感謝する


何度か日が昇り、夜を迎えているが、私が知る井伊直虎の城はこの部屋しかない。井伊直虎が居ない時には、部屋の外や天井に見張りが付き、飯時には必ず井伊直虎がやってくる。素直に食べるようになった私を見て、満足そうに笑っては共に食事をして部屋を出て行く。
もう随分と体調も良くなってきた。が、相変わらず婆娑羅の力は使えない。小細工とやらは、当然部屋の中には無いようで、それを壊そうにも壊せない。まあ、衣食住が一定に保たれているし、拷問をされるような素振りもないので、婆娑羅の力と引き換えに療養を得ていると思えば、そう悪いものでもなかった。
しかしそろそろ、外の事について知りたい。もう、三成様や左近様に帰ると言った期日は随分前に過ぎ去ってしまった。また、怒られてしまう。刑部様は怒らないけれど、すれ違う度にちくちくと小言を残していくのだから、こう言ってはなんだけれど、タチが悪い。


「(会いたい。)」


帰りたい。そして、報告しなければ。松永久秀と、風魔小太郎のことについて。早く戻らないと、彼奴らの思惑通り、三成様は辺りを残滅して回るだろう。この身に余る光栄な事なのだが、私は三成様の世界の一部分となっているので、それが欠けてしまう事は許されていない。そう、死ぬ許可はまだ得ていない。消える許可も、同様に。
もしも暴走してしまったとして、誰か止められるだろうか?刑部様と左近様二人がかりなら、大丈夫だろうか?前に暴走した様子を見た左近様は、随分驚いてしまっていたみたいだけれど。


「(左近様。)」


羅刹ちゃん、と私を呼ぶ声が頭の中でこだまする。会いたい。会って、ただいまと言いたい。鬼の面が無いけれど、彼は私だと分かってくれるだろうか?贈ってくれた蝶の髪飾りも、何処かへいってしまったけれど、許してくれるだろうか?また、帰るのが遅くなってごめんなさいって言わないといけない。そういえば、私はあんまり、左近様との約束を守れていないなあ。
気がついたら左近様のことばかり考えてしまっている。主君の、三成様を思うのとはまた違う気持ちが、私の胸を締め付ける。会いたい、話したい、笑顔を見たい、声を聞きたい、姿を見たい、頭を撫でて欲しい。お友達に対して、こんなにも欲張りになるのはあんまり良くないことなのかもしれないけれど、どうにも思わずにはいられない。


「はあ・・・遅くなってしまったな。昼餉にしよう。」

「疲れていますね。」

「・・・まあな。バカな男共が、あちこちで暴れまわっているらしい。許せない・・・きっと、現地で乙女達は泣いているに違いない!」

「はあ。」


バカな男どもというのは、誰のことだ?もしかして、近々何処かが戦でも仕掛けるつもりなのだろうか?徳川家康が動き出したのだとしたら、今の石田軍にとってはあまり良くないのかもしれない。私が居なくなってしまったことで、何処まで影響を及ぼすのかが想像出来ないが、最悪の形を想像するのは案外容易い。三成様たちは生き残ることができても、その下の兵たちの損害は大きくなるだろう。
黙り込んでいる私を、井伊直虎が見つめている。何かを感じ取られてしまっただろうか?私は考え事を止めて、運ばれてくる昼餉の匂いが近付いてくる方へ意識を向ける。焼き魚だ。
私と井伊直虎の間に何も会話がないまま、昼餉が準備された。二人一緒にいただきます、と言って手を付ける。暫くそのまま会話は無く、遠くで聞こえるなでしこ隊の甲高い笑い声や鳥の声が、私たちの間を通り過ぎるだけだった。


「暴れまわっているのは、石田軍だ。少数精鋭で現れては、各所を潰して回っているそうだ。」

「・・・。」

「『羅刹』という乙女を探している、らしい。」

「そうですか。」


また、あの瞳だ。真っ直ぐすぎる井伊直虎のその瞳が、私は少し苦手だ。そう思うのは、敵でもなければ味方でもないと思っているからだろうが。そういえば猿飛様は、自分の軍以外は皆敵と思えって言っていたっけ。例え同盟を組んでいたとしても、絶対的信頼を置いてはいけない、と。
では、敵でも味方でもない、なんて思ってしまった私は、その教えを全く活かすことが出来ていないという事だ。やっぱり私は、猿飛様のような忍にはなれないようだ。


「あの石田が執心している『羅刹』という乙女・・・一度、会ってみたいものだ。」

「・・・会って、どうするんですか?」

「決まっている。酷い事はされていないか、蔑ろにされていないか、泣かされていないか、無理強いはされていないか、」

「あ、もう良いです。」

「そうか?」


少し笑って、井伊直虎は食事を再開させる。私は溜息を一つついた。
そろそろ、本当に此処を去らねばならない。傷の手当てをしてくれたこと、私の命を救ってくれたこと、本当に感謝している。何も恩返しを出来ていないけれど、私が居たいのは、居るべきなのは、ここじゃない。
幸い、今日の晩は雲が多く月明かりが無い。武器も何もないけれど、見張りの者から奪えば大丈夫。帰ろう。帰らなくちゃ。
さて、襖の前の見張りと天井の見張り。どちらから静かにさせるべきか。何せ影の中に潜ることが出来ないので、突然背後に現れる芸当は出来ない。私の、純粋な腕が試される。少し考えて、私は襖の前いる見張りから静かにさせる事にした。


「・・・。」


バタバタと見張りの二人が倒れた頃に、天井から忍が誘き出される。私には使い辛い薙刀で応戦し、なんとか血を流すことなく気絶させる事が出来た。が、きっともう、井伊直虎の元へ報告しようと他の忍びが走っているに違いない。私は薙刀を放り投げ、忍から苦無を数本拝借した。こちらの方が、手に馴染む。
この城へは、偵察で何度が来た事がある。方角は大丈夫だ。すぐに帰ろう。ああでも、誰も居なかったらどうしよう。まあ、その時はその時に考えよう。兎に角私が帰るのは、佐和山の城だ。


「行くのか。」

「・・・。」


屋根の上に居る私を、井伊直虎は見つめる。いつも結っていた髪の毛は、今は下ろされて風に揺れていた。そんな井伊直虎は、私に向かって何かを放り投げる。一瞬、飛び道具かと身構えたが、宙に浮くそれが何か分かって、私は慌ててそれを掴んだ。


「お前の服は、随分ボロボロになってしまっていた。返した方が良いか?」

「・・・いいえ。」

「そうか。そんな寝間着で出て行く事はないだろうが・・・すぐ、行くのだろう?」


彼女の言葉に頷いて、私は受け取ったそれをじっくりと見る。手の中には、緋色の蝶が戻ってきた。奇跡的に大きな損傷はなく、まだ使うことが出来る。


「・・・あの。」

「なんだ?」

「面は、鬼の面はありませんでしたか。」

「鬼の面・・・?無かったと、思う。私が拾ったのは、お前とその髪飾りだけだ。」


ぎゅう、と髪飾りを手の中に収めて、少し強く握る。良かった、良かった。帰って来た、私の大切な蝶。私は簡単に髪の毛をまとめて、蝶を付ける。


「羅刹、です。」

「は?」

「私の名前。」

「・・・そうか。」

「ありがとうございました。この御恩、私は忘れません。」

「お前は、羅刹はあまり、忍らしくないな。」

「残念ながら、よく言われます。」

「また、石田たちに虐げられたら来い。傷ついた乙女は、私はいつでも歓迎する。」


虐げたのは三成様達ではないけれど、彼女の思い込みの強さをここ数日で実感しているので、否定しなかった。頭を下げて、精一杯の礼の気持ちを伝える。誰もここへ駆けつけないのは、きっとこうなると分かっていたのだろう。


「ありがとうございました、直虎様。」


私は数日振りに、影に溶けた。
20141108



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