三、四日目A
誰か俺の代わりに、この理不尽を切り捨ててくれよ!
「き、貴様――」
はっ、その声は――田中だ!
一見まともそうじゃないけど、実は結構まともな考えの田中だ! 助かった、今度こそ助かっ――。
「日向、貴様――俺様の魂の半身を侍らせるとは、死にたいのか! 許さん、許さんぞ!」
――ってない! 何事だ! 魂の半身? 伴侶じゃなくて半身?
よく判らないけど、田中の態度から察するに――魂の伴侶で特異点な俺より、魂の半身な左右田の方が大事らしい。
つまりそれの意味することは――えっ、まさか。
「田中――お前、左右田のことが好きなのか?」
「いえす!」
いえす、て。お前、キャラ崩壊も甚だしいぞ。
「まあ、田中さんは左右田さんが好きだったのですか? 私、びっくらこいてしまいましたわ!」
あれ、ソニアが全然動揺していない。田中のことが好きなんじゃなかったのか?
「ソニア、ショックじゃないのか?」
「ショック? ユアーショックで愛が落ちてくるのですか? 田中さんと左右田さんが仲良しよし子さんになることは、とても喜ばしいことです!」
お二人は、大事な大事な友人ですもの――と言って、ソニアはにこにこ笑っている。
ああ、何だ。田中に恋していた訳じゃないのか。良かった、修羅場は回避され――。
「日向よ、早々に左右田から離れろ。地獄の業火に焼かれたいのか?」
――てないわ! 駄目だったわ! こっちの修羅場が修羅場だ乱だ!
もう思考がパニックになりすぎて、自分でも何を考えているのか解らない。
誰か、まともな誰か、俺を助けて!
「――あはっ、日向君。何だか面白いことに巻き込まれているね! 希望に満ち溢れているよ!」
満ち溢れてねえよ! お前の目は飾りか! 硝子玉か!
――いや、もうこの際こいつでも良い。助けてくれ狛枝。
「狛枝、助けてくれ」
「助ける? やだなあ日向君。君のような希望溢れる人間を、僕みたいなゴミ屑以下の下劣で愚鈍な人間が助けるだなんて、烏滸がましいにも程があるよ」
ああ、うん。判っていたけど、駄目だったわ。遠回しに嫌って言われたわ。
「日向よ、どうやら貴様は死にたいようだな」
「いや、死にたくないって! というかちょっと待てよ、落ち着けよ! 俺が抱き締めているんじゃない、左右田が俺に抱き付いているんだよ! 俺は悪くない!」
「ええ、日向ぁっ。俺の唇を奪っておいて、そんなことを言うのですか?」
――ちょっ、左右田、お前――。
ぞくり、と背筋が凍った。生存本能が、逃げろと警鐘を鳴らしている。
恐る恐る、田中を見る。そこには――正真正銘の覇王様が、殺意の波動を身に纏っていらっしゃいました。
残念! 俺の人生は、終わってしまった!
――――
「本当、助かったよ七海。ありがとうな」
「ううん、気にしなくて良いよ」
命の恩人である七海に礼を言いながら、俺はその隣の席に座った。七海はテーブルに並べられた朝食を食べつつ、俺ににこりと笑いかける。
冗談抜きで、七海が来てくれなかったらやばかった。事情を察した七海が田中を説得してくれたお陰で、無事に誤解が解けたし。本当、七海様々だ。七海が居なければ俺は、こうしてレストランに来ることすら出来なかっただろう。
因みに全ての元凶である左右田は今、自分のコテージで寝ている。あの後、俺に抱き付いたまま立って寝るという妙技を決めやがったので、そのままコテージにぶち込んでやったのだ。本当に腹立たしい。
「ああ、朝から災難だった」
「日向君は、特殊イベントに巻き込まれやすい性質なんだね」
ゲームの主人公みたいだね――と、少し興奮気味に七海が言った。
正直、あまり嬉しくない褒め言葉だ。
「巻き込まれるなら、もっと楽しいイベントに巻き込まれたいよ」
「そう? さっきのイベントも、結構楽しいイベントだった――と思うよ?」
楽しくなんてなかったよ――と言い掛けて、ふと思い出してしまった。左右田にキスされたことを。
そっと、キスされた頬を撫でる。柔らかくて暖かい、あの唇が、此処に――うああっ――。
「あれ、日向君。顔が赤いよ?」
大丈夫? と問い掛けてくる七海に、何でもない――と、上擦った声で返事をした。
――――
知っている天井だ――って、あれ?
何故俺は、コテージの床に寝転がっているのだ。
おかしい。俺はゴスロリ衣装を着て、それから淫れ雪月花という酒擬きを飲んで、それから、それから――思い出せない。何も思い出せない。
いやしかし、この現状は――そうか、俺は酔っ払って倒れたのか!
それなら合点がいく。ゴスロリ衣装も着たままだし、床には空になった酒瓶が転がっている。
ノンアルコールだからと侮り、一気飲みしてしまったのが間違いだったようだ。
無念。酒の力を借りて暴走するつもりだったのだが――失敗に終わってしまった。
むくりと上半身を起こす。流石ノンアルコール、何ともないぜ。主に頭痛とか、吐き気とか。
後腐れなく酔えるのは素晴らしい。またメダルを探して、モノモノヤシーンにぶち込もう。出てくるかは運次第だが。
――さて、これからどうしよう。
窓の外を見る。太陽の位置からして、今は昼くらいだろう。
ああ、腹が減った。よく考えたら俺は、朝食を取り損なっているじゃないか。こんなことなら朝食を取ってから飲むんだった、畜生。
「――左右田」
朝食を取れなかったことを嘆いていると、コテージの扉が開き、全体的に黒い服装の男が入ってきた。
「田中?」
「ふむ。どうやら呪われし魔酒の毒素が抜け、束の間の眠りから目覚めたようだな」
「――あ?」
――何で田中は、俺が淫れ雪月花を飲んで眠ったことを知っているのだ。
というか、何でコテージの鍵が開きっぱなしになっているのだ。確かに俺は昨夜、しっかり鍵を閉めた筈だ。
「おい、何で鍵開いてんだよ。つうか、何で俺が淫れ雪月花を飲んだこと知ってんだよ」
「――貴様、覚えていないのか?」
――覚えていない、だと?
この口振り――まさか。
「俺、何かやらかした?」
「やらかしたも何も――くうっ!」
鎮まれ、俺の邪気眼――と呻きながら、田中は己の左腕を押さえた。相変わらず訳の判らない設定と行動だが、表情から察するに――どうやら怒りを抑えているらしい。
――何てことだ、田中が怒っている!
ああ、まさか――こんなことになるだなんて。俺は少し開放的になりたかっただけなのだ。本当に、それだけだったのだ。
誰かの怒りを買うようなことをしたかった訳じゃあないのだ!
「ご、ごめん田中。何をやっちまったか覚えてねえけど、その――ごめん!」
「ふ、ふっ。案ずるな、この衝動は貴様に対するものではない」
貴様の祝福を受けし特異点への嫉妬だ――と言い、田中は腕を強く押さえた。
――祝福? 特異点?
「祝福って――俺、日向に何かしたのか?」
俺がそう尋ねると田中はまた呻き、言い辛そうにしながら口を開いた。
「と、特異点の頬に」
「頬に?」
祝福の口付けを施したのだ――と、田中は言った。
祝福の口付け? 口付け――えっ、口付け?
「ちょっ、俺、日向にキスしたのか!」
「俺様の邪眼で捉えることは出来なかったが、特異点の証言によると――そうらしい」
何てことだ。俺は酔うとキス魔になるのか!
今まで親父の寂しい一人酒に度々付き合って――未成年者の飲酒は禁止されています――きたが、キス魔になるなんて知らなかった。
というか記憶が飛ぶ程飲んだことがなかったので、知る由もなかった訳だが――いや、そんなことはどうでも良い。
それよりも俺は、どう日向に謝罪すれば良いのだ。
「うわああっ、マジかよ。日向に合わす顔がねえ」
女扱いするな――的な話になったばかりだと云うのに、俺が馬鹿やらかしてどうするのだ。俺は阿呆か。
きっと日向も怒っているだろう。俺なんかにキスされてしまったのだから。ああ、タイムマシンがあったら殴りたい。過去の自分を殴りたい。酒など飲むなと殴りたい。
「――左右田よ」
「あ?」
俺が自責の念に駆られていると、田中がやけに真剣な表情で俺を呼んだ。
「何だよ。今から俺は、日向にどう謝罪するか考えなきゃならねえんだよ」
だからもう帰れよ――と言った、のだが。
「謝罪だと? 笑止! 特異点は、貴様に祝福を施されるという羨ま――名誉ある地位を獲得したのだぞ? 感謝されこそすれ、謝罪の必要などないではないか」
「それはお前の考えだろ! 普通は嫌なもんなの! つうか羨ましいって言い掛けたな、おい」
「当たり前だろう。言った筈だ、俺様は貴様を愛していると」
故に、貴様の祝福を受けし特異点が憎いのだ――と喚き、田中は俺との距離をずいと詰めた。
「ちょっ、近い近い近い! 主に顔が近い! 物理的に近い!」
「俺様にも祝福しろ! いや、してください!」
がしりと田中が俺の肩を掴む。掴まれるとは思っていなかった俺は、吃驚して身を引いてしまい――背中から床に倒れてしまった。俺の肩を掴んだままだった田中もそれに引っ張られ、俺に伸し掛かるように倒れ込む。
俺の肩には田中の手。眼前には田中の顔があり――うわあ、これ。端から見たら俺が、田中に押し倒されたみたいじゃあないか。
「そ、左右田」
おい止めろ。その妙に熱っぽい目で俺を見るな。というか重いから早く退け――。
ふう、と田中の吐息が俺の唇に当たる。異常に熱を孕んだそれに驚き、思わず生唾を飲んだ。
田中の顔を見る。仄暗い情欲の火を灯した色違いの双眸が、俺のことを見つめていた。
や、ば、い。
「ま、待て。早まるな。時期尚早だ。不純異性――いや、同性交遊は駄目だ。学生の本分は勉学であり、そういうことは大人になってから――」
「待てん!」
「待てよ早漏」
早漏でないわ! と、何故か田中は必死に否定してきた。よく判らないが――これは好機だ!
反論に忙しい田中の隙を狙い、俺は――田中の鳩尾に拳をぶち込んだ。
「うぐっ」
男の時より力が弱くなったせいか、想像よりも軽い手応えだった。
呻きこそしたが、田中は平気そうな顔で――いや、苛立たしそうに俺を見ている。
拙い。怒らせた。
「貴様、この俺様に攻撃するとは――どうやら躾が必要らしいな」
躾って何だよ。俺は犬じゃない。
ああ、どうしよう。このまま流れに身を任せてしまったら、取り返しの付かないことになる。そんな予感がする。
命は取られないだろうが、大事なものを取られてしまう気がする。
というかウサミよ。幼気な女の子が狼に襲われそうになっているのに、何故助けに来ない。お前は仮にも教師だろう。不純異性交遊は駄目だろう。それともあれか、これも「らーぶらーぶ」に該当するのか。
あっはっはっはっ! 後で解体する。
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