取り留める
目を開けると、空ではなく木目が見えた。少しぼうっとしてから、私はやっぱり死んでしまったのかと思案する。私は地獄へ逝くものだとばかり思っていたが、地獄というものはこんな、小奇麗な部屋なのだろうか。死んでも尚痛む身体に鞭打って、上半身を起こす。傷にはそれぞれ、包帯が巻いてあった。どうやら頭も割れていたようで、額にも包帯が巻いてある。
「・・・。」
酷く口が乾いている。死んだというのに、喉の渇きにも悩まされるなんて、意外と不便なものだ。枕元に水が置いてあったので、湯呑にも移さずに水差しから直接あおる。口の端からダバダバと溢れていくのも厭わず、私は水を飲み干した。
「随分と豪快な飲み方だな。」
いつの間にそこに居たのだろう。開かれた襖の手前で、誰かが仁王立ちをしていた。背後を取られるなんて、もう随分無かったことだ。 ぼうっとその人が誰なのか見極めようをするが、逆光で誰なのかさっぱり見えない。しかし、この声は聞いた覚えがある。さて、どこだったか。
「腹は減っていないか?痛むところは・・・まあ、多々あるだろうが、無理はしていないか?」
「・・・何故、あなたが。」
「死にかけている乙女を助けるのは、当然の事だ。」
「井伊直虎・・・。」
ここは、井伊直虎の城か。また、とんでもない所に転がり込んでしまったものだ。いやしかし、今私が生きているということは、私の身代わり人形は、しっかりと私の身代わりをしてくれているらしい。 精巧に精巧を極めて作った、私の人形。題材は私の死に顔だったが、あれよあれよというまに等身大の私の遺体人形が出来てしまった。役に立つ時が来て良かったような、ちょっと勿体無かったような。 同じ場所に傷を作るのは至難の技だった。風魔小太郎と鬼ごっこをしている間に、猿飛様から伝授して頂いた分身の術で、分身に逃げてもらう。私が分身の影に隠れながら、回る毒に耐えながら、人形を傷つける。出来上がった頃にもう一度風魔小太郎と対峙し、無駄に派手に煙幕を使って、毒に倒れたと見せかけて遺体人形を地面に残し、私は我武者羅にその場を去った。
「・・・。」
きっと、風魔小太郎にはバレてしまっているだろう。その後の人形がどうなってしまったのかは分からない。その場に置き去りにしているのが一番良いのだが・・・。どちらにせよ、三成様は・・・。
井伊直虎は部屋に入ると、襖を静かにぴったりと閉める。こちらに近づいて来るが、私は対抗する術がない。私は丸腰だ。どういう仕掛けをしているのか知らないが、どうしてだかいつものように影の中に入ることが出来ない。ただ、そこまでの気力が無いだけなのかもしれないが。
「お前、名は何と言う?」
「・・・。」
「答えたくなければ、答えなくて良い。ただ、一通りお前の持ち物を見させてもらった。」
では、私が忍ということは分かっているのだろう。このようなもしもの時の為、何処にも三成様の家紋を入れてはいないし、私の存在も大っぴらになってはいないので、誰の忍なのかまでは分からないはずだ。 凛とした瞳が私を射る。その口元には微笑みをたたえていて、殺気など全く感じられない。彼女もまた、丸腰であった。見た感じなので、何処かに隠してあるのかもしれないし、現に天井には数人の忍が私たちの様子を監視している。
「ここは、地獄ではないのですね。」
「地獄?何を言う。お前はまだ生きている。」
「・・・良かった・・・。」
ここから簡単に出られるとは思わないが、再び三成様の元へ帰る事が出来る確率があると思うと、この上なく嬉しい。 さて、私は井伊直虎に聞きたい事が山ほどあったが、それは井伊直虎にとっても同じなのかもしれない。どのような情報を吐けと言われるのだろうか。私はどんな拷問をされようと、何も話すつもりなどないけれど。 そういえば水の中に、何か薬が入っている様子もなかった。ただの、なんの変哲もない水だった。逃げる方法を遮断するため痺れ薬で身動きを取れなくするのは、よく使われる手法なのに。
「お前を拾って、もう3日程経つ。まずは昼餉を用意させよう。遠慮なく食べると良い。」
「・・・。」
「なんだ?その目は。」
「何が、目的ですか?どうして情報を吐かせようとしないのですか。」
「ふん、見くびるな。私は傷ついた乙女を保護したまでだ。それよりも、何故そんなに傷だらけで転がっていたんだ?も、もしかして、野蛮な男共に乱暴をされたのか!?くっ・・・許せん・・・!こんな可愛らしい乙女に寄って集って・・・!」
「ちょっ、ちが、いや、違わな・・・いや少し違う・・・?」
「それとも、激務を任されていたのか?こんな幼い乙女に、どんな酷い仕打ちを・・・!」
「お、おさない・・・!」
井伊直虎は、どうやら思い込みの激しい性格をしているらしい。全ての事に訂正をしていると、何があったのか言わなくてはならなくなると思ったので、私の年齢だけには訂正を入れておいた。たいそう驚かれた。 一歩的に行われる会話を終わらせたのは、良い匂いのする昼餉だった。私の膳にはご飯ではなく、消化に良い粥が乗っている。どうやら井伊直虎もここで食事をするようで、それぞれの前に膳が準備される。
「いただきます。」
「・・・。」
「ほら、食べろ。乙女の美容に、美味しいものは欠かせないぞ。」
「・・・。」
「・・・仕方がないな。」
口をつけようとしない私に、呆れたように笑って立ち上がる。私の膳を挟んだ目の前に座ると、粥からおかずまで、一口ずつ食べていく。どうやら、毒が入っていないことを証明しているらしかった。 分からない。どうしてそこまでする?しようとする?じっと、井伊直虎を見つめていると、彼女はニッと笑って私の頭をぐしゃぐしゃと、力強く撫でた。
「私が拾ったのは、傷ついた乙女であって、何処かの忍なんかじゃない。まあ確かに、他の者からは小言を貰ってはいるが・・・妥協案として、少し婆娑羅の技が使えないよう小細工をしてある。 ・・・私は、もう乙女が傷つくことのない世を作りたい。精神的にも、勿論身体的にも。目の前の、傷つき死にかけている乙女を助けず、何が『乙女の傷つくことない世を作る』だ。私の志に反するとは思わないか?」
「・・・。」
「ほら。」
井伊直虎が摘んだ人参の煮物が、容赦なく口に当てられる。柔らかく煮込まれたそれは、私が口を開かないと簡単に崩れてしまっていきそうだ。慌てて私は、口を開けてしまう。うっかり放り込まれた人参の煮物は、じんわりと私の味覚を刺激して、咀嚼を促す。薬の味はしない。ただの変哲のない、人参の煮物だ。
「・・・おいしい。」
「!、そうだろう、そうだろう!卵焼きはどうだ?私は甘めのが好きだから、甘い卵焼きなんだが・・・。」
「・・・。」
黄色い卵焼きが、一口くらいの大きさに切り分けられる。それをまた、井伊直虎は私の口元へ持ってきた。また私が口を開こうとしないのが分かったのか、再びぐりぐりと唇に押し付けてきた。仕方なく、開ける。 私を殺すタイミングなど、これまでに何度もあった。それなのに私を殺そうとしないのは、私にまだ利用価値があると踏んでいるのか、はたまた本当に乙女を助けたいからなのかは、私にはまだ分からない。けれど、多分私が死ぬのは、此処ではない。
「餌付けをしているみたいだ。お前、可愛いな。」
「・・・もう、自分で食べます。」
「そうか?残念だ・・・。」
「あなたも食べたらどうですか?冷めますよ。」
「ん、ああ、そうだな。」
不意に、私を初めてご飯に誘ってくれた左近様を思い出した。私の頭に、蝶は居なくなっていた。 20141023
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