第2章 対等に戦うために

「あ、そうだ!豪炎寺!」



再会の挨拶もほどほどにして、守は前の席で静かに読書をしている豪炎寺の前に立った。
まあ、何をやるかは簡単に想像がつく。
大方、私にもしたように豪炎寺にも猛烈にサッカー部に勧誘するつもりなんだろう。



「昨日のシュート、すっげえ迫力だった!前の学校でもサッカーやってたんだろ?なあ、サッカー部に入らないか!?」



……予想を裏切らない守である。きらきらと輝いた、まるで確信までしているような力強い瞳で彼をじっと見つめるが、しかし。



「………サッカーは、もうやめたんだ」



豪炎寺は、ふいっと守から目を逸らすとそう言葉を零した。
困惑したように守が「そんな、やめるなんてどうして……」と呟くが、彼はそれに答えるつもりなどないらしく、窓の向こうの景色を見つめている。守の方は見ようともしない。



「俺に、構うな」



そう言った豪炎寺の表情は少し辛そうで、それを見た守も何も言えなくなってしまう。
悲しそうな顔で豪炎寺を見つめる彼を見ていると、「サッカーを嫌ってほしくない」という彼の心情が窺えるような気がした。



「おい、円堂!」



その時、後ろから幼馴染を呼ぶ声が聞こえて。振り返るとそこに居たのは茶髪のクラスメイト。先程の授業で先生に問題を当てられていた人だ。
小声で秋が「サッカー部の半田くんだよ」と教えてくれた。



「冬海先生がお前を呼んでる。校長室に来いってさ」
「校長室?」
「ああ、大事な話があるらしい。……俺、嫌な予感がするんだ……例えば……サッカー部の廃部の話、とか」
「廃部!?」



サッカー部の勧誘に勢いが乗って来たはずが、廃部の話し合いとは。
まだそれと決定的に分かってはいないといえど、そのような物騒な話が出るのはやはりその疑いが前からあったからか。隣に居た秋が半田の台詞を聞いて「そういえば私もそんな噂聞いたことある……」と小さく零した。
確かに、雷門中のサッカー部は強いどころか正式に試合ができる11人にさえ達していないとは聞いていた。だが、それでも頑張って練習に取り組んだりしていればこのようなことには滅多にならない、はず。
……練習をしていなかったのか………?
ならば、勧誘など何のためにしているのか。
次々と疑問が頭の中に浮かび上がる中、話を聞いた守は憤慨し始める。



「サッカー部を廃部になんかさせるもんか!」



一言叫ぶと、彼は怒りで顔を真っ赤にさせながら、教室を出ていく。
きっと向かったのは、校長室だ。



彼がいなくなり、静かになった空間。豪炎寺は先程のことを気にする素振りもなく、何かを逡巡したあと、結局読書に戻ってしまう。それを見て話すことも相手もいなくなってしまった半田は、「……席に戻るよ」と一言だけ言って帰ってしまい。



「円堂くん、大丈夫かなあ……何かまた大変なことにならなければいいけど……」



教室に響く秋の心配そうな声が、私の心の中を侵食していく嫌な予感をさらに煽っていった。



第2章 対等に戦うために



「打倒帝国学園だっ!」



放課後になると、憤慨した様子の守はそう言って教室を出て行った。



「帝国?」



聞き覚えにない言葉を聞き首をかしげた私に、秋はこっそり教えてくれる。



「フットボールフロンティアの優勝校だよ。40年間無敗のサッカーの名門校なんだ」
「へえ………でも、そんな強い学校がどうして廃部寸前の雷門にくるの?」
「分からないけど、その帝国に何故か練習試合を申し込まれたらしいよ。それで、理事長さんが「負けたり、部員が11人揃えられない場合は廃部」って言ったんだって。それで……」
「守があんな風に怒ってた、と」
「うん……」



秋の表情が曇る。彼女もサッカーのことが大好きなのだろう。とても不安げな顔をしている。



「ありがとう、秋。部活、行くんだよね?」
「うん。でも皆、一緒にやってくれるかどうか……」
「………練習、していないの?」



昼休みに浮かんだ疑問の一つだったそれをぶつけると、彼女は静かに頷いた。
「どうして……」と理由を問えば、彼女は少し迷った後に思い切って話し出す。



「うちの部活の部員が7人なのはもう知ってる?」
「うん」
「あんまり話せるようなものじゃないんだけど、部員が揃っていないからグラウンドを貸してもらえないの……それで、部員の子達もやる気が無くなっちゃったみたいで、その……」
「……なるほどね……」



表情も曇るわけだ。引き受けても、部員に今の現状をどうこうしようという気持ちがないのであれば、たとえ守一人が頑張ったとしても仕方ない。
皆で精一杯頑張れば可能になるかもしれないことも、全員でやらなければ意味がない。
サッカー初心者の助っ人を掻き集めて試合に臨む場合の、元々いるサッカー部員などは、特に。



「……秋は、どうしたい?」
「え?」
「勝ちたい?負けてもいいから11人で試合に臨みたい?それとも、負けても別に良い?」
「……それは、やっぱり勝ちたいよ。でも、皆がやる気になってくれなきゃできないし、部員が……」
「………もし」
「?」



私は、俯いていた秋の顔を両手でふわりと包み込むと、そのままゆっくりと顔を上げさせて、そう言葉を切り出す。
本来の私の立場を考えれば手伝うわけにはいかなかったけれど、見ていると放っておけなかったのだ。
守も、秋も、サッカー部も。



「もしも、どうしても、本当にどーうしても、やっぱり11人まで人数が足りなかったとき。そのときは、私を呼んで。そのときだけって約束できるなら、私も試合に出る」
「……!神崎さん……!」
「でも、本当に人数が足りなかったときだけだからね。サッカーは事情があって本当はやったら駄目なんだけど。……だから、そのときだけ」
「うん………うん!」



秋の表情に光が差し込む。これで、少しでも彼女の力になってくれればいいのだけれど。出会ってから数時間しか経っていない私でもはっきりとわかる。
彼女は……素直で真っ直ぐな、とても優しい人だから。



「……秋は今から守を手伝いに行かなくちゃいけないんでしょ?部員の人も、説得しなきゃいけないし。さ、行ってきて」
「うん、本当にありがとう神崎さん!私、頑張るね!」
「……神崎さんじゃなくていいよ。普通に、葵って呼んでいいから」

彼女は私を苗字にさん付けで呼ぶのに、私だけ彼女のことを下の名前で呼び捨てているのは、なんだか違和感があって。
だから、下の名前で呼ぶように言ってみたのだが、すると彼女は感極まったように軽く瞳を潤ませながら「……じゃあ、今度からは葵ちゃんって呼ぶ!」と言って嬉しそうに笑った。



「うん。……改めてよろしくね、秋」
「こちらこそ!……葵ちゃん!」



先程と同じように、ぎゅっと手を握り合って握手をする。
それが、私の中で「秋」という存在が「転入先のクラスメイト」から「大事な友達」に変わった瞬間だった。



「………」



それを、豪炎寺がじっと見つめていたことなんて知らなかったけれど。



***



そうして守のサッカー部勧誘活動は開始した、らしい。「
らしい」というのは、かくいう私も人づて(という名の盗み聞き)に聞いた情報だからである。
部活に行く秋を見送った後、家の片づけが残っていることを思い出した私は早々に学校を出て帰路についていたのだが、行く道々での雷門中の人の噂の的となっていたのだ。すなわち、「弱小サッカー部のキャプテンが、必死に部員を集めているらしい」という話題で。



私が学校を出たのは確か4時過ぎ頃であったから、既に帰り始めている学生にこんなに広まるということを考えれば、守は本当に11人揃えるのに必死なのだろうということは、容易に想像がついた。



「はあ……やっぱり、此処から見る夕日は綺麗だなあ……」



そして今は、家に帰る前に一度夕焼け空が見たいと、鉄塔広場で空を眺めているところである。
今朝も此処に訪れたばかりなのだが、そのときに見たのは朝日。
私としては、やはり昔の記憶の中でも特に印象が強く残っている茜色に染まった夕焼け空、そして徐々に水平線の彼方へと落ちていく夕日を久しぶりに見たかったのだ。



そんな理由で、夕日を眺め始めて早数十分経つ。
私の景色を見つめる姿勢は、ずっと同じまま。手すりに肘を置いて、頬杖をついて。
段々オレンジ色を帯び始めた空は、色鮮やかに変わっていく。
先程まではまだ結構水色が残っていたのに、もうほとんど暖色に包まれてしまった。
しかし、この景色は何度見ても、何時間見ていても、全く飽きることなど無くて。
ぼーっとして眺めるのは、なんだかとても気持ち良い。最近はイタリアを離れるために色々準備をして忙しい日々が続いていたから、少しでもいいからゆっくりと過ごせる時間が欲しかったのも理由の一つかもしれなかった。
時々、少しずつ落ちていく夕日に気が取られすぎていて、吸い込まれそうになることがある。今も、そう。



それは、自分が落ち着いていられる、すなわち問題が起きることがなく、ただただ平和に日々が過ぎている数少ない貴重な時間で。嗚呼、なんて幸せな時間なのだろう。
このままずっとこの時間が続いてくれたら、いつかは絶対に解決しなければならない“あの問題”に、目を向けなければいけない日が来なくても済んでくれたなら………



「……っ!」



そこまで考えて、自身の考えていることに気付いてしまった私は、その考えを否定、打ち消すように首を大きく横に振った。今のは、完全に余計だった。
だってそんなことを考えるということは、“残してきてしまった皆”を否定するのと全く同義のことであって、そもそも私が――――……



ブーッブーッ



その時、一つの着信音がいつの間にか自己嫌悪に陥ってしまっていた私の意識を無理やりに引き上げた。



「……あれ、着信?」



元々、私の携帯にはほとんど誰も連絡先を登録していない。したがって、電話をかけてくる人物などかなり絞られてくるわけだが。瞳子姉は今朝会ったばかりなので、多分彼女が連絡してきたわけではないだろう。すると、おのずと誰が電話をかけてきたのかが分かり。
先程からブザーで震える携帯を、新しいスクールバッグの中から探し出す。
そうして見つかった携帯電話を開くと、そこには予想通りの名前が表示されていて、少しばかり苦笑が漏れた。
早く話したい、と言ってくるかのように未だ震え続ける携帯の、会話ボタンを押す。



「もしもし」
『あ、葵!なんだ、もしかして出ないんじゃないかって思っちゃったよー!』
「考え事してたら遅くなっちゃったんだよ。ごめん――――フィディオ」
『はは、別にいいよ。こんな風に、もう話してるんだしね?』
「うん、ありがと」



電話の相手はフィディオだ。つい2日前に別れを告げたばかりなのに、既に懐かしいような気分になる。
でも、そんな彼がなぜ今私に電話をしてきたのか。電話の向こうからも私が疑問に思っていることを感じとったのか、フィディオは笑いを漏らした。



『はは、葵は面白いなあ』
「もう、フィディオ……!ていうか、何の用事?」
『ん?いや、ちょっとね。まあでも、大丈夫そうだからいいや』
「………どういう意味?分かんないんだけど」
『い、いや、本当に何でもないんだよ。気にしないで!』



必死に焦りながら隠そうとしている彼の顔が思い浮かぶような声音。
……これは、絶対に何かある。
そう確信した私は、本音を言わせるために彼に一つの行動をとった。



「……フィディオ、何か隠してるのは分かってるんだよ。さっさと電話を掛けた用件を言って」
『いや、本当に何でもないんだって』
「言って」
『……ほんとうになにもないよ?』
「言え」
『……ほんとうに』
「言えって言ってるでしょ」
『……………』
「言ってくれないと、イタリアにもう帰らないからね?」
『ああああごめんごめんさっさと言います許してください!』
「分かればよし」



最終手段をとった途端にフィディオが態度を裏返す。
これからはこれを使って国を越えてパシリにしてやろうと訳のわからない(笑)決意を胸にしながらそっと口の端を釣り上げた。
全く彼は面白い。さすが私の相棒だ。
もう少しいじってやろうか、等と考えた私は急かすために再び口を開く。



「早く言ってほしいんだけど」
『………あのさ、なんか、葵が元気ないような気がしたんだ』
「え?」
『気のせいだったから、いいんだけど。なんとなく、葵が今暗い顔しているのが脳裏に浮かんできてさ。大丈夫かなー、なんて心配してたら気になっちゃって、つい電話かけたんだよ』
「………」
『?どうしたんだ、葵?』
「いや……」



単純に驚いてしまった。彼がかけてきたタイミングは、丁度私がぐるぐると自己嫌悪をしているところだったから。
でも、そんなことを微塵も知らない彼は純粋な笑顔で私が黙った理由を問いただしているんだろう。



「……ふふ」
『……本当にどうしたんだ?なんかあったのか?』
「ううん、何でもないから気にしないで」



思わず笑みが漏れる。それも仕方のないことで、私は驚くのと同時にとても嬉しかったのだ。
イタリアと日本。彼はすごく遠い、離れたところに居るというのに、私の暗くなってしまった思考を心のどこかで感じ取ったのだろう。そのためにわざわざ連絡してきてくれるなんて、本当に良い相棒を持ったと思う。心でつながっている、というのはなんだか心の奥底が温かくなるようなことだった。



「ありがとね、心配してくれて」
『え、いやいいよ、そんなの!だって俺ら……』
「相棒、だもんね?」
『……!うん、そう!お前は俺にとって、最高の相棒なんだからさ!』
「うん、私もそう思う。貴方より良い相棒なんて世界中探しても何処にもいないよ」
『ああ!』



言葉を交わし合い、ひとしきりに微笑む。すごく幸せな時間だった。
それは彼も同じなようで、電話から聞こえてくる彼の声は、ノイズが入っていても分かるほど優しい。
だが、もうそろそろ通話を終了しなければならない時間だ。
もう日がほとんど傾き終えているので、後1時間もしたら夜になってしまう。まだ夕飯の買い出しにも行っていないし、部屋の片付けも済んでいないし。
それに、フィディオのことを懐かしむのは、もう少し後でも全然構わないはずだ。二日しか経っていない今、話すこともあまりないだろうし。



「……ごめんフィディオ。もう切るね。まだ色々やることがあるから、そろそろ行かなきゃいけないの」
『ん?ああ、そうか。ジャパンはもうすぐ夜だもんね。イタリアはまだ午前中だから忘れてたよ。……ってあ、丁度次の授業の先生が来たから切るよ。あの数学の先生ルールに厳しいんだよなあ……じゃあね!また電話するから!』
「うん、バイバイ。いつでも電話してきてよね」
『おう!』



最後に電話をかけてきていいと許可を出せば、明るい嬉しそうな声音で返事されたので、なんとなく良い気分のまま通話を終了する。バッグの中に携帯をしまい、もうそろそろ帰ってしまおうかと手すりから手を離そうとしたとき、聞き覚えのある声が私を呼び止めた。



「……神崎、か?」
「……豪炎寺?」



振り返って見れば、そこに居たのは丁度坂を登り終えたらしい豪炎寺で。
制服姿のままということは、放課後にどこかへ寄って、その帰り道にここの景色を見に来たのだろう。
ここから見える夕焼けは地元でも結構有名で、転校して初日ともなればここにくるのも頷ける。誰から聞いたのかは知らないが、ここは本当に眺めが良いから、それを楽しみに来てくれたのなら嬉しいと思った。



「……豪炎寺も、ここの景色見に来たの?」
「ああ。『も』ということは、お前もか?」
「うん。私、昔此処に住んでいたことがあって……っていうのは守と私が話していたのを聞いていただろうから知ってると思うけど。そのとき、よくここに通っていたから……朝も来たんだけど、あんまり時間無かったから見ることができなくて、もう一回見ようと思ってね」



予想通り私の問いにYesと答えた彼に、返された質問に同じくYesと返す。
興味深そうに頷いた彼は「そうか……」と零した。



「あ、そうだ。聞きたいことがあったんだけど」
「なんだ」
「豪炎寺は、サッカーのことが嫌い?」
「……ッ!?」
「ああ、身構えなくていいから。昼休みのときに、守に『サッカーは辞めた』としか言ってなかったから、嫌いではないのかなーと思って」
「………お前に、言う必要はない」
「だろうね。ま、別に良いんだけど」



予想通りの返答だ。最初会った時からずっと思っていたが、彼は守とは正反対の性格で必要以上のことを他人に話すとは思えない。そして、きっとサッカーに関して何かつらい出来事があったのを隠し通しているのだろう。
「サッカー」という単語が会話に出てくると、今も、昼休みのときも一瞬辛そうな表情を垣間見せていたから。



「じゃあ、私は行くよ。一人でじっくり景色を見る方が楽しめるだろうし」
「……ありがとな」
「何が?」
「……いや、こっちの話だ」
「ふーん……」



お礼の意味に気付かないふりをしていることが分かっているのか、出会い初めより幾分か柔らかくなった声で「じゃあな」と言われる。それにひらひらと手を振り返すと、登ってきたときとは反対の道を下りだした。
彼を振り返ることなく下へ下へと坂を下りていく最中に空を見上げれば、茜色はほんのりと夜の色に染まってきていて。



(彼とは、意外と気が合いそうだ)



そう思ってしまっている心を代弁するかのように綺麗な空の色を醸し出していた。






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