雨が降っていた。
ただでさえ薄暗い路地裏は一層暗く、そして水はけの悪い地面には大きな水たまりができている。彼が落としていった手のオブジェのようなものを返したいのに、流石にこの雨の中来るかどうかも分からない彼をあそこで待つのは、同僚にばれたことを考えると面倒だ。

いつも何となく一緒にいるだけの同僚達と中身の無い会話をひたすら続けながら窓の外に視線を向ける。相変わらずの薄暗さと不法投棄されたであろうゴミ袋がある以外変わった様子はない。

彼は、当然のように現れなかった。

*

あれから一週間、雨は降り続いている。
水はけの悪い路地裏はもはや道とは言えないくらいに水が溜まり、小さな川のようになってしまった。今日も彼は来ないのだろうかと窓の外を見つめていると、雨と周囲の景色に溶け込んでしまうような、くすんだ髪色がちらりと路地裏の影に見えた。

「あっ」

思わず声をあげる私に、同僚達が訝し気な視線を向けるのが分かったが窓の外に見えた彼をこのまま見過ごすわけにはいかなかった。

「ご、ごめん。ちょっと電話かけてくるね」

手早くあの手のオブジェを入れていたカバンを手に取り、オフィスをあとにする。
おかしな理由をつけて外へ駆けだしていく私の背中を見て、彼女たちが何を囁いているのかは想像に易いが、今だけはそんなことなど考える余地もない。
彼が霧の中に消えてしまう前に会わなくてはいけない、そんな想いばかりが頭を占めていた。



「、は、はあ…」

運動不足の体に鞭をうち、階段をかけおりてきたというのに路地裏には人っ子一人いやしない。ほんの数分の間だったが彼はもう帰ってしまったのだろうか、はたまた彼に会いたい気持ちが見せた幻だったのか。
息を整えようとする合間にも、細かい霧雨はじわじわと確実に私を濡らしていく。

…きっと私の欲望が見せた幻だったのだ。
大きくため息をついてビルの中へ引き返そうと足を動かす。出て来る時に一瞬見えた、訝し気な視線の中に戻るのは気が重くてしょうがないが、このまま雨の中で休憩時間いっぱいを過ごすこともできない。

彼に返すためにもってきたカバンが濡れないように腕で覆い、水たまりを踏まないようにと周囲へ視線を巡らせたときだった。

「あ…」

どこか見覚えのある後ろ姿、細い猫背、赤いスニーカー…
自分が今まさに求めていた男が、ふらふらと雑居ビルのひとつに入っていくのが見えた。

「待って!」

声を張り上げるが、既に彼は建物に入ってしまったのだろう、私に気づいた様子はない。

今、会わなくてはいけない

気づけば彼が入っていったビルを目指して駆けだしていた。


*


「…」

彼を追って、彼が入ったであろうビルに入ったはいいものの、まともな会社が使っているとは到底思えない薄暗く、ゴミだらけの通路では切れかけの電気がチカチカと光って目に痛い。
どこからどうみても、ドラッグ、闇金、そんな怪しいものを取り扱う職業の人が出入りしていそうな雰囲気に、引き返してしまおうかという考えが頭をよぎる。

しかし、あの男がここに入っていったのが確かならば、またいつ会えるか分からない彼に接触できるのは今しかないのだ。

ごくりと生唾を飲み込み、勇気を振り絞ってひたすらに足を進める。
薄暗い中を手探りで進み、ようやく行き止まりにたどり着いたそこにあったのは、古い一枚のドアだった。

ここを開ければ、彼がいるのかもしれない。
ドアノブにゆっくり手をかけて回すと、引っかかる様子はなく、数ミリ扉が開いた。

これで、彼と―――会える

ぐっと腕に力を込めた時だった。

「……どのようなご用件ですか?」

彼の声とはまた違う、少し低い声と共に、黒い靄のような手が私の肩にかけられた。

 


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