第11章 陰謀とスパイと約束と



ある日の放課後、校門近く。暖かな気候が続く中、学校から帰ろうとしていた私の目に一つの場面が飛び込んでくる。ボロボロのサッカー部室の裏側に潜む人影。見慣れた雷門ユニフォームに、背の高い背中、少し濃い肌と薄く青みがかったグレイの髪。




(……………土門?)




彼は焦燥感と不安の溢れる表情でひそひそと電話で誰かと連絡を取っている。遠目にもわかる大粒の汗が伝っているのを見るあたり、相当焦っているらしい。何かのことで言い争っているらしく声も少しずつ大きくなっているようだ。今のところ彼に気付いた人はいなさそうだが、あの様子ではいつ注目の的になるかわからない。私は校門へ向かおうとしていた足をくるりとサッカー部室へと方向転換して、そちらへ歩き出す。




部室前に着く。そっと彼の様子を伺おうとするが、部室の前からでは声がよく聞こえなくて話の内容は分からない。でもやはり口論は続いているようで、語尾や口調の荒さは此処からでもよく分かった。何を話しているかは知らないが、流石に止めた方が良さそうだ。
私はそっと彼の電話する傍に近づくと、そっと彼の名前を呼ぶ。




「土門」
「っ!?神崎っ!?」
「どしたの、そんな驚いた顔して………校門近くで見えたんだ、君のこと。なに話してんのか知らないけどさ、話に熱中して声大きくなってたよ。今回は私しか気づいてなかったから良かったけど、今度からは気をつけてーーーー」
「…………ご、ごめんっ!」
「わっ!?」




土門は唐突に叫ぶと私のことを押しのけて走り出す。吃驚して一瞬固まった私はワンテンポ遅れて待って、と言おうとするが彼はその余裕を微塵も与えることもなく何処かへ走り去って行ってしまって。




「……………な、なに……………?」




私はきょとんと彼が走り去っていった方向を見つめながら、やっとの思いでそう呟いたのだった。




第11章 陰謀とスパイと約束と




「ーーーーっていうことがあったんだけどさ、豪炎寺、何か知らない?」
「いや………土門は昨日もいつも通りに練習をこなしてたぞ。何かの見間違いじゃないか?」
「ええ?うーん、それはない……と思うんだけど、なあ………」




豪炎寺の怪我が完治してからーーーー決勝に駒を進めてから早数日。昨日の土門の様子が気に掛かったので豪炎寺に聞いてみたのだが、収穫は得られそうになかった。かなり焦っていた様子だったし部活にも多少なりとも支障が出てるかと踏んだのだが。見事に予想は裏切られてしまったようで。




「…………んー、やっぱり私の思い違いだったのかなあ?ごめん、今のは忘れて」
「そうか………まあ土門にそれらしい動きがあったら見ておくよ」
「ん。ありがとう、助かるよ」




豪炎寺に礼を言いながら、いつもの様に学校へと向かう。
違うクラスだとはいえども土門は同じ学年にいるのだから、次に会った時にでも聞くことが出来るだろう。大したことがなければ良いのだけれども。




「………あ、一郎太。おはよう」
「ん?嗚呼、葵か、おはよう。豪炎寺も居るんだな」




少し歩いて着いた曲がり角のところで、一郎太が居るのを見つけた私は軽く手を振って声を掛けた。
一郎太は私と豪炎寺に気付くと笑顔で返事をしてくれる。




「家が近くてね、いつも一緒に登校してるんだ。一郎太は?珍しいね、この時間に此処に居るとこ初めて見た」
「………ふーん、いつも一緒に、かぁ………………じゃなくてっ!円堂が忘れ物したって言うからさ、ちょっと待ってたんだ」
「嗚呼、守ね………律儀だね、わざわざ待つなんて」
「いつものことだからさ。急いで行ったからそろそろ………って、噂をすれば」




一郎太がそう呟いてすぐ、私たちが来たところとは逆方向の道から「すまん風丸ーーーー!!」と大声で叫ぶ守が走ってこちらへ向かってきた。見慣れた光景であるらしく一郎太は呆れた顔で守がやってくるのを見守っている。あんなに遠かったはずの彼はすぐにこちらへとやってきて、「ご、ごめん………!」ともう一度謝りながら膝に手を置いた。




「おはよ、守」
「お、おはよっ、葵!あれ、豪炎寺もいるじゃないか!おはよう!」
「おはよう円堂。中々しんどそうだな?」
「あはは、此処から家までダッシュで往復したからなあ……」
「何を忘れたの?」
「体操服!なーんかいっつも忘れちゃうんだよなあ………」
「此奴、部活の練習着を忘れたことはない癖に、体操服は忘れるんだぜ?」
「そうなんだ。ふふ、どうせなら部活の準備と並行してやっちゃえばいいのに」




守が息を整えるのを待って、今度は四人で歩き出す。自然と、守と豪炎寺が前列、私と一郎太が後列に回った。
然し、だ。その後も少し話は続いたけれど、そこから守と豪炎寺は何かサッカー関連の話に移ってしまったようで、私と一郎太は途端に手持無沙汰になる。何か話しかけようとした私だったけれど、一郎太の顔を見た途端、“この前”の出来事が頭の隅でちらついて、思わず顔が赤くなった。




――――あの日。
雷々軒から逃げてしまった私を追いかけてくれた一郎太は、私に手を差し伸べてくれた。私のことを教えてくれないか、と問いかけながら。そして私は、思わずその手を取ってしまった。あまりにも優しく、寂しそうな表情だったから、手を取らずにはいられなかったのだ。
「誰にも言わない」、そう言って約束してくれた彼に、私は涙をこぼしながらも話していった。両親のこと、祖母のこと、おばさんのこと………孤児院に捨てられ、今もそこにお世話になっていること。エイリア学園関連のことは、流石に話せなかった。何故一人暮らしをしているかについては、孤児院から雷門に通うのは遠すぎて不可能だからと曖昧に濁しておいた。どうしても此処に通いたかったのだ、と話せば渋々ながらも一郎太は納得してくれて。孤児院の経営者から生活費も幾分かもらっているので、生活の心配だってないのだといえば、少し安心してくれたようだった。




『お前が、親に捨てられてるなんて、俺、これっぽっちも知らなかった。今の今まで、全然気づかなかった。ずっと、お前の力になれたらいいのにって思ってたのに、な。このざまだよ。………あんま便りにはならないかもしれないけどさ、もし葵に何かあったら、直ぐ頼ってくれよな。お前、変なところで危なっかしくて、放っとけないんだよ』




一郎太はあの日の夜、そう言ってくれた。私の涙を拭いながら、安心させようとするかのように優しく私を抱きしめてくれた。私のことを本当に心配してくれているのだと身に沁みて感じたのはその時だったか。こんなに心配してくれていた幼馴染に私は何一つ話していなかったんだなあ、と思うと、どうしようもなく胸が締め付けられたのだ。
だから、私は抱きしめてくれる一郎太の背中に腕を回して、私からもぎゅっとしがみついて。彼と、約束してみようと思った。彼に、こんなに心配させるのは、なんだか、とても厭だったから。




『――――なら、約束するよ。もし私に何かあったら、出来る限り君に伝えるようにする。………だから、』




その先はもう言葉にならなかった。一郎太は私を一層強く抱きしめて、そして「ありがとう」とそれだけ言った。私たちは何も言えないままに少しだけそうしたままで居て。きっと、私はそのとき初めて、一郎太のことをちゃんと『幼馴染』として、『大切な友人』として、見ることができたのだと思う。
少し経って、どちらからともなく腕を解いたときに見えた一郎太の優しい、どこか安心したような笑みは――――ふと気づけば、今私の隣を歩いている一郎太の表情と重なっていた。




「――――でさ。……ん?どうした、葵」
「あ、――――………ううん、なんでもない。ちょっとぼうっとしてた」

ほんの少し立ち止まって、でもまたすぐに歩き出す。
一郎太は疑問符を浮かべていたけれど、「で、何の話だったっけ?」と急かしたら、すぐにそんな疑問は何処かへ飛んで行ってしまったようで。「ちゃんと話聞いとけよな」と微塵も怒っていない表情で言って話を再開する。私も彼も仄かに顔が赤いのは単なる期のせいなのだろうか、分からないが、それでも以前より親密になったと肌で感じられるほどには、いつもより歩く私たちの間は狭い。
でもまあ、悪い気分では、ないな。そんなことを思いながら私は今度こそ話を聞くことにして、二人で談笑しながら学校へ向かっていくのだった。




「…………………」
「…………ん、豪炎寺?どうしたんだ?」
「…………ああ、いや、」




なんでもない、そう答えた豪炎寺の声は、私の耳に届くことなく消えた。




***




これまでの私はどうしようもなく迂闊だったのだと、今思えば後悔せざるを得ない。




「――――帝国のスパイが私だけだとは思わないことですね。ねえ、土門君?」




別に聞こうと思っていたわけではなかった。たまたま、サッカー部が皆で集まっているところが見えたから、何をしているのか気になって少し近づいてみただけ。それだけのはずだった。でもその言葉は、わたしに目を見開かせるのには充分過ぎるもので。
サッカー部の誰にも気づかれることのないまま、わたしはその場で立ち止まる。サッカー部の居る場所からは少し離れているけれど、それでも話し声は全て筒抜けで聞こえて来るような場所。彼らは私に気付くことなく、今冬海先生に呼ばれた土門を信じられないとでも言うように見つめている。土門も、以前私が声を掛けた時と寸分違わない様子で皆からの視線を浴びている。




「………そういや、土門さん、前は帝国学園に居たって………」




ふと、そう言ったのは一体誰だったか。その言葉は暗に冬海先生の言い分を信じると言うようなもので。そして、その言葉に同調するかのように部員からは土門を非難するような言葉が飛び出していく。冬海は爆弾を投下して満足でもしたのか、高笑いを上げながらその場を去っていった。その時に一瞬こちらへ薄笑いを突きつけたのは、気のせいか。私も厭な予感をひしひしと身体で受け止めながら土門を見つめる。土門は何も言うことができず、ただ冷や汗を頬に伝わせていた。




「馬鹿言うな!!」




然し、その負の連鎖を断ち切ったのは、矢張り守だ。土門を庇うようにして、前へと躍り出る。




「今まで一緒にサッカーやってたじゃないか!その仲間が、信じられないのか!?」




そうだ。仲間ならば、その言葉がまず初めに出てきて然るべきだ。皆、仲間を信じないでどうするの。
私は心の中でそう叫んだ。嘘であってほしい、そうも願っていた。………でも同時に、本当は判ってしまっていた。冬海が言っていたことが本当だということ――――………それが、私にとって如何いう意味を持つことであるかでさえも。




私の予想は、裏切られなかった。
俺は、土門を信じる。守の快活な笑みを受けた土門は、振り返って見つめてくるその瞳から逃れるかのように俯いて、やがてぽつりと零す。




「円堂………冬海の、言う通りだよ」




その声は、ただただ震えていた。土門を見つめるサッカー部の瞳には、既に信頼など殆ど見受けられなくて。




「………っ、ごめんッ!」




土門は耐えきれなくなった様子で叫んでその場から逃げ出した。守は引き止めようと手を伸ばすが、それは空しくも虚を掴む。そうして小さくなっていくその背中からは、守の信頼を裏切ってしまったことへの背徳感が滲み出ていた。




(――――追いかけなくちゃ)




このまま土門を放っておけない、という気持ちも確かにある。けれど、今の私にはそれ以上に、彼を追いかけなければならない大きい理由がのしかかっていた。兎に角、早く彼と話をしなければならない。もう、遅すぎるのかもしれないけれど。
呆然と佇む雷門サッカー部の隣を走って通り過ぎると、私を引き止める声が聞こえた。私は振り返らなかった。




***




「――――っ、土門っ!」




遠くにあった土門の背中がようやく大きくなってきたというところ、見慣れた河川敷に掛かる鉄橋の真ん中で、私は思いっきり彼の名を呼んだ。一瞬、私と彼の時間だけが、停止する。私の存外大きかった声に圧倒されたのか、走っていたはずの彼はびくりと肩を揺らし、立ち止まった。振り返って私がいることを認識した彼は、戸惑いを滲ませた表情で恐る恐る私の名前を呼ぶ。




「………か、神崎?」




完全に止まってこちらを驚愕の目で見つめる土門に、私は一歩ずつ近づいていく。反射的に逃げようとする彼。然し私の力強い瞳は逃げることを許さない。まるで縫い止められたかのように動けなくなった土門の前に立てば、彼の退路は完全に断ちきられた。




「…………きみ、帝国のスパイだったのね」
「っまさか、さっきの聞いて………!」
「別に責めたいわけじゃない。でも、ただ一つだけ聞きたいことがあるの。とても大事なことだから、嘘偽らずに答えなさい」





「――――
何処まで、言った

・・・・・・・・

?」





気付けば私は思いっきり彼の襟を引っ掴んで顔をぐっと近づけていた。
至近距離で私の瞳を見てしまった土門が、ひゅっと息を止める。土門の動揺して揺れる瞳の中には、私の顔が映り込んでいた。いつもとは似ても似つかない感情の読めない瞳、同じ人物の筈なのに何処か大事なところが凍りついてしまっていて同じ人だとは思えない、その無表情。こんな表情をしたのはいつぶりだろうか、そんなことを考えながら土門を昏い瞳で見つめ続ける。土門は戸惑いと一種の恐怖を隠しきれずに黙ってしまった。




「君が今朝私に異様に怯えていたところを見れば、おおよその予測は出来る。一番の目的は、勿論雷門サッカー部の密偵でしょう。でも、君の目的はもう一つあった。………帝国の試合で出しゃばった、ある一人の女子生徒の情報収集………違う?」
「っ……………」
「無言は肯定と見なすよ。………この推測が正しいのなら、きみの怯え方を見る限り、私の情報は既に君の、君達の総帥に渡した後なんでしょうね。さっきも言った通り、私はきみを責める気はない。ただ、君が私の情報を流した、その内容を知りたい、それだけなの」




私はそれだけ言って、彼の襟を手から離す。彼は知らず知らずのうちに呼吸を止めていたのか、手が離されるとげほげほと激しく咳き込んだ。まあ仕方ない。それが終わるのを少し待ってから、無表情を解いて、安心させるかのように小さく笑みを浮かべて土門を見る。少し手を伸ばしてそっと彼の肩に手を置けば、彼はぴくりと小さく肩を跳ねさせたけれど、先程より怯えは治ったようだった。




「………教えて、くれるよね?」




後押しするかのようににこりと微笑む。それがとどめだった。
数秒の沈黙が続いた後に、土門は諦めたように一つ小さく溜息を吐いて、そしてぽつりぽつりと答え始めた。




「………確かに、俺はお前の調査を任されていた。総帥は帝国と雷門の試合で、神崎に目を付けてたんだ」
「………やっぱり、目を付けられてたか」
「そりゃあんだけ派手にやったらな。正直、豪炎寺とお前だったらお前の方が食いつかれてたよ。………お前の調査を任された俺は、まずネットで調べようと思った。あれだけ強い選手なら、きっと何処かで名の通った選手だろうと推測したからな。…………だが、」
「その情報は出て来なかった。………でしょ?」




遮るように、さも分かっているかのように口に出せば、彼は一瞬目をぱちくりとさせた後、小さく頷いた。




「………嗚呼。全く出て来なかった。何処かのチームに所属してるなら、何かしらネットで引っかかる筈だと踏んだんだけどな。………でもまあ総帥相手にそんな報告なんて出来ないからさ。俺は
雷門

ここ

に潜入するついでにお前の情報を漁ったわけだ」
「………それで?その内容は?」
「情報っつっても軽いもんだと思うけど……」
「君の意見は聞いてないよ。君にとっては重要じゃないものでも、私にとっては致命的になることだってある。貴方の総帥に流した情報は全部言って」
「分かった、分かったよ。…………身長と体重、血液型、住所、現在/いまのクラスと出席番号、家族構成。あとはイタリアから来たってことと、円堂と風丸の幼馴染だってことくらいか?………ああ、ポジションは恐らくFWってこととか、でもそれくらいだ」
「…………………」




思わず冷めた目で土門を見る。いやいや思いっきりプライバシーの侵害だろう、と思うのは私だけか。身長や血液型はまだいいが、体重や住所を他人に知られているというのはかなり気分が悪い。ていうか帝国の奴らが住所を知っていたのは、此奴が流したからだったのか。色々思うところはあったが、ひとまずそれは置いておくことにする。因みに私に睨まれた土門はさっと目を逸らしていた。どうやって調べたかについては聞かない方が良さそうだ。




(――――守と一郎太の幼馴染だった、という情報が回ったのは厄介だな)




土門の話をまとめるため、暫し黙考する。
彼処の総帥は見たことがないけれど、正直かなりきな臭い印象を持っている。そもそも、別に暴力を望んでいるわけでもない帝国のメンバーにそれを強要している辺り、良い人でないことくらい分かる。鬼道がわざわざ忠告してきたことからもそれは間違いないだろう。
そして、何故か雷門に執着している節がある。突然全国でもトップである帝国が練習試合を申し込んだこと然り、その後の試合を偵察に来ている鬼道たち然り、わざわざ密偵まで送り込んでいること然り。
先程の冬海の件もよくよく思い出してみれば、決勝戦へ向かうためのバスに細工をしていたらしいし、雷門に良い思いは抱いていないことは明白なのだ。そしてその雷門に通う私のことだって良くは思っていないだろう。




姉さんに頼んで、私の情報は安易に漏れないよう細工してもらっている。かなり厳重に罠を張り巡らせている筈なので、普通の方法では私についての情報は出て来ない。だが、逆算するなら話は別だ。
守と一郎太の幼馴染だった、そしていまの家族構成は一人という情報から孤児院出だということを突き止められれば、そこから情報が漏れる可能性は、十分有り得る。
密偵まで送り込んで情報を探っている奴がそんな情報を掴めば、どうなるかなんて火を見るよりも明らかだった。




「………おい、神崎」
「………あ、ごめん、ちょっと考え事してた。……それで流した情報は全部なんだね?」
「ああ、そうだ。………なあ、お前、なんでそんな情報が漏れるの気にして――――」
「――――ふふ、そんなこと、密偵に言うと思う?」
「………っ、」




土門の顔が強張るのが見てとれる。私は、ただ笑っていた。笑っていたけれど、目は全然笑っていなかった。
数秒沈黙が続く。土門がまた冷や汗をかき始めて、私は仕方なく笑みを解いた。別に怒ってるわけでもないのに、彼を変に緊張させるのも可哀想だった。




「………ごめん、いまのはすこし揶揄っただけ。でも、本当に理由は言えないんだ。私にとって理由を言うことは、情報を漏らすことと同義だから。もし土門が密偵じゃなかったとしても、もし此処に居るのが守や一郎太だったとしても、私は口を閉ざすよ」
「………、そっか」
「それに私ね、別に君が密偵だったことを怒ったりしてないんだ」
「は?………なんで」
「だって、土門が密偵だったとしても、土門にはやらなきゃいけない理由があった。……それだけなんだもの。許すも許さないも何も、情報が渡ってしまった以上もう意味のないことだから。君を責めても、仕方ない」
「……神崎」
「それに、冬海先生のことを告発したってことは、もう密偵はしないんでしょう?」




そうじゃないの?そう言って微笑むと、数秒目を見開いて固まった後にまた溜息を吐いた土門は、すっかり毒の抜かれた様子でがしがしと自身の頭を掻くと、「そう、だな」と半ば掠れた声で呟いた。もう台詞の節々に、嫌な感情は一つも見当たらなかった。




「なら、いいの。………情報を流した張本人に言うのもあれだけど。まあ、その、ありがとね」
そう苦笑すれば、何を言っているのだ、と土門は首を傾げる。そりゃそうか、と思って私は眉をへにゃりと下げた。
「どの情報が流れたのかさえ知っていれば、まだ対処する余地はある。そりゃ、土門が情報漏らさなかったらこんなことにはなってないのかもしれないけど………遅かれ早かれ、こうなっていたかもしれないから」




帝国の総帥に目を付けられたのは、完全に自分の落ち度だ。土門に押し付けていい責任じゃない。鬼道だってちゃんと忠告してくれていた。こうなるかもしれないということだって、十分予測可能な筈だった。




「………ごめんね、引き留めて。じゃあ、私はもう行くよ。やらなきゃいけないことが出来た」
「………こっちこそ、悪かった」
「もう気にしてないよ。…………ああ、そうだ。これだけ言っときたいんだった」




彼に背中を向けながら、土門、とそっと呼びかける。なんだよ、と戸惑い気味に問いかけてきた彼に、私はふっと笑みを零した。




「案外、みんな優しいよ」




じゃあね。それだけ言って私はひらりと手を挙げる。立ち尽くす彼を放ったままにそのままゆっくりと歩き出せば、視界の先にこちらへ向かっている秋の姿が見えたから、私はひっそりと口角を上げた。ほらね。小さく呟いた声は隣を走るトラックの音に掻き消された。




***




柔らかな風が隣を通り過ぎていく。空が、蒼から綺麗な茜色へと徐々に色を変えていく。
次々と校門を通り過ぎていく生徒たちに紛れながら、私はひとりで彼を待っている。
本当は、もう帰るつもりだった。今日は特に真剣に練習に取り組んでいるだろうし、きっと部活の皆でいろいろ気合を入れているだろうから。私が掛けるべき言葉なんて、もう残っていないだろうと思っていたから。




(………でも、やっぱり、)




一言だけは、ちゃんと伝えておきたくて。
下校時刻を示すチャイムが鳴り始めてから少し。もうほとんど人がいなくなった校門に遂にその人は現れて。私は、小さく笑みを浮かべた。




「………、神崎?」
「……部活、お疲れ様、豪炎寺。……ね、一緒に帰ろう?」




私の姿を見つけて目を丸くした豪炎寺は、慌てて一緒に帰ろうとしていたサッカー部の数人に一言断りを入れてから、急ぎ足でこちらへ向かってくる。豪炎寺越しに見えた彼らはしょうがなさそうに、でも迷惑だなんて微塵も思っていないような温かい表情でこちらをそっと見つめていて。
豪炎寺が私の隣に並び、二人で家までの道を歩き始める。彼は私の方を見ると首を傾げた。




「神崎がこの時間まで学校に居るの、珍しいな。何かあったのか?」
「………ううん。ちょっと、豪炎寺に用があって」
「俺に………?」




ますます困惑した様子の豪炎寺が面白くて、「そんな大したことじゃないんだけどね」と言いながらくすくすと笑う。




「きみ、明日決勝でしょう。一言くらいは、応援したくて」




豪炎寺が少し驚いたような顔をして――――かと思えばほんのちょっぴり、嬉しそうに笑みを浮かべるところが見えて。私も思わずうれしくなりながら、言葉の続きを紡ぐ。




「まあ、まだ地区大会だけどさ。相手は、帝国学園なんでしょ?因縁の相手が決勝の相手、だなんて、これも何かの運命だよね。相手にとって不足なし、だよ」
「…………そう、だな」
「私は前とは違ってもう居ないけれど、今度は豪炎寺もスタートから居るし。………何より、皆すごく上手くなったから。だから、君なら――――君たちなら、きっと勝てると思う」




にこり、と笑って豪炎寺を見る。豪炎寺も私を見つめ返してきてくれて、そして力強い笑みでこくりと頷いてくれた。




「明日は、観客席で応援してるから。…………頑張ってね」
「ああ」




それだけは言っておきたかったんだ、と笑えば、豪炎寺は優しい瞳でありがとうと小さく言った。
そのまま、夕焼けに照らされた住宅街を、二人でゆっくりと歩いていく。周りには私たち以外誰も居ない、静かな空間の中を、わたしと豪炎寺は進んでいる。穏やかで心地良い沈黙が私たちの間を包み込んでいた。二人でそうして歩いていくうちに、気付けばもう私の家の近くを歩いていて。



その時だった。その沈黙は唐突に豪炎寺によって破られた。
彼は道の途中で立ち止まって、そっと私の名前を呼んだ。少し俯き気味の彼の表情は隣からでは窺えないままで、私も彼の隣で立ち止まって。微かに笑みさえ浮かべたままで、私は「なあに」と、それだけ言う。私たちの間には変わらず、穏やかな空気が流れていた。




沈黙の続く約数秒。私がそっと瞳で話すように促すと、豪炎寺は何かの覚悟を決めたかのように、小さく息を吸った。




「……神崎。もし、帝国に勝ったら………その、名前で、呼ばせてはくれないか」




その言葉に、一瞬私は固まった。そんな言葉が出てくるとは思っていなかったから。
何も言わない私に不安を覚えたのか豪炎寺はそっと私の表情を窺っている。わたしはその言葉の意味するところを理解すると同時に――――嬉しくて、思わずふにゃりと破顔した。




「なんだ、そんなこと」
「……おい、そんなことって―――」
「そんなこと約束しなくたって、いつでも名前で呼んでいいのに」




豪炎寺の顔が驚きに染まる。私は嬉しさを堪えきれずに微笑んでいる。
そんなことをわざわざ約束しようとする豪炎寺が可笑しくて、でもとても嬉しくて。どうしようもなく、笑みが零れた。




「………うん、でも、それできみが、きみたちが帝国に勝てるなら、いいよ。………約束」




わたしは右手の小指を差し出すと、そろりと豪炎寺を見やる。少し戸惑った様子の豪炎寺は、それでもそろそろと指を差し出してくれた。私が動いて、そっと小指を絡ませる。
にこりと笑って豪炎寺を見上げた。絡めた小指にぎゅっと力を込めた。




「絶対、勝ってよね」
「………ああ、絶対」




ほんのりと赤い頬は、夕陽が照らしているせいか、それとも。
静かな2人きりの約束を、ただ夕陽だけが見ていた。








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