04
翌日いつも通りに私は来神高校へと登校した。教室に入るとすでに夏南が席についていて、私を見つけると笑顔で手を振った。彼女は高校に入ってから出来た一番の親友だ。私はひとまず鞄を自分の机に置き、彼女の席の前にある空いていた椅子に座った。そして、私は早速昨日起こったことを話し始めた。
彼女は私が話を進めて行くほどに段々と顔を青くしていく。全て話し終えると肩に手を置かれてしみじみと言われた。
「由良、よく無事に帰って来たわね」
と………。
来神高校の影番
なんでも昨日私が遭遇した2人はどうやらこの来神高校の生徒の中では名の知れた有名人らしい。折原さんの忠告から考えて、彼はあの場所にあの他校生がいたことを知っていたのだろう。そして平和島さんは自分が狙いと言っていたことから、昨日出逢った2人は知り合いなのかな位には考えていたけれど……。
それがまさかこの辺りで来神高校の影番と言われている人と、他人を利用しては悪事を働いたりその人によく喧嘩をふっかけている変わりものだったとは。
ということは昨日の件も折原さんが企てた可能性もあるということか。
私が呆然としていると夏南は溜め息を漏らした。
「アンタってホント噂とかに疎いわよね。こんな有名人知らないのアンタ位よ」
「だって全然知らない人の話されたってよく分かんないし、あんまり興味もなくて」
「結構クールだよね、由良って」
「そう?」
「まぁ最初だけなんだけど。一回壁ブチ破って懐かせたらその後は刷り込みしたみたいについて回るようになるし」
「"懐かせたら"とか"刷り込み"って何!?人を動物みたいに言わないでよ!」
「怒らないでよ、もう!誉め言葉だってば!それだけ可愛いってことじゃない」
よしよし、と私の頭を宥めるように撫でる夏南。同い年の私や他の女子より大人びた雰囲気を持つ彼女に妹のように扱われるのは嫌いじゃない。でもそのたびに自分の幼さに気付いて情けなくなるけれど。
うぅ、と唸る私に微笑みを浮かべていた彼女はすっと表情を真剣なものへと戻して先程の話の続きを口にした。
「大事にならなくて良かったし、たまたま助けてくれた平和島静雄に感謝するべきかもしれない。でも自分を守るためにも最低限のことは知って頭に入れておきな。何も知らずに危ない人間と関わってたらいつかホントに痛い目見るわよ」
夏南の言葉は正しいと思った。でも素直には頷けなかった。確かに私が危ない目に遭ったのは事実だ。けれど、やはり平和島さんはその噂のような影番という雰囲気じゃなくて。それよりも私には少し不器用っぽくて、それでも優しく接してくれた印象の方が強く残っていた。
こんなことを夏南に言ったら、『甘いこと言って』と呆れられるかもしれないけれど。
でも私にはあの平和島さんがそんな人だとはどうにも思えなかった。
♂♀放課後になり私は夏南と少し話をし、その後今日も昨日と同じように部活のある彼女と別れ、すぐさま学校を出ようと下足場へと向かう。そして靴を履き替えて上履きを自分の靴箱へと収めたところだった。
「あ」
「…あ」
突然廊下の方から呆けた声が上がった。そちらに目をやり、見つけたその人物に私も似たような声がでる。
そこにいたのは昨日私を助けてくれた平和島さんだった。
「よぉ藤堂つったっけか。お前、昨日無事帰れたか?」
「はい、おかげさまで…。昨日はありがとうございました!」
「…礼はもういいよ。昨日も散々言われたし…」
「…あ、すみません…」
「だからと言って謝る必要はねえ」
「は、はい!」
平和島さんも丁度下校する所だったらしく、自分の靴箱へ近付き革靴を取り出した。そして靴を履き替えながら私との会話を続ける。
私は昨日から感謝の言葉を何度となく繰り返していた。そんなに言えば、ありがたみもなくなってしまうと分かっていつつも、ついつい口にしてしまう。流石に平和島さんも聞き飽きたらしい。苦言を呈する彼だけど、私が慌てて謝罪すると特に怒っていたりはしていなかったようで、柔らかい声色で言葉を返してくれる。やはり彼は優しい。
「今日は気を付けて帰れよ」
「はい」
靴を履き替え帰る支度の整った平和島さんが、私に歩み寄る。綺麗に染められた金髪に着崩した学ラン。確かに見た目はどこか不良っぽくて、影番と呼ばれてもおかしくはない近付き難い雰囲気を放っている。でも実際に話して見ればそんなことはない。今だって私を気遣ってくれる。
「……なあ」
「どうしました?」
「お前、なんか甘い匂いがするな」
「…あ、それはですね…」
私に近付いてからしばらく平和島さんはすんすんと鼻を鳴らすと呟いた。その言葉に先ほどまでやっていた授業のことが思い当たる。そしてあることを思いついて鞄を漁った。
「実はさっきまで調理実習でお菓子作りをしてて…」
「ああ、それでか」
平和島さんは私の言葉には納得したようだったが、行動の意図は読めないらしい。不思議そうにこちらを見つめている。その視線を受けつつ、平和島さんのリアクションを想像して少しドキドキした。勘違いするなとかいい迷惑とか言われて突き返されたら、なんてことも考える。けど、平和島さんならそんな酷い対応はしないだろうという決論に達した。そして、漸く探り当てた目的のものを取り出し、平和島さんの前に差し出す。
「あのそれでこれ、さっき作ったマフィンなんですけどよかったらどうぞ」
「え?」
透明なビニールと赤いリボンでラッピングされた、先程作ったチョコチップ入りのマフィン。それを見た平和島さんは、予想外とでもいうようにポカンとした表情を浮かべていた。
「あの、もしかして甘いもの苦手ですか?」
「…いや、そうじゃねえけど」
「それなら良かった」
言葉を返す訳でもなく、受け取る訳でもない。平和島さんの反応が読めなくて不安にかられる。そこで、甘いものが嫌いという可能性を頭に入れてなかったことを思い出した。対応に困っているのかと心配になって問い掛けたものの、違うと分かって少し安心する。けれど、それなのに平和島さんは受け取ってくれることはない。不思議に思っていると、平和島さんがやっと言葉を紡ぎ出した。
「…でもいいのか?俺が貰っても。他にあげるやつとかいないのか?」
「他のクラスの友達にはもうあげたんですけど、沢山作ったから実は余っちゃってて…。折角だし昨日のお礼代わりにでも、貰ってくれると嬉しいです」
平和島さんに渡そうと思ったのは確かに思い付きだ。けれど平和島さんに受け取って貰いたい気持ちに嘘はない。平和島さんは昨日のことは自分のせいだし礼はもういいと言っていたけど、やはり何かお返しが出来たらと考えてしまう。だから平和島さんが遠慮なんてする必要もなくて、笑顔で返すと安心したように平和島さんも表情を口元を少し緩めた。
「じゃあ貰っとく……ありがとう」
「いえ、口に合えばいいんですけど」
「大丈夫だろ。見るからにうまそうだしな」
そして、伸ばされた手が、私の手の上にあったマフィンの入ったビニールを掴む。持ち上げマフィンを眺めた平和島さんと微笑みあった時だった。
「なーんかいい雰囲気だね?」
突然聞こえた通る声に平和島さんと揃って振り向く。その先で見た姿には見覚えがあった。