お姉さん、絶不調。


寝起き一発目に感じたのは、身体が震える程の寒さだった。最近二月にしては暖かな日が続いていたかと思えば、今日はどうやら違うらしい。そう言えば、天気予報士のお姉さんが今年一番の冷え込みと言っていたのは今日だったような気がする。窓のすぐ近くにベッドを置いているせいか、結露の湿気で何時もより重たくなっている布団をよいしょと捲り上げて、身体を外気に晒した事を後悔してまた布団に潜る。いやいや、いくら何でも寒くない?もしかして雪降ったりするのかな?ああ、もし雪が降ったら学生組を迎えに車を走らせようかなあ。チェーン巻いてあったっけ?それともスタッドレス履いてた?人生初愛車の納車日は何時だったっけ。なんて考えながら、枕元に置いていたスマホを手に取り、天気予報を確認。うん、快晴。気温はともかく天気は問題ないらしい。

なら、三輪君へのお詫びの品でも買いに行こうかな。何が好きだったかなあ。どうせなら三輪隊皆で食べれる物を……とか、寝ている間に溜まっていた通知を確認しながら思案していたが、今日は狙撃練習をすると約束をしていたのを思い出した。とは言え練習が終わった後でも時間は取れるはずだし、特に問題は無いかな。今日の練習東さんも来るってちらっと言ってるの聞こえちゃったんだよなあ、やだな、サボっちゃ駄目かな。急に身体が重たくなったような気がするけど、仮病はいけないよね。賢ちゃん来るし。何はともあれ、まずは布団から出なくては。

もぞり、布団から手だけを出して枕元に置いてあるトリガーを掴み、そのままお布団の中で換装。するとどうだ。あっと言う間に寒さなんて何処へやらだ。…ううん、トリオン体のせいで大分惰性な生き方をするようになってしまったかもしれない。換装すると本部に信号が行くらしいけど、私は基本敵に本部内に居るし、こういった換装については注意されたことはない。みょうじの奴また訳分からんタイミングで換装してるよ。とか、今まさに陰口を言われてたりはしないかな。大丈夫かな。まあ、だからってトリオン体になるのは辞められないんだけども。

寝起き特有の気だるさも何処かへ行ってくれたお陰で、爽やかな気分で伸びをする。あとはこの生足をどうにか出来れば最高だけど、光ちゃんデザインの隊服に文句は付けられない。泣かれたら泣いちゃう。




────……



「せんぱああああいッ!!」
「賢ちゃん!この間は解説お疲れ様。」
「いえいえ、あの程度なんのその。師匠の事でしたらこの佐鳥にお任せあれ。」


訓練室に入るや否や、半ば叫びながら飛び付いてきた賢ちゃんを抱き留めて、ぽんぽんと背中を撫でてあげるとえっへん、と得意気に胸を張る。その姿のなんと可愛いことか。賢ちゃんは、私が「師匠じゃないでしょ?」って言わなくなったのに気付いてるのかな。気付かないのなら、聞かれないのなら、わざわざ私から言うつもりは無いんだけど。


「なんたって、師匠の佐鳥ですから!」


鼻高々。そんな様子の賢ちゃんを見上げて小首を傾げる。はて、賢ちゃんがそこまでなる何かがあったんだろうか。ともかく今日は機嫌が良いらしい。擦り寄ってくる賢ちゃんをよしよししていると、そんな賢ちゃんの首根っこをむんずと掴み上げた荒船君の呆れた顔を私が見るのと、賢ちゃんがぽいっと投げられるのは同時だった。ぽてっ、と尻餅をついた賢ちゃんは「酷いじゃないですかあ。」なんて唇を尖らせている。少しだけコミカルで、それでいてめいっぱい可愛い。


「お前らはいい加減距離感を覚えろ。」
「…ははーん、さては荒船さん、俺と先輩の仲の良さに嫉妬してるんじゃないですか?」
「はあ?」
「でも駄目ですよ、先輩は佐鳥だけの師匠なんで!いくら荒船さんでも、弟子入りされたら困ります。」
「……いや、こいつに弟子入りは無理だろ。感覚派に弟子入り出来んのは同じ感覚派だけだろうよ。」


にしても、今日はえらく強気じゃねえか。そういう荒船君に、私も小さく頷く。いつもは半泣きで " 佐鳥以外を弟子に取るなんて駄目ですよ、駄目なんですからね!" と懇願にも近い言葉と共に泣き付いて来るのに、今日は自信満々な様子だ。もしや私が師匠という立場を否定しないのに気付いてる?賢ちゃん頭良いもんね、お利口さんだね。なんてほわほわした気持ちで見守っていたら、これみよがしにポケットから携帯を取り出した賢ちゃん。じゃじゃーん!なんて効果音が付いてそうだけど…なにごと?

首を傾げる私と荒船君を前に、ふんすふんす!と鼻息荒く携帯を操作した賢ちゃんが、ある動画を映し出した画面を私達にも見えるようにと携帯を傾けた。

その動画の内容は、うちの賢ちゃんが一番可愛いと泣きながら叫んでいる私の動画だった。なん……なッ、なんでそんなの持ってるの!?で、賢ちゃんはなんでそんな自慢気なの!?


「ああああああ゛ッ!」
「お前……、」


酔っていた時の記憶はない、記憶はないのに動画という物的証拠があるのは何故こんなにも恥ずかしいのか。思わず床に膝を着くように崩れ落ちる。頭上からは哀れみの篭った荒船君の声。ボーダー内で私の動画が出回ってるとか思わないじゃん…せめてほら、ヘッドショット決めた格好良い感じの動画とかさ…いやそれはそれで恥ずかしいけども。


「絶対洸太郎君だあ……。」
「えっ、よく分かりましたね。」
「何か恨まれる事でもしたのかよ…、」
「したかなあ……、」


ご機嫌な様子でるんるんしている賢ちゃんと、恥ずかし過ぎて頭が上げられない私。そんな私の隣にしゃがみ込んで背中を撫でながら「これに懲りたら酒は控えろよ。」と普段より幾分か優しい声色で宥めてくる荒船君。……ごめんなさい、週末また呑みます…。もしもの時は今度は拾わずに捨て置いてくださいお願いします…。

何とも異様な空気を放っている私達の元に近付いてくる足音がひとつ。訝しみながら「どうしたんだ?」と降ってくる声は、心地の良い低音で、ここ数年嫌という程隣で聞いてきた声だ。下手したら太刀川君や蒼也君よりも一緒に居た時期もあったくらいなんだから。…なんなら、一番醜態晒してるのもこの人の前なんだよなあ。数年前の記憶が蘇りそうになったところで、賢ちゃんが件の動画を東さんにまで見せようとするもんだから、慌てて全員揃ったんだから練習をしようと、普段よりも少し大きめな声で言うと、荒船君が「そうだな、時間は限られてんだ。さっさとしよう。」と援護してくれた。どうやら今日は私の味方をしてくれるみたいだ。





─── 東 side


いつもなら、俺の顔を見た瞬間に眉間にぐっと力を入れて皺を作るその眉が、今日は情けなく垂れ下がっている。自分が可愛がっている後輩に虐められたかからかわれたか。少しばかりしょんぼりとした表情のなまえの姿は、最近じゃ自分一人ではなかなか見れないので貴重だ。見るとなれば酒の力を借りるしかないあたり、俺も中々に甲斐性がない。

俺のほろ苦い胸中などお構い無しに、四人横並びなってそれぞれがスコープを覗き込む。ちなみに並びは俺、荒船、佐鳥、なまえの順だ。基本的になまえは俺から離れた位置に陣取りたがるし、佐鳥と隣になる事が多い。師弟仲がいいのはいい事だ。然し、なまえは音に過敏に反応する性質上、そもそも合同練習に向いていない。技術の向上を目指すのであれば一人で黙々と練習をするのが一番だろう。それでも誘われれば来るのだから、社交性の高さが伺える。なまえの数ある長所のひとつだろう。




穴だらけになった的を交換すること数回目、どうやら今日のなまえは調子が良いらしい。周りで狙撃音が聞こえても、銃口がブレない。珍しい事もあるもんだ。合同訓練でもそれが出来ていれば、もっと順位も上がるだろうに。惜しいな、と思って何となく見ていたが、あまりにも調子が良過ぎる。周囲の様子が気にならない、と言うよりも、完全に意識の外に放り出してしまっているような様子が気がかりで、思わず銃を置いて背後に近付く。普段なら、もうとっくに顔を上げて何事だと顔を顰めている頃合だろう。それなのに、まるで意に介さずスコープを覗き込み続けているなまえの肩をぽんと叩くと、びくりと大きく肩が跳ねた。肩を叩かれてようやく気付いたとでも言わんばかりのその反応に、違和感が確信に変わる。嗚呼、これは調子が良いんじゃなくて、調子が悪いんだな。いつもあちこちに意識を割いているのに、それが出来ないほど余裕が無いんだろう。表情から察するに、本人に自覚は無さそうだが。


「なまえ。」
「え、……何ですか。」


身体が少しだけ佐鳥の方に寄る。無意識に後輩を盾にしようとしているらしい。本当に、らしくない。太刀川や風間を盾に使われる事はあるが、あれはまあ…あいつらが特別なだけだろう。

なんだなんだと顔を上げた佐鳥と荒船に、そのまま続けてくれて構わないと片手を上げると、首を傾げながらもまたスコープを覗き始める。佐鳥は余程気になっているのか、先程よりも着弾点がブレている。聞き耳は立てているだろうが、別段やましい事はないから問題は無いだろう。


「換装を解いて貰っても良いか?」
「無理です。」
「ん?何か理由でも?」
「……や、その、」


居心地悪そうに視線をさ迷わせる。左右の指先がもじもじと忙しなく動いたかと思えば、目線を逸らしたまま「……生身の方、部屋着なんで。たぶん…。」と。まるで悪戯を白状する時の子供の様な仕草だ。何かもっと重大な理由があるのか、はたまた単純に俺に反発したいだけかと思っていたから、予想外の理由に目が丸くなる。なんだ、そんな事か。そんな奴割と居るだろう。この前なんかシャワー中に呼び出された奴が素っ裸のまま換装したもんだから、絶対に緊急脱出は出来ない。と騒いでいた事もあったくらいだ。

とは言え、男の俺と女性であるなまえとでは感覚が違うのかも知れない。正直、俺はなまえがどれだけよれよれで、毛玉だらけの部屋着を着てようと今更何とも思わないが、何だかんだで格好を付けたがる節もあるからな。後輩が横に居る手前、見せたくないんだろう。どうしたもんかと顎に手を添えると、矢張り聞き耳を立てていた佐鳥がきらきらとした目をこっちに向けてる。荒船も、一度射撃の手を止めて「どうかしたんですか?」と此方へ近付いてきた。なんだなんだ、お前まで聞き耳立ててたのか。はは、人気者だな。


「先輩、どんな部屋着なんですか!?」
「えぇ…、えっと、普通のトレーナーだよ。お土産で貰った、猫のご当地キャラクターがプリントされてるやつ。」
「俺、そんな気を抜いてる感じの先輩見たことないかもしれない。」
「多分、ほとんどの人が見たこと無いと思うよ?」
「本当かよ。」
「ほ、本当だよぉ……。」


また、しょんぼりと眉を垂らしたなまえ。なんだか、荒船よりも立場が下に見えるのは何故なのか。何時もよりさらに小さく見えるなまえに笑みが浮かぶが、今はのほほんと悠長に構えている場合じゃない。丸っこい頭を撫でるように掌を置くと、何とも言えない渋い顔が見上げてくる。後輩の手前、俺の顔を立てて振り払わないでいてくれるのをいい事にそのまま数度、その丸い形を確かめる様に掌を撫で下ろす。


「なまえ、お前今日体調悪いだろう。」
「……はい?心当たりは無いですけど。」
「トリオン体じゃ熱も測れないから、換装を解いて欲しいんだが…。」
「ぐぬ……、」


小さく呻いてから、ちらりと佐鳥と荒船を見る。ぴんと来ずに片眉を上げている荒船はさておき、そうなんですか?と心配そうに擦り寄ってくる佐鳥は無碍には出来ないんだろう。うー、あー、と意味の無い言葉を繰り返し発していたが、

「別に良いだろ、部屋着くらい。」

という荒船の一言で観念したらしい。何だかよく分からん上下関係が形成されてるな。微笑ましい気持ちで見守っていたら、そそくさと俺の背中に隠れに来るなまえ。本当に、珍しい。ちょこん、と背中から顔だけ覗かせて「あんまり見ないでね?…東さんも、確認が終わったら直ぐにトリオン体に戻りますから。」と、こうなったのも全て俺のせいだと言いたげに目尻を釣り上げる。…うーん、子猫に威嚇されてる気分だ。なんて言ったら、余計に怒られそうだが。


「トリガー、解除。」


影浦隊の隊服から、言っていた通りの部屋着に変わったなまえ。途端、ふらりと足元が崩れるもんだから、慌ててその身体を受け止めてやる。本人は訳が分からないと言いたげに頭上に疑問符を飛ばしている。成程、これは。熱を測るまでも無いな。生身の身体が弱っている所をトリオン体で無理矢理活動していたんだろう。


「……?…??」
「なまえ、部屋に行こう。」
「大丈夫ですか、先輩?」
「……え?うん、ぜんぜん大丈夫、だけど。」
「嘘吐け。いいからさっさと薬飲んで寝とけ。」


しっしっ、と追い払うような仕草を見せた荒船が「東さん、お願いしても良いですか?それか、俺が連れてっても良いですけど。」と気遣わしげに声を掛けてきた。それを大丈夫だと返してから、一人じゃ立つこともしんどいのかずっと俺に預けたままにしている身体を正面から抱き上げる様にひょいと持ち上げる。普段だったら暴れまくるわ叫びまくるわで大変だったろうに、そんな元気すらないのかぐったりと身体の力を抜いてしまっている。

「お大事に〜〜ッ!」

大きく手を振って見送る佐鳥を背に、なまえの部屋へ。道中、擦れ違った数人からぎょっとした目で見られたが、なまえの様子を察してか特に何も言わずに素通りしてくれた。
何時もよりも少しだけ呼吸が早いなまえを落ち着かせるようにとんとん、と優しく背中を撫でてから部屋の前へ着いたことを知らせると、無言でカードキーを差し込んだ。どうやら、このまま部屋の中まで運べという事らしい。


「今日は随分甘えただな。」
「……すみません。」
「はは、いいや。いつもこれくらい甘えてくれても構わないさ。」
「それはちょっと…。」


それはちょっと。嫌らしい。随分と嫌われたものだなとも思うけど、嫌われる事をしてきた自覚はあるから仕方がないのだろうか。酒が入っている時はあんなにもべったりと甘えてくれるのに。まったく、つれないな。

甘やかしてやれるのも今のうちかと、ゆっくりとベッドへ寝かせてから、布団をかけて優しく頭を撫でてやる。部屋着で換装していたのが幸いして、着替える手間もなくこのまま寝れるだろう。ふるり、と小さく震えたのを見て頬へと手を添える。随分と熱くなってしまってるまろいそこを掌に押し付けるようにして擦り付いては、少しだけ可笑しそうに瞳が弧を描いて、


「…はは、トリオン体ってひんやりしてて気持ちいいですね。」


とろりと、熱を孕んだ瞳が蕩けた。


一瞬、ほんの一瞬。自分の中で存在し続けてる少女の面影が、大人の女性へと様変わりしたように見えた。瞳を閉じてしまった今は、一瞬現れたその姿も鳴りを潜めて確かめようが無い。大きく胸を上下させながら、安心しきった子供のような顔で眠るなまえを今一度撫ぜてから、静かに部屋の扉を閉めた。




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