲斐があるというものだ。
 こういうときのためにと食器を多めに蓄えていた自分を内心褒めたたえつつ料理を並べた。少し、いやかなり窮屈にはなるがそれは勘弁してくれることだろう。
 手を合わせて皆で軽く「いただきます」と言えば、そのあとはもう早かった。



 流石に運動部練習終わりの男子中学生なだけあって、彼らはすぐに夕飯をかき込んだ。守はすぐに想像できるが、普段礼儀正しい豪炎寺や鬼道もご飯をみるみる平らげていく様を見て、思わず笑みが漏れる。
 そう時間もかからず彼らが一同におかわりを願い出るので、多めに作ったご飯たちをよそいながら私は笑った。



「ごちそうさまー!はー、超うまかった!」
「ご馳走さま。本当に美味かったよ」
「神崎にこんな特技があったとはな」
「ハイハイ、お粗末様でした。皆あまりに食べっぷりがよくてこっちが嬉しくなっちゃったよ」



 お皿を下げてくれる三人に相槌を打ちながらテキパキと皿を洗う。どうやら本当にお気に召したようで、たくさん作ったはずのご飯やおかずは全て空っぽになっていた。全く、料理人冥利に尽きるというものだ。
 お皿を洗うのに邪魔だと軽口を叩けば、彼らはお礼を言いながら素直に部屋へと戻っていった。
 彼らは私の料理について二、三言話して次第にまたサッカーの話題に戻っていった。話題は次の準決勝の話。まだ相手は決まってないらしく、鬼道を迎えた雷門の今の弱点や、これからの指針について議論しあっていた。私は皿を洗いながら彼らの話に耳を傾けた。



「……そういえば、葵。お前、なんかあったのか?」



 議論の途中。唐突に、守が私へと問いかけた。私はといえば、効率皿洗いを済ませ、早々に部屋に戻って彼らと合流し、議論を静かに聞き見守っていた。



「……へ?なにが」
「いや、なんか、わかんねーんだけど、んー」



 豪炎寺と鬼道がこちらに目を向けた。二人もどうやら気付いて気になっていたらしい。
 なかなか言葉の出ない守に、豪炎寺が「分かるよ円堂。俺も思っていた」と助け舟を出す。



「おそらく……葵、お前最近サッカーの話題に入ってこなくなっただろう」



 それもおそらく、サッカー「部」の話題。守と鬼道が納得したように頷いている。どうやら完全にバレていたらしい。流石に露骨だったか、と苦笑した。



「なんだ、気付いてたの」
「気付くさ。転校してきた当初、俺たちからの相談によく乗ってくれていただろう。具体的な時期は……俺たちが全国大会に進出してからか。少しずつ話題が減っていったと感じていたが、ここ数日は全く会話に参加しようとしないじゃないか」



 よく見ていらっしゃる。豪炎寺とは普段登下校も一緒だし、クラスでも前後でよく話す間柄だ。話題の変化にはすぐ気付けたことだろう。鬼道も話を聞きながら、今朝のことを思い返して納得していた。



「確かに、今朝豪炎寺と大会の話をしていた時も話を聞くだけだったな……それまでは普通に話していたのに」
「なんだよ葵、サッカー部が嫌いになったわけじゃねーだろ?」



 守が心配した様子でこちらを見やる。もう隠せる雰囲気ではない。笑顔を取り繕い降参だと白旗をあげ、私は彼らに打ち明けようと口を開いた。



「守、安心して。サッカー部は全然嫌いじゃない。ただ、皆のサッカーに口を出す必要がなくなったなって思っただけ」
「んあ?なんで」
「だって、皆もう全国レベルについていけるくらい実力がついてきたじゃない」



 学校で練習を励むサッカー部の姿や、FFで相手と戦う度に確実に成長していく姿を見ていれば、彼らがどれだけ努力を重ね、実力を身につけたかなど誰だってわかることだろう。目に見えて成長した彼らはFFで40年間優勝し続けた帝国学園に勝利し、今ではそのキャプテンである鬼道さえも仲間に全国大会を駆け抜けている。もう私の出る幕などない。
 そう言おうと思ったのだけど、話そうと彼らの表情を見ると、「納得できない」と不満そうな表情が浮かんでいる。特に守なんて眉をひそひそ、でかでかと理解不能の文字が載っているかのような顔だ。仕方ない。サッカー部から距離を取ることは、私の身を守ることにも、みんなを守ることにも繋がるのだ。私は息を1つ吐いて、静かに彼らに語り出す。



「……ほんとはね。豪炎寺と鬼道はこの間少しだけ聞いたかもしれないんだけど。私はあんまりサッカーに関わっちゃいけないの」
「……関わっちゃ、いけない?」



 なんだよ、それ。守は呆然とつぶやいた。そんな守を横目に鬼道が相槌を打つ。



「この間言っていたな。お前への罰だと」
「覚えてるみたいだね。そ。私が背負わなきゃいけない罰。サッカーに関わらないこと。本当は、雷門中に来ようと思ったのは、去年できたばかりでまだ7人しかいないサッカー部なら、あんまりサッカーに関わらずに済むと思ったからだったの」



 日本に戻ってくる時、瞳子姉とどこに潜伏するかかなり悩んだ。エイリア学園の本拠地がある静岡からなるべく遠くに。そうも思ったが、大阪のナニワランド地下にある修練場のように、どこにエイリア学園の施設があるかわからない。そこで、私の生地である稲妻町をあえて選んだ。まさか二年経った今、自分の生地に帰ってきているなど、エイリア学園も夢にも思うまい。
 幸い、雷門中のサッカー部は11人も満たず、大会に出場することすらできない。潜伏するならこの中学だろうと考えたわけだ。



「ま、その予想はすぐに外れちゃったけどね」
「……そうか、俺や円堂、風丸が一緒にいたからだな」
「そ。びっくりしたよ、転校初日に10年前別れた幼馴染がいるし、そいつがサッカー部のキャプテンしてんだもん」
「俺もびっくりしたぜ!でも葵の髪に見覚えもあった!綺麗な水色の髪だ」
「ふふ、ありがと守」



 守がそっと長く垂れる私の髪に触れる。その手が優しかったから、思わずふにゃりと頬をゆるめた。そういえば幼い頃も、今よりは短いが髪を伸ばして結っていた。豪炎寺や鬼道が私たち二人の様子をゆっくりと見守っている。
 心地よい時間にまどろみながら、私はいつの間にか夢心地のようにそっとそれらをつぶやいていた。



「本当に最初は関わらないでおこうって思ってたんだ。でも……あまりに皆が眩しくて」
「眩しい?」
「眩しかった。楽しそうにサッカーをするなって、特に守には思ってた……や、今も思ってる。守や一郎太、豪炎寺に秋、そして鬼道や染岡たちサッカー部。皆が優しくて、あたたかくて――――何よりサッカーが大好きだってすごく伝わってきたから。気付いたら体が動いてたの」
「葵……」



 守が髪を撫でるその仕草を止める。名前を呼ぶその声音は少しだけ寂しそうな空気を纏っていた。私はまどろみから目を覚まし、はっきりとした声で言う。



「でも、眩しさにくらんでる時間はもう終わり。きっと、ここからは皆自身の力で突き進めると思うの。だから、見守らせて欲しい――――君たちが勝ち上がって優勝しちゃうところ」



 小さくはにかんで三人の顔を見る。三人は三種三様の表情でこちらを見返していた。守はどこまでも嬉しそうに。豪炎寺は真剣な瞳で一つ頷いて。鬼道はふっと不敵な笑みを浮かべた。
 ここまで来たら、私は最後まで応援したかった。そして、弱小と呼ばれた雷門サッカー部が生まれ変わっていくところを――――みんなでサッカーをすることでしか辿りつけないその景色を、遠くからでもいいから最後まで見届けたかったのだ。
 私は三人の顔を見て、確信した。きっと彼らならそのたどり着けると。そして、そう遠くないうちに、誰にも負けないくらい良いチームになるだろうことを。


 
「今日は美味かった!突然だったのにありがとな、葵!」
「こちらこそありがとう。私もね、久しぶりに人がいる食事で嬉しくなっちゃった。よければまた来てね。豪炎寺、鬼道も」
「ああ。しっかり戸締りして寝ろよ」
「わかってるって」
「神崎が円堂の母親みたいだと言う噂は本当だと証明されたよ」
「もう!鬼道は私をからかいすぎ!じゃあね、また明日!おやすみ三人とも」



 三人と軽く言葉を交わし、玄関前で彼らを見送った。嬉しそうに三人で他愛もない話をする光景を少しだけ目に納めたあと、いつもと同じようにドアを閉めて戸締りをして、部屋の方へと戻っていく。部屋はいつものもの少ない殺風景とほとんど変わらなかったが、座布団に残るシワやテーブルの上に置かれた4つのコップ、ぬくもりを含む緩んだ空気が、確かに先ほどまで人がいたのだと教えてくれていた。一人のときのもの寂しい空気を埋めてくれている。それはとても嬉しくて心が温まるような心地だった、……はずなのだが。相反して、私は何か自分の中でぐずぐずと広がっていくものを感じていた。ぐずぐず。なんだろう。あんなにたのしかったのに。
 その時だった。インターホンがもう一度鳴った。びっくりして私は扉の方を見やった。宅配なんて何も頼んでいないし、瞳子姉は稲妻町にいない。私の家に用事がある人などいるわけがない。
 少し不安になり、部屋にある殴れそうな物を1つ手に取り、静かに玄関前へ進み、ドアについているレンズからそっと外を覗き込んだ。



「……鬼道?」
「ああ。夜中に悪い神崎。少しいいだろうか」



 雷門ジャージにドレッドヘア。ゴーグルをかけているので間違いはない。忘れ物だろうか。レンズ越しで近くに人がいないか確認すると、執事のおじいさんが横についているのが見えた。どうやら身の安全は保証されそうだ。私は構えていた家具をそっと下ろすと、「いいよ」と言ってガチャリと鍵を開けた。



「なにかあった?忘れ物?」
「いや……、神崎の様子が気になってな。話せるか?」
「……うん、いい、けど……今じゃないとダメな話?」
「夜中だし明日にしようとも思ったんだが、今日を逃したら聞けないような気がしたし、それに……円堂や豪炎寺の前では話しにくいだろうとも思ったんだ」
「…………ふーん、そっか。よくわからないけど、ここで話すような話でもなさそうだね。外に出よっか」
「ああ」




 鬼道と執事とともに部屋を出た。少し歩き近くにあった児童公園に入ると、鬼道は付き添ってくれていた執事を公園の入り口に留まらせた。私との会話に配慮してくれたらしい。



「それで?帰ろうとしたんじゃなかったの」
「ああ、そのつもりだったんだがな。お前の様子が気がかりで戻ってきたわけだ」
「様子?」
「お前、何か隠しているだろう」



 一瞬だけ動きが止まる。



「……なんのこと?」
「お前、嘘が得意じゃないだろう。誤魔化すとき、少し表情が硬くなる」
「……、観察力あるね」
「伊達に帝国を率いていない」



 守や豪炎寺でさえ気付いていなかったのに、転校してきたばかりの鬼道に指摘されるとは。言い訳のしようもない的確な指摘で、私は内心息を巻きながら、降参のポーズをとった。



「嘘をついたつもりは、なかったんだけど」
「なら、”本当のこと”じゃないことに対して身構える傾向にある。本心を話すときと誤魔化すときの仕草が違う。今日は朝からずっとその違和感を感じていたから、戻ってきたのさ」
「……本当、帝国のキャプテン様には頭が上がらないよ。」
「安心しろ、俺はお前を暴きにきた訳ではない。お前に借りを返しにきたんだ」



 そう言って笑った鬼道の存外に優しい笑みを私は忘れないだろう。
お前が無理してるように見えた。そう言った彼は、俺の前では無理しなくて良い、と続けた。



「お前の様子を今日一日見ていた。その一歩引いた態度は、お前がそうやって苦しそうな顔をする直接的な原因なんだろう」
「そんな、苦しそうな顔なんてしてな」
「ほら、その顔だよ」



 そう鬼道に言われてやっと、私は思っていたより重症であるらしいことを悟った。
 雷門にいる私はどうやら少しだけ皆から距離を取り、無意識に壁を作っているようだった。そして、鬼道に手を差し伸べたあの時と比べると、その差が歴然であると。特にサッカー部の面々にはその傾向が強く、それが目についたのだと。



「きっとお前が隠していることはサッカー部に一番知られたく無いことだ。だから、壁を作る。でも俺にだけなら、言えるんじゃ無いか。以前よりもずっと、お前は苦しそうな顔をするようになった。いろんなことを溜め込んで身動きができなくなっているように見える。俺は口が堅い。ここじゃ、お前のことなんて誰も見てないぞ、神崎」



 鬼道が静かに、言葉を染み込ませるように言う。私は少しだけ心が傾いて――――だが踏みとどまり、また壁を作ろうと言葉を重ねた。だが、それは途中で打ち切られる。



「でもあんまり他の人に言うようなことでも無いと思うよ。きっとくだらないこと――」
「くだらないかどうかは俺が決める。それに、俺は別にお前に善意だけで声を掛けてる訳じゃ無い」



 なぜなら、鬼道が私に手を差し伸べたからだ。この間、地面に伏した鬼道に私がそうしたように。
 その手が、そして声があまりにも優しかったから。私は少しだけ呆然とその様子を見守った後、気がつけばゆっくりとその手をとった。彼の手は温かく、最初の冷酷な面影をもう少しも残していなかった。



「きっと、お前がしてくれたことは周りから見れば”おせっかい”だ。だがな、そうだとしても、俺はお前の言葉のおかげで引き上げられたんだ。俺はお前がくれた”おせっかい”を返したいだけさ」



 鬼道のその言葉に少し安心したのか、私の心に少しだけ穴が空いた。穴から少しずつ靄が漏れ出していくのをゆっくりと感じ取っていた。
 実体のないぐずぐずとした靄は私の中から際限なく溢れ、次第に私を覆い尽くす。塞いで閉じ込めていた思考が再び動き始める。私はみんなが大好きだった。フィディオたちのことも。雷門のことも。――――エイリア学園のみんなのことも。でも、私がみんなを愛していても、みんなとともにいることは肩書きが絶対に許さない。私の気持ちも望みも何もかも、”救世主”が嗤いながら踏み潰していく。それでも私はそれが捨てられない。どうしてもみんなを救うまで、私は私を省みることができない。



 それでも。
 それでも残った願望が、耐えきれずぽつりとこぼれおちた。



「私は……きっとみんなと、サッカーをしてみたかった」



 雷門サッカー部。彼らのサッカーを見て思う。なんて暖かくて、まっすぐで、底抜けに明るいサッカーなんだろうって。私は児童期を思い出す。私の原点を遡る。私が好きになったサッカーは、きっとこんなサッカーだった。お日様園のみんなとただ夢中でボールを蹴り合って、体を動かして、底抜けに笑って、幸せで、そう、しあわせで……



「神崎、お前……」
「え…………」



 気付いたら、涙が一筋流れ落ちていた。涙は頬を通り抜け、地面にぽたぽたと染みを作っていた。



「え、あ、なんでだろ……涙が、止まらないや……」



 鬼道は私を見つめている。誤魔化しはできなかった。
 それどころか、涙はとどまることがなく滔々と流れ続けた。頭の中で記憶が流れては消えていった。楽しかった昔のサッカー。エイリア石でおかしくなってしまったお父様、私にひれ伏す家族たち。逃げる私と瞳子姉、フィディオと時間を忘れて走り回った夕暮れ、日本に帰ってきてから起こる幸せと恐怖が募る日々。



「お前は、寂しかったんだな」



 彼の口からぽつりとこぼれたその言葉が、心の壁が崩れる合図だった。私は成すすべもなく泣き崩れた。そっと鬼道が私を支え、そっと自分の肩へと寄せた。



 独りぼっちのワンルームは絶えず空虚な静けさで、私の心を絞めた。独りぼっちのサッカーは虚しさを助長して、心に大きな風穴を空けた。きっともう、色々なことが限界へと近づいていた。
 地獄の門はすでに開かれてしまった。私は予感している。もうすぐ魔の手が来ることを。この2年来て欲しくてきて欲しくなかった終わりが始まることを。



「ごめん、鬼道……少しだけ、少しだけだから……」



 私は鬼道の肩を借りて、ただ、泣いた。これまで降り積もった沢山の感情を絞り出すように。







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