02
バイト前にフラっと入った古本屋は落ち着いた雰囲気で、時間を潰すにはちょうどいい場所だった。
そこでバイトをしている俺と同い年くらいの女の子がいる。基本的にあまり客は多くないようでいつも暇そうにしている。店内の客が俺一人っていう状況はよくあった。
ある日カウンターでうとうとしていて、眠気と必死に戦う姿が面白かった。別の日には高所の本の整理と掃除をしていた。ガチ装備で脚立に跨って作業している姿を見て北さんを思い出した。また別の日には本を探しているお年寄りに対応していた。赤の他人のはずなのに最終的に「おばあちゃん」と呼んで仲良くなっていた。そんな姿を見てきて、名前も知らない店員の彼女のことがなんとなく気になった。
俺は意を決して彼女がいる時に本を買うことにした。買う物は何でも良かった。適当に店内をまわって、中学生くらいの時に流行ったギャグ漫画を見つけたから2冊手に持ってレジに向かった。
お会計を済ませながら胸元の名札を確認する。彼女は「名字さん」というらしい。特別目を引くような容姿ではないけれど営業スマイルを向けられて嬉しいと思った。
俺のことをもっと知ってほしい。そんな思いからわざと学生証をレジカウンターの荷物台に置いていった。また来週取りに来ればいいと思っていたけど、パスケースの中に電車の定期も入っていたことに翌日気付いて少し不便だった。
その2日後、大学構内で名字さんの姿を見つけて驚いた。何でも俺が忘れていったパスケースをわざわざ届けに来てくれたらしい。
実際に話してみて、言葉遣いがちゃんとしていると感心した。オレが客だからなんだろうけど、それでも大学生で綺麗な敬語がスラスラ出てくる人ってそんなに多くないと思う。
学生証を置いていったおかげで俺の情報は知られているようで、名字さんは律儀に同じ情報を俺に教えてくれた。名字名前さん。東経大2年の経済学部。手に入れた情報を忘れないように頭の中で何度も反芻した。東経大ならまあまあ近い。バイト先も近いし、そうなると生活圏も近いのかもしれない。
近くのカフェでバイトしてることを告げると、後日名字さんがバイト先に来てくれた。残念ながら俺のシフトが夕方からだったから名字さんが帰る頃に出勤して入れ違いになってしまった。連絡先がわかっていれば時間合わせられたのに。
「名字さん!」
「! 角名くん」
月曜日のバイト終わりにコンビニに寄ったら名字さんがいたから声をかけた。思いがけず名字さんに会えたことにテンションが上がったのか、らしくもなく大きな声が出たかもしれない。
「バイト帰り?」
「うん。名字さんは?」
「私も」
「……月曜日出るの珍しいね」
「う、うん。他の子に代わってほしいって頼まれて」
俺のバイトのシフトは月火金。名字さんと被るのは火曜日だけだと思ってたのに。このやりとりで俺が名字さんのシフトを把握していたのはバレただろう。まあ、気持ち悪いとは思われてないはずだからよしとする。
「……晩飯?」
「あ……うん。作るのめんどくさくて」
「一人暮らしなんだ」
「うん。角名くんも?」
「うん。自炊めんどくさいよね」
コンビニ袋を指差すと名字さんは恥ずかしそうに頷いた。男女関係なく一人暮らしで毎日自炊できる学生なんてほぼいないと思う。そんな気にしなくていいのに。
「……名字さん、連絡先教えて」
「! う、うん」
このチャンスを逃してたまるかと、家まで送っていく道中で名字さんの連絡先を聞いた。嫌がらず教えてもらえて安心した。その日は名字さんの家の場所をしっかりインプットして、何もせずに別れた。
***
あれから連絡をとって、今日名字さんがバイト先に来てくれることになった。
カラン
「よー角名来たったでー!」
「腹減った」
入り口の鈴が鳴り、期待を込めて視線を向けてがっかりした。何故なら入ってきたのが名字さんじゃなくて高校の同級生、宮兄弟だったからだ。ここで働いてるってことはこの前の同窓会で話したし「今度行くわ」と宣言もされていたけど、何でよりによって今日来るかな。
「何やねん、もっと嬉しそうにしろや!」
「カレーにしよかな」
「カレー2つね」
「勝手に決めんなや!」
双子は俺が案内する前に勝手にカウンターに座った。勝手なのはどっちだ。
カラン
「こ、こんにちはー……」
「いらっしゃいませ」
さっさと帰ってもらおうと思った矢先に名字さんが来店した。最悪のタイミングだ。店員として挨拶をしつつ、名字さんと目を合わせて会釈すると名字さんは小さく手を振ってくれた。可愛い。
「いらっしゃい。何にする?」
「どうしようかなー……」
「女子に人気なのはコレかな」
「わ、美味しそう!じゃあコレにする」
「私もー」
「ん、わかった」
名字さんは友達と一緒にふたりで来た。友達が好奇な顔で俺を見てくるから、俺のことはある程度話しているようだ。
「彼女か」
「いやいやあの感じやとまだやろ」
キッチンへ戻る途中でも双子から好奇な視線を向けられる。別に隠すつもりはないけどめんどくさいな。
「俺らん時と全然態度ちゃいますなぁ、店員さん」
「贔屓ちゃいますか〜?」
「冷やかすなら帰ってくれる?」
***(夢主視点)
「あの人?かっこいいじゃん」
「う、うん」
エプロンをつけた角名くんは何度見てもかっこいい。連絡先を交換してなんでもないやりとりをして、今度はちゃんと角名くんがいる時に行くねと言ったのをきっかけに、今日友達と角名くんのバイト先にやってきた。
「てか忘れ物から始まる恋とかドラマみたいじゃない?」
「よく来てるなーとは思ってたんだけどね」
「もしかしてわざと忘れ物したりして」
「そ、そんなわけないよ」
角名くんとの馴れ初めを友達に話したらすごく乗り気で聞いてくれた。あの忘れ物がなかったら今の関係はありえないわけだけど、さすがにそれはないと思う。
「てかあそこのお客さん双子かな?イケメン」
「……ほんとだ」
友達に言われてカウンター席を見ると背格好も顔もそっくりな男の人が2人いた。確かにかっこいい。角名くんと親しげに話している。友達かな。目が合いそうになって、慌てて逸らした。
***
「このバイトって軽く給料泥棒ですよね」
「だねえ……」
古本屋のバイトは基本的に暇だ。お店にお客さんがいないことなんてよくある。老夫婦が経営している小さな古本屋で、おじいちゃんおばあちゃんは奥でうとうとしてたり犬の散歩に出かけてたりしているから、こうやってバイトの後輩の国見くんとお喋りしていても怒られることはない。
「……名字さん、彼氏できました?」
「え!? 何で?」
「最近ふわふわしてるし、色気づいてきたんで」
今日は角名くん来ないなあと考えていたら、国見くんから意外な話題がふられて驚いてしまった。一つ年下の男の子に「色気づいてきた」と指摘されるとは。確かに、角名くんに会えるかもしれないから化粧をしっかりしたり髪型を少し凝ってみたりはしている。
「彼氏ではないんだけどね……」
「じゃあ好きな人ですね」
「……国見くんって恋バナするんだね」
「まあ……超絶暇なので」
「あ、そうですか」
別に国見くんは私の恋愛にそこまで興味があるわけではないようだ。お客さんに恋してるなんて言ったら引かれちゃうだろうか。
「おー! なんかレトロでええなあ!」
「ワンピース買うとらんとこあったよな。何巻やっけ?」
どこから話そうかと考えていたら賑やかなお客さんが入ってきて、私達はお喋りを中断した。やってきたのは顔がそっくりな男の人ふたり……角名くんのカフェにいた双子さんだ。
「あれ……」
「……知り合い?」
「いえ。高校バレーで結構有名なプレーヤーだったと思います」
「へー……」
私だけじゃなく国見くんもふたりに反応を示した。知り合いっていうより、顔だけ知ってるって感じだ。国見くんが高校の時バレー部だったってことは前に聞いていた。この低燃費な国見くんがスポーツに汗を流す姿が想像できなくて驚いたのをよく憶えている。
「!」
「……知り合いですか?」
「ううん」
失礼にならない程度にチラチラ見ていたら金髪の方の人にはっきりと視線を向けられて、ニッコリ笑われた。
知り合いではない。少なくとも、向こうが私を知っているわけがない。店員さんにも気さくに話しかけられるタイプの人なんだろうか。
その後も双子さん達は店内あちこちをまわって「コレ懐かしい」とか「コレおもろいらしい」とか言って盛り上がっている。双子とはいえ男の兄弟ってこんな仲良いものなのかな。ふたりの会話に耳を傾けていると微笑ましくて口角が上がってしまう。
「あ……!」
「おー来た来た!」
「……はあ」
そんなところに息を切らした角名くんがやってきた。ここで待ち合わせをしていたんだろうか。
「本当やめてくれない?」
「ええやんかー!角名の好みどんなんやろて気になってん」
「余計なことしてないだろうな」
「してへんて!」
「……行くよ」
何を話してるかはところどころ聞こえなかったけど、ふたりと合流した角名くんはすぐに店から出ていってしまった。出ていく直前にレジカウンターにいる私に向けて小さく手を振ってくれて、それだけで私の心は一気に有頂天になる。
「……あの黒髪の人ですね」
「!!」
……バレた。
( 2019.6-7 )
( 2022.8 修正 )
≪≪prev