×××。それが俺の名前だった。名前というか、それは俺という生き物を識別するための呼び名であったと言ってもいい。とにかく、俺はその名が嫌いだった。



「おい、×××!さっさと次の海賊を殲滅してこい!」


「……へいへい、了解しましたよ指揮官殿。…して、今度の海賊は何て奴らですか?」


「無駄口を叩くな!海賊は海賊、お前は指示された場所へ行って、指示された海賊共を殺せばいいんだ!」


「……へぇい」



俺は気が付いたらこの指揮官殿に従うのが当然になっていた。俺の世界は、海軍と指揮官殿と海賊で出来ている。海軍と指揮官殿に従って、海賊を殺す。何がどうなってこんな世界になったのか、憶えていない。両親は誰だったか。生まれ故郷はどこだったか。それすらも憶えていない。ただ、憶えているのは俺は×××で、海軍や指揮官殿には従わなくてはならなくて、海賊は殺さなくてはならないということだけ。

俺は物覚えが悪いから、言われたことをすぐに忘れちまう。だから、何度も何度も繰り返して唱えないと覚えられない。今俺が覚えているのは、この指揮官殿という人と、指揮官殿が教えたこと。指揮官殿は俺に命令を下す人間。俺に首輪を着けた張本人。俺に海賊は悪だと教え込ませた奴。俺に人間を殺す方法を叩き込んだ海軍の人間。

海賊は悪。海軍は善。誰がそんな基準を作ったのだろう。海軍だって、好き勝手やって人を殺して隠蔽するやつもいるってのに。海賊だって、絶対的な悪を体現したようなやつもいれば、白ひげのような悪い評判だけではないやつだっている。

でも、これだけは分かる。弱いのが悪いんだ。強ければ、白ひげのように海軍すら一目置くような海賊になれただろうに。海軍だって、強ければどんな海賊だって根絶やしにできただろうに。

こうやって、争うこともなくなるだろうに。



「ぐっ、ぎ…が、あ、……は…ッ!」



目の前の海賊を、容赦なく鎖鎌で締め上げる。口角から泡を溢し、白目をむくこの海賊の名前は何だったか…。



「せ、船長ー!!」


「くそぉっ!俺等がお前達に何をしたっていうんだ!」


「まだ賞金首にもなってねぇってのに…!!」



こいつが船長だったのか。首の骨が折れてしまったのか、もう微動だにしない人間を放し、殲滅するべき海賊のクルー達を見やる。



『海賊は海賊』
「海賊は海賊」


『指示された海賊共を殺せばいいんだ!』
「俺は指示された海賊共を殺すだけだ」



そう告げれば、どいつもこいつも絶望した表情に変わる。絶望した人間の顔は、もう見飽きた。



「次の対象はこいつだ」


「『“烏”のキイチ』…?」



渡された手配書を見れば、そこには子供というに相応しい人間が写っていた。罰点の眼帯、真っ赤な目、真っ黒で癖のある髪、小さな体、刀と銃を所持。名前はキイチ。覚えた。



「次の島にこいつがいる。殺さない程度に痛めつけ、海楼石の鎖で捕縛しろとの命令だ」


「捕縛?殺すんじゃねーんすか?」


「二度は言わない。殺そうとしても死なないような奴だと聞いている。手足の一本や二本は無くても構わないそうだ」


「……へぇい」


「心臓や頭部の破壊は認めない。それだけは覚えておけ」



心臓・頭部の破壊は駄目。手足ならいい。海楼石の鎖で捕縛。



「着くぞ。早く行け」


「…へぇい」



こいつも、弱いのかな。弱いから、俺に殺されちまうのかな。



「………いた」



島の住民に海賊の特徴を言い、場所を尋ねる作業を始めて五分。海賊はすぐに見付かった。水色のカフェで嗜好品を嗜んでいた。俺が食べた事のない、甘ったるい匂いを漂わせる無駄に糖分の多そうな食べ物。時折出される栄養補給剤しか口にしない俺には、それを食べる意味が分からなかった。

しかし、そんなことを気にしている暇はない。俺がこいつを殺さなければ、俺が指揮官殿に“躾”と称した暴行を受けることになるのだ。それは嫌だな。痛いのは嫌いだし、指揮官殿の喜ぶ顔を見るのはもっと嫌だ。



「なぁ、あんた」


「……ん?俺の事か?」


「そうそう、あんた。罰点の眼帯に、真っ赤な目、真黒な癖のある髪、刀と銃を所持。名前は……何だっけ、忘れちった」


「…お前、」


「でもいーや。とにかく、あんたを殺しにきました。よろしく」


「!」



不意を狙ったつもりで鎖鎌を投げたが、軽々と避けられた。食べていた嗜好品の乗った皿を片手に、椅子を俺に向かって蹴飛ばしてくる。鎖鎌を戻そうと鎖を引いたが、その鎖を掴まれてしまって、逆に引きずり出される。目前まで迫った椅子にぶち当たり、一瞬の隙が出来てしまう。すぐさま追い討ちが来るかと思い構えていたが、何も来ない。



「あー…アップルパイうめぇ」


「……」



ふざけているんだろうか。俺は舐められているんだろうか。目の前の海賊は、呑気に手づかみで嗜好品を食べていた。刀も銃も構える気配はない。



「あんた…馬鹿にしてんのか」


「……んー?別に」


「じゃあその態度は何なんだよ」


「残したら勿体ないだろ。こんなに美味いアップルパイなんだから…よッ!」


「!?」



あっぷるぱい、とやらを食べ終えた海賊は、それが乗っていた皿を俺に向けて投げてきた。慌てて対応しようにも、鎖鎌は海賊の手の中。鎖を手放し、目の前で腕を交差させることで防御する。ガツンと腕に衝撃が走り、海賊を睨みつける…が、その姿が消えていた。



「どこに…ッ」


「こっちだ」



下から声が聞こえた。いつの間に抜いたのか、抜き身になった刀が俺の顎を捉えていた。下から頭をぶち抜くつもりか!



「っの、!」



咄嗟に背を逸らして刀を避ける。だが、避けきれなかったようで左顎に熱が走った。



「……お前の顔、どこかで見た覚えがあるんだが…どこだったかな。新聞か?賞金首か?」


「俺を低俗な賞金首と一緒にすんな」


「じゃあ海軍か……あ、そうだ、思い出した。海賊処理担当ってやつだったな。名前は忘れたけど」



こいつ、俺が名前を忘れたって言ったのを根に持ってたのかよ。



「何で覚えてたんだっけ、えーと………あぁ、そうそう。その顔が気になってたんだ」


「はぁ?」


「気に食わないって顔。新聞に載ってる写真も、今も、ずうっとそんな顔してる」


「…」


「自由に生きれていない奴の顔だ。前の俺と同じだ」


「……知るかよ。さっさと死ね」



突然語り出した海賊に、妙な苛立ちを感じる。自由?何だ、それ。そんな縁遠いもん、俺には関係ない。苛立ちをそのままに、地面に落ちたナイフを手に取って突き刺してやろうとした。海賊は、掌をこちらに向けて、え、



「なぁ」



俺より小さな掌に深々と刺さったナイフ。もちろん血は吹き出るし、見た目も痛々しい。何で、避けないんだよ。痛いだろ。



「一回、海軍から離れてみろよ。お前」


「は、」


「首輪なんか着けられてさ、海軍に飼われてるようなもんだろ。俺もさ、一回首輪みたいなの付けられてた時期があったんだけど」



ナイフを抜こうにも、海賊が手を握り締めているせいで一ミリも動かない。



「首輪着けてるとさァ、周りが見れないんだよ。本当に楽しいこととか、面白いこととか、全部分かんないんだ」


「……」


「だからさ、」


「知らねェ」


「…?」



海賊が怪訝そうな顔をする。



「…知らねェ。そんなもん、俺には関係ねェ。俺はお前を殺すだけだ」


「……そうだな。じゃあ、お前が俺に勝ったら俺を殺していい。で、俺がお前を負かしたらお前を好きにする。いいな?」


「……好きにしろよ。ぶち殺してやる」



そういや、目的が何か違うものだった気がするが、もうそんなのどうでもよかった。ただ、妙なむかつきが支配する俺の胸を掻き毟りたくて、仕方がなかった。












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