第15章 陸上少年の独白



全国大会初戦。開会式も終わってすぐに組まれた雷門と戦国伊賀島の試合も、ようやく決着が付こうとしていた。




「「炎の風見鶏!!」」




最高潮の盛り上がりを見せる会場内を、燃え上がる炎が大きく駆ける。豪炎寺と一郎太の意志の強い瞳が交差し――――その瞬間雄叫びを上げるかのようにまた一際大きく膨れあがった炎は、相手側のGKを呆気なく吹き飛ばし、ゴールへと突き刺さる。
すぐに沸き起こる歓声。同時にホイッスルが鳴り、得点が追加される。得点板を見れば2-1で逆転しているのが見えた。前半の劣勢は鳴りを潜め、今や場の雰囲気は雷門が掌握している。




「…………す、ごい…………」




その様子を見ていたのは、私の隣の観客席に座る宮坂だ。
私が隣にいるにも関わらず、彼との空気は以前のような居心地の悪さを伴っていない。彼は思わずそんな言葉を漏らして、私を視界に入れることもなく、一郎太の一挙一動を見逃さないようずっとずっと見つめている。




この分では、雷門の勝利で終わるのも時間の問題だろう。
もし同点で延長戦に持ち込まれたとしても、負けることはまず無い筈。一郎太の疾風のような動きを目で追いかけながら、そんなことを思う。




「行け!そこだ、風丸さん!」




試合に熱中する宮坂が前線に駆け上がる一郎太を見てエールを叫ぶその隣で、私は思わず微笑んでいた。
思い出すのは、あの日。
宮坂が私の隣で応援するきっかけとなった、あのときのこと。




第15章 陸上少年の独白




朝。河川敷でのひと騒動の後、私はアパートに一度帰って来ていた。




態々一郎太と別れ返ってきた理由。
私も一郎太も一度感情を整理する必要があると感じたのも理由の一つではあったが、一番の理由は別にあった。至極簡単なことである。私は河川敷にこれっぽっちも荷物を持ってきていなかったのだ。




当然あんな出来事があった後なので、家に着いたときには完全に日が昇っていた。まだ支度も、それどころか顔を洗うことすら出来ていないのに、時刻は既に九時を越えようとしている。HRどころか、今走って学校へ向かったところで一限の遅刻は免れない。
豪炎寺にはとっくの前にメールで先に行ってもらうように伝えているので、私は既に一限を諦め、ゆっくりと支度をしていた。




そこまでは良かった。……良かったはずだった、のだが。




「………………君、なんでこんなとこにいんの」




支度を終え、アパートを出て、学校へ向かうまではいつも通りと言っても過言じゃなかった。問題はその後に起きる。
まさかこんな時間に誰か居るとは思っていなかったのは勿論だったが、それよりも。無意識のうちに目が細まり、目の前の人物をはっきりと捉えていた。壁に寄りかかった彼が浮かべるは無表情。その言葉を発したとき、思っていた以上に低い声が出たのが自分でも分かった。校門をくぐった私を待ち受けていたのは、黄色の髪を靡かせる一人の少年――――宮坂。



彼も、私を見ていた。だが気付けば彼はこちらを睨みつけている。
昨日とは少し違った雰囲気で、蔑むように。嗤うように。
瞳をぎらつかせて、怒りを露わにする獣のように。




「別に、なんでもいいじゃないですか」




だがそれも一瞬のことだった。すぐに無表情に戻り返ってきた言葉は、昨日より幾何か冷静さを含んでいるようには見えた。
とはいえ、今が授業中であるのに変わりは無く、依然彼が此処にいる理由は謎なままだ。昨日のこともあって、信用出来ない。




然しそう思考しているうちに、宮坂はこちらに冷たい視線を投げかけたかと思えば、早々に踵を返して校舎へと入っていくのだ。
明らかに私を待っていたとしか思えないのに去っていく彼に困惑しながらも、最終的に自分の中に残った感情はひとつだけ。




(…………行かなくちゃ)




一瞬迷ったものの、すぐにその後ろ姿を追いかける。
彼の後ろ姿が「着いてこい」と、そう語っているように見えた。それはきっと間違いじゃない。宮坂がどんな思いで私を待ってたか知らないが――――だからこそ私にはそれを知る権利がある。
……そして私自身も少なからず、その理由を知りたいと思っていた。




「………………ねえ宮坂、君、授業は?」
「授業なんて一限サボったところでただの寝坊としか思われませんよ」
「…………」
「てかサボるのはあんたも一緒でしょ、共犯者」




生意気なのは相変わらずだが、生憎、彼の煽りを気にすることは既にやめた。関係ないと言わんばかりに足早に階段を上り始めた宮坂に、はあ、と一つだけ溜息を吐いて私はしぶしぶ着いていった。
それぞれ一階は一年、二階は二年の教室が並んでいるが、見向きもしないまま宮坂は各階を通り過ぎていく。




「そもそも一限来る気なら、こんな時間に登校しないでしょ。ホント、なんでこんなに待たされなくちゃならないんだか……」




しかも聞き耳を立てれば、そんなことをひたすらぶつぶつ呟いているのが分かってしまった。……が、もう諦めの境地に達していたので、全て無視する方向でこちらも方針を固めてしまい。
一々反応していてもキリがないし、そもそもぶつぶつ言いたいのは――――否、事情を聞きたいのは私の方だった。



“あの”宮坂がわざわざ一限をサボってまで大嫌いな私を待っていた理由?
……嫌われている張本人の私にそんなもの、理解できる筈もない。




そうこうしているうちに、気付けば私達は最上階に辿り着いている。
行き止まりの先にぽつんとあった古臭いドアをがちゃりと開ければ、途端差し込んだ光に軽く目を細めた。爽やかな風がすぐ横を通り過ぎて、少し肌寒い。
屋上に足を踏み入れるのは、これが初めてのことだった。




「…………、で?」




早々に話を切り出す。彼は最初フェンスに近寄って青空を徐に見上げていたが、私の言葉に反応してゆっくりこちらを振り返ったかと思えば、今度は何も見透かせない昏い瞳でじっとこちらを見つめていた。




「話があるから、一限サボってまで私を待ってたんでしょう。面倒くさいことは嫌いなの、さっさと用件をどうぞ?」




だが私も、それに動じるような柔な精神はしていない。目を逸らすことなく真っ向から見返してやれば、数秒の冷戦の後に折れたのは矢張り宮坂の方だった。
呆れたような、疲れたような、はたまた諦めたかのような溜息を一つ零し、またフェンスに手をかけて、太陽が燦燦と輝いている青空を見上げている。
彼に釣られて蒼穹を――――その先に見える陽の光を見た。




大きくて、眩しくて、ただただ遠い。いつも通りの青空。
違ったのは、彼だけ。昨日とは打って変わって落ち着いた様子の彼だけだ。




「…………………本当はこんなの、言うつもりなんてなかった」




静寂が続く中で、ぽつりと彼は呟いた。
授業中の屋上はいつも騒がしい雷門に似つかわしくないほど静かで、何もなくて。グラウンドでボールを追いかける少年たちの無邪気な声だけが、風に運ばれて聞こえてきている。
その言葉を聞いて思わずその横顔を覗き見たが、彼は青空から視線を外すことは無かった。すると昏い瞳だと思っていたものは少しずつ形を変えていく。
いつしか彼は眉を下げ、見たことないくらい哀しそうな表情を浮かべている。




「…………でも、それで風丸さんが迷惑するっていうのなら話は別だ。僕のせいで悲しむ風丸さんなんて、見たくないんだ。だから――――」




――――ごめんなさい。
ぐっと歯を食いしばってこちらに頭を垂れる姿は痛いほどに目に焼き付いた。私は目を見開いてその様子を見つめている。あまりの態度の変わりように、驚愕しか出てこない。どうして私なんかに謝るのか、全く分からなくて。




“お前は風丸さんのことなんて、何とも思っちゃいない




私のことが嫌いなんじゃなかったの?疎ましかったんじゃなかったの?妬ましかったんじゃなかったの?
……だから、あんな言葉が出たんじゃなかったの……?




懐疑する言葉は止まらない。理解が出来なかったのだ、なにもかも。
あんなにも私のことを嫌い憎んでいたはずの彼に、今更そんな態度を取られてしまったら、私はどうしようもなくなってしまう。いっそあのまま嫌な奴で居て呉れたら、嫌ったままで居られたかもしれないのに。




「…………俺、見ちゃったんです」




だが宮坂は話し出す。私の思いなど知ったこっちゃないとでもいうかのように、俯き、私を見ないようにと目を逸らし続けている。




「今日の朝……風丸さんと二人で、河川敷にいましたね」




対照的に私は目を見開いていた。あの光景を、見ていた?
しかしそれ以外にその台詞を言われる理由は思い浮かばない。ならばその言葉が意味をするところは……つまりそういうことなのだろう。なんてことだ、全く気が付かなかった。
最近の自身の注意力の散漫さに本格的な危機感を覚えつつ、しかしそれを表に出すことなく宮坂を見据える。




「…………、そう。見てたのね」
「日課にしているランニングの途中に、偶然見かけて」




彼は悔しそうに歯を食いしばり目を逸らした侭だったが、それでも覚悟は決めたようだった。彼が自分で決心して、私に話すためにずっと待っててくれたのだとしても。
"大嫌い"な筈の私に話すことの悔しさも、苛立ちも、やるせなさも、一層際立って私の心に響いてくるから。




「風丸さんがあんな風に泣いてるところ、初めて見たんです。…………それどころか僕は……本当は、風丸さんが落ち込んでいるところすら、まともに見たことがなくて。風丸さんは僕の中で一番の目標で…………だから、先輩が負けるところなんてこれっぽっちも想像がつかなかったんだ」




――――だが、実際それは起きてしまった。
それは宮坂にとって想定外の出来事であり、絶対認めたくない事項だった。
私にキツく当たってしまうのも、致し方ないなんて言うつもりはないけれど、納得は出来る。怒りの矛先が私に向かうのも簡単に予測できた。
そのことだって、少し考えれば分かることだった。




「……貴方が悠々と勝ったところを見て、どうしようもなく苛立って……貴方に、無意味な八つ当たりをした。そんなことをしても風丸さんが負けた事実は、風丸さんを僕が怒らせた事実は無くなる筈ないのに」




宮坂の独白は続く。
一郎太は宮坂が掛けた言葉に大層怒ったという。自分は葵に負けたのだから、お世辞なんて言うなと。馬鹿にするんじゃないと。



今朝一郎太が落ち込んでいたのは、きっとそのこともあったのだろう。あれだけ仲間や後輩を大事にしている彼のことだ、宮坂を傷つける言葉を言ってしまったことを深く後悔した筈だ。そして宮坂もきっと、一郎太と同じようにそのことを後悔したのだろう。
そうでなければ、彼は今こんなところには居ない。何もなしに私に謝るなんてこと、ある筈がないのだから。
そう思っていた。然しそれは間違いだった。




「……貴方が風丸さんのことを何とも思ってないなんて、うそだった」
「…………え、」
「本当は気付いていました、貴方がそんなひとじゃないってこと。だってそうじゃなきゃ、風丸さんの相談なんて長く付き合おうなんて……思わないですよね」




青空を見上げていた宮坂が、苦笑いを浮かべてこちらを向く。その表情に、不快な感情は残っていない。嫌われていたときの蔑むようなあの瞳なんて何処にも見つからなくて。それどころか、苦笑とは言えども宮坂の笑みを見るのすら、私は初めてだった。
目を見開くと、宮坂は追い打ちをかけるように続ける。




「本当はね。風丸さんに紹介されるより前から、貴方のこと知ってたんですよ?」
「…………それ、どういう」
「僕、結構視力が良くて。昨日の部活中に上を見上げたら、窓越しに二人の姿が見えました。仲良さそうに、風丸さんの相談を受けるあなたの姿が目に入って、それで…………羨まし、くて。…………妬ましいとすら、思ってしまって」




――――その直後に、当の本人と出会ってしまったものだから。




「ごめんなさい。貴方の優しさを踏みにじるようなことをしてしまって」

「ごめんなさい。思ってもいないことを言って、貴方を散々悩ませてしまって」

「――――ごめんなさい、僕の醜い僻みのせいで風丸さんとの関係まで傷つけてしまって……!」




私のことなんて、大嫌いなんだと思っていた。実際今でも嫌いなのだろうとも思っている。
だがこんなにも後悔し、嘆き、懺悔するかのように項垂れて、大嫌いなのであろう私にありのままの本心を吐露する彼を、どうして責めることが出来るだろうか?……いや、中には出来る人もいるのだろう。けれど少なくとも私は……その姿を眼前に出された私には、今更彼を責めるなんてことはこれっぽっちも出来そうにない。




見ていられないと心が叫んだ。足が勝手に動き出して、蹲りそうになる宮坂の前で止まり、そして私はおもむろに手を伸ばした。迫りくる後悔に、嫌われる恐怖に打ち震えている彼を、私の腕はゆっくりと包み込んでいる。




「…………もう、いいんだよ」




あんなに酷いことを言われた相手の筈なのに、自身の声音はいっそ不思議なくらい穏やかだった。私は彼の背中に手を伸ばして、ゆっくりと、だが確かな温度を感じながらぎゅっと抱きしめる。彼がひゅっと息を呑む音を聞いた。彼の手が宙を彷徨う気配を、背中が確かに感じている。




私は案外臆病で、昨日の彼の睨みとその恐怖が蘇ると、どうしても彼と向かい合っていくのがまだ少し怖くて。彼の目の端に浮かぶ涙を拭う事すら出来なかったけれど、でもほんの少しの勇気が後押ししてくれたから、直接向かい合わないで彼と向き合うことにした。




「もうそんなこといいからさ。気にしてないからさ、許すからさ…………お願いだから、泣き止んでよ」




宮坂の頬を伝った涙は、ぽたりと私の肩口に落ちる。
それでも耐えきれず次々にあふれ出す涙を、しかしそれを止める術を私は生憎持っていない。彼の背中を撫でてあげることしか、今の私には出来ない。だがそれでいい。これから歩み寄れればいい。今は、もう、これだけで充分だ。
私の肩に顔を埋めて咽び泣く彼の声を覆い隠すかのように、一限の終わりを告げるチャイムが鳴る。




「ははっ…………やっぱり貴方は、やさしいひとだ」




そっと陽に照らされて、宝石のようにきらきら瞬いて落ちていくその滴が、まるで流れ星のように見えて、私はゆっくり微笑んだ。肩に滲んだ冷たいようで存外温かな涙は、赤ん坊が産声を上げるかのような純粋さを秘めていた。




(ばかだなあ、そうおもっていた)
(でもあなたのそんなやさしさに、ぼくはたしかにすくわれていた)






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