第4章 稲妻総合病院で。



「豪炎寺」
「……神崎、か」
「もう、サッカーはしないの?」
「ああ、今日だけだ。……もう、サッカーはやめたんだ」
「………本当に?」
「………」
「……いや、なんでもない、気にしないで。明日から、友達としてまたよろしくね」
「……ああ」
「じゃあね」





『また、明日』





第4章 稲妻総合病院で。




そんなこんなで帝国との試合は終わり、私たちはいつもの日常へ戻っていく。
……というわけにもいかなくて。





「………」
「………」





試合終わりの、夕方。
私は鉄塔広場のベンチに腰掛け、隣で座って俯いている風丸が話し出してくれるのをじっと見つめて待ちわびていた。





――――……あとで、話せるか?――――





あの試合の後半が始まる前に、応急処置を終えた彼から言われた言葉。それを律儀に守って私は彼が着替え終わった後にこうやって鉄塔広場まで連れ出したのだが、肝心の彼はもうここに来てから数分経つというのに、一向に話してくれない。
仕方なく私はため息を吐くと、驚いて顔を上げた彼も気にせず話し出した。これ以上時間がかかってしまっては、また夕ご飯を作る時間が遅くなってしまう。





「……私さ、何を言われても多分どうもしないから。良いたいことあるんだったら、素直に言ってほしい」
「葵……」
「……あ、そうだ。忘れてたけど、今日の試合の時も私のこと名前で呼んでたよね。なんで?……確かに、どこかで見たことあるような気がするんだけどなあ……」
「そのことなんだけどさ……」





確かに、どこかで見たことのある顔なのに、はっきりと思いだせない。うーむと唸ってみれば、やっとのことで風丸が口を開いた。





「……お前って、円堂知ってるよな?」
「え、ああ……まあ幼馴染だったしね……って、その質問するってことは……もしかして」
「ああ。お前と昔何度も遊んだよな、円堂と一緒にさ」
「……一郎太?あの、泣き虫だった?」
「む、昔の話だろっ」





幼馴染。見つからないと思っていたのに、こんなに近くにいたなんて。そう思って目を見開いた。
風丸――――もとい一郎太が黒歴史だとでも言うように顔を赤くして否定する。ああ、確かに幼馴染であった彼も艶のある髪をしていた。髪が伸びていたのとあまりにも年月がたっていたために気付かなかったが、言われてみれば結構面影があるような気が……しなくもない。まあ既に守には会っていたので、一郎太にもきっと私が転校してきた話は彼を通じて伝わってきたのだろう。





「……それにしても」
「ん、どうした?」
「いや、昔の幼馴染にこんなにも早く再会できるとはなーって思って、さ」





正直、もう会えないと思ってた。
そう言ってはにかんで笑えば、途端に一郎太の表情は暗くなる。……でも、仕方がないのだ。
――――私は、本当にもう会えないだろうと踏んでいたのだから。
そもそも、お日さま園に引き取られた時点で私はここに戻ってくるのを半ば諦めていたし、ここに戻ってきた直後も会おうとも思っていなかった。会えたらいいなとか、その程度で。





(だってもう一度会えてしまったら、決意が鈍るかもしれないじゃない)





お日さま園のメンバーのことなどもう忘れてしまって、ここで静かに誰にも見つからないように幸せに暮らしたいって。そう思ってしまうと思ったから。イタリアに居た時も一度そんなことを考えたのだけど、二年もほとんど無償で住まわせてくれたアルデナ一家に悪いと思ったから、その時は普通に諦めることにした(彼らはずっと居てくれたっていいと言ってくれたが、それはさすがに罪悪感で押しつぶされそうになるだろう)けれど。フィディオとはもう再開の約束を終えたし、もうそんなことは考えないけれど。
私は、救わないといけない。富士の高嶺に置いてきてしまった彼らを、父さんを、ずっと助けてくれていた姉さんを。
そのためにも、まだここで決意を鈍らせるわけにはいかなくて。
なのに、会ってしまった。これもまた運命なのだと言うように、私は彼らと再び巡り会ってしまった。





「……もう、迷わない様にしなくちゃ」
「……何か言ったか?」
「ううん、何でもない」





頭の中ではちゃんと分かっているのだから、大丈夫。
脳内でそっと念じてから、不思議そうに首をかしげた一郎太にふるふると首を振って誤魔化す。
如何に幼馴染と言えど、親友と言えど、大切な相棒と言えど。彼らには何も言うわけにはいかないし、巻き込みたくない。だから、隠してる事実があるということもバレてしまわない様に隠さなければ。





「さ、話は終わり……だよね。私、夕飯の買い物があるから行かなくちゃ」
「あ、葵……!」
「昔の幼馴染にまた会えるとは思っていなかったよ。ありがと、嬉しかった。じゃあね。また明日」





風丸が引き留めようとするのを気にせず、淡々と羅列を並べていく。いや、お世辞じゃなくて普通に本心ですけど。
言い終わると、隣に置いたスクールバッグを手に取ってベンチをから腰を離して。風丸に最後にもう一度手を振ると、苦笑いで手を振り返してくれた動作を確認して、たったと小走りで坂を下りていく。
今日は色々嬉しいこともあったから、いつもより夕飯を豪華にしよっかな。





「はあ……もっと、話したかったんだけどな……」





そんなことを考えて気分が高揚している私とは裏腹に、風丸は妙に気落ちした溜息を吐いた。





***





ようやく慣れてきた日常。
いつも通り一人で登校し、教室の扉を開ける。もう私の存在はこのクラスに溶け込めつつあるようで、既に来ていたクラスメイトの数名に軽く挨拶を交わすと、自分の席へと向かう。





「おはよう、豪炎寺」
「ああ、おはよう」





私の前の席に座って読書をしている彼に話しかけるのもいつも通りだ。
彼は読んでいた本から目を離すと、その瞳をこちらへ向けて薄く笑う。それに軽く笑い返すと、これまたいつもの通りに会話をし始める。
ただ、いつもと違うことがあるとすれば――――それはきっと、どちらも昨日の出来事には一つも触れようとしなかったことだろう。私も豪炎寺も、そのことだけは一言も発することはなくて。






彼の嬉しそうな顔がふと脳裏をよぎったけれど、すぐにサッカーを話すときの辛そうな表情を思い出した私は意図的にその話題を避けた。豪炎寺が何も言ってこなかったのは、きっと辛い表情をしたことと関係があるんだろう。





(豪炎寺がサッカーをやろうとしないのは……何故?)





彼に対してのそんな問いが、会話している間もずっとぐるぐると頭の中を巡っていた。





***





放課後、何もやることがないので帰ろうとしていたら、突然教室に入ってきたジャージ姿の秋に呼び止められた。
――――何故か、理事長代理として名高い雷門さんを引きつれて。





「……、どしたの秋」
「……ね、ねえ葵ちゃん、ついてきてくれないかな?」





嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
自分と仲の良い秋が珍しく、懇願するような瞳で、廊下で待ってくれている雷門さんに聞かれないように小声で頼んできたのだけれど。
彼女からここまで必死に頼まれるのは初めてで、それに戸惑った私は少し後ろにたじろぐ。





「えー…と、一応聞くけど、何処に?」
「サッカー部の部室」
「……何故」
「お願い!私ひとりじゃ心許ないの!」





(……ふむ)





彼女の申し出を聞いて一瞬どうするか悩んだ末に、私はとりあえず冷静に状況を考えてみることにする。
教室の扉の前からこちらを見つめてきている雷門さん。
彼女がいることを考えると、今から彼女を連れて部室へ赴くところなのだろう。用件としては昨日の帝国戦についての話と考えるのが妥当か。





「あー……うん、分かった。ついてってあげる」
「ホント!?ありがとう葵ちゃん!」





確かに、雷門さんの高圧的な態度から察するにサッカー部の誰かがキレて、彼女につっかかってしまうことは確実だ。それで彼女の機嫌を損ねて、またサッカー部が廃部危機に陥るところをみるのは、守が必死に頑張って部活をこなしているのを見ている私としては頂けないし。





(それに……あまりサッカー部には関わりたくなかったけれど、他でもない秋に頼まれてしまったしね)





彼女もきっと私が考えた展開になってしまうということを予想したのだろう。もしかしたらただ単に雷門さんと二人で行くのが気まずかっただけかもしれないけれど。
部室に行くことを了承すると、すぐに嬉しそうに笑った彼女に心が温かくなる。この笑顔が見れるのであれば少しくらいサッカー部に関わっても大丈夫だろうと思ってしまうくらいには私は彼女を“友達”として認めてしまっているらしい。





「………ふふ」





そんなことを思ってしまっている自分に気付いて思わず小さく苦笑すると、「じゃあ行きましょう!」と先程とは打って変わって笑顔を溢れさせて雷門さんを案内しようとしている彼女と、依然変わらぬ様子の雷門さんを追いかけて、彼らの居るサッカー部の部室へと足を向けた。





***





「雷門さん、此処がサッカー部だよ」





グラウンドの近くにある、慌ててつけられたような申し訳程度の大きさのサッカー部室。
その古いドアをがらがらと音立てて開いてみれば、そこには円堂を中心とした雷門メンバーが全員居て、皆は突然の来訪者に驚きこちらに視線を持ちかけていた。
隣に居た秋が「どうぞ」と苦笑いで言ったが、彼女は鼻をつまむと「……臭いわ」とだけ呟き部室に決して入ろうとしない。……サッカー部の怒りを買うのが好きなのだろうかと思わせるような態度に馬鹿らしさが滲み出ていて、思わず呆れた。





「こんなやつ、なんで連れてきたんだよっ」





沸点の低い染岡が真っ先に雷門さんに突っかかるが、喧嘩にならない様にという精一杯の配慮か、秋は苦笑いで「話があるんだって」と答える。その“話”という言葉に反応した守が無垢な表情で首をかしげた。
そんな彼を見やる雷門さんが、不敵な笑みを浮かべる。





「廃部だけは何とか逃れたみたいね」
「おう!これからはガンガン試合をやって強くなるつもりだぜ!」





(……皮肉を笑顔で言い返すとは……流石守……)





少し呆れた。
雷門さんも同じような顔を一瞬したが、すぐに先程の勝気の表情に戻る。





「次の対戦校を決めてあげたわ」
「……!!」





サッカー部全体に驚いたような嬉しそうな表情が走った。
しかしそれも当然だろう。つい先日までは廃部寸前でまともに練習もできず、しようともしなかったのに、すぐに試合ができるというのだから。
嬉しそうに皆でわいわいと盛り上がる姿を雷門さんは高圧的な態度で満足そうに視界に収めながら、「相手は尾刈斗中よ」とだけ言うとさっさと部室を出て行く。まともに聞いていたのは苦笑している秋と呆れた様子の私達二人だけだった。





***





彼らはそのまま練習に向かうそうで。
部員でない私はそこで一旦彼らと別れ、秋に「ありがとね!」と笑顔で見送られながらも部室を出ることにした。
そんなわけでぼろいサッカー部室のドアを開け、そのまま校門へ向かおうとして――――ふと視線を向けた先に“彼”がいるのを認識して、思わずぴたりと足を止める。





「……あれ、豪炎寺?どうしたの、こんなところで」
「神崎………」





疑問をそのまま言葉にして彼の名前を呼べば、彼がかすれたような声で私の名前を呼んだ。
しかしいつもより弱弱しい声とその表情に驚いた私は、どうかしたのかとすぐさま彼に近づいて俯く彼の顔を覗きこむ。





「なにか、あったの?」





しかし、その返答は予想したものではなくて。





「……お前に、言いたいことがあるんだ。いま、時間はあるか?」





ずっと、ここで私のことを待ってくれてたのだと気付くのに、大して時間はかからなかった。
そして、俯き加減だった顔を上げた彼の瞳が、決意をした人の瞳になっていることにも。
だから――――





「………うん、大丈夫。場所変えよっか」
「ああ。……着いてきてほしい場所があるんだ」





ほっとしたように微かに微笑んだ豪炎寺は、私の手を掴むと――……校門に向かって歩き出した。





(え、もしかして手つなぐの??ちょ、待ってそれは恥ずかしいというかなんというか)





密かにそんなことを考えて仄かに顔が熱くなっている私だった。





***






豪炎寺に手を引かれたまま連れて行かれること約十数分。
突然彼の足が急にピタリと停止して、後ろを歩いていた私は思わず彼の背中にぶつかる。





「いたた……どうしたの豪炎寺、何か見つけた?……ってあれ、ここは――――……」





彼が静かに隣を見上げるのを見て、私も釣られて視線を上げる。
そこにあったのは、「稲妻総合病院」と書かれた、白く大きい建物だった。





***





「――――ここだ」





広い病院内を迷わずに進む豪炎寺に着いて行く。すると、不意にそう呟いたかと思えば、彼は一つの病室の前で足を止めた。どうやらそこがゴールらしい。ドアの前に備え付けられているネームプレートにははっきりと「豪炎寺夕香」と書かれている。





(豪炎寺と同じ苗字……もしかして家族?)





密かにそんなことを考えていると、先に中に入っていたらしい豪炎寺が部屋の中からひょっこりと顔を覗かせ「入ってくれ」と言う。彼のその動作に遅れて気付いた私は慌ててその病室に入れてもらい、条件反射で病人の居るであろう前を見てしまい――――そして固まる。
かたまるのも仕方のないことだったのかもしれない。何故なら、それは確かに私にとって驚愕の事実だったのだから。





……私の視線の先に捉えたのは、一人の――――寝たきり動かない、まだ幼い少女だった。



「……!この、子、は……」





予想外の光景に思わず目を見開いた。そんな私の反応を静かに見ていた彼が、小さな声で呟く。





「豪炎寺夕香。……俺の妹だ」





隣に置いてあったガーベラの花が、風に吹かれて揺れた。
















「い、もうと……?でも、なんでこんなところに」
「一年前、事故に遭ったんだ。俺がまだサッカーをしていた頃……この時期の、丁度フットボールフロンティアの決勝戦が始まる直前だった。俺はレギュラーで、応援しに来てくれようとした夕香は、来る途中トラックに轢かれて……っっ!」





私の言葉を急に遮った彼は、とても辛そうな表情で話をしてくれた。
その後、試合を出ずに直接病院に行ったけれど、手術中で無事であることをただ祈るしかなかったこと。自分が居なかったせいで決勝戦は敗北してしまったらしいこと。妹は何とか一命は取り留めたけれど、その時から一度も目を覚まさないこと――――。





「だから、夕香が今苦しんでいるのに俺一人が楽しくサッカーをしているなんて、許されちゃいけないんだ……!」



悲痛な表情でそう言い切った豪炎寺は、そのまま俯いて目を伏せる。
でも、その台詞になんだか違和感を覚えて、私は首をかしげた。





「……妹さん、夕香ちゃんは豪炎寺の試合を見に行こうとしたときに事故に遭った……んだよね?」
「……ああ」
「妹さんは、サッカーが好きだった?」
「……ああ。俺のサッカーをしてる姿が一番格好いいと、いつも笑顔で言ってくれてたよ」
「…………、」





懐かしむように天井を見上げた彼の表情に、微かに苦笑が滲む。その瞳は涙をこらえているいるような必死なもので。
だから、その光景を目の当たりにしてしまった私は、数秒の沈黙の後、思い切って言葉を投げかけた。
そうしないと、目を覚ますことのできない夕香ちゃんになんだか悪い気がしたという理由もたしかにあったのだけれど。
それよりなにより、ちゃんと気付いていてほしかったのだ。





――――豪炎寺が先程自分で言った言葉が、完全に矛盾していることに。





「……ねえ、豪炎寺」
「……、なんだ?」
「怒らないで聞いてね。私は……、貴方の考え方を快く思うことができない。貴方は色々と思い違いをしてるんじゃないかなって、そう思う」
「……っ!?なんだと……!」





がたり、と椅子から立ち上がる。次いで急速に辺りの空気が冷えていく感覚に襲われて。






(ああ、怒っているな)






単純にそう思った。そして彼が困惑しているということにも、すぐに気が付いた。
でも彼がきっとそのような反応をするのだろうなということは既に予想がついていたので、私があまり驚くことはなく。
その代わりにふるふると首を静かに振ると、私のことを鋭く睨んでいる彼の手を、そっと両手で包み込んだ。それと同時に彼が強く握りしめていた拳からはすっと力が抜けていき、雰囲気が幾らか柔らかくなる。勿論、それだけで一瞬で張りつめた緊張感がなくなったわけではないけれど。





「別に、その考え方を否定しようとするわけじゃない。貴方が責任を強く感じることを『間違っている』だなんて言うつもりなんてない。でも、夕香ちゃんは言っていたんでしょう?『貴方のサッカーが好きだ』って。なら……いま豪炎寺が取っている行動で彼女は本当に喜ぶの?」
「……っ」




彼が、目を見開く。そして瞳を閉じたまま、ずっと安らかに寝息を立てている彼女におもむろに視線を向けたのを見て、分かってくれたんだなと、なんとなく思った。
もういいだろうとぎゅっと握りしめていた手を解くと、動くようになった彼の手は、小さく震えながらもまっすぐに向かって行き、やがて彼女の日焼けしていない肌に、そっと親指が触れた。





「夕香……」





彼は小さく、掠れた声で愛しい妹の名前を呼ぶ。
それを境に黙った彼が、ただただ彼女の頬を優しく撫でているのを、私は隣でずっと見つめていた。






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