五日目@

 修学旅行生活、八日目の朝。
 もう、何も言うまい。

「っ、だあああっ! いつになったら戻るんだよ!」

 ――このままでは一週間が経ってしまうぞ、俺が女になってから!
 一体あの愚鈍な兎は、今まで何をしていたのだろうか。もしかして何もしていないのではないか?
 もしくは――この異常事態を引き起こした諸悪の根源が、あの兎なのではないのか?
 などという疑心暗鬼に陥りそうになる程、俺の中でウサミへの評価が下がりに下がりまくっていた。

「ど、どうした左右田よ。食事中に騒ぐのはいかんぞ」

 ――ああ、そうだった。今は朝食の時間で、レストランにて飯を食べている最中だった。
 田中に軽く窘められ、俺は正気を取り戻した。

「ああ、すまねえ。あまりにもウサミの野郎が使えなさすぎて」
「ふむ。確かにあの仮初めの先導者は、未だに原因を突き止められていないな」

 確かに使えん奴だ――と、田中は俺に同意した。
 昨日は田中を散々弄んでしまったが、流石に遣り過ぎたと反省した俺は、こうしてまた知人――よりは上の関係に戻ることにしたのである。
 故に、田中はもう首輪をしていないし、俺に対して敬語も使わない。俺ももう、田中を引き摺り回したりは――多分しない。

「だよな。先生だって名乗ってる癖に、本当使えねえ」
「所詮は仮初めの肉体を与えられし魔獣擬き、仕方あるまい」
「だけどよお。このままだと俺、女として生きなきゃなんねえし」
「案ずるな。その時は俺様が貴様を、闇に包まれし安住の地へと誘おう」
「闇に包まれてたら、お先真っ暗じゃねえか」
「そ、そういう意味ではない」
「解ってるって」

 なあんて、冗談を交えながらウサミを虚仮にしていると――ふと、背後に嫌な気配を感じた。
 何だと思って振り返ると、そこにはウサミが落ち込んだ様子で立っていた。

「げっ、ウサミ」
「しくしく。あちし、そんなに嫌われていたんでちゅね」

 ごめんなちゃい、駄目な先生で――と言いながら、ウサミはさめざめと泣いている。
 縫いぐるみなのにどうやって涙を流しているんだ――という野暮な突っ込みが俺に出来る筈もなく。少し言い過ぎたかな――という罪悪感に駆られてしまった。

「あ、いや、嫌ってなんかいねえよ。ごめんごめん。駄目じゃねえって、うん」
「そ、そうだぞウサミよ。貴様は駄目な先生などではない、貴様は頑張っている。頑張っているぞ」

 田中も言い過ぎたと思ったのか、俺を援護するようにウサミを励ました。
 すると、俺達の励ましが効いたのか――基本的にこいつの頭が単純なだけなのだろうが――ウサミは元気を取り戻し、いつも通りの憎めない笑みを浮かべた。

「うふふ。先生、愛されてまちゅ! あちし嬉しいでちゅ!」
「ああ、うん」

 愛してはいないんだけど――と言いたくなったが、また泣かれても困るので黙っておく。俺って大人だなあ。

「それよりウサミよ、採集の時間はまだの筈だ。何故今現れた」

 そういえば、と思い至る。
 今はまだ朝食時間、採集の時間はまだだ。にも拘わらずウサミが、態々俺の背後に立っていたということは――。

「何か用か?」

 ――恐らく俺か、俺の隣に鎮座している覇王様に用があるのだろう。そう睨んで尋ねたのだが――果して、その通りだったようだ。
 ウサミは、そうなんでちゅよ――と、やけに興奮した様子で声を上げた。

「実はでちゅね、左右田君が女の子になってちまった原因が解ったんでちゅ!」
「何だと!」

 俺は椅子から立ち上がり、ウサミに駆け寄ってその身を掴み上げた。

「おい、本当か! 原因が解ったのか! 早く戻せ、今すぐ戻せ!」
「あわわわわっ、ゆ、揺さぶらないでくだちゃいいいっ!」
「左右田君、落ち着いた方が良い――と思うよ?」

 がくりがくりと首が千切れんばかりにウサミを揺さぶっていた俺は、静かでいて力強い七海の言葉に窘められ、その動きを止める。

「ああ、悪ぃ。つい」
「た、助かりまちた七海さん」
「うん、良いよ」

 相変わらずなマイペースの七海を見て冷静さを幾分か取り戻した俺は、ウサミを解放することなく――もし逃げられたら困るので――出来るだけ優しくウサミへ話し掛けた。

「なあ、原因って何だったんだ?」
「それは、その――」

 ちょっと言えまちぇん――と、ウサミは言葉を濁した。
 おい。

「言えねえってどういうことだ。こっちは被害者なんだぞ。原因の説明と謝罪と補償をするのが筋ってものじゃあねえのか。中綿引き摺り出すぞ」
「ひ、ひいいいっ! 暴力反対でちゅ! 解体反対でちゅうううっ!」

 俺の殺気と本気具合が伝わったのか、ウサミは俺の手から逃げようと藻掻いている。だが無意味だ。女になったとはいえ、縫いぐるみ如きの抵抗に負ける程か弱くはなっていない。

「うっせ、うっせ! 解体されたくなきゃあ、さっさと白状しやがれっつうの!」
「やあああんっ!」
「――そこまでだよ、左右田君」

 何事かと思って声のした方を見ると――びしぃっ、という擬音を態々口にした七海が、俺に向かって指を差していた。

「え、何?」
「ウサミを虐めるのは、そこまでだよ」
「虐めって――」
「虐めだよ。ウサミにも、色々事情があるんだ――と思うよ? だから、それを無理矢理問い質すのは、良くないよ」

 ぐぬぬ。そう言われると、何だか俺が悪いような気がしてきた。
 俺に言えない事情とやらは気に食わないが、無理矢理情報を聞き出そうとしたのは――確かに横暴過ぎたか。

「すまねえウサミ」
「良いんでちゅよ、こちらこそすみまちぇん」

 原因は教えられまちぇんが、あちしがちゃんと元に戻ちまちゅので――と、ウサミは自信満々に言い放った。
 悔しいことに今のこいつは、今までで一番先生らしい雰囲気を漂わせている。本当に悔しい、縫いぐるみなのに。
 でも、まあ――そこまで言うなら、信じてやっても良いだろう。

「しゃあねえなあ。原因を知ることが出来ねえってのは気持ち悪ぃけど――元に戻して貰えるんなら、これ以上は詮索しねえよ」
「ありがとうございまちゅ! 絶対バグ――げふんげふん! 絶対元に戻ちまちゅので、もう少ちだけ待ってくだちゃい!」

 何か気になる単語が飛び出したが、詮索しないと約束してしまったので、突っ込まないことにする。

「はいはい、こうなったらとことん待っててやっから」
「ありがとうございまちゅ! では、今からバグ――げふんげふん! 問題を解決してきまちゅね!」

 はいはい、頑張ってくれよ――と言い、俺はウサミを床に下ろしてやった。それからウサミはマジカルステッキを振り、一瞬にして姿を消した。
 本当にどういう仕組みなのだろうか、あれは。

「――さて。とりあえずさっさと飯食って、採集しなきゃなあ」

 問題の解決とやらはウサミに任せるしかない。俺は俺で、俺の出来ることをするしかない。
 気になるは気になるが、気にしていてもどうすることも出来ないのだ。
 俺は席に座り、朝食の続きを再開することにした。




――――




 あれから何の問題もなく採集を終えた俺は、田中と一緒に軍事施設へやってきた。
 特に意味などない。何となく田中と二人きりになりたかったので、人があまり来ない此処を選んだだけなのである。

「左右田よ」
「何だ?」
「貴様も漸く、真の姿に戻る時が来るのだな」

 ――真の姿、か。
 女の姿になって早五日。いざ元に戻れるとなると、嬉しさ反面――少し寂しさも覚える。
 元に戻りたいのは山々なのだが、もう少しだけ女ならではの楽しみを味わいたかったというか――。
 ――女ならでは?
 よく考えてみれば、この身体になってやったことと言えば、女性用下着を着用したり、ゴスロリ衣装を着てみたりしたくらいで、殆ど何もしてないんじゃあなかろうか。
 ――あれ、損してないか?
 確かに風呂や便所で、未知なる経験と光景を目の当たりにはしたが――特に何かをした訳ではない。こういう展開のお約束とも云える自慰すらしていない。
 元々そこまで盛っている方ではない――寧ろ機械弄りが楽し過ぎて枯れ気味――ので、性的な方向へ興味が向かないのは、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
 何だかとても、勿体無い気がしてきた。
 これほどまでに奇怪で奇妙で摩訶不思議な体験が、これから先にまた出来るだろうか?
 いや、出来ないだろう。こんなことが日常茶飯事になられたら困る。
 ではどうするか。もうすぐ元に戻るこの身体を、少しだけ満喫――本当に少しだけ、満喫してみようと思う。
 何だかんだで迷惑を掛けてしまった田中にも、お裾分けする形でな。他意はないぞ、ないったらないのである。

「田中」
「どうした」
「俺の胸、揉んでみるか?」

 俺がそう言った瞬間、田中は顔面の穴という穴から液体を吹き出した。

「ぶ、ぶふっ、げほっ――なっ、ななな何を言っているのだ貴様はっ! むむむ胸を、もっ、ももももも」
「ちょっと落ち着けよ」

 落ち着けるか――と喚きながら、田中は顔を紅潮させて俯いた。

「そ、そそそんな、胸とか、そんな」
「俺の唇奪っておいて、今更何言ってんだてめえ」
「ごめんなさい」

 首輪を付けた時と同じになりつつある田中を見て、俺はふう――と溜め息を漏らす。そして田中の手を掴み取り、そのままずるずると引き摺って監視カメラの範囲外――戦車の中へ入るよう促し、俺も中に入った。
 蓋を閉めれば完全なる密室。お情け程度の電灯がやけに厭らしい。

「あ、あの、左右田?」

 流れに流された田中は、挙動不審を絵に描いたような動きをしながら俺を見詰めている。
 期待と不安が綯い交ぜになった田中の眼光は、仄暗い中でもよく判る程にぎらぎらと輝いていた。
 不覚にも少し、ときめいてしまった。美形はこれだから困る。

「俺のこと、好きなんだろ?」

 俺は優しく田中の手を握り、その手を自分の胸に押し当てた。無駄に豊満な俺の乳房に、田中の手が沈んでいく。
 ごくりと、田中が生唾を飲んだ。

「――い、良いのか?」

 田中は指先一つ動かすことなく、本当に揉んでも良いのかという旨を聞いてくる。俺はにこりと――ちゃんと笑えていたか判らないが――微笑み、ゆっくりと頷いてみせた。
 田中の指先が、痙攣したかのようにぴくりと跳ねた。




――――

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