一日目B

 



「左右田。おい、左右田」

 どんどん、という音が聞こえる。ううんと唸りながら身動ぎ、窓の外を見る。薄暗い。
 ――あれ、もう夜か?
 ゆっくりと起き上がり、背筋を伸ばす。丸まって寝ていたせいで背中が痛い。

「おい、左右田」
「――ああ、はいはい」

 外からの声――恐らく日向――に軽く返事をし、ベッドから降りて立ち上がる。少しふらつくが、問題ない。俺は扉へ近付き、扉を開いた。

「おはよう」
「おはよう、じゃないだろ。もう夕食の時間だぞ」
「仕方ねえだろ、色々遭って疲れてたんだから」
「色々?」
「ああ、うん――こっちの話だ」

 流石に言いたくない。全身を隈無く調べられたなんて。

「ふうん。ほら、レストランに行くぞ」

 俺の気持ちを察してくれたのか、日向は話題を変え、レストランに行くよう促してきた。
 ううん。鋭いのか鈍いのか、よく判らない奴だ。
 ――まあ良いか。

「よっしゃあっ、エンジン全開! 今日の夕食は何だろうな」

 そう言いながら俺は、日向の肩を掴んで引き寄せる。所謂、肩を組むというやつだ。
 親しくなってからよくやっている行為――なのだが。

「な、なっ、ちょっ、左右田!」

 何故か日向は慌てふためき、俺から離れようとしている。
 何故だ。

「何だよおい、いっつもこうしてんじゃねえか」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」

 言葉を濁し、逃げようとするその態度に苛立ちを覚えた俺は、力を込めて日向を引き寄せる。

「んだよ、俺のこと嫌いになったのかよ!」
「ち、違うんだって、その――ああもう! 左右田!」

 お前の胸が当たってんだよ――と、日向は悲鳴のような絶叫を上げた。
 ――胸?
 自分の胸を見てみる。日向の腕が減り込んでいた。
 ――ああ、うん。

「ごめん」
「いや、うん、ありがとうございました」

 何で礼を言うんだよ。




――――




「疲れた」

 夕食を食べ終え、再び自分のコテージに戻ってきた俺は、またベッドに寝転がった。
 何かもう、色々疲れた。日向と気軽に肩も組めないなんて。女というものは、とても面倒臭い身体構造の生き物だ。
 せめてこの胸が平らに近い残念なものであれば、日向もあんなに意識したりしなかった――のかも知れない。
 無駄に女らしい女の身体をしている俺の身体は、元男という悪条件を含めても、そういう対象に入ってしまうのだろうか。
 そういう、恋愛だの情欲だのの対象に。

「――うああっ」

 この憤慨と屈辱の発散方法が解らず、ベッドの上をごろごろと転がる。
 何で俺がこんな目に遭わなければならないのか。
 ――漸く出来た友人から、そういう目で見られるなんて!
 これを悲劇と言わずして、何を悲劇と言うのだろう。他人からすれば喜劇かも知れないが、俺にとっては悲劇だ。

「畜生、畜生っ」

 不意に視界が歪む。生来の脆弱な涙腺が緩んだのだろう、涙が止まらない。
 不条理極まりない展開に巻き込まれ過ぎて、俺のか弱い精神は既にぼろぼろだった。
 今の今まで麻痺していた不安感が、一気に押し寄せてくる。このまま女として生きることになったら、どうしよう。
 今後の生活は? 親にどう説明すれば良い? 戸籍は? 男なのに男と恋愛して、子供を産めと云うのか?
 ――怖い。怖い。怖い。
 何もかもが未知の世界だ。
 今まで男として生きてきた俺にとって、女としての生活と将来は、宇宙並みに未知の世界だ。
 想像したこともないし、想像できない。恐ろしい。何もない暗い世界に一人取り残されたような、そんな恐怖を感じ――。
 ――あれ?
 じわじわと這い上がってくるこの不快で愉快な感覚を、何故か俺は知っている――ような気がする。
 これは一体、何だったか。これは、この感覚は――。

「ぜつ――」
「――左右田」

 コテージの外から俺を呼ぶ声が聞こえ――はっとして、我に返った。瞬間、あの感覚は完全に消え失せ、何だったのかすら思い出せない。何だったのだろうか、あの感覚は。
 いや、それよりも返事をしなければ。外に居るのは多分――。

「日向か?」
「ああ」

 やっぱりな。

「どうしたんだよ」
「いや、その――」

 さっきはごめんな――と、日向が言った。

「え、何が?」
「ほら、さっき、肩を組んだ時の」
「――ああ。何だよ、そんなの気にしなくて良いって。俺が無神経過ぎたんだからよお」
「いや、俺の方が無神経だった。中身はお前なのに、外見が変わったくらいで、あんな態度しちまって――」

 本当にごめんな――そう言った日向の声は、震えていた。
 そんな声を聞いてしまった俺は、反射的にベッドから起き上がり、急いで扉を開けた。
 果してそこには、今にも泣き出しそうな日向が居た。

「な、んだよ。そんなことくらいで泣くなよ」

 空気を変えようと悪態を吐くが、情けない程に俺の声は震えていた。

「お前に言われたくない。何だよ、そんなに目を腫らして。本当は嫌だったんだろ」
「いや、これはまた違うというか、違わないというか――」
「――嫌だったんだろ?」

 うん――と言い、頷いた。

「やっぱり」
「だって俺、男だし」
「だよな、ごめん。これからは今まで通り、男として扱うから。まあ、貧弱になった分は手助けするけどな」
「貧弱って言うな」

 べしりと日向の頭を軽く叩けば、自然と笑顔が零れ出た。

「だって本当のことだろ?」
「うっせ、うっせ! 今に見てろよ、一から鍛え直して筋肉付けてやるからな!」
「ははは、まあ頑張れよ」
「俺は本気だからな!」

 ――ああ、これだ。この何気ない、自然な触れ合い。
 良かった、友人を失わなくて。
 今でもまだ、心の奥底で不安と恐怖が燻っているが――日向が居れば、何とかなるような気がしてきた。
 そうだ、何とかなる。こんなに良い友人が居るのだから、何とかなる。何がどう何とかなるのかまでは考えられないが、それでも良い気がする。

「日向」
「何だ?」
「お前のこと、ソウルフレンドだと思ってるから」
「それはどうも。俺もお前のこと、そう思ってるよ」

 そうか。それなら俺達、両想いだな――と言って、舌を出しながらけけけと笑ってやった。
 日向の顔が赤くなった気がするけど――悪い気はしなかった。

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