生き返る
ちょっとだけ前の話。なのに、随分昔の事のように思える、羅刹ちゃんとの記憶。
「えっ、またどっか遠く行くの!?」
俺がそう言うと、はい、と羅刹ちゃんは頷いた。少し嬉しそうなのは、久しぶりの長期任務だからだろう。 羅刹ちゃんが以前なかなか帰ってこなかった時、俺は散々騒いだけれど、三成様や刑部さんも心配していたらしい。だから最近は城内の護衛であったり、城下の様子を見に行くだけだったり、そんな任務ばかりだった。羅刹ちゃんは少々不満そうだったけれど、俺は毎日のように会えるし万々歳と思っていたのはここだけの秘密だ。
「大丈夫なの?また一人?俺ついてこっか?」
「何を言ってるんですか。大丈夫ですよ。それに、左近様は一人でも賑やかなんですから、隠密には向いてないです。」
「酷い!」
しかし、よく三成様が了承してくれたもんだ。いつもの様子を見ていれば、もう一生長期任務なんて課さない、ぐらいは言いそうなものなのに。刑部さんに何か言われたのだろうか?まあ確かに、何処かのお姫様でもない、一介の忍・・・それも、三成様直属の忍が大きな仕事をしないというのは、問題になるだろうが。
「本当に、大丈夫なの?」
「大丈夫ですって。どんだけ信用無いんですか、私。」
「この前は怪我がなかったから良かったけど、次はどうなるか分かんないんだよ?何かあってからじゃ遅いって。」
「そうなんですけどね。でも、私は私が出来る仕事をしないと。」
「・・・誰かに何か言われた?」
「いやぁ別に。まあ、ごもっとも、って感じですよね。」
はは、と誤魔化すように笑う。羅刹ちゃんが悪い訳じゃないんだから、そう居心地悪そうにしなくたって良いのに。でも、任務として言われてしまったのなら、誰かに何か言われてしまっているのなら、俺も止めることは出来ない。
「・・・そっか。でもホント、気を付けてよ?大怪我なんてして帰ってきたら俺、」
「ちょっと待ってください。その後に、なんだか不穏な事を続けたら怒りますよ。」
怒った羅刹ちゃんはちょっと怖い。ぐぐ、と行き場のなくなってしまった言葉を飲み込む。
「もー、羅刹ちゃんが惚れちゃうような事言おうとしたのにー。」
「はは、何言ってんですか。・・・ねえ、左近様。左近様の主は、誰ですか?」
「え?三成様だよ。」
「じゃあ、守らねばならないのは?」
質問の意図が分かって、黙る。
「私がどうなったって、もし、死んでしまったって、平常心を忘れたら駄目ですよ。」
「・・・。」
「私は左近様の友人ではありますが、自分の中心に置くべき人なんかじゃないです。」
本当に守らなければならない人を間違えないで下さい、と羅刹ちゃんは言った。あの後すぐに、羅刹ちゃんが呼ばれてしまったから何も言えないままだったけれど、俺はそれについて沢山沢山言いたいことがある。 俺にとって、三成様と同じくらい羅刹ちゃんの事を守りたいと思ってる。というか、三成様に関しては俺が守る必要なんかあんまり無いんじゃないかとさえ思ってる。というか、守るなんて言ったら鼻で笑われそうだ。自分を、中心に置くべき人じゃないなんて言わないで欲しい。もう羅刹ちゃんは、俺の中心に居るのだから。死んじゃったら、なんて言わない欲しい。悲しくなってしまう。
そんな会話があったからこそ、俺は案外冷静に居られるのかもしれない。 羅刹ちゃんの遺体が見つかってから、三成様は夜な夜な城を出て行っては、各地を転々として壊滅させていっている。刑部さんも毎回それについて行ってるみたいだが、刑部さんが何をしているのかは分からない。話に聞くと、ただただ三成様の様子を見ているだけ、らしい。そういえば、刑部さんがおかしな事を言っていた。
「アレの星はまだ死んでおらぬ。」
アレっていうのは、羅刹ちゃんの事だろうか?だとしたら、刑部さんは三成様の行く各地で、羅刹ちゃんを探している?・・・羅刹ちゃんは此処に、佐和山の城の、三成様の部屋に居るのに。 運んだ時以来、言いつけを守って、俺は部屋に入らずにいる。というか、近付いてすらも居ない。数日経ってしまっている羅刹ちゃんの亡骸は、きっと酷い事になっているだろう。綺麗な顔も、白すぎた肌も、俺がいつだったか治療した傷跡も、溶けていってしまっているに違いない。そんな羅刹ちゃんの姿を見る勇気は、俺にはなかった。骨になってしまっても、見られはしないだろう。
「ごめんね、羅刹ちゃん。」
ごめんね、という謝罪はもう何度も何度も繰り返した。誰も聞いていない謝罪の言葉は、ただの俺の独りよがりで、誰にも届かずに消えていく。許されるつもりなんて毛頭ないけれど、謝らずにはいられない。あの時、意地でも付いていけば。引き止めていれば。
「ごめん、羅刹ちゃん、ごめん・・・。」
「何がですか?」
「何がって、」
顔を上げると、目の前に月明かりに照らされた羅刹ちゃんが居た。首を傾げて、珍しく息を切らせている。薄ら汗までかいて、羅刹ちゃんらしくない。でもその人は羅刹ちゃんだった。あの、俺にとっては邪魔で仕方が無かった鬼面は無いし、何故か膝上で破られている白い寝間着着てるし、どうしてか喋って目の前に立っているけれど、確かに羅刹ちゃんだった。
「・・・おばけ?」
「じゃあ、左近様はもっと驚かないと。いつも、私が驚かせた時よりも反応が薄いですよ。」
「だって俺、おばけでも羅刹ちゃんに会いたかった。」
俺が触れるくらい近くまで、羅刹ちゃんが歩いてくる。その足は裸足で、おばけには足が無いなんて聞いたことがあるのを思い出した。あるじゃないか、足。寝間着が破られているのは、もしかして走りにくかったから? 小さな手を取る。おばけらしくひんやりとしていたけれど、掴めないことはなかった。そのまま引き寄せて抱きしめる。目を瞑れば、心臓が動いている音がする。
「温かい・・・まるで、生きてるみたいだ。」
「生きてますよ、私。」
「生きてないよ。だって、羅刹ちゃんの亡骸は、今・・・。」
「亡骸?」
どこにあるんですか?と羅刹ちゃんが訊いてくる。自分の死に顔になんて興味があるのだろうか。まあ確かに、見られるもんじゃないから、その気持ちも分からなくもないけど。 でもきっと、亡骸は酷い有様だ。三成様の命と言えど亡骸を放置されたのだから、きっと羅刹ちゃんは悲しむ。この世に未練無く、というのは無理かもしれないけれど、最期の最期に悲しい気持ちになって欲しくはない。羅刹ちゃんをぎゅうと抱きしめて言い淀む。
「教えてください、左近様。」
「どうしても?」
「お願いします。」
困ったような笑顔で、羅刹ちゃんは俺を見下ろしている。羅刹ちゃんのそんな顔を見る事はもう無いだろうと思っていたから、凄く嬉しい。亡骸を見たら、羅刹ちゃんは成仏してしまうのだろうか・・・それは嫌だ。けど、いつまでもこの世に引き止めておくもんじゃない。もっともっと、色んな表情の羅刹ちゃんをずっと見ていたいけれど、仕方がない。
「左近さ・・・んぅ、」
接吻一つで、全部我慢だ。
羅刹ちゃんの手を引いて、三成様の部屋まで行く。羅刹ちゃんは一言も喋らないでついて来てくれている。片手を口元に置いたまま、まだ驚いた表情をしていて、俺は心底、可愛いなあと思った。 三成様の部屋の前に来たが、どうにも襖を開ける勇気が出ない。俺の心の準備が整う前に、襖に手をかけたのは羅刹ちゃんだった。潔く襖を開け、中へ入っていく。俺はつい俯いて、自分の足元以外を目に映さないようにした。 羅刹ちゃんは何も言わない。けど、何かごそごそとやっているようだった。衣のずれる音がする。・・・そう言えば、何も臭いがしない。可笑しい、だって腐敗はとっくの昔に始まっているはずだ。勢い良く顔を上げると、羅刹ちゃんが羅刹ちゃんの着物を脱がしていた。ん?
「うおえええ!?」
「大丈夫みたいですね。特に何も細工をされた様子は無いし・・・これを利用されて、毒とか撒かれてたらって、後々思いついてしまいまして、気が気じゃなかったんですよ。」
「え、な、ええ!?」
「良かった・・・少なくとも松永久秀には気付かれなかったか。だとすると風魔小太郎は何故、あの男に・・・?」
「何!?どういう事!?ねえ!?」
「え、ああ、これは人形なんですよ。色々な事を経て、自分の遺体を想定とした人形を作りまして・・・。」
「・・・。」
とりあえず、人形だという方の羅刹ちゃんの胸元の着物を寄せる。確かに、俺が思い描いていたような腐敗は、無い。というか、あの日のまま、そっくりそのまま、羅刹ちゃんは目を閉じている。
「・・・・・・。」
「人形を囮にして、逃げていました。保護して下さったのは、井伊直虎様です。不思議な方でした・・・忍の私から、何も情報を奪おうとしなくて。拷問の一つ、無かったんですよ。」
「・・・・・・つまり。」
「はい。」
「生きてる、って、事?」
「ふふ、そう言ってるじゃないですか。」
羅刹ちゃんが笑う。俺が思っていたのよりも、百倍も、千倍も可愛い。ということは、だ。さっきおばけの羅刹ちゃんに接吻したと思っていたのに、実は生きている本物の羅刹ちゃんだったという事で、好きと言う前に行動に出ちゃって、それはつまり、どうしても三成様に残滅させられるわけで。それだけではない。刑部さんや、もしかしたら豊臣軍の方からも怒られるかもしれないわけで。
「ああ・・・ああああ・・・。」
「ご、ごめんなさい・・・もう少し、早く帰られれば良かったんですけど・・・。」
「ううん、ううん・・・良かった、生きてたんだ・・・そっか・・・!」
「うわ。」
嬉しさを隠さずに、本物の羅刹ちゃんに飛びつけば、簡単に倒れてしまった。同時に、人形の羅刹ちゃんも力なく崩れる。
「羅刹ちゃんの馬鹿!俺、どんっだけ心配したか!三成様だって超怖いし、刑部さんだって!それに、兵の皆もビクついちゃって・・・!あ!あと!女中の子も随分落ち込んでたし、忍の長さんも・・・。」
「はい、ごめんなさい。」
「ああ、クソッ。泣けてきた・・・!こんな、こんな情けない顔、見せたくないのに!羅刹ちゃんの馬鹿!」
「ごめんなさい。」
謝りながら、羅刹ちゃんは俺の涙を拭う。
「ねえ、もう一回、キス、やり直して良い?」
「きす?」
「接吻。」
「・・・お友達の?」
「違うよ。」
羅刹ちゃんの唇に触れる。少しガサガサしているけれど、とても柔らかい。どうせ怒られるなら、ねえ?
「お帰り、羅刹ちゃん。」
「・・・ただいま、左近様。」
20150129
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