冒涜的羊と羊飼いの話

 

 俺はとある牧場を経営している普通の人間だ。人間だと言ったら人間だ、冒涜的生物じゃない。
 だが、飼っている生物は冒涜的だったりする。
 普通の羊よりやや大きめの体躯。人間をデフォルト化したような顔と、もふもふとした白い毛。毛を刈ると溢れ出る名状し難い冒涜的な中身。通称、冒涜的羊。
 シュブ=ニグラスの落とし子と何らかの関連性が有るとか無いとか言われているが、いまいちはっきりせず、真偽が定かじゃないので割愛。
 性格は種類に因るが基本的に温厚な草食動物。普通の羊と殆ど変わらない。人語も解せるので意思疎通が可能、ちゃんと言えば指示にも従ってくれる。
 だが、中には例外も居る。ソウヒツジという種類の羊だ。此奴は人畜無害な面をしているが、鉄の柵をも噛み切る恐ろしい牙を持っている。彼奴は本当に危険だ。我が牧場にも一匹居るが、あれは本当に危ない。
 危ないと言いつつ飼っているのは、ソウヒツジの毛が上等な防弾チョッキに使えるくらい丈夫で伸縮性があるので、他の羊の毛より高額で売れるからだ。しかも冒涜的羊は毛がすぐ生えてくるので、正直ぼろ儲けである。俺の身体はぼろぼろだが。
 体当たりされるわ齧られそうになるわ他の羊を食おうとするわ柵を壊して脱走するわ呪文唱えて何か喚び出すわ、他の牧場が此奴等を飼いたがらない理由が痛い程判ったよ。その御蔭で高い金額ふっ掛けても業者に買って貰えるんだけども。大金貰わないとやってられん。
 正直、他の温和しい羊達を愛でながら生活した方が楽なのは判っている。タヒツジやヒツジエダ、ヒツジナタの毛も充分高く売れるからだ。
 タヒツジの毛は癒し効果があるので縫いぐるみなどに使われ、癒しを求める社会人達に人気だし。ヒツジエダの毛はいつまでももこもこもふもふしているので、布団などに使われているし。ヒツジナタの毛は保温性に優れているので、洋服などに使われているし。
 此奴等も扱いは少し面倒臭いが、ソウヒツジと比べたら可愛いものだ。タヒツジには小動物を宛行っておけば良いし、ヒツジエダには「ほらほら希望だよ」と言って御飯をあげれば良いし、ヒツジナタにはパンツ被せとけば良いし。かなり楽だ。
 だがしかし、そうと判っていても俺はソウヒツジを捨てる決断が出来なかった。
 冒涜的危険生物に指定されているソウヒツジは、野に放ってはいけないと法律で決められている。然るべき施設で手続きをし、施設に引き渡して、次の飼い主を待つ。だけどそれには期限があって、期限を過ぎたら――殺処分だ。
 所謂、保健所の犬や猫だ。飼い主が現れないと死が待っている。ただでさえソウヒツジは危ない生物だ、飼い主になりたがる奴なんてそう居ない。それを知りながら彼奴を死地へ送り出すなんて、幾ら外道と呼ばれた俺でも出来ない。
 あんな羊でも彼奴は、俺の大事な家族なのだから――。

「俺、オ前、丸齧リ」

 と思っている傍から手ぇ噛まれたんですけど。
 何にって、ソウヒツジにだよ。手が食い千切られてないから甘噛みなんだろうけど、血がだらだら流れている。牙が、牙が刺さっている!

「痛い痛い痛いっ! 止めろ馬鹿羊!」
「遊ンデ、遊ンデ」

 ガジガジと俺の手を齧りながら、ソウヒツジが擦り寄ってきた。擦り寄るのは良いけど噛むなよ。痛いよ。

「オーケー判った、判ったから噛むの止めろ。良いな?」
「判ッタ」

 そう言ってソウヒツジは漸く俺の手を解放した。ああ、穴だらけだ。血みどろフィーバーじゃないか。
 とりあえずズボンのポケットに常備してある包帯を取り出し、手に包帯をぐるぐる巻き付けた。応急処置応急処置。本当は今すぐ病院に行きたいけど、此奴を放って行ったら暴れるだろうからな。早く遊んで満足させねば。

「よしよし馬鹿羊、君は何して遊びたいのかな?」
「馬鹿羊、違ウ、ソウヒツジ」
「はいはいソウヒツジちゃん、何して遊びたいの」

 俺がそう聞くと、ソウヒツジは無表情のまま口を大きく開けた。

「追イ掛ケッコ」

 鋭い牙でがちんがちんと裁断機のような音を鳴らし、ソウヒツジは俺を凝視している。口の端からは涎が垂れていた。
 うん、100%食う気だなこれは。

「却下却下却下! お前俺を食う気だろ、食う気だろ!」
「食ワナイ、齧ルダケ」
「一緒だよ馬鹿羊! 兎に角、追い掛けっこは却下!」

 びしっときつめに言い放ってやると、ソウヒツジは少し悲しそうな表情を浮かべ、耳をへにゃりと垂れ下げた。
 ちょっと可哀想かな――と同情してはいけない。これは此奴の常套手段だ。可愛い容姿を武器にして、相手を罠に嵌めるのだ。だから可哀想だなんて思ってはいけない。自分の命が大事ならな。

「ジャア、隠レンボ」

 また口の端から涎が垂れてますけど。

「おい、俺を見付け出して食うつもりだろ」
「違ウ違ウ」
「涎垂れてんだよ! バレバレ愉快なんだよ馬鹿羊!」
「馬鹿羊、違ウ、ソウヒツジ」
「それはさっきやっただろ!」

 ぎゃんぎゃんと自分で自分が恥ずかしくなるくらい叫んでいると、近くに居たタヒツジが此方をちらちら見ていることに気付いた。
 そうだ、彼奴も巻き込んでしまおう。自分でも判るくらい邪悪な笑みを浮かべ、俺はタヒツジに話し掛けた。

「タヒツジ、一緒に遊ばないか?」

 俺がそう言うとタヒツジはびくりと身体を震わせ、無言で首を左右に振った。よく見るとタヒツジの脚ががくがく震えている。
 これはソウヒツジに何かされたようだ。

「ソウヒツジ、お前彼奴に何やらかした」
「ヤラカシテナイ、齧ッタダケ」
「充分やらかしてるっつうの! この馬鹿! あれ程他の羊に危害を加えるなっていったのに!」
「マトン、美味イ」
「共食い駄目! 絶対!」

 などと口論している間に、タヒツジは何処かへ逃げてしまった。
 畜生、俺一人で此奴を相手にしなきゃならんのか。そんな悲しみを背負っていると、ソウヒツジがぐりぐりと頭を押し付けてきた。角が偶に当たって痛いんだが。

「痛いって」
「撫デテ、撫デテ」

 おいおい、遊びたかったんじゃないのか?
 と思いつつ、とりあえず捕食の危険性は無くなったので構ってやることにした。地べたに座り込み、ソウヒツジの毛をもふもふしてやる。するとソウヒツジは気持ち良さそうに目を瞑り、地面へごろんと横になった。
 こういう時だけは見た目通り可愛いんだよなあ。そう思いながら俺はソウヒツジの毛に我が身を埋め、もふもふもふもふしまくってやった。太陽の匂いと冒涜的な甘い匂いがする。何でソウヒツジってコーラみたいな匂いがするんだろうな。

「モット、モット」
「はいはい」

 頭や頬、顎の下などを撫で回しつつ、毛玉をもっふもっふとマッサージするように撫でる――秘技、冒涜的羊落とし。これで魅了出来ない冒涜的羊は居ない。
 案の定ソウヒツジは恍惚たる表情で涎を垂らして喘いでいる。ふははっ、俺の美技に酔うが良い酔うが良い。
 などと調子に乗ってソウヒツジを弄くり回していると、背中に何かがごつんと当たってきた。何事かと思って振り返ってみると、其処に居たのはヒツジナタだった。その後ろにはヒツジエダが居る。

「ソウヒツジ、ソウルフレンド、駄目!」

 ヒツジナタはそう言って俺の背中にまた頭突きを入れた。羊の頭蓋骨って凄く硬いからとっても痛いんですけど。というか何が言いたいのか判らん。

「ヒツジナタ、お前が何を言いたいのか判らん」
「ソウヒツジ、ソウルフレンド、俺ノモノ!」

 ああ、理解。要するに、ソウヒツジを手籠めにした俺に嫉妬したってことか。ははは。
 お前等雄だろ止めろそういうの。

「同性愛は止めなさい」
「ソレハ違ウゾ! 恋愛、自由!」
「何で『それは違うぞ』だけ流暢に喋られるんだよ」
「仕様」
「仕様なら仕方ないな」

 という会話を交わしていると、ずっと温和しかったヒツジエダがソウヒツジに近付き、すりすりと身体を擦り寄せていた。それに気付いたヒツジナタも、ソウヒツジに擦り寄っていた。
 当然、ソウヒツジの直ぐ傍に居た俺も巻き添えで――凄いもふもふの中に俺は閉じこめられた。

「モフモフ」
「モフモフ」
「モフモフ」

 三匹は唄うようにそう繰り返しながら、互いの身を寄せてもふもふし始めた。巻き添えを食らっている俺は、もふもふの温もりと柔らかさと心地良さで軽くヘヴン状態だ。まだやらなきゃならないことがあるのに寝そう、やばい。
 何とかこの天国から脱け出そうと藻掻いていると、俺達の様子を遠くから窺っているタヒツジの存在に気が付いた。そわそわしながら此方を見ているので、多分混ざりたいのだろう。タヒツジは少し引っ込み思案なところがあるから、自分から近寄れないのだ。
 このまま脱出したかったんだけど――ああ、うん。もう午後の分の仕事は明日で良いや。

「おいで」

 そう言ってタヒツジに向かって手招きをしてやると、タヒツジは耳をぱたぱたさせながら嬉しそうに此方へ駆け寄り、そのままもふもふの中にダイブした。
 まさか上から来るとは思っていなかった俺は見事に潰され、俺は完全に羊共の中に埋もれてしまった。幸いなことは此奴等のもふもふが凄まじくもふもふな為、タヒツジの齎した衝撃で怪我をすることは無かったことと、通気性ばっちりな御蔭で呼吸困難には無かったことかな。
 ああ、もふもふ温かい。やっぱり山奥は寒いから、此奴等の温もりって最高なんだよなあ。あっ、やばい。凄く眠くなってきた。そういえば噛まれた傷、病院に行って治療して貰うつもりじゃなかったっけ。でももう面倒臭いなあ、山下りなきゃいけないし。明日で良いや明日で。大丈夫大丈夫、死にはしない死にはしない。
 そう自分に言い訳をした俺は、迫り来る睡魔に抗うことなく瞼を閉じた。




 翌日、病院に行ったら「噛まれた手が異形化しかけている」と言われて、がくがくぶるぶる震えたのは内緒だ。

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