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「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
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Sienna



 
―01―



「名前ちゃんマジ可愛い!」
「からあげ食べる?」

成人式ではいろんな男の子から声をかけられた。
そりゃあ、中学の頃に比べたら化粧も覚えたしスキンケアにも気を遣うようになった。それなりに可愛くなったとは自分でも思う。しかしちょっと可愛い部類に入るだけでここまで扱いが違うのかと、嬉しいどころか軽く引いてしまった。5年も経てば人は変わる。当時いいなと思っていた野球部の坊主だった鈴木くんが軽々しく腰に触れてきて勝手に幻滅した。キャバクラじゃないんですけど。

「私そろそろ帰ろうかな」
「じゃーオレ送るよ」
「いいよ、駅近いし」
「駅まで!ね!」

慣れないチヤホヤ空間は思っていたより居心地が悪かった。飲み放題の時間はもうとっくに終わっている。仲の良い友達も帰っちゃったしもうこの場に残る理由はない。
私が立ち上がると、飲み会中ずっと私の隣に座っていた鈴木くんも一緒に立ち上がった。ここから駅まで歩いて5分もかからないし送ってもらうような距離じゃない。遠慮してもぐいぐいと食い下がってきて結局私は鈴木くんと2人で居酒屋を出ることになった。他の同級生達の好奇な視線が集まるのを感じた。なんか嫌だなあ。

「オレさ、名前ちゃんは絶対可愛くなると思ってたんだよね」
「えー何それ」
「マジだって!」

酔っ払いの軽口を誰が信じるというんだ。中学の頃「名前ちゃん」なんて呼んだことないくせに。

「てか正直さ、名前ちゃんもオレのこと気になってたでしょ?」
「……そうだね、いいなーって思ってたよ」

確かに中学の頃、私は鈴木くんのことをいいなと思っていた。でもそれはあの頃の鈴木くんが野球をすごく頑張っていて、誰に対しても優しく振る舞える人だったからだ。マネージャーの子と付き合ってたし、告白して付き合いたいまでの感情ではなかった。

「すげー嬉しい」
「!」
「2人きりで飲み直さない?」

急に立ち止まった鈴木くんが私の手を握った。反射的に解こうとしたのをぐっと押さえ込まれる。言葉は柔らかいけどその下に隠されてるものが見えてしまって小さな恐怖を感じた。

「今日はやめとくよ。また今度みんなで集まろ……」
「名前ちゃん」
「てか、鈴木くん彼女いるって言ったじゃん。よくないよ、こういうの」
「最近うまくいってなくてさ」

いや知らんがな。本当に好きだと言ってくれるんだったらいざこざになりそうなことに巻き込まないでほしい。
嫌だと言ってるのに鈴木くんはなかなか諦めてくれない。押せばいけると思われてることもむかつくし、鈴木くんの手を振り払えない自分にも腹が立った。

「多分本気で嫌がってると思うよ」
「「!」」

誰もが横目に通り過ぎる中、一人の男の人が私と鈴木くんの間に入った。気付けばあんなにしつこく纏わりついていた鈴木くんの手が離れている。短髪に左耳のピアス……後ろ姿からわかる情報は少ないけど知ってる人ではないと思う。

「な、何だよ三ツ谷……」

鈴木くんが呼んだ名前には聞き覚えがあった。同じ中学の三ツ谷くんだったら名前だけ知ってる。けっこうガチなヤンキーで、同じクラスになったことはなくて、手芸部の安田さんからたまに話を聞くくらいだった。

「邪魔すんなよ」
「あ?」
「な、何でもねぇよ!」

三ツ谷くんの低い声に後ろにいる私まで震えてしまった。今は何してるか知らないけどやっぱりヤンキーは怖い。三ツ谷くんの声と顔に威圧されたのか、鈴木くんは逃げるように去っていった。

「……邪魔しちゃった?」
「う、ううん、助かった」
「なら良かった。気を付けて帰れよ」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」

振り返った三ツ谷くんはさっきの低い声が嘘みたいに爽やかでかっこよかった。笑顔で私に手を振る三ツ谷くんにヤンキーの片鱗は見えない。今は何をしてるんだろう。少し話してみたくなったけど我慢した。いくらかっこよくても三ツ谷くんは元ヤンだし、私なんかが親しくしていい人じゃない。
今日のかっこいい三ツ谷くんは成人式のいい思い出としてしまっておくことにした。



―02―


 
成人式以降はいろんな人から連絡がきた。鈴木くんからのご飯のお誘いには「予定が合えばみんなで行きたいね」と返信を打ったらそれきり返事はこなくなったから、多分諦めてくれたんだと思う。他にも何人かお誘いを受けたけど中学の同級生だと思うとなかなか恋愛対象にはならなかった。
ちなみに三ツ谷くんからは何の音沙汰もない。そもそも連絡先を知らないから当たり前なのに、やっぱり心のどこかで期待していたらしい。かっこよかったもんな。顔はもちろん、なんかもう雰囲気がイケメンのそれだった。
そうこうしているうちに4月になり、私は無事大学3年生に進級した。これから実習で忙しくなってくるだろうし、大学は彼氏できないで終わるのかな。別に全然いいんだけど。

「私明日バイト早いし、そろそろ帰るね」
「えー名前ちゃん帰っちゃうの?」
「気を付けてね〜」
「うん」

今日だって大学の友達と飲んでいたのに、途中で知らない男子大学生が3人乱入してきて合コンみたいな感じになってしまった。みんなが盛り上がる中、居心地が悪くなった私は一人で帰らせてもらった。
もう少しフットワークを軽くすれば何か変わるのかもしれないけど、どうしてもこういうノリには馴染めない。根本的に私のこの性格は彼氏つくるのに向いてないんだと思う。

「可愛い子揃ってるよ〜」
「おにーさん達2軒目決まってる?」

夜の繁華街は華やかな女性やスーツをビシッと決めた男性で賑わっている。いくら同世代に可愛いと言われようが私は未だ子供っぽさが抜けない大学生。煌びやかな背景の前では簡単に霞んで見向きもされない。夜の街に紛れてこれが普通なんだと少し安心した。

「!」

そんな賑やかな大通りで三ツ谷くんを見つけた。華やかな街灯や人々にも負けず劣らずの存在感は流石だ。反対の歩道から見つめる私には気付いていない。三ツ谷くんもこの辺で飲んでたのかな。無邪気に笑う頬は赤く見えた。一緒にいるのは背の大きな男の人で、頭に龍の刺青が入っていた。こっわ……!きっとヤンキー時代の友達だ。

「名字さん!」

歩くペースを速めた私を呼び止めたのはさっきまで一緒に飲んでいた男子大学生の一人だった。一瞬でも三ツ谷くんを期待した自分に呆れる。そもそも三ツ谷くんは私の名前さえ知らないだろうに。

「ここらへん変な奴多いし、やっぱ心配でさ」
「大丈夫だよ、ありがとう」

名前は確か佐藤くん。私と一緒で、あまりあの空間に馴染めていなかった印象がある。わざわざ抜けて追いかけてきてくれたんだ。優しいな。

「カラオケどうすか〜?カップル割引あるよ!」
「いや、私達は……」
「カラオケか〜、どうする?」

ペースを落として2人で歩いているとカラオケのキャッチの人に捕まってしまった。一人だったら声をかけられることはなかったのにと少し悔やんだ。

「行っちゃいましょ!ミラーボールついてる部屋あるんで!」
「ハハ、ミラーボールだって。行ってみよっか?」
「え、ちょっと!」

さっきまで送ってくれる感じだったのにいきなり掌を返してきた佐藤くんに驚く。たかがミラーボールにそこまで惹かれるわけがない。この人も成人式の時の鈴木くんと同じだったんだ。気付いた時にはもう遅く、簡単には振り解けない力で手を引っ張られていた。

「名字さん何してんの?」
「!」

佐藤くんに引っ張られてヨタヨタと歩く私の肩に別の手が触れた。聞き覚えのある声に振り返ると少し前に通り過ぎたはずの三ツ谷くんが立っていた。

「おにーさん悪いね、この子今から俺達と二次会なんだわ」
「じゃあ是非ウチで!」
「店予約してるんで。また今度行くよ」
「えーお願いしますよー?はいコレ割引券ね」
「どーも」

三ツ谷くんは私が今置かれている状況を瞬時に理解たようで、機転の効いた嘘でキャッチのお兄さんを追い払ってくれた。これだよ、私が望んでいた対応は。恨めしく佐藤くんをチラっと見上げたら小声で「知り合い?」と聞かれて「まあ……」と頷いた。

「友達?」
「う、うん。佐藤くん」
「佐藤くんも一緒にどうスか?」
「いや、オレは……や、やめとく」

佐藤くんは明らかに三ツ谷くんの隣の刺青の人を見て怖気づいたようで、ハハハと渇いた笑いを浮かべて去っていった。その姿を滑稽だと笑うようなことはしない。私だって怖いもん。

「名字さんよく変なのに捕まるね」
「あはは……ありがとう」

また三ツ谷くんに助けられてしまった。ぐいぐい来られたらはっきりNOとは言えない弱い奴だと思われてたら嫌だな。別にあのくらい、自分で断ることできたし……多分。

「その子連れてくの?」
「!」
「ハハ、まさか。名字さんオレらのペースについてこれねーよ」

私が全力で首を振る前に三ツ谷くんが笑って否定してくれて安心した。あんなのキャッチを追っ払うための口実で、本当に一緒に飲むわけないじゃん。……とはもちろん言えないし刺青さんの顔を見ることさえできない私はやっぱり弱い奴だと思われても仕方ない。

「気を付けて帰れよ」
「うん、ありがとう」

三ツ谷くんは今日も前回と同様に安心できる優しい笑顔で手を振ってくれた。
……あれ?三ツ谷くん何で私の名前知ってたんだろう。三ツ谷くんに背中を向けた後に気付いた。



―03―



『お願い!一緒に来て……!』

唐突に安田さんからご飯のお誘いがきた。理由を聞いてみると林くんとご飯に行きたいけど2人きりは緊張するからまずは4人で集まりたいということだった。林くんって、学ランの下に派手なシャツを着ていたヤンキーだった林くん?そう聞くとスマホの向こうの安田さんはしおらしく「うん」と肯定した。マジか。中学の頃、安田さんは林くんにいい印象を持っていなかったはずだ。ちゃんと校則守りなさいと説教さえしていたのに……いや、だからこそなのかな?気になっちゃうほっとけない、みたいな?
事情はわかったけど、何で安田さんは私を選んだんだろう。安田さんとはまあまあ仲良かったけど、卒業後も顔を合わせていたわけではないし私より仲良い子はたくさんいるはずだ。それこそ手芸部の子とか。林くんは三ツ谷くんを連れてくるらしいし、その中でうまく立ち回れる気がしない。

「ごめん他の子誘って」
『部長のご指名なんだけど……』
「えっ」

安田さんが部長と呼ぶのは三ツ谷くんのことだ。どちらにせよ納得できない。何で三ツ谷くんが私を指名するの。

『名字さんは断れないはずって言ってたよ』
「……」

確かに借りはめちゃくちゃあるし大したお礼もしていない。私は見えない三ツ谷くんからの圧力を感じて、行くと返事をした。


+++


「えっと……」
「あー……」

そして当日。安田さんと林くんはわかりやすく緊張して、なかなか会話が進まなかった。安田さんはともかく林くん、お前男だろ。可愛くお洒落してきた安田さんを見て何故気の利いた一言も言えないんだ。……という暴言は怖いので飲み込んだ。
ちなみに三ツ谷くんは少し遅れて今来たところで、「何この状況」と笑って席についたばかりだ。

「そういえば安田さん髪短くなってるね」
「あ、うん。初めてボブにしてみたんだ」
「似合ってるよ〜。ねっ林くん!」
「お、おう」
「確かに印象変わったよね安田さん」

以降、私はおせっかいババアかという程フォローに徹した。三ツ谷くんも世話焼きなタイプらしくうまく立ち回ってくれて、2人の緊張はだいぶ解れて会話が成立するまでになった。

「……」

ふと、三ツ谷くんと目が合った。大して仲が良いわけでもないのにそのアイコンタクトの意味はすぐに理解できた。

「私帰るよ」
「えっ何で?」
「オレも」
「は!?」

徐に鞄を肩にかけて立ち上がる私と上着を羽織る三ツ谷くんを見て焦る2人。安田さんの不安そうな目が私を見上げてきたけど心を鬼にして気付かないフリをした。

「2人きりだと緊張するから慣れるまでってことだったでしょ?もう大丈夫そうじゃん」
「ちょ、ちょっと名字さん!」

マンツーマンで会話できる程に成長できた安田さんに私がしてあげられることはもう無い。というか明らかに好き同士なんだからもはや邪魔者でしかない。奥手な2人が少しでも進展するようにと、暴露的な発言とお金を残して居酒屋をあとにした。

「フッ……」
「え、何?」
「名字さん、雑!」

居酒屋を出た瞬間、半歩後ろにいた三ツ谷くんに笑われた。

「だって、明らかに2人両想いなんだもん」
「だなー」

自分でもキューピッドにしては雑なアシストだったと思う。でもあのくらいしなきゃ進展しないと思ったんだもん。その事に関しては三ツ谷くんも同意してくれた。

「で、オレ達はどうする?」
「?」
「名字さん気ィ遣いすぎて飲んでねーだろ。オレでよければ付き合うけど」

そういえば三ツ谷くんとこうやってゆっくり2人で話すのは初めてだ。さっきまで協力体制にあったからか謎の親近感を感じて、三ツ谷くんに対する緊張はなくなっていた。居酒屋での三ツ谷くんを見る限りものすごくいい人なのでは、と思う。実際私は2回も助けられているわけだし。それに三ツ谷くんの誘い文句に鈴木くんや佐藤くんのような下心は一切感じなかった。

「それにこのまま帰したら、名字さんまた変なのに捕まりそうだし」
「だ、大丈夫だし」

元ヤンという偏見は捨てて、私は三ツ谷くんと2人で二軒目に行くことにした。この前のお礼もしたいし、今なら楽しくお喋りできる気がする。



―04―



「……!」

瞼越しに差し込んできた日光が眩しくて目を覚ました。視界に入った三角の天井と独特な木のにおいですぐに見知らぬ場所だと悟る。私は簡易ソファに寝ていてお腹には小さなブランケットがかけられていた。服装は昨日のままだから家には帰らず一晩ここで過ごしたということになる。
昨日は安田さんの頼みで林くんと三ツ谷くんと4人でご飯に行った。邪魔しちゃ悪いと思って私は先に帰って……ん?確か三ツ谷くんも一緒にいて、2人で別の居酒屋に行って……

「あ、起きた。コーヒー飲む?」

私が記憶を辿っている途中で三ツ谷くんの存在に気付かされた。同時に事の重大さにも気付いて動悸が激しくなる。ここはもしかして、三ツ谷くんのアトリエではなかろうか。
三ツ谷くんとのサシ飲みは思いのほか楽しくて、中学の頃接点がなかった分話題は尽きなかった。その会話の中で中学卒業後は服飾の専門学校に通って、今はデザイン事務所でデザイナーとして働いていると教えてくれた。独立を見据えて小さなアトリエを持ってるとも言っていたから、多分ここがそうだ。改めて室内を見渡すと目に入った棚にはたくさんの生地やデザインに関する本が収められていた。

「コーヒー、飲めない……」
「え、マジ?紅茶は?」
「飲める……」

正しくはミルクとシロップが無いと飲めないんだけどそんな説明を付け足せられる精神ではなかった。ここで私は三ツ谷くんと一晩過ごしたというとんでもない事実に気付いてしまったから。
2軒目の居酒屋を出た後の記憶が曖昧だ。けっこう酔っ払っちゃって、足取りの覚束ない私を見かねて三ツ谷くんがアトリエで休憩するかと提案してくれたような気がする。多分すぐ寝ちゃったはずだからいかがわしいことはしていない……はず……。断言できないのが恐ろしい。

「名字さんってさあ……隙がありすぎんだよね」
「え?」
「だから成人式の時もこの前も狙われるんだよ」

三ツ谷くんの方も普通にしてるからきっと大丈夫。「お世話になりました」的な軽いノリで別れられそうだと思ったのに、なんか説教が始まってしまった。隙がありすぎるだなんて心外だ。

「助けてもらったのは本当に感謝してるけど、一人でも断れたもん」
「ふーん……」

鈴木くんに対しても佐藤くんに対しても隙を見せた覚えはないし、むしろ元々コミュ障だから壁を作ることには慣れてるし。
ムキになってキツい言い方をしてしまった私を三ツ谷くんの冷たい瞳が見下ろした。その視線に背筋がゾクっとして三ツ谷くんが元ヤンであることを思い出す。そうだ、昨日はお酒のテンションがあったから楽しく過ごせただけで、元々私と三ツ谷くんは住んでた世界が違うんだ。仲良くなったなんて錯覚してはいけない。

「でも今回は?」
「!」

一刻も早くここから去らなければと自覚したその時、三ツ谷くんが私の隣にドカっと腰を下ろした。小さな簡易ソファだから一気に狭くなったと感じる。未だかつてない程三ツ谷くんが近くにいる。肩同士が触れている事実を受け入れられない。

「お持ち帰りされちゃってますけど?」
「ッ……!」

距離の近さとぐうの音も出ない事実を突きつけられて食い下がることができなくなってしまった。「一人でも断れる」と豪語したくせに、結局こうやって三ツ谷くんと一晩を過ごしてしまったんだから確かに説得力は無い。いかがわしいことがなかったのは結果論であって、もし三ツ谷くんにその気があれば今頃どうなっていたかもわからない。

「か、帰る!」
「紅茶は?」
「いらない!」

反論できなくなった私は逃げるという選択肢を選んだ。こういうのを"逆ギレ"と呼ぶんだろう。
無駄に声を荒げて立ち上がった私を見る三ツ谷くんの瞳はどこか優しげで大人っぽい。余計に自分が幼稚に見えてしまって悔しい。

「あっ、ありがと!」

私の滑稽な捨て台詞に、やっぱり三ツ谷くんは優しく笑ってくれた。



―05―


 
「あ」
「おっ」

文具屋さんで思わぬ人物と出くわした。もう二度と会うことはないと思っていたのに。あんな別れ方をした手前ものすごく恥ずかしいし気まずい。
すぐに逃げたくなったけど私が今いる色鉛筆のコーナーはお店の一番奥。ここから脱出するにはどうしても三ツ谷くんの横を通り抜けなきゃいけない。悠然としていて隙が一切ないように見える三ツ谷くんのディフェンスに私はなす術もなく立ち尽くした。

「あー……ごめんって。この前意地悪いことした」

身構える私に三ツ谷くんは申し訳なさそうに頭を掻いた。謝らせるつもりなんてなかったのに。逆にこっちが申し訳なくなってしまう。

「そ、そんなことないよ。私こそ迷惑かけてごめんね」
「迷惑じゃねーよ、全然。一応言っとくけど変なことはしてませんので」
「そこは心配してないので」
「いやいや心配しろよ」

漫才のようなテンポの良い会話に2人して笑い合って緊張がほぐれた。よかった、やっぱり三ツ谷くんは優しい人だ。

「三ツ谷くん文具屋さん似合わないね」
「名字さんってけっこーズバっと言うよね」

リラックスしたせいで失礼なことを言ってしまったけど三ツ谷くんは爽やかに笑って許してくれた。かっこいい。
事情を聞いてみると、小学生の妹ちゃんに誕生日プレゼントにペンケースが欲しいと言われて探しに来たらしい。なんとも微笑ましい理由に簡単に頬が緩んだ。年子の兄がいる身としては妹に優しいお兄ちゃんなんて想像できない。歳が離れてるときっと感覚が違うんだろうな。毎年こうやってプレゼントを用意してるのかと推測するとこっちまで優しい気持ちになった。

「どんなのがいいと思う?」
「雑貨屋さんの方が可愛いのあると思うよ」
「わかんねーから一緒に行ってくんない?」
「え、あ、うん」

女の子向けのペンケースだったら文具屋さんよりも雑貨屋さんの方が可愛いのがあると思う。私も小さい頃は近所の雑貨屋さんでキラキラしたやつ買ってたし。
そう助言をしたら一緒に雑貨屋さんに行くことになった。流れで頷いてしまった数秒前の自分を叱責する一方で、三ツ谷くんの力になりたいと思う自分も確かにいた。些細なことかもしれないけど、これで助けてもらったお礼ができたらいいな。


+++


幸い雑貨屋さんは同じ通りの少し歩いたところにあってすぐ移動できた。私もよく行く雑貨屋さんだ。
妹ちゃんの好きな色とか持ってるペンの量とかを聞いてこれがいいんじゃないかと提案したものを三ツ谷くんは迷わずレジまで持っていった。心なしかレジのお姉さんの表情が柔らかい気がする。うんうんわかる、ただでさえ雑貨屋さんに男の人の姿は珍しいし、明らかに女の子へのプレゼントだと分かると微笑ましいよね。

「ありがと。こういう店知らないし一人だと入りにくいから助かったわ」
「喜んでくれるといいね」
「ん。こっちは名字さんの」
「え?」

レジから戻ってきた三ツ谷くんに小さなラッピングを渡された。妹ちゃんのプレゼントは別で持ってるしはっきりと「名字さんの」と言われたから、これは私へのプレゼントで間違いないらしい。だからこそ意味がわからない。

「今日付き合ってくれたお礼」

そんな、お礼の品を貰える程の働きはしてないのに。そもそも助けてもらったお礼になればと思っての行動だったのに、これじゃあ全然恩を返せた気になれない。

「妹の反応報告したいから連絡先教えて」
「あ、うん」

成り行きで連絡先まで交換して、ついに三ツ谷くんとの繋がりができてしまった。
漫画やドラマなら恋が始まりそうな展開に、私の理性に反して胸が高鳴る。勘違いしてしまいそうになる自分に自身のステータスを自覚しろと釘を打った。自惚れてはいけない。三ツ谷くんは優しい人だと、散々見てきたじゃないか。
家に帰った後、自室で何時間もかけて気持ちを打ち消したのも、プレゼントの中身を確認したことで無駄になった。最近入浴剤にハマってるなんて三ツ谷くんに話してない。心当たりがあるとすれば、雑貨屋さんで手に取って見ていたくらいだ。もしかしてその様子を見ていてくれたんだろうか。ていうか今日のコレはデートと呼べるのでは……いや、これ以上考えるのはやめよう。
特別高価でもないはずのその入浴剤をすぐに使ってまうのはなんだかもったいなくて、とりあえずサイドテーブルの上に飾ることにした。
今日以降、お風呂に入る度に三ツ谷くんのことを思い出すことになって何回かのぼせるかと思った。



―06―


 
保育実習が始まったと思ったら気付けば季節は秋になっていた。クーラーのリモコンは定位置に戻り、窓から入ってくる風が気持ちいい。こんな日はベッドでごろごろするに限る。
三ツ谷くんと連絡先を交換して何かが始まる予感にざわざわしたのも今となっては懐かしい。その時貰った入浴剤は綺麗なままベッドのサイドテーブルの上に置いてある。
約束通り妹ちゃんの写真は送ってもらった。すごく可愛かった。その後も毎日ではないにしろ連絡はとっていたけどお互い連絡はマメな方ではなくて、夜の返事が寝落ちして翌朝になってしまうことはよくあった。前の話題が終わってからどのくらい経ったんだろう。トーク画面を確認してみたら1週間前だった。最長記録を更新してしまった。
三ツ谷くんと付き合いたいだなんてそんな烏滸がましいこと思ってないけど、このまま繋がりが消えてしまうのは嫌だと思う。

「!」

ホームに戻ってSNSを開こうとしたところで三ツ谷くんからの新着メッセージの通知が画面上部に現れた。丁度このタイミングでの連絡に胸が躍るのと同時に、あと数秒ズレてたら会話中でもないのに即既読がついちゃってたのかと思うと心臓がバクバクした。
すぐに既読つけて返事したら三ツ谷くんの連絡を待ち望んでいたみたいで気持ち悪いかな。いや待ち望んでたのはもう、否定できないんだけど。返事をするのはもう少し時間をあけてからにしようと枕元にスマホを置いたものの、1分も経たないうちに我慢できなくなってしまった。

『久しぶり。実習忙しい?』

簡潔な文章でさえも脳内で三ツ谷くんの声で再生されると特別なもののように思えるから不思議だ。舞い上がる気持ちを悟られないように、同じ感じのテンションで今週が実習の山場だと打つ。絵文字は迷いに迷って可愛すぎない笑顔のやつを、語尾にひとつだけ。

「!」

5分かけて打った私のメッセージがトーク画面に反映されると、すぐに既読がついて見間違いかと思った。その白い文字を凝視していると三ツ谷くんから『実習終わったら打ち上げしない?』と次のメッセージが来て、今度は私がすぐに既読をつけてしまうことになった。どうしよう、既読がついたからには早く返事をしなきゃいけないのに、内容が内容なだけに軽率に返事ができない。

「っ、は、はい……」
『久しぶり。電話の方が早いと思って。今いい?』
「うん」

私があたふたと画面と睨めっこしていると、突然通話画面に変わって反射的に青いボタンを押してしまった。スマホ越しに聞こえる三ツ谷くんの声は実際の声とはちょっと違うように聞こえてまた新鮮だった。

『で、どう?来週の土曜日とか空いてる?』
「うん、空いてるよ」
『じゃあ飲み行こうよ。今日クライアントから美味そうな店教えてもらってさ、名字さんと行きたいって思ったんだよね』

メッセージだったら何て返事をしようかとかどの絵文字を使おうかとか考えられるのに、電話での会話となったらそうもいかない。更に予定が空いてると言ってしまった手前、お誘いを断るのにはとてつもなく勇気が要る。それに私と行きたいだなんて誘い文句はずるすぎる。

「私はウーロンハイがあればどこでもいいよ」
『はは、それどこでもあるじゃん!』

経験値の少ない私はいとも簡単に三ツ谷くんのテクニックに引っかかった。
三ツ谷くんはいったいどういうつもりなんだろう。三ツ谷くんみたいにかっこいい人、好きになりたくないのに。なっちゃいけないのに。


+++


三ツ谷くんとの約束の方に意識が持っていかれたおかげで実習の山場は難なく乗り越えられて、あっという間に約束の日になった。
三ツ谷くんが予約してくれたお店はなんだかとてもオシャレで料理もお酒も美味しかった。私も誰かに教えてあげたいなあと思ったけど特に誰かの顔が思い浮かぶわけでもなかった。改めて私と行きたいと思ってくれた三ツ谷くんの真意を考えてしまって、振り払うようにウーロンハイを流し込んだ。
三ツ谷くんを好きになってはいけないという固い意志で臨んだ私だったが、2人きりの飲み会はやっぱり楽しかった。好きとか恋愛感情は抜きにして、三ツ谷くんとだいぶ打ち解けることが出来て嬉しく思う。好きにならなくていい。こんな感じでたまに連絡をとって、飲んで、近況を報告したり愚痴を聞いてもらったりする仲でいいじゃん。
19時から始まった食事は21時前に切り上げて、酔い過ぎず楽しい気分のうちに帰ることになった。当たり前のように家まで送ってくれるのは三ツ谷くんが優しい人だから。

「そういえばぺーと安田さん、いい感じらしいよ」
「そうなんだ」

そういえば4人で飲んだ翌日に今度食事に行くことになったよと報告を貰って以降話を聞いていなかった。もう半年くらい経つのにまだ付き合ってないんだ。でもいい感じなら何より。林くんってば元ヤンのくせして結構プラトニックなお付き合いをするタイプなのかな。と、また元ヤンに偏見を持ったことを考えてしまって反省した。
三ツ谷くんは、どうなんだろう。中学の頃から三ツ谷くんをかっこいいと言ってる女子はたくさんいたし、今隣を歩く三ツ谷くんを盗み見て絶対モテるだろうと確信した。きっと今までに何回も告白を受けてきたし、お付き合いだってしてきたはずだ。

「と、あぶねーな」
「!」

今更ながら三ツ谷くんの顔面に見惚れて歩いていたら人にぶつかりそうになってしまった。間一髪で避けてフラついた私を三ツ谷くんが手を引いて支えてくれた。

「あ、ありがと」
「……うん」

三ツ谷くんに掴まれた右手を引いたら三ツ谷くんの手も一緒についてきた。戸惑いながらもう大丈夫ですの意味を込めてお礼を言うと、三ツ谷くんは頷きながらも手を放そうとはしない。そして何を思ったのか、腕を掴んでいた手で私の掌を握ってきた。一気に心拍数が跳ね上がった私を見つめる瞳は真剣で、さっきまでの楽しい雰囲気がガラっと変わったのが嫌でもわかった。

「……オレと名字さんはどうだろうな」
「な、にが……」
「いい感じ?」
「!」

衝撃が強すぎてさっきまでの会話の内容が吹っ飛んでいたけど思い出さない方が良かった。三ツ谷くんの質問に対して、私は熟考するのを放棄して全力で首を横に振った。

「ハハ、ひでー!」
「手、放して……」
「んー……あとちょっとだから我慢してよ」

私のオーバーリアクションを笑う一方で、三ツ谷くんの手はしっかりと私の指を絡めて放さない。理不尽な理由に何故か言いくるめられて私はそれ以上文句が言えなかった。
名字家御用達のスーパーから家までの5分間をこんなにも長く感じたのは人生で初めてだった。



―07―


 
「あれ、名字さんレジ点検しました?」
「あ、忘れてた」

三ツ谷くんに手を繋がれた日の翌日。二度寝して現実逃避をしたかったのは山々だけれど、日曜日のシフトを変更してもらうわけにもいかず私は朝からレンタルショップのカウンターに立っていた。
ここで働き始めて3年目になるというのに今日はうっかり昼のレジ点検を忘れていた。頭がうまく働かないのは昨日のアルコールのせいではなくて紛れもなく三ツ谷くんのせいである。

「花垣くんって元ヤンだよね」
「いきなり何スか」
「でも可愛い彼女いるよね」
「えっ、ま、まあ〜〜」

バイトの後輩花垣くんは元ヤンだけど可愛い彼女がいる。何度かバイト終わりに待ち合わせしてるのを見たことあるけどとても仲が良さそうだった。彼女とは中学の頃から付き合っていて既に結婚の約束をしているらしい。
確かに花垣くんはいい人だと思う。今でこそ黒髪短髪の普通の青年だけど、前に見せてもらった中学の頃の写真ではいかにもヤンキーですよみたいな金髪リーゼントだった。告白も彼女からだったっていうのは正直疑っている。彼女は何で花垣くんを選んだんだろう。

「タケミっちー!」

初めて聞くあだ名だったけどすぐに花垣くんを呼んだんだとわかった。
札束を数えながら視線を向けると、派手な青髪のでかい男の人が手を振っていた。絶対ヤンキー時代の友達だ。人懐っこい笑顔を浮かべてはいるけどヤンチャしてました感は滲み出ている。

「今からタカちゃんちでDVD鑑賞するんだけどコレある?」
「えーと……名字さんどうスか?」
「……ホラーですね」

関わりたくなくてノロノロ電卓を打っていたのに秒で巻き込まれた。お友達のスマホを覗かせてもらうと、丁度私の好きなホラー映画のタイトルだった。今月から新作が上映されてるけどまだ観に行けてないんだよな。

「ご案内しますね」
「……」
「あ、コイツ人見知りで!オレも行きます!」

ちょっとわかりにくい場所にあるから入ったばかりの花垣くんには任せられない。案内しようと営業スマイルを向けたらさっきまでのニコニコ笑顔が嘘のようにスンっとされてしまった。人見知りってレベルじゃなくない?まあ今後私が関わることはないだろうからいいんだけど。

「てかさ、大ニュース!タカちゃん好きな人できたんだって〜」
「へー!彼女いなかったんだ、意外」
「でも苦戦してんだって。タカちゃんに落ちない女とかマジありえねー」

2人を無で先導している私だが背後で繰り広げられる会話は嫌でも耳に入ってきてしまう。その話もうちょっと後でできないかな。"タカちゃん"も片想いしてることがこんなところで知らない店員に聞かれてるとは思ってもみないだろう。申し訳ない気持ちはあるけど私は悪くない。

「三ツ谷くんでも苦戦とかするんだ」
「!?」

三ツ谷くんというホットワードに私の心臓がバクバクとわかりやすく反応した。会話の流れからして花垣くんが言う三ツ谷くんは青髪くんが言うタカちゃんと同一人物だ。
ちょっと待って、そういえば三ツ谷くんって名前何だっけ?よくよく考えてみたら"たかし"だった気がする。三ツ谷タカシくん。タカちゃん……んんん??いやいや世間がそんなに狭いわけがない。元ヤンの友達がいる三ツ谷タカシくんならきっと東京に……2人くらい、いるのでは……。考えながらだんだん自信がなくなっていった。

「中学の同級生で何回かデートしてんのに軽くフられたらしい。ありえなくね!?」
「マジ!?」

これ以上脳裏に浮かんだ仮定を決定づけるような証拠を投下してくるのはやめてくれ。私なりに背中で黙れオーラを出したつもりだったけど伝わるはずがなかった。足速に案内を終えてカウンターへ戻る。
お客さんが去った後も花垣くんに「タカちゃん」の正体を確認する勇気は私には無かった。中学の同級生のことが好きで、元ヤンの友達がいて、私の知らない三ツ谷タカシくんが東京のどこかに存在することを願った。



―08―


 
昨日の夜からいろんなことがありすぎた。私の脳みそはけっこう前からキャパオーバーを訴えていて、とにかく眠気がやばい。情報整理をしたがっている。バイトから帰ってきてすぐにベッドに横になりたかったけどこのまま寝たら絶対夢に三ツ谷くんが出てくる気がして、私はカフェオレを飲みながらテレビの電源を点けた。

「!」

それとほぼ同時にスマホの画面が三ツ谷くんからの新着メッセージを告げた。通知欄には『今大丈夫?』とだけ表示されている。すぐに開こうか迷ったけど、きっと放置したらテレビの内容は全然入ってこないということは想像に容易い。私は一回深呼吸をしてからトークアプリを開いた。

「! な、なに?」

私が『大丈夫だよ』と返事を打つ前に三ツ谷くんから電話がかかってきた。既読をつけた手前この電話を無視することはできない。ていうか前回もこんな感じでデートのお誘いを受けたんだった。男の人って女と比べて文字のやりとりを面倒に思うって言うけど、もはやこれは三ツ谷くんのテクニックなのではと疑ってしまう。

『名字さんホラー好き?』
「うん、好き」
『あー……今日"赤い村"っていうのDVDで観たんだけどさ……』
「!」

三ツ谷くんが観たと言うDVDのタイトルは、今日青髪の人が"タカちゃん"と一緒に観るため探していたものと同じだった。

『すげー面白くて、今続編映画でやってるじゃん?』
「うん……」
『名字さんと一緒に観に行きたいって思ったんだけど、どう?』

繋がってしまった。"タカちゃん"と三ツ谷くんは同一人物で、きっと自惚れではなく、私を映画に誘うために前作のDVDを借りて観てくれたんだと思う。
デートのお誘いに至るまでの裏側を見てしまった罪悪感と背徳感に、今まで経験したことのない種類のドキドキを感じた。

「私も、それ気になってた」
『マジ?良かったー。日程はまた連絡するわ』

私の返事を聞いて声を明るくする三ツ谷くんを、初めて年相応の男の子だと感じて自然と頬が緩んだ。電話を切った後もほわほわした気持ちが治まらない。
私がホラー好きってことはいつ知ったんだろうか。あまり共感して盛り上がってもらえる趣味じゃないから聞かれない限り答えないようにしていて、三ツ谷くんに話した記憶は無い。この疑問は三ツ谷くん本人にぶつける以外に解消することはない。これ以上考えるのは不毛だ。
私は夢で三ツ谷くんと会うことを覚悟してベッドに入った。


+++


そしてデート当日。遠足に行く小学生かというくらいに早起きをして5分前に待ち合わせ場所に到着した。本当はもっと早く来るつもりだったんだけど、昨日のうちに準備していた服もネットで調べたヘアアレンジも、いざ朝になってみたら本当にこれでいいのかと迷ってしまったり化粧をやり直したりでこの時間になってしまった。

「お待たせ……」
「「あー!!」」

私が三ツ谷くんに駆け寄った瞬間大きな声が響いた。聞き覚えのある声だと思ったら、バイトの後輩花垣くんが大口を開けてこっちを見ていた。隣には青髪の人もいる。

「お前ら何してんだよ」

三ツ谷くんも見知った顔に目を丸くしていた。
全員が驚いてる中で私だけが状況を理解した。花垣くんと青髪の人はきっと三ツ谷くんの好きな人がどんな女なのか気になって後をつけたんだと思う。そこに現れたのがバイトの先輩である私だったから驚いた花垣くん。青髪の人が驚いた後に青褪めたのは意図せず三ツ谷くんの気持ちを私にバラしてしまったことに気付いたからだろう。

「ぐ、偶然だなー!邪魔しちゃ悪いんで帰りますね!」
「タカちゃんごめん……頑張って……」
「は?」

首を傾げる三ツ谷くんに、とりあえず花垣くんと同じバイト先だということだけ説明した。


+++


映画はとても面白かった。最初は暗闇の中で三ツ谷くんの隣で過ごすなんて、と思っていたけれど始まってしまえば全然気にならなくて逆に真っ暗で良かったとさえ思った。
映画の後は近くのファミレスでお酒なしのご飯を食べて、21時前に解散する流れになった。三ツ谷くんは私の感想語りに相槌を打ちながら当たり前のように送ってくれている。
デート直前まではいろいろ考えてしまってドキドキしていたけど、いざ直接会ってみると三ツ谷くんと話すのはすごく楽しくて緊張も忘れて自然体でいられる自分がいた。思い返してみれば前回もこんな感じだった気がする。

「名字さんホラー映画好きなの意外」
「そう?てか三ツ谷くんに言ったっけ?」
「……」

話の流れでぽんと出た私の疑問でスムーズだった会話が突然途絶えた。コミュニケーション能力には長けているはずの三ツ谷くんが急に黙って立ち止まってしまって、私は先にも行けずどうしたらいいかわからなくなった。

「成人式で話してたの聞いた」

ぼそっと三ツ谷くんが呟いた。そういえば、成人式の二次会で話した気がする。鈴木くんに趣味を聞かれて映画と答えて、どんなの見るかと掘り下げてきたから正直にホラーと答えたら愛想笑いで終わった話題だった。
直接話したわけじゃなくて、三ツ谷くんはその時の会話を聞いていたのか。あの時は全然意識していなかったから三ツ谷くんがどこに座っていたのかさえ憶えていない。鈴木くんとの会話を聞いてたってことは、成人式の時から私のことを意識してくれていたってことなんだろうか。そんなことを言われたら、せっかく忘れかけていた期待がまた膨らんでしまう。

「まあ……もうバレてると思うけど、八戒にあのDVD借りてきてもらったのは名字さんを映画に誘うための口実」
「!」

私が話題を変えるよりも先に三ツ谷くんが追い打ちをかけてきた。三ツ谷くんの口からはっきりと伝えられて、あの時思い浮かべた仮定は確定に変わってしまった。私をデートに誘うための口実を作る三ツ谷くんのことを考えると、なんだか胸がぎゅっとなる。

「なあ……オレは対象外?」
「三ツ谷くんは……」

こんな、いきなり雰囲気を変えてくるなんて反則だ。さっきまで楽しくお喋りしてたじゃん。映画の話題で終わって、楽しい気分のまま家に帰してよ。別れ際にこんなにドキドキさせないで。

「かっこいいし……私なんかを好きだなんて信じられない」
「ふーん……かっこいいとは思ってくれてんのね」
「そりゃあ……」

対象外かと聞かれれば、もちろんそんなわけはない。三ツ谷くんは人としても男性としても魅力に溢れた人だと思う。ただし、そういう人と付き合ったからと言って幸せになれるとも私は思っていない。

「オレも名字さんのこと可愛いと思ってるよ」
「え」
「今日の髪も服もすげー可愛い」

本能的にやばいと察知した。三ツ谷くんに一歩近づかれて一歩下がる。そんなことを3回くらい繰り返したら三ツ谷くんがぐっと距離を近づけてきて、更には逃げられないように腰に手を回された。この距離はやばい。とてもじゃないけど三ツ谷くんの顔を直視できなかった。自分の整った顔面を最大限に利用してやがる。

「無理、だめ、やめて」
「何で」
「イケメンの暴力だから……」
「何だよそれ」

私の変な言い回しに三ツ谷くんは笑って、すぐ真剣な表情になった。

「また誘っていい?」
「……うん」

そんな感じで聞かれたら断れるわけないじゃん。三ツ谷くんのばか。



―08―


 
(三ツ谷視点)


成人式の時、名字さんの姿を見て周りの男達と同様に可愛いなーと思った。
中学の時は同じクラスになったこともなく、たまに安田さんと一緒にいる女子として認識はしていた。名前は聞けばわかる程度。下の名前は成人式の時に知った。
可愛くなった名字さんを周りの男達がほっとくはずもなく、成人式の二次会では常に誰かが名字さんの隣を陣取っていた。盗み聞きしてる限り名字さんは男達の下心ありありの会話に卒なく対応してるなという印象だった。
しかし帰るとなった時、送ると食い下がった元野球部の鈴木に押し負けそうになっていてたまらず助けに入った。特に名乗りはしなかったけど、多分名字さんは俺のことを知っていたと思う。まあ、それなりに有名だった自覚はあるし。
その日は名字さんに良い印象を与えたくてそのまま別れた。家に帰ってから連絡先くらい聞けば良かったと少し後悔した。


それから頭の片隅で名字さんのことは気になっていたものの仕事の方が忙しくて気付けば4月になっていた。
連絡先は安田さんに聞けば手に入ると思う。成人式から3ヶ月経って今更気が引けるという気持ちでなかなか行動に移せないでいたある日、ドラケンと晩飯を食った夜の繁華街で足速に歩く名字さんを見つけた。
ドラケンに断って追いかけると、名字さんは男に無理矢理手を引かれてるようだった。先導するのはカラオケのキャッチ。おそらくカラオケを口実に誘われてるんだと状況を理解した。あんなヒョロい男の手なんて振り払えばいいのに、それができない名字さんに多少のイラつきを感じた。
カラオケのキャッチもお友達の佐藤くんも平和的に追い払ってやると、安心した表情でオレを見上げてくる名字さんを見てなんとも言えない高揚感を感じた。
結局この日も名字さんに警戒心を持たれたくなくて連絡先を聞くことはできなかったし、一部始終を見ていたドラケンには「好きな子?」とニヤニヤして聞かれた。まあ、そりゃバレるよな。二軒目では酒が進んだ。


次に名字さんと会った時はぺーと安田さんも一緒だった。久しぶりにぺーから連絡が来たと思ったらどうやら安田さんに気があるらしく、オレも含めて4人くらいで食事に行きたいという相談だった。もちろんぺーを応援する気持ちが第一だけれど、これを利用しない手はないと思った。安田さんは名字さんとそれなりに仲が良かったはずだ。男女4人でってことなら、もう一人の女子は名字さんがいい。早速安田さんに連絡を入れた。
そして当日、仕事で遅れて合流するとガチガチに緊張してる2人と、そんな2人を必死でフォローする名字さんがいた。人のために頑張る名字さんの姿を見て改めて好きだなあと感じた。
2人の緊張が解れてきた頃に名字さんにアイコンタクトを送って、名字さんと2人で席を立った。半分はぺーと安田さんのため、もう半分は自分のため。出来る限り下心を感じさせないように二軒目に誘うと名字さんは頷いてくれた。
適当に見つけた居酒屋に入って話していたら時間はあっという間だった。中学の頃接点が無かった分、話題は尽きなかった。名字さんは今保育系の大学に通っていて今年資格試験を受けるらしい。保育士として園児たちと戯れる名字さんを想像したら顔がニヤけた。
名字さんがうとうとし始めてハッと時計を見たら23時半で慌てて居酒屋を出た。一応弁明しておくとオレが無理に酒を勧めたわけじゃない。名字さんが自分のペースで頼んだウーロンハイ3杯だ。おねむで千鳥足の名字さんを引っ張ってもたもた歩いているうちに終電を逃してしまった。正直頭の片隅ではこんな展開を期待していた自分がいたのも事実だ。でも実際に酔っ払った名字さんをアトリエに連れ込むとなったら罪悪感に見舞われた。
もちろんこんな状態の名字さんに手を出すつもりはない。出してはいけない。必死に邪念を振り払うオレに対して名字さんは「三ツ谷くん何でそんなかっこいいの」「顔面整いすぎてびっくりする」「性格も良すぎる。罪深い」などとよくわからない褒め方をしてくる。そこまで言うんだったらキスくらいしてもいいんじゃないかと、火照った顔を近づけたら唇に人差し指を当てられて「だーめ」と言われた。……興奮した。
翌朝、名字さんはこのことを憶えていなかった。危機感を持ってもらうためにも少し意地悪したら、わかりやすくテンパって逃げるように帰っていった。逆ギレしながらもちゃんとお礼は言うんだなと笑ってしまった。


文具屋で会ったのは偶然半分、必然半分ってところだった。二人で飲んだ時に実技試験対策で色鉛筆とスケッチブックを新調しなきゃと言っていたから、土曜日に名字さんの家の近くの文具屋をウロウロしてたら会えた。さすがに気持ち悪いだろうからこの事実は墓まで持ってく。
マナの誕生日プレゼントという口実でデート気分も味わえたし連絡先もやっと交換できたし最高の一日だった。重くなりすぎないように300円の入浴剤をあげたけど、家に帰ってから形に残るものをあげれば良かったと後悔した。そうしたら家でもオレのことを思い出してもらえたかもしれない。


連絡先を交換してから、オレなりにわかりやすく丁寧にアプローチをしていったつもりだ。
ひとつ誤算だったのは、名字さんがタケミっちと同じレンタルショップでバイトをしていて、八戒がその店でオレが頼んだDVDを借りてきたことだった。オレが名字さんとデートするためにわざわざ予習してたことはバレバレだったってわけだ。……くそダセェ。
どうせオレの気持ちは名字さんにバレてる。なりふり構わずに迫ってみたら「私のことを好きだなんて信じられない」と言われた。心外だ。そういうことならもっとわかりやすく攻めてやると決心した。


名字さんと成人式で会ってからもうすぐ1年が経つ。忙しいってのがあったにしても一人の女性にここまで時間をかけたのは初めてだった。
今のところ悪くはない……と思ってる。かっこいいとは思ってもらえてるみたいだし、くだらない会話にもニコニコと笑ってくれるし。それでも「付き合いたい」に至らないのは、もちろんオレの力不足もあるんだろうけど、名字さん自身がブレーキをかけてるように思えた。オレのことを少しでもいいと思ってくれてるんだったら、余計なことは考えず目の前のオレだけを見ていてほしい。理性をとっぱらってオレを求めてほしい。
この長期戦にもそろそろ決着をつけなきゃな。



―10―


 
1月。保育士資格試験の合格通知が来てひとまず安堵した。合格したことをまず両親に報告した後、無意識に三ツ谷くんとのトーク画面を開いていた。今までのトーク履歴を見返していると会いたいという気持ちがどんどん膨らんでいく。私の気持ちはもう否定できないところまで昂ってしまっているみたいだ。
三ツ谷くんが好き。ていうか三ツ谷くんに迫られて落ちない女なんていないと思う。気がかりなのは、それが私でいいのかって話だ。
元ヤンだけど怖くない人だとはわかった。夢に向かって地道に頑張ってるのも知ってる。私が知らない三ツ谷くんの魅力は花垣くんから嫌という程聞いた。

「……!」

いくら考えたところでこのぐちゃぐちゃな気持ちが整然とすることはない。とりあえずは資格試験に合格したことを伝えようとスマホを手に取った瞬間、三ツ谷くんから電話がきた。

「合格したよ」
『! 連絡こねーから心配したじゃん。おめでと』
「ありがとう」

挨拶を省いて真っ先に結果を伝えると、三ツ谷くんは優しい声で祝福してくれた。
今日が合格発表の日だと憶えていてくれたこと、私の合否を気にかけていてくれたことが嬉しい。こういうことの積み重ねで、私は三ツ谷くんのことを好きになったんだ。そう思うと少しだけ自分の気持ちに自信が持てたような気がした。

『今から会えない?』

声が聞きたい時に電話をかけてきてくれて、会いたいと思った時に会おうと言ってくれる三ツ谷くんはエスパーなんじゃないかと、最近よく思う。
スマホの向こうで笑う三ツ谷くんの顔を直接見たい。断る理由なんて無かった。


+++


待ち合せ場所は家の近所の公園。小学生ぶりに来た気がする。昼間とはなんだか雰囲気が違っていて、パンダかアザラシかもわからない古びた遊具がなんともいえない怪しさを放っている。
私が到着した時、既に三ツ谷くんはベンチに座っていた。三ツ谷くんの家からは遠いはずなのに何で私より先にいるの。電話をかけた時、いったいどこにいたの。疑問に思ったことはいろいろあったけど聞くのは野暮な気がしてやめた。

「これ、合格祝い」
「え……ありがとう」

私の姿を確認して立ち上がった三ツ谷くんから小さな紙袋を受け取る。中に入っていたビニールのラッピングに包まれていたのはハンドクリームだった。

「……何で私の欲しい物わかるの?」
「この前言ってたし」

毎年この季節は手の乾燥に悩まされる。確かにそんなことを言ったような気がするけど、何でそんなことまで憶えていてくれるの。

「すげー悩んだよ」
「え?」
「本当はネックレスとか身に着けるものあげたかったけど重いと思われたら嫌だし」

よく見たら渡された紙袋には、妹ちゃんの誕生日プレゼントを買いに一緒に行った雑貨屋さんのロゴが入っていた。ああいう可愛いお店に行くの、一人じゃ抵抗あるって言ってたのに。どんな顔でこれを選んでくれたんだろう。そもそも、私の合格を信じて前もって用意してくれてたってことになる。そう思うとまたぶつけどころのない気持ちが溢れてきた。この小さなプレゼントひとつでこんなにも心が揺さぶられるなんて。この中身がネックレスだったとしても、極端な話チロルチョコだったとしてもきっと同じ気持ちになっていたに違いない。

「改めて言うけどさ……」
「!」
「名字さんのこと本気で好きだから、信じてほしい」

三ツ谷くんが本気だということはその言葉からも視線からも、そして何より今までの言動からひしひしと伝わってきた。
私も三ツ谷くんのことが好き。三ツ谷くんにとって特別な女の子でありたい。答えはとっくに出ていたはずなのに、すぐに頷けなかったのは覚悟ができてないからだった。

「オレと付き合って」

少し待ってほしいのに三ツ谷くんの言葉は止まらない。ついにこの瞬間がやってきてしまった……私はこの告白にイエスかノーかで答えなくちゃいけない。
頷いていいんだろうか。何人かと交際をしてきて、付き合うことがゴールじゃないことは理解してるつもりだ。恋人になった後、私は三ツ谷くんに幻滅されないだろうか。付き合っているうちにかっこいい三ツ谷くんと吊り合わないことが辛くならないだろうか。私達はまだ21歳。いつか訪れるかもしれない別れが、怖い。

「名字さん」
「!」

次々と出てくる不安要素に頭を支配されていると、三ツ谷くんの手が私の両頬を優しく包んで上を向かされた。どんより暗くなっていた視界に三ツ谷くんの顔が映って一気に明るくなる。その瞬間、頭のてっぺんからつま先まで、三ツ谷くんを好きだという気持ちでいっぱいになった。

「名字さんの気持ちを教えて」

まるで子供に言い聞かせるように言われた。その優しい表情と声色に涙が出そうになった。三ツ谷くんはきっと全部受け止めてくれる。こんなうじうじした私とも真正面から向き合ってくれる、優しい人。
三ツ谷くんが好きだと言ってくれている私を肯定したい。三ツ谷くんを好きだと思った自分の気持ちを大事にしたい。

「好き……!」

気が付けばその二文字が溢れていた。言葉では足りない分は触れ合った体温から伝わればいい。三ツ谷くんの背中にまわした腕に、今まで募らせてきた想いをぎゅっと込めた。

「やーっと言った」

三ツ谷くんは胸元にある私の頭をぽんぽん、と優しく撫でた。
三ツ谷くんが好き。言ってしまえばあっけなくて、少し冷静になると三ツ谷くんの心音が聴こえてきた。その速さを感じて、伝えて良かったと心から思った。

「……キスしていい?」
「だ、だめ」
「2回目は聞かない」
「え……!」

2回目ってどういうこと。その質問を口にすることは出来なかった。




■■
閲覧ありがとうございました。



( 2021.10-11 )

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