風間蒼也も駆け付ける。


まだ試合は終わっていない。あの場に残してしまったカゲ君が、ひとりで頑張ってくれている。分かってる。分かってるけど、枕へと押し付けた顔を上げることが出来なかった。再三言うけど、生身の身体は酷く脆い。トリオン体の時のように息を止めることを許してはくれない。緊急脱出をして、作戦室へと戻った私が起き上がらないどころか、かひゅ、ひゅ、と忙しなく呼吸を繰り返すばかりなものだから、心配させてしまっている事だろう。ごめんね、ごめんね。別に心配させたい訳じゃないのに。そのうち収まるから、それまでそっとしておいてくれて大丈夫なのに。


優しい皆は、きっとそうはしてくれないんだろう。


私の方がずっと年上なのに、みっともない所なんて見せたくないのに。嗚呼、かっこよくて優しいお姉さんのままで居たかったなあ。空気が激しく行き来する喉が擦り切れてしまいそうになりながらも、頭の中のほんの一部は冷静だ。だからこそ、こんなにも取り乱した姿を見せてしまうのが忍びない。そう思っているのに、脳裏に蘇るあの日の記憶がそれを許さない。私の身体は未だに、母親に囚われたまま進めずにいる。


「なまえちゃん、」


気遣わしげに呼ばれた名前も、自分の呼吸音が邪魔をしてしっかりと聞こえない。大きくて温かな手に背中をそっと撫でられると、私の意思に反して身体がびくりと大きく飛び跳ねて、それが本当に申し訳無くて仕方が無い。君達のことは怖くなんて無いの、大好きなの。この気持ちは本当なのに、何で私の腕はこの子達を抱き締めてあげられないんだろう。大丈夫だよ、心配させてごめんね、びっくりしたよねって。枕を抱き締めたままがちがちに固まってしまった私の両腕は、22年の付き合いだと言うのにたったひとつの動作すら許してくれない。なんて薄情な奴なんだ。


「おいなまえ、大丈夫か!?」
『あ゛?おい、どうした。』
「今カゲに構ってられねーから、後は一人でどうにかしとけ!」
『説明しろっつってんだよ!おいこら、ヒカリ!』


ごめんね。その四文字すら出てこない。喉からは未だにぜひゅー、ぜひゅー、と聞き苦しい音が行き来している。寒くも無いのに震える身体を、上から覆い被さる様にして抱き締めてくれた温もりがあった。先程よりも大きく身体は跳ねたけど、それでも離れてはいかない。



影浦 side


ヒカリからの通信が途切れて、思わず叫ぶ様にして名前を呼ぶと、なまえをぶっ刺していた太刀川がぽりぽりと後頭部を掻いては「やっぱ無理っぽいな。」と訳知り顔で呟いたのが死ぬほど腹立たしい。俺よりほんの少しなまえとの付き合いが長いだけで、全てを分かった気でいる目の前の男を睨み付けると、何時ものへらへらとした顔は何処へやったのか、何時になく真剣な顔付きで俺の方へと向き直った太刀川の

「早く戻ってやれ。」

という声を耳が拾ったと同時に旋空弧月で胴体を真っ二つに両断された。くっそ、脚の重りさえ無けりゃあ避けれたかもしれねぇのに。

結局、1ポイントも取れずに緊急脱出させられた俺は、作戦室のベッドに身体を放り出された。途端、全身に走る不快な感覚。確かに、背中に庇ってやってる時からちくちくと刺してはきていたが、なまえが太刀川に刺された瞬間幾らか和らいでいたはずだった。この前デコに指を近付けた時には何とも無かったじゃねえか。散々人をちくちくちくちくと刺してきた其れが、漸く綺麗さっぱり何処かへ行ったのかと思ったのに。それがどうだ、この有り様だ。今、なまえがこうなってる原因が何かは分かってる。どう考えても三輪の鉛弾がなまえの髪の毛に着弾したせいだ。感情が刺さってきたタイミング的にも間違いねえはず。

こいつの感情の中で一番掻き立て易いのは間違いなく恐怖だ。それでも、ここまで乱れている姿は見た事が無い。顔面を枕に押し付けて、必死に喘いでるその姿は酷く痛々しい。必死に寄り添おうとするヒカリとゾエに言葉を返す事も出来ず、何をして良いのか分からなくて立ち尽くすユズルを気遣う事も出来ず、そんな状況を作り出すこと自体本意じゃないと、言葉の代わりに刺してくる。嗚呼、そうだ。この場において、こいつの言葉を拾い上げてやれるのは俺しか居ねぇ。今日だけ、今だけは、この糞みてぇなSEに感謝してやるよ。


「退け、あんま触んな。」
「馬鹿ッ、今そんな事言ってる場合じゃねぇだろうが!」
「違ぇわ!そいつ、触ると余計怖がんだよ。」


ベッドの上で蹲るなまえを抱き締める様にして寄り添っていたヒカリを引き剥がすと、頭を撫でてたゾエも自然と手を引いた。普段から怖がってる訳じゃないのはコイツらだって分かるだろうし、本人は相も変わらず無自覚に怖がってるだけだ。いや、流石に今回は自覚してんのか?それとも、無自覚だからこそパニック状態に陥ってんのか。…俺のSEも万能じゃねえ。思考自体が読める訳では無いから、ある程度こっちから推測してやらないといけない。


結局、こいつが怖がってる事以外何も分かりゃしねぇ。自分の不甲斐なさにがしがし、と頭を掻きながら床に膝を着く。


「……おい、」
「はッ、はーッ、は、…ぜぇ、」
「声は聞こえてんのか?」


苦しそうな喘鳴の合間に、言葉になりきっていない出来損ないの声が混ざる。言葉で伝えるのを諦めたらしいなまえが、その頭を小さく縦に揺らした。はいかいいえかで答えられる程度のコミュニケーションを取る事は出来るらしい。とは言え、コミュニケーションでどうこうなる問題でも無さそうだし、どうやって落ち着かせてやりゃあいいのか。重く溜息を吐き出すと、びくりと揺れる身体に、こんな些細なもんすら怖ぇのかと不憫に思えてくる。

解決策が誰かの口から出ることも無く、秒針が無意味に動くだけだった作戦室の扉を二度のノック音が訪れた。立ち尽くすだけだったユズルがおずおずと扉を開けると、そこに立っていたのは太刀川と同じく入隊時からなまえと関わっていた風間だった。観客席からここまでわざわざ来たのか。まだ三輪隊と太刀川隊はやり合ってんだろうに。


「大変な時にすまないな。」
「いえ、」


なまえの状態を見越して来たのは明白だ。俺や太刀川の様にその場に居合わせた訳でもなく、ただモニター越しに見ていただけなのに、全てを察してうちの作戦室に押し掛けて来たんだ。仮に、俺がモニター越しになまえの様子を見てたとして、そんな事が出来たんだろうか。確かに俺はなまえの過去について話て貰ったことはあるが、それはきっと簡略化された内容だ。こうして過呼吸を起こしている明確な理由を、俺は分からず太刀川や風間は分かってるだろう事がその証拠だ。だからって、なまえから信頼されていないつもりは無い。そんなの、SEが無くたってあいつの立ち振る舞いを見てりゃ分かる。

それでも、信頼だけじゃ埋められないモンがある。それを見せ付ける様に、しっかりとした足取りでなまえが蹲るベッドへと近付いてきた風間は、俺が膝を着いているのとは反対側からなまえに声を掛けた。


「なまえ。」
「そ、……ッは、あ゛」
「嗚呼、俺だ。よく頑張ったな。」


静かにそう言って、そっと掌をなまえへ差し出す。するとどうだ、ただ枕に埋めるばかりだったなまえの顔が、僅かに持ち上がって風間の方を向いた。そうすると、息が詰まる程肌を刺して来てた感情の尖端が丸くなってくる。枕を強く握り締めて白くなっていた爪先に血色が戻って、へなへなと持ち上げた腕は差し出してた風間の掌を無視してそのまま首筋へと縋り着いた。しっかりと抱き留めた風間は、泣きじゃくる子供でもあやすみたいに背中をとんとんと叩きながら俺達へと視線をくれた。


「お前達も驚いただろう。パニックにならず、よく対応してくれた。」
「いやいや、そんな、俺達は結局何も出来なかったし、」
「はああぁ〜ッ、仲良いとは思ってたけど、やっぱすげぇな。アタシ達じゃなまえの顔を上げさせる事すら出来なかっただろうし。」
「うん、俺も、…どうしていいのか分からなかった。」


ヒカリ達が安堵の息を吐いて、行方を見守ってる。何だよ、クソったれ。なまえは誰がなんと言おうがうちの隊員だ。交友関係に口出しする気は毛頭無いが、お前の居場所はこっちだろと、怒鳴り散らしてやりたくなる。が、風間に背中を撫でられて徐々に呼吸を落ち着かせていくなまえを見てると、そんな事は口に出せやしない。嗚呼、畜生。なまえにとって俺らは「守るべき対象」に違いねえ。言っちまえばその他大勢とそう変わらない。対してどうだ、風間や太刀川との関係は対等だ。だからこそ、俺達へはしない甘えが生じる。

──嗚呼、まただ。あの時と同じだ。名前も知らねえ、顔も覚えてない様なC級隊員相手に脅しにも近い事をなまえがしてたあの時。ケロリとした表情で会話をしていたあの光景が、確かに羨ましいと思った。今もそうだ、なまえが真っ先に縋り着く先が、自分じゃない事が許せない。どうしたらいい、どうすれば、俺もその立ち位置に付ける。誰にぶつける訳にもいかない苛立ちから強く舌を打つと、ようやく呼吸が整ったなまえがびくりと肩を震わせた。

そろり、と風間の腕の中から顔を覗かせたなまえが情けなく眉尻を垂らす。


「……だ、脱退、」
「させるかよ。」


不安から安堵へ移り代わったのを肌で感じる。なまえが少しでも俺の隊に依存してるって事実だけが、今の俺が唯一握ってる特権だった。




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