第7章 負けん気強し、一年生!



守の祖父が書いた秘伝書がある、とは豪炎寺から聞いた話だ。




「秘伝書、ねえ……」
「なんでも、円堂のじーさんは昔、日本一だった雷門中サッカー部の監督だったらしい」
「へー、それ誰に聞いたの?」
「商店街にある、ラーメン屋さんの人」
「……なんでそんなことをラーメン屋さんが知ってるの……」
「……俺が知るか」




という話をしながら、二人して呆れながら帰ったその翌日のこと。
私は今、対峙している人物に薄く微笑まれ、面倒ながらも彼女の言葉を聞いている。




「今ならすごく面白いものが見られると思うの。一緒に行ってみない?」
「……雷門、夏美……」




彼女の手にあったのは、恐ろしく汚い字で書かれてほとんど読むことのできないノート。
恐らくは「秘伝書」と書いてあるのだろうが……。
それをひらひらさせている彼女は、今から理事長室に行くのだと言う。




(……雷門中サッカー部は、また何かトラブルを起こしてるのか……)




そうとしか思えない、何故なら雷門さんがとびきりいい笑顔でこちらを見ているのだから。
「で、どうするの?」と聞いてきた彼女に、私は少しうんざりしながら、それでも小さな声で「行く」と答えたのだった。




第7章 負けん気強し、一年生!




理事長室の近くの廊下には、わーわーと騒がしい声が響いている。
雷門さんの話では、彼らは恐らく、雷門さんにばれないようにこっそりと秘伝書を探しているだろう、とのことだったのだが。……全くそうは見えない。
理事長室の中をこっそりと盗み見ると、そこでは雷門イレブン(豪炎寺は何故かいない。恐らくは呆れて参加しなかったんだろう)が「金庫が開かない」だの、「物音を立てるな円堂!」だの、「ばれたらどうすんだー!」だの、隠すつもりなど毛頭ないのではないかと思わせられるほどの五月蠅さで話している。
流石は守が率いるチームだ、と逆に感心した私だったけれど、雷門さんが「もうとっくにバレてるわよ」と言ってひょっこりと顔を出したので、とりあえず私も雷門さんの隣に並ぶことにした。




「げぇっ、雷門夏美……!……と……、は?な、なんで神崎がここに……」
「こんにちは染岡くんと雷門サッカー部、きみたちはまた随分とおもしろいことをしているんだネー(棒)」
「お、おお……どうした葵?なんかいつもと様子が違うけど……」
「……君がもう少し危ない行動を謹んでくれたら、私も安心して元に戻れると思うんだけどね、守。そろそろきみたちはサッカー部の立ち位置を理解するべきだと思うよ……」
「な、なんかすまん……」




一郎太が妙に申し訳なさそうに謝ったところで、雷門さんがゴホンッと大きく咳払いをした。
皆が注目したことを確認した彼女は手に持っていた秘伝書を皆に見える位置に持ち上げ、ニッコリ(明るい笑顔なわけではない)笑った。




「貴方たちが探しているのはこれでしょう?」
「そ、それ!じーちゃんの秘伝書!!」




慌てて秘伝書を取りにかかった守に、笑ったままの雷門さんが秘伝書をさらっと手渡す。雷門さんが何にもなしですぐに守に秘伝書を渡したことが私にとってはとても意外で。そしてそれは雷門イレブンも同じだったらしく、代表して一朗太が小さく「……良いのか?」と問いただす。
しかし、彼女の返答はこうだった。




「ええ、構わないわ。だってそのノート、読めないんだもの」
「「「は?」」」




守が輝いた顔でノートをめくっていく姿を尻目に、雷門さんをみやる。
雷門サッカー部と私の視線を受けた彼女は、確信を持って笑みを浮かべていた。




「読めないって、……もしかして外国語で書かれてるとか?」
「……いいえ、違うわ」
「?なら、どうして」
「あのな、葵。あいつのじいちゃんのノートは……おっそろしく汚い字で書かれているんだ」




一郎太がそんなことを真顔で言うので、思わず苦笑し、「流石にそんな読めないほどってわけでもないでしょ」、と軽く受け止めた私だったけれど。




「あ、葵!お前も見てみるか、この秘伝書?!」
「うん、見てみたい、かも」
「じゃあこっち来いよ!すげえぞ、このノート!」




すげえぞ、ということは守は内容が分かっているのだろうか。そんなことを思いながら、秘伝書が読めないと知って落ち込む他のサッカー部員を差し置いて守のそばまで駆けていく。
そして、守の後ろからノートを覗き見ると。




「……え?……よ、読めない……」
「ん、そうか?こことか、ゴッドハンドの極意が書いてあるぞ?」
「なんとなく、手だなーってことは分かるんだけど……肝心の文字が全く読めない」




予想以上にぐっちゃぐちゃなノートで、私は思わず顔をしかめてしまった。
ノートの表紙に書かれていた「秘伝書」という文字はかろうじて読めたので、大丈夫かと思っていたけれどそんなことは全然なくて。どうやら、図と文字が入り乱れているらしい。 かろうじて手の絵がそこに書かれていることは分かったけれども、それ以外が全く読めない。雷門さんが「読めない」と確信を持つのも仕方のないことだった。




守が結構きらきらした目で秘伝書を読んでいたのでなんとなく期待していた部員もいたらしいが、彼らも私の言葉でかなり落胆してしまった。
その表情の変化が面白くて、思わずふっと笑みを溢してしまう。色々な反応を返してきてくれる彼らにもう一度笑って、私はおもむろに学園長室の扉を指さす。
そんなこんなで、彼らにとにかく一旦部室へと戻るように提案したのだった。




***




それから少し日が経った、ある日の夕方のこと。
私は、ふとした興味本位で鉄塔広場へと足を運んでいた。




尾刈斗中との試合で見事勝利をおさめ、無事フットボールフロンティア、通称FFに出場することになった雷門サッカー部。 そんな彼らの初戦の相手は、野生中というところに決まったのだとか。マネージャーの一人が学校のことを調べてみれば、そこは“ジャンプ力”が売りのチームらしく。高く飛んで、空を制する。その防御に豪炎寺のジュートが止められてしまう可能性が高いため、彼らのジャンプ力を超える、新しい必殺技が必要であるらしい。
そうして秘伝書を手に入れた末に、今回のキーパーソンに見事選ばれたのが、豪炎寺ともう一人――――守たちの後輩の一人である、壁山塀吾郎であったというわけだ。




坂を上り終え、鉄塔のところを覗き見ると、そこでは予想通り、豪炎寺が一人で何やら練習を行っていた。丸太のようなものを高いところから吊り下げて、それに届くように高く高く飛ぼうと踏ん張っている。しかし思ったように飛べないようで、何度も丸太からあと数センチのところで止まり、悔しそうに上を睨み付けていた。何度か着地も失敗しているらしく、服も泥だらけである。




――――しかし、それでも諦めずに練習を繰り返す豪炎寺の横顔は、夕焼けに照らされてとても格好良くて。




私は思わず一瞬立ち止まって彼に見入ってしまう。
だがそれもそう長くは続かず。自分が少し見とれてしまっていることに気づいた私は、思わず赤面しながらも慌てて足を動かした。




「ご、豪炎寺」
「……ん、ああ、神崎か。どうした、こんなとこで」
「さ、最近頑張ってるみたいだから、差し入れしようと思ってたんだ。一度、休憩したら?」
「……すまないな、助かる。なら、ベンチへ行こう」




着地した時を見計らって声を掛けた私は汗だくでこちらを見やった豪炎寺に、片手に持っていたビニール袋を掲げた。豪炎寺も長い間練習していたらしく、嬉しそうに微笑むと、近くのベンチを指して歩き出す。二人でベンチに腰かけると、私は鞄をごそごそと漁り、出てきたものをすっと彼に差し出した。




「これ、タオル。汗でべとべとして気持ち悪いんじゃない?使って」
「……ありがとう。用意してくれてたのか?」
「うん、まあ。豪炎寺、最近一杯練習してるみたいだったから。あんまり、根詰めすぎないでね」
「ああ、注意しておく」




タオルでがしがしと顔を拭いた豪炎寺に、先ほどコンビニで買ったスポーツ飲料とアイスを渡すと、私もその中に入っていたもう一つのアイスを手に取って、ばり、と包装を破って中からアイスを取り出した。見慣れた水色の棒アイスをぱくりと銜える。スポーツ飲料を一気飲みしている豪炎寺にも食べるように目で促すと、彼はほんの少し苦笑してから、それでもやはり嬉しそうにアイスを手に取った。




「それで、調子はどう?試合までに間に合いそうなの?」
「……微妙なところだな」




アイスの溶けかけた部分を舐め取りながら問いかけてみた私であったが、豪炎寺の返答は予想に反して暗かった。




「……でも、着地は綺麗にできていたし、高さもほとんどクリアしているんじゃ……」
「いや、まだまだ高さは足りないし、どんな足場でもジャンプできるようにしないと。だが、一番の問題は壁山だな……」
「壁山って、例の一年生?」
「ああ。あいつ……高所恐怖症らしい」
「………へ?」
「高く飛ぶことはそこそこできるようになったが、肝心の二人で合わせる練習に入ってから、思わず下を見てしまうようになって、うまく飛べなくなってしまったそうだ」




豪炎寺は深刻な顔をして俯く。やはり、このままではいけないと感じているのだろう。
だから彼は今、自分が足場の悪いところでも上手く飛べるようにと練習しているのだ。




「にしても、高所恐怖症ね……治る見込みはあるの?」
「……五分五分、だろうな。壁山も頑張っているし、円堂やほかの皆もできる限り手伝っているが……やはりジャンプをすると視界の端に地面が見えて、俺が踏み台にする頃には恐怖で体勢が崩れてしまっているんだ」
「………へえ………」




それは重要な問題である。
というか話を聞く限りだと、壁山が高所恐怖症を克服しないかぎり、試合に勝つことはかなり難しそうだ。




いくら毎日ずっと練習しているのだとしても、何しろ雷門中サッカー部はまだまだ始まったばかり。
地区予選の第一回戦だとは言えども、これまで大会に向けてずっと練習しているチームと雷門では、ブランクが長いのだろう。頼みの綱である豪炎寺も、単体では高さで負けてしまい、シュートを打つのは難しいらしいし。もう試合までは残り少ない。試合に臨む前に少しでもできるようにしたい、というのが豪炎寺の思いだった。




「………なら、付き合うよ」
「…………?」
「練習!せっかく大会に出られるんだから、勝利したいでしょ!……ほら、豪炎寺」
「ふっ………ああ、よろしく頼むよ」
「じゃ、さっさとアイスも食べて練習再開しよ!……ね?」
「……っ、そう、だな」




ぱっ、と立ち上がって、振り向きざまに柔らかく笑みを浮かべてそう言うと、数瞬遅れに豪炎寺がそう言葉を返す。
一瞬言葉に詰まったのが気になって軽く彼の表情をうかがうと、夕日のせいか、彼の頬は薄く赤に染まっているような気がした。




(……?熱……ではないか。あんなに一杯練習できるんだもんね)




まあ気のせいだろうと一人で納得する。過度の練習で体調を崩して、試合に出れなくなる方がダメだということは、エースストライカーさんも十分分かっているだろうし。そんなことを考えていれば、こちらを見上げ首を傾げた豪炎寺に「どうかしたか?」と聞かれた。大方、少しの間黙った私を不思議に思ったのだろう。いらぬ心配をさせてしまったか、と思った私は、すぐに首を振って「何でもないよ」と微笑んだ。




と、その時。




「お、やっぱやってたか!!おーい、豪炎寺ー!」
「キ、キャプテン、置いていかないで欲しいっすー!!」
「……守と、あれは……壁、山?」




幼馴染の大声に反応した私は、豪炎寺とともに、声がした方――――階段のある道へ視線を投げる。
すると程なくして、こちらにぶんぶんと手を振りながら、長い階段をダッシュで駆け上ってくる二人の姿が見えた。豪炎寺の名を呼ぶ守と、その後ろを、ヘトヘト顔で、それでも一生懸命駆け上がってくる壁山。ジャージ姿でやってきた二人は、私たちの元へ辿りつくと、肩で息をしながらもこちらへ話しかけてくる。




「豪炎寺、それに葵も!今から特訓するんだろ?俺らも入れてくれよ!」
「豪炎寺さん、俺、まだ高いのは怖いっすけど……必殺技、できるように頑張るっす!」
「円堂、壁山……」
「……なら、急がなくちゃね。もう大会は目の前なんでしょ、早く完成させなくちゃ」
「……っ、ああ!!」




豪炎寺が力強く頷いて、それに守と壁山も続く。
私は彼らに微笑むと、そのまま夜遅くまで必殺技の特訓を手伝ったのだった。




***




そして、試合当日。
守や一朗太、豪炎寺、秋などから誘われ、私は野生中へとやってきていた。どうやらこの学校は、雷門中と同じ地区にあるにもかかわらず結構深い山の中にあったため、さすがの私も学校を訪れるのには少し時間がかかってしまい。時間に余裕をもって家を出たはずが、野生中のグラウンドに着いたころには既に試合は始まっていた。……とはいえど、まだ試合が開始してから数分しか経っていないようだ。




しかし着いて早々に、一瞬固まってしまった。
何故か試合を観戦しに来ているらしい雷門さんが、野生中との試合を見守っているのだ。一瞬考えて、すぐに決断を下す。これ以上は目立ちたくないのだから、せめて彼女の視界に入らない場所で観戦するべきだ。
幸いまだ彼女と距離はあったので、すぐさま踵を返す。どこで見ようか迷ったが、グラウンドの周りには野生中の生徒が大量に張り付いているため、諦めて木に登って枝を椅子代わりに観戦することにした。野生中の生徒は全員制服を着用しているので、あそこに割って入ると逆に目立つのだ。




「よいしょ、っと」




軽く伸びをしてから、ひと思いに木を駆け上がる。音を立てないように気を付けながら、枝分かれしている部分に手を伸ばし、比較
的太くてしっかりとした枝に飛び乗る。そのまま静かに腰を下ろすと、私はグラウンドへと目を向けた。




――――押されているな。




瞬時に状況を把握して、心の中で淡々と呟く。壁山がDF として機能している……ということは、出来る限りいつも通りに試合を運びたいのだろう。イナズマ落としを習得することは、結局叶わなかったわけだ。野生中も、さすがに一年前に有名だったらしい豪炎寺には警戒を強くしているようで、雷門がオフェンスに回るとすぐさま豪炎寺に三人張り付いて防御を固めている。今の豪炎寺では、あれを振り切るのは難しそうだ。ボールを受け取った豪炎寺は数秒間相手を
出し抜こうとしたところで、フリーの染岡にパスを出した。が、しかし。




「っ、ぐ……!」




必殺技を放とうとした染岡を、巨体のDF が迎え撃つ。シュートを打てず吹き飛ばされた染岡は、コートを飛び出し壁に叩きつけられ、その場に蹲った。右足首を痛そうに手で押さえつけている。染岡の異変に気付いた秋たちはすぐさま彼の元へ向かい、すぐにベンチへと連れて行った。どうやら、試合続行は不可能のようだ。染岡の代わりに入るのは、目金ではなく、もう一人の方。見たことのない縦長な選手だった。




(……染岡がコート外。新しく入ってきたのがDF ポジに入るなら、いよいよ追い詰められてるな)




残るチャンスは未完成のイナズマ落とし。FW には、予想通り壁山が入った。……が、表情は暗い。それも当然で、この試合の命運
は彼にかかっているのだ。プレッシャーもひとしおだろう。
試合が再開する。戦況は変わらず、野生中が雷門中を押している。皆どうにか点を入れられるのを防いでいるが、これもいつまで
持つか。シュートを受け止めた守が豪炎寺にパスを出すも、壁山がジャンプできず、失敗。ボールはまた野生中の元へと渡った。




「……これじゃ、勝てないな……」




試合の流れは完全に野生中のもの。肝心のエースも封じられて、残る手段は一つだけ。なのに、その頼みの綱も切れかかってい
るではないか。ああ、今もほら。壁山はコート内で絶望感に駆られ、立ち尽くしている。あれじゃあ必殺技は完成しない。
はあ、と少し残念さを含ませた溜息が漏れる。万事休す、か。




その後も前半が終了するまでなんとかメンバー全員で相手を食い止めて無失点に抑えていたけれど。
皆前半とは思えないほどに疲弊しているのは、誰の目から見ても明らかだった。




ピ―――――ッ!




野生中のシュートを守がギリギリ防いだところで、前半終了のホイッスルが鳴る。得点は双方ゼロ、けれど追い詰められているのは
圧倒的に雷門中だ。木の上から俯瞰している私にも、ベンチへと戻っていく彼らが、激しく肩で息をしているのが遠目でも十分に分かってしまって。気づけば、私は握りこぶしをぎゅっと握り、思わず心の中で叫んでいた。




(……守、君の――――君たちのサッカーは、こんなものじゃないんでしょう……!君たちは、ようやくちゃんとサッカーができるようになったんでしょう……!?こんなところで終わっていいの!?ねえ、答えて、守……!)




野生中に完全に試合の主導権を握られた雷門イレブンの雰囲気の暗さに、このままではいけないんだと、守が皆の前に立って、必死に仲間を励ます。妹に良い報告をするためにも絶対に負けられない豪炎寺が、静かに守の隣に立つと、こんなところで終わっていいのかと選手全員に喝を入れる。先ほどの怪我で、無念にも試合に出ることのできない染岡が、自分の分まで暴れて相手を見返してやれ、といつもの力強い笑みを向ける。応援することしかできないマネージャーが、まだ頑張れると鼓舞する。すると、俯いていたはずの選手たちが一人ずつ、少しずつ、それでも着実に顔を上げていく。不安が渦巻いていたベンチに、少しずつ光が差し込んでいく。
そうだ、まだ点は入れられていない。




――――まだ、試合は終わっていない。




ホイッスルが鳴り、野生中のキックオフで後半がスタートする。雷門のポジションは変わらず、壁山をFWに出す体制だ。
不利な状況が重なって、もう雷門のメンバーも全員満身創痍で、勝機だってまだ見いだせていないはずなのに――――それでも、守は諦めない。
何度相手が攻めてきても、どれだけ痛くてもシュートを防ぐ守が、頭でシュートを防いだ衝撃で思わず倒れてしまったのを見て、秋がこらえきれずに半ば悲鳴染みた声で彼の名前を呼んだ。
……しかし、あんなに痛そうにしているのに、それでも。まだ守は立ち上がる。




彼が手の痛みに顔を歪めたのを見て、一郎太が「円堂だけに頼りっぱなしじゃいけない!」と仲間に向かって叫んだ。中一の面々がそれに頷き、三人ほどで一斉に野生中のボールを持つFWにとびかかっていく。野生中の身体能力・サッカー技術は確かに雷門イレブンに勝っているけれど、複数人で防がれれば、そのアドバンテージが薄くなるのも道理である。
ゾーンプレス――――複数人が一人につき身動きを取らせなくするその戦術を、彼らは意図せずに使っていた。
複数人で対処するのだから、相手も攻めきれず、結果ボールを奪うこともできるだろう。その戦術は傍から見れば、とても良い戦術のように見えるかもしれない。しかし、そんな有効な手段なのに、何故相手チームは使ってこないのか、その理由は明白である。




(……体力が持たない。なにせ前半から攻められっぱなしだからな……持ちこたえられるか……?)




そう。ゾーンプレスは相手に複数人でプレッシャーを与える戦術である。ボールを持つ相手が変われば、必然的にその相手に追随していかなければならない。しかし、それを行うには一人が何度もディフェンスを行うことが絶対条件なのだ。
つまるところ、このゾーンプレスはかなり体力を要する戦術だった。
前半終了直後にあれだけ疲れていた雷門にゾーンの疲労が加わって、彼らの体力は既に風前の灯火である。しかしそれでも諦めずに踏ん張った雷門は、ついに野生中からボールを奪った。





ボールを持った一郎太がすぐに豪炎寺へとパスをつなげ、奪われた野生中のFWが数コンマ遅れでそれに着いていく。
動揺した野生中の動きはそこまで早くなく、かなり有利なシュートチャンス。
しかし。




「壁山ッ!!」
「俺には……俺にはやっぱり無理っす!!」




休憩中に一度は顔を上げたはずの壁山は、まだ立ち上がることができない。
まだ、怖いのだ。高いところから下を見ることも――――仲間の期待に応えられないことも。
豪炎寺の決死の呼びかけに応えなかった壁山はとうとう地面に膝をつく。その様子を見た豪炎寺はそれでも一人で立ち向かおうとするが、すんでのところで相手のキャプテンに追いつかれ、ファイアトルネードが防がれた。試合の流れがもとに戻る。




(嗚呼……わたしが――――)




そうしてそんな彼らの姿を見て、私は思った。思ってしまった。食い込むほどに拳を握り、試合の成り行きを見つめる。
無理なことなんて完全に分かりきっていた。……それでも、そう思うしかなかったのだ。




(――――わたしが、あの場に一緒に立つことができたなら!絶対に、ここで終わらせなんてしないのに………!)




……だって、だってもったいない。
こんなに頑張って、こんなに短期間で成長して、勝利を掴むことのできるあと一歩のところまで来ているというのに、そのすんでのところで手が届かないだんて……絶対に、ダメだ。




叫びたかった。
諦めるんじゃない、と心の底から伝えたかった。
でも、私は叫ぶことができない。私の声は届けられない。
その時だった。




「目を開けろ、壁山!」




こんなに遠くにいる私にも、はっきり聞こえてくる声があった。
はっとしてすぐにグラウンドを見やる。グラウンドの中央付近で、膝をつく壁山に豪炎寺が叫んでいた。
豪炎寺の力強い声に背中を押され、目を開いた壁山の目には一体何が映っているのか。
二人は小さめな声で何かを話し始める。しかし、如何せんグラウンドから離れている私には断片的にしか聞き取れない。でも、それでも、豪炎寺と話をしていくうちに、壁山の目が、何の希望も持てなかった暗い目が、少しずつ変わっていくのだけは見て取れるのだ。
そんな中、豪炎寺に後押しされた彼が今必死に見つめているのは――――




「皆が必死になってとってくれたボールは、絶対に、取る!!!!」




――――守だ。いろんな人に勇気を与えられる、守。




いつのまにか、雷門の決死の戦略も、後半終了が近づく最後の数分で体力が尽きてしまったらしい。相手のFWは一気にゴール前まで上がっていく。FWによって打たれた、必殺技で強化されたシュートが、守に向かって突っ走る。ボールにほとばしる閃光が、ゴール前を突っ切っていく。しかしそれにもめげずに守は大きな手を出して――――瞬間、その手に宿る黄金色の魂。




「『ゴッドハンド』!!」




バシン、という威勢のいい音を響かせて、野生中の渾身のシュートはしっかりとその手で受け止められた。
そうしてボールを持った守が嬉しそうに笑う。なぜなら、見てしまったからだ。――――あんなに暗かった壁山が、その目に力強い意志を宿しているところを!




「壁山!!」




守のパスが大きく飛んで、センターラインより前を走っていた壁山に繋がる。相手のFW・MFは先ほどの攻撃で前に出てしまっていたため、完全に壁山の後ろだ。壁山と豪炎寺はお互いに目を合わせると、そのまま猛ダッシュ。DFを目の前にした彼らは、ついに必殺技を繰り出す。




豪炎寺が高く飛びあがり、それに壁山が追従する。
豪炎寺の背後に潜む相手のキャプテンが薄暗い笑みを浮かべるのを見た壁山は――――なんということか、身体を空へと向けたのだ!驚いたような顔をした豪炎寺が、一瞬にして楽しそうな笑みを浮かべ、その腹を使ってさらに上へと舞い上がる。相手のキャプテンが驚愕する顔がはっきりと見える。ボールが稲妻に包まれる。
そして。




「これがオレの、イナズマ落とし―――!!!」




相手のGKは手を打つことができず、ゴールに彼らの放った強烈なシュートが叩き込まれる。
と、そこでホイッスルが鳴った。




ピ―――――ッ!!




1-0、雷門の勝ちである。




(……そっか。雷門は、ちょっとずつだけど……でも、しっかり前に進んでるんだね)




壁山と守が後先を考えずに思いっきりハイタッチをして、守がハイタッチで先ほどよりさらに腫れ上がった手のひらを痛そうにさすっているのが見えて、思わずふふっと笑みが漏れる。敵陣に囲まれたこのフィールドの中で、しかも初めて出場した大会の一回戦を見事勝ち抜いたのだ、気分が高揚するのも仕方がないだろう。
と、その時、急に豪炎寺がこちらの方を振り返った。




(……?…………、もしかして、こっちみてる?)




軽く首を傾げながら手を振ってみれば、驚くべきことに、彼は誰にも気づかれないような小さな素振りで手を振り返してきた。
彼の居る場所から私の居る場所は遠いし、そもそも私は木の枝に座っているのだからほとんど見えないはずなのだけれど。どうやら彼には私の居場所などお見通しだったらしい。動体視力良すぎだろ、と感心を通り越して呆れる私。




でもまあ、バレたのならば仕方がない、と私はトンッと軽やかに木から飛び降りると、ほんの少しだけフィールドに近づいた。
自然とこっちへ向かって来ようとする豪炎寺に、シィーっと人差し指を唇に当ててジェスチャーで止まるように言うと、不思議そうな顔をしながらも止まってくれる。そういうところが豪炎寺の良いところで、いい案が思いついた私にとっては大変都合が良い。




ふと彼の近くに居るメンバーを見れば、誰も私に気づいている様子のひとは見受けられなかった。それならば、と心の中で呟くと、雷門のメンバーでただ一人こちらを見つめる豪炎寺に笑いかける。疑問符を浮かべる彼に向けて、声を出さずにこう言った。




(お)
(め)
(で)
(と)
(う)




本当に楽しそうににっこりと、花のように純粋に笑う私を軽くぽかんとした顔で見やった豪炎寺。彼は、やっと理解したのだというかのように数コンマ遅れでぼっと顔を赤くすると、慌てて顔を背けた。どうやら、クールで有名な豪炎寺にも照れることはあるらしい。これは新たな発見である、と私は内心でほくそ笑む。
フィールドでは、豪炎寺の様子がおかしいことに気づいた秋が彼に話しかけていた。大方、どうかしたの?と言っているのだろう。何でもない、と取り繕う豪炎寺は耳まで赤くしていた。こんな豪炎寺は珍しすぎて、こちらが逆に戸惑いそうになる。しかし、これだとすぐにほかのメンバーも豪炎寺の異変に気が付くはずだ。
そろそろ私がいるのが気づかれるのも時間の問題だと判断して、早く離れようとフィールドに背を向ける。
豪炎寺の反応はまだ気になるけれど、私が見つかれば雷門内で軽く騒ぎが起こるだろうから、あまり私が試合を見に来ていたことは知られない方がいいだろうと思ったのだ。




そんなこんなで。野生中から帰る道中、豪炎寺の先ほどの顔を思い出した私は、したり顔でクスクス笑いながら、守たちをどんな内容のメールで祝ってやろうか思案を巡らせるのだった。




(でもさ、豪炎寺)
(おめでとうでそんなに顔赤くされると逆にこっちが照れるんだけど)






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -