僕と犬と蛸
僕は一匹の犬を飼っているんだ。犬種はティンダロスで、名前はタロウ。僕が名付けたんだ。ダロスとタロウ、何となく響きが似ているでしょう?
タロウとの出会いは、異常な角度をした石を拾った日なんだ。あまりにも珍しくて面白い形をしていたから、思わず拾って帰ったんだよ。
そして家の玄関に飾った瞬間、タロウが石から飛び出してきたんだ。
吃驚だよね。まさか掌サイズの石から、成人男性並みの大きさをした犬が出て来るなんて。予想外過ぎて目を見開いたよ。
でもタロウってば、僕のことをいきなり噛み殺そうとしたんだよ。失礼だよね、初対面なのにさ。
だから僕はその攻撃を軽く避けて、武道蹴りを食らわせてあげたんだ。動物虐待? 正当防衛だよ。
それにその一撃のお蔭でタロウは僕に屈し、僕の飼い犬になることになったんだ。終わり良ければ全て良しだよ。
今ではタロウも立派な僕の家族。友達は皆「気持ち悪い犬だな」「痩せ過ぎじゃない」「てけりり」とか言ってくるけれど、僕には可愛い可愛い家族だよ。
で、その家族が変なものを銜えているんだけど。
タロウは角度を移動していく能力があって拘束出来ないから、基本的に放し飼い状態なんだ。賢いから呼べばすぐ帰って来るしね、問題は無いんだよ。
でも偶に、変なものを持って帰って来ることがあるんだよね。今みたいに。
この前なんか人間の腕? みたいなものを持って帰ってきたから焦ったよ。証拠隠滅の為に急いで食べさせたけど。
そんな訳でタロウは、変なものを拾って帰ってきちゃったりするんだよ。今回は何か――蛸? 足が八本あるし、何かピンク色だし、多分蛸だね。
でもこの蛸、人の頭が付いているんだけど。
これってあれかな、タロウと同じ冒涜的生物の、確か――ソウダコという蛸じゃないかな。うん、多分そうだよ。友達の友達が飼っていた筈だし。
でも何で拾ってきちゃうかなあ。どうしよう。食べさせた方が良いのかな?
ああ、駄目だ。確か毒があるんだよね。タロウにも有効な毒かも知れないし、食べさせるのは拙いなあ。
ううん、どうしよう――。
「――アレ、此処ハ何処ダ?」
うわあっ、生きてた。動かないから死んでると思っていたのに、生きていたよ。
「やあやあ、ソウダコ君――だよね? 此処は僕の家だよ」
警戒心を与えないように微笑み掛けると、ソウダコ君は涙目になって暴れ始めた。それでもタロウはソウダコ君を銜えて離さない。
「オ前ガコノ犬ノ飼イ主カ! ヨクモ俺ヲ海カラ引キ摺リ出シヤガッタナ!」
どうやらソウダコ君は、僕がタロウに命令したと勘違いしているらしい。
「それは違うよ。僕は君を持って来いなんて命令してない。この犬――タロウはね、勝手に物を拾ってくる悪癖があるんだよ」
「ジャア俺ハ、此奴ノ勝手デ連レテ来ラレタノカヨ!」
そう言ってソウダコ君はタロウに触腕を伸ばし、べしべしと叩き始めた。
結構良い音が鳴っているので、大きさの割には力強いらしい。流石冒涜的生物ってところかな。でもタロウが地味にダメージを食らってるから、ちょっと止めて欲しい。
「ソウダコ君ソウダコ君、タロウが痛がっているから止めて欲しいな」
「ナラ、早ク俺ヲ離スヨウニ命令シロヨ! 牙ガ食イ込ンデ痛インダヨ!」
ぎゃんぎゃんと訴えるソウダコ君をよく見てみると、確かにタロウの鋭利な牙が思い切り食い込んでいる。これは痛いだろうね。
「タロウ、ぺっしなさい。ぺっ」
「わんっ」
僕の指示を聞いたタロウは、文字通りソウダコ君を「ぺっ」しちゃったんだ。
勢い良く床に叩き付けられたソウダコ君は、ぷるぷる震えると――名状し難い冒涜的な泣き声を上げた。
「鬼畜犬ウウウウッ! ギニャアアアアアアアアッ!」
顔面? から床にいったらしく、触腕で顔を押さえながら凄まじい声で叫んでいる。鼓膜が痛いよ。近所迷惑になりそうだな、どうしよう。
とりあえず宥めるべきだよね。でも蛸の宥め方なんて、僕は知らないよ。蛸壺でもあげれば良いの? そんなの持ってないよ。
「――わんっ」
泣き叫ぶソウダコ君を前に僕がおろおろしていると、タロウが太く曲がりくねった注射針のような舌で、ソウダコ君の顔を労るように舐め始めた。
吃驚したソウダコ君は悲鳴を上げたけど、タロウの意思が通じたみたいで、少しずつ泣き止んでいって温和しくなった。
「大丈夫?」
落ち着きを取り戻したソウダコ君に声を掛けると、ソウダコ君は涙を触腕で拭いながら小さく頷いた。
「何というか、ごめんね。酷いことしちゃって」
「イヤ、俺モギャアギャア騒ギ過ギタ。ゴメンナ」
そう言って謝るソウダコ君に、僕は吃驚した。
人並みの知能はあるって聞いたことはあるけど、ちゃんと「ごめんなさい」出来る蛸だとは思わなかったよ。
人間でも「ごめんなさい」出来ない奴が居るのにね。感心しちゃったよ。
「ソウダコ君は悪くないよ、勝手に拉致してきたのはタロウだし。その飼い主の僕に責任があるからね。どうお詫びしたら良いのかな」
「イヤ、気ニシナクテ良イゼ。ソレヨリ俺ヲ、元ノ場所ニ返シテ欲シインダケド」
ああ、そういえばそうだよね。早く返してあげなきゃ。このソウダコ君にも家族や友達が居るだろうし、海に返してあげなくちゃね。
「タロウ、ソウダコ君を元居た場所に返してあげなさい」
そう命令してみるも、タロウは無反応だった。あれ?
「タロウ? どうしたの、ソウダコ君を返しに行きなさい」
もう一度言ってみると、タロウは首を傾げて小さく鳴いた。あれ、もしかして――。
「拾って来た場所が判らないとか?」
「くぅん」
申し訳無い――と言うように耳と尻尾を垂らしたタロウは、情け無い声で鳴いて頭を下げた。
ちょっと、ちょっと。
「嘘でしょ? 何処の時空間から拾って来たのか思い出せないの? 現代? 過去? 未来? それすらも思い出せないの?」
「くぅぅんっ」
ごめんなさい――と言うように、タロウは伏せて床に顎を擦り付ける。ああ、これは駄目なパターンだ。惚けているんじゃなくて、本当に判らないみたい。
どうしよう。
「エ、エッ? モシカシテ俺、家ニ帰レナイッテコト?」
頭が良いソウダコ君は勘も良いようで、自分が置かれている状況を嫌という程に自覚し、目に涙を溜めながら僕を見詰めている。
何てことだ、可哀想なことになってしまった。どうしよう。ううん――そうだ。
「ソウダコ君ソウダコ君。もし良ければ、暫く此処に住まない?」
「――フェッ?」
ソウダコ君は涙を触腕で拭い、不思議そうに僕を見ながら身体を傾けた。
「ほら、君がどの時空間から来たのかも判らないし。今、行けるところが無いでしょう? だから此処に住まないかなって」
「イ、良イノカ?」
「勿論だよ。だってタロウや僕の所為で、君が家に帰れなくなっちゃったんだし」
そう言ってソウダコ君の髪? 触腕? を撫でてあげると、ソウダコ君は嬉しそうに笑って「ソレジャア宜シク頼ムゼ」と言った。
――――
ソウダコ君がやって来てから早一週間。上手くやっていけるかなあと思っていたけど、案外上手くやっている。
水槽を買う余裕は無かったから、ソウダコ君は水を張った風呂場の浴槽に住んでいるんだ。僕は毎日お風呂に浸かりたい派の人間だから、湯を沸かして入るんだけど、その度にソウダコ君が茹で蛸みたいになるから面白い。
ああ、別に虐めている訳じゃないからね。僕がお風呂に入る時だけ水を入れたバケツに避難するかいって聞いたら、ソウダコ君は一緒に入りたいって言ったんだよ。だから無理矢理入れている訳じゃないんだ。
それに僕自身もね、ソウダコ君と一緒に入るのは結構好きなんだよ。ぬるぬるしたあの触腕が肌を撫でるとね、ちょっと気持ち良いんだ。ああ、変な意味じゃないよ。
あとマッサージが上手いんだよ、ソウダコ君。力も結構あるみたいだからさ、こう、肩とか腰とか揉んでくれてさ。凄く癒されるんだよ。
正直このまま此処に住んでくれると嬉しいんだけど――駄目だよね。ソウダコ君にも家族とか友達が居るんだし、僕の勝手な願いで此処に留めちゃ駄目だ。
「――タロウ、ダッシュダッシュ!」
「わんっ、わんっ!」
今僕達は近所の公園に来ていて、ソウダコ君がタロウの背中に乗っている。タロウはソウダコ君の言うままに駆け回り、二匹共とっても楽しそうだ。
偶にソウダコ君が振り落とされそうになっているけど、吸盤のお蔭で全然落ちない。まさに人馬一体――蛸犬一体? だよね。
ああやって仲良くやっているところを見ていると、やっぱり家族になって欲しいなあと思ってしまうよ。
このままタロウが、ソウダコ君を拾った場所を思い出さなければ――なんてね。駄目だよね、そんな邪なこと考えちゃ。ソウダコ君には帰るべき場所が在るんだから、駄目だよね。
「――兄チャン兄チャン!」
「わんわんっ」
公園のベンチに腰掛けてぼうっと物思いに耽っていると、先程まで遊んでいた二匹が僕の下にやって来ていた。全然気付かなかったよ。
「どうしたのかな?」
「兄チャンモ一緒ニ遊ボウゼ!」
「わんっ」
そう言ってソウダコ君は僕が持っている奇妙な形のフリスビーを指? 差しながら、にっこりと牙を剥き出しにして笑った。
「タロウガソレ、投ゲテ欲シイッテ」
「わんっ!」
尻尾のようなものを振りながら、タロウが歪な舌を垂らして吠えた。何処となく目が、僕への期待で輝いている。
「あはは、そっか。よぅし、じゃあ――それっ」
ベンチから立ち上がった僕は、人気の無いところへ向かってフリスビーを投げる。
するとタロウは目にも留まらぬ速さで駆け跳び、そのフリスビーを空中で捕らえて着地した。あの速さでも余裕綽々でタロウに絡み付いているソウダコ君は、流石冒涜的蛸と褒めるべきなのかな。
「わんっ」
「モウ一回投ゲテッテサ!」
此方へ戻って来たタロウは、フリスビーを僕に渡して「早く投げて投げて」と言わんばかりに見詰めてくる。タロウに乗っているソウダコ君も、目をきらきらさせて僕のことを見詰めている。
ああ、もう――可愛いなあ、この二匹。
「よぅし。じゃあもっと遠くへ投げるからね――それっ!」
「タロウ、ダッシュジャンプ!」
「わんわんっ!」
フリスビーを追い掛けていく二匹を見遣りながら、僕はこの幸せな日々がずっと続くことを願いつつ、そんなことを願ってしまっていることに対し、ソウダコ君に心の中で謝罪した。
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