「えっあ、その、」

たじろぐ私を黒い靄のような男がじっと見つめている。
いよいよ身の安全が危ないのかもしれない、とここにきてようやく自分がしていることの危険性に気づいたが時すでに遅しである。

ちらりと男の脇をすり抜けられないか、と考えてみるがどう見てもこんな狭い一直線の通路を駆け抜けたところで逃げられる距離はたかがしれている。
どうせ殺されるくらいなら最後に彼に会いたかったと、彼の所持品を入れていたカバンを抱きしめて目をつぶると「ああ、あなたは…」と1人納得したような声が聞こえた。

「少し前に死柄木弔と会話をしていた女性ではないですか?」

「えっああ…、はい」

「やはりそうですか。彼がストーカーだなんだと文句を言っていたので覚えていますよ。こんなところまで彼を追ってきたのですか?」

ストーカーだというところだけは訂正したいのだが、あまり余計なことを言って怒らせても困る。ひとまず頷くと、黒い靄の男は少し考えた素振りを見せたあとにドアノブに手をかけた。

「…どうぞ、可愛らしいストーカーさん。死柄木弔なら奥にいると思いますよ」

非常に訂正したい衝動にかられながらも、簡単に開かれた扉の奥に進む。
そこは想像していたよりは小奇麗なバーのような小さな場所だった。

ドラッグや闇金のやり取りをする場所ではなく、単なる隠れ家的なおしゃれバーだったのか?と納得していれば、きょろきょろと子どものような動作をする私をおかしく思ったのか黒い男が少し笑ったような気がして、慌てて手近な椅子に座った。

「少し待っていてください。今呼んできますので」

さらに奥へと続く通路に消えていった男の後ろ姿を確認し、ようやく一息をつくことができた。

「ここ、なんなんだろう…」

ぐるりと部屋の中を見回しても、特に怪しいものはない。バーに来た事自体は初めてだが、少し薄暗い雰囲気も、古びた感じもそういう店だと言われれば不自然なことではない。
通路から彼が出て来るのを今か今かと待っていると、何か言い合いをするような声が聞こえ始めたと同時に、扉が開き、前に会った時よりは機嫌のよさそうな表情の彼がようやく顔を出した。

「うわ!黒霧まじだったのかよ!というかストーカーをいれるなよ」

「あまりにも健気だったので。それより、あなたのフォロワーが増えたと思えば良いのでは?」

「なんだよそれ…。とりあえず殺していい?」

ぐるりとこちらを向いた彼が何の躊躇いもなく、私の顔面に手を伸ばし、触れようとする。
あ、壊される。と瞬間で感じたが、特に抵抗をしようとも思えず、ただスローモーションのように指が一本、また一本と顔に触れていくのを感じていると、彼は奇妙なものを見るような目をしたあと、触れる指を止めた。

「…その顔やめろ」

ふ、と顔の前から手が消えたと思えば、彼は興覚めと言いたげに自分の頭を掻き毟っている。とりあえず壊されなくてよかったなあ、とのんきに考えていると、不意にカバンが視界に入り、ようやく彼をここまで追ってきた原因を思い出した。

「あの、この間これ落としましたよね。ずっと返そうと思ってて…」

おずおずと彼の前に『手』を差し出すと、彼よりも黒い靄の男の方が反応を示した。


「死柄木、良かったじゃないですか。一つたりないと話していたでしょう」

「………」

黙ったままの彼は無言で『手』を受け取ると無造作にポケットにつっこんだ。
そんなとこに入れるから落としてしまうのだと注意したい気持ちになるのをぐっとこらえて「私、そろそろ帰りますね」と声をかける。

「もう帰るのですか?せっかく死柄木に会えたのに」

「はい。えーと死柄木さん…には会いたかったですけど、そろそろお昼休憩も終わるので」

「意外とあっさりとしたストーカーなんですね」


どうぞこちらから帰ってください、とついこの前死柄木さんが出てきたのと同じ黒いもやもやが目の前に現れた。

「あの路地裏まで繋げています。またいらっしゃるのをお待ちしてますよ、ストーカーさん」

「…ストーカーではないんですけどね」


バーカウンターの椅子に座ったままでこちらをちらりとも見ない死柄木さんに、少しだけ礼をしてから靄に飛び込む。
背後で、何か死柄木さんの呟く声が聞こえた気がしたが、いつも通りの路地裏を認識すると同時に言葉はかきけされていた。

「また、会えるかな…」

バーにいたほんの数十分の間に雨は上がっていたらしい。ぬかるんだ道で大きな水たまりを踏まないように避けながら、もっと歩きやすい道に移動させてほしかったと少しの文句が零れる私の心は、今からあの変化のない職場に戻るというのに、何故だか晴れやかなものだった。

*


「黒霧、なんであの女連れてきたんだ」

「あなたにとって毒にも薬にもならないでしょうし。それに、ここで殺して行方不明にでもなればこの一帯を警察やヒーローが捜索しますから。面倒なことになるよりは好意を上手く利用した方がいいかと思いまして」

「好意、ねえ」

自身の顔につけた手とは異なる、体のどこかにつけていたパーツだろう。彼女が拾ってきた『手』を見ながら何か考えた様子の死柄木弔を見ていると、毒にも薬にもならないという発言は誤りだったのかもしれない、と黒霧は考える。

私を見て攻撃したり、何か個性を使おうとした様子もなかったことから、特に利用価値のありそうな個性はもっていなさそうだが、少し”彼女”について調べてみる必要があるのかもしれない。

黒霧は頭の中で、彼女の顔を繰り返し思い出していた。

 


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