絶望に絶望しましたA

 ――救えない、ですって?

「苗木誠、私はさっき言った筈です。貴方達が助けようとしている左右田和一は――」
「――貴方も、左右田和一なんですよね?」

 ――はい?

「左右田さん、貴方はさっき言いましたよね。自分も左右田和一だって、左右田和一の模造品だって」

 なら僕は、貴方を助けます――と、射抜くような力強い目で私を捉えながら、苗木ははっきりとそう言った。
 ――私を、助ける?

「貴方は、一体何を――」
「左右田和一さん」

 苗木がゆっくりと、しかし確実な足取りで私に近付いてくる。

「近付かないでください。殺しますよ?」
「大丈夫、怖がらないで」

 ――怖がる?
 生死を超越した左右田和一が、こんな矮小な男に――恐怖を抱いている?

「怖がってなどいません。私は、私は――恐怖などしない」
「――本当に?」

 苗木はまるで私の心を見透かすかのように、私の目を見つめてそう言った。
 その視線が何だか気持ち悪くて――私はつい、目を逸らしてしまった。

「左右田さん、怖がらなくて良いんだよ。僕達は貴方を助けたいだけなんだ」
「――嘘です。今までやってきた方達は、私を殺そうとしました」
「今までの人と、僕達は違う」

 僕達は、貴方を助けるために来たんだ――そう言って苗木は、私の左手を握った。いつの間に、こんなに距離を詰められてしまっていたのだろうか。
 ――何なのだ、この男は!

「は、離し――離しなさい――いや、離せ! 切り刻まれてぇのか、この餓鬼ぃっ!」
「苗木っち、やばいべ! 左右田っち切れてんべ!」
「苗木! 撤退だ、撤退しろ!」
「いや、駄目だ。左右田さんを連れて行く!」

 ――いい加減にしろよ、糞餓鬼が。
 私は右手で苗木の頭を鷲掴みにした。ぐっと握り締めると、ぎちぎちという頭蓋骨の軋む音が聞こえる。

「ぐ、うっ」
「やばいべ! アイアンクローだべ!」
「貴様っ、苗木を離せ!」

 言うや否や、十神は持っていた私の左腕を投げ捨て、懐から拳銃を取り出し――私へその銃口を向けた。

「FNか。当たると穴が空くなあ」
「嫌なら苗木を離せ」
「離す? こんなに良い盾を?」

 まあ、ちょっと小さいけどな――と言いながら、俺は苗木を盾代わりにし、十神に対峙した。

「十神っち、駄目だべ! 撃ったら駄目だべ!」
「この俺が苗木に当てるとでも? 確実に奴へ当ててやる」
「おいおい御坊ちゃぁん。私は超高校級のメカニックが全身全霊を込めて造り上げた、超高性能のロボットだぜ? 一発でも俺に撃ってみろ。弾道予測して、この餓鬼の額に命中させますよ?」

 それでも良ければ、どうぞ撃ってみやがれでございます――と言い、十神に嗤い掛けてやった。

「――愚民がっ」

 忌々しげに私を睨み、舌打ちをしながら十神は拳銃を下ろした。

「良い子だ坊ちゃん。そのまま其処のモップ頭と一緒に、この部屋から出て行け。そうすりゃ後で、このおちびちゃんを解放して差し上げますよ」
「モップ頭は失礼だべ!」
「ふざけるな。そんな要求、誰が――」
「――十神君、葉隠君。行って」

 大丈夫、僕が説得してみせるから――そう言って苗木は、二人に微笑んだ。
 何で此奴は、こんなにも余裕ぶっていられるのだ?
 今の状況が理解出来ていないのか?

「――苗木ちゃんよぉっ。お前今、死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされてるって判ってんですか?」
「判ってるよ。でも、僕は――」

 左右田さんを信じていますから――と、苗木は体躯と余裕に似合わぬ不敵な笑みを浮かべた。
 ――何だ此奴は。何なのだ!

「――仕方ない。だが苗木、無事に戻らなければ許さんからな」
「苗木っち、絶対無茶したら駄目だべ! あと左右田っち、苗木っちに乱暴したら許さないべ!」

 絶対だべ――と言い残して、葉隠は十神と共に部屋を出て行った。
 部屋に残ったのは――私と彼と、苗木だけだ。
 ――何故彼等は、こんな小さくか弱い男を信じられるのだ? 判らない。理解出来ない。

「――左右田さん」

 苗木が私の名前を呼んだ。
 ただそれだけしかされていないというのに、何故かそれがとても不気味で――私は苗木から飛び退き、ベッドで眠る彼を庇うようにして身構えた。

「そんなに警戒しなくても、僕は武器なんて持ってないよ」
「信じられませんね。何が狙いですか?」
「狙い? 狙いか。強いて言うなら――」

 左右田和一の保護、かな――と、苗木は無邪気に笑ってみせた。
 ――左右田和一の、保護?

「保護とは、一体どういうことですか」
「そのままの意味だよ。このままだと貴方は――未来機関に殺される」

 ――未来機関に殺される? 何を言っているんだ。
 その言い方はまるで――自分達は未来機関の人間ではない、と言っているみたいじゃないか。

「――苗木誠、貴方は未来機関の人間ではないのですか?」
「一応そうなんだけどね。未来機関の中にも、色々な考えというか――派閥があってね」

 僕は絶望更生派なんだ――と、苗木は言った。
 絶望更生派?

「絶望更生派、とは?」
「そのままの意味だよ。絶望を更生させようと、僕達は動いている」
「更生――絶望を? どうやって?」

 私の知る限り――絶望の更生なんて不可能だ。
 身も心も――魂すらも、絶望は絶望的に犯し尽くす。最早絶望に染まった絶望は、どうしようもないくらいに絶望なのだ。
 それを更生させるなんて――無理だ。

「――希望更生プログラム」
「は?」
「新世界プログラムを利用した、絶望を希望に更生させるためのプログラムがあるんだ」

 左右田さんは、新世界プログラムのことを知っていますよね――と、苗木は確信した様子で私に言った。

「――ええ、知っています。知っているどころか――それに携わっていましたし」

 新世界プログラム。別名、サイコセラピューティック・コミュニケーション・シミュレーター。
 当該装置を頭部に装着することで、被験者全員に「共感覚仮想世界」を体感させる事が出来る――まさに、ゲームのようなプログラムだ。
 プログラム自体は「超高校級のプログラマー」「超高校級の神経学者」「超高校級のセラピスト」などを始めとした、多くの希望ヶ峰学園の才能達の研究結果が活用されているが、そのプログラムの受け皿とも言える機械を造ったのは――私だ。
 勿論一人で造った訳ではないが、全ての製作工程に参加し、その大半を構築したので――私が造ったと言っても語弊はない筈だ。

「それなら――左右田さん、もう判りますよね? 僕達が絶望を、どうやって更生させるつもりか」
 嫌というくらい、私の頭は理解していた。
 新世界プログラムには、以下のような機能がある。共感覚仮想世界で構築された記憶情報を、現実世界の情報と「置換」することが出来、それにより仮想世界と現実世界の情報に、逆転現象を生じさせる事が――出来てしまうのだ。
 つまり、この男は――。

「――絶望の記憶を消して、歪む前の状態に戻す気ですか」
「――正解です」

 そう言って苗木は、少し寂しそうに微笑んだ。
 ――ああ!
 この矮小な男は、何て恐ろしく――無情で有情な男なのだろうか!
 絶望の記憶を消す。つまりそれは――。

「――今の私に、死ねと言うのですか?」

 記憶を消すことで、絶望でなくなることは良いことなのだろう。
 だがそれは、私という絶望を否定し――殺すことなのではないのか?
 もし私が生身の左右田和一だったなら、記憶を失っても「左右田和一」として生きることが出来ただろう。
 だが――私は機械だ。左右田和一に似た外装をしただけの――ただの機械だ。
 そんな私を「左右田和一」たらしめているのは、この――左右田和一から受け継いだ記憶だけなのだ。
 それなのに記憶を消すだなんて――絶望になる前の、機械の私が生まれる前に戻すなんて――今の私に死ねと言っているのと同じではないか!

「――嫌、です、嫌です嫌です――嫌だ嫌だ嫌だ――嫌だあああっ!」

 死にたくない! 消えたくない!
 私は、私は――自分自身に忘れられたくない!

「落ち着いて、左右田さん」

 落ち着いて、だと?

「落ち着く? 私は落ち着いている。理解している。貴方は私の敵であると」

 だから、殺します――そう言って私は、左手の刃を苗木に向けた。

「ばらばらにして、さっきの奴等にプレゼントしてやるよ」

 いつも通りだ。いつも通り、邪魔な人間を排除すれば良い。
 さっきの奴等も殺せば、私はまた――穏やかで優しい平和な日々を、彼と共に過ごすことが出来るのだ。
 何も変わらない。変わらさせない――そんな日常を!

「――左右田さん」

 苗木がまた、私の名を呼んだ。悲しそうに、苦しそうに――私を哀れむように!

「左右田さん、僕は貴方に残酷なことを言っている。それは自覚している。だけどね――」

 もう、これしか貴方を生かせる方法がないんだよ――と、苗木は酷く辛そうに、苦しそうに声を絞り出した。

「このまま此処に、何処か別の場所に逃げても――貴方は絶対に見つかる。今日みたいにね。そうすれば貴方は今後こそ――殺されてしまうかも知れない」

 だから――と苗木が続ける。

「だから、僕と一緒に来て欲しい」

 ――はあ?
 殺されたくないなら付いて来い。でも、付いて行ったら殺される。
 どちらにしても、私は――死ぬじゃあないか。

「――救えない、救えないよ苗木誠」
「左右田、さん?」
「行かなければいつか殺される。付いて行けば――確実に殺される。なら私は――」

 地の果てでも、逃げ果せてみせますよ――と言って、私は苗木の頬を斬り裂いた。
 つうっ、と赤い血が――私には流れていない赤い血が、苗木の頬を伝い落ちる。

「これが最終警告です。今すぐ逃げるなら貴方も、先程の彼等も殺しません。だから、どうか――どうか帰ってください。お願い、します」

 これ以上、この男と話したくなかった。かと言って私は、この男を――殺す気になれなかった。
 だから、帰って欲しかった。これ以上、私の心を乱して欲しくなかった。なのに――。

「――帰りません」

 ――この男は、どうしようもないくらい残酷な男だった。

「僕は、貴方を助けます。喩え貴方が、それを望んでいなくても」

 ――ああ、何て恐ろしい男なのだろうか。
 何て恐ろしい、独善的で、偽善的で――蠱惑的な男なのだろうか! 思わず縋り付き、泣いてしまいそうになる!

「左右田さん」

 止めろ、これ以上喋らないでくれ。

「確かに、今の貴方は死ぬかも知れない」

 止めろ。

「けどね、僕は――僕達は、貴方のことを忘れない」

 止めてくれ。

「だから――貴方から生まれる左右田和一も、貴方のことを知ることが出来る」

 止めて。

「左右田さん」

 ああ、そんな目で言われたら――。

「貴方は死なない、消えたりしない――生まれ変わるんだ」

 また、裏切られると判っているのに――。

「大丈夫」

 馬鹿を見ると判っているのに――。

「絶対に、貴方を助けるから」

 信じてしまうじゃないか――。




――――




「――苗木っち! あと――左右田っち? 説得上手くいったんか! 流石苗木っちだべ!」

 苗木と一緒に地下室から出た私は、外で待機していた葉隠の、喧しく騒々しい声に出迎えられた。

「ふんっ。遅かったな」
「ごめんね十神君、心配かけて」
「し、心配などしていない!」

 そう言ってはいるが、苗木が地下室から出て来た時の十神の顔は、面白いくらいに安堵の色を浮かべていた。

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