声だけを置き去りに
真っ暗だった。眠たくて眠たくて、眠ってばかりいたから、自分が今真っ暗なところに居ようとも関係なかった。自分が何者なのかも、何処にいるのかも分からなかった。彼が私を見つけるまでは。
その日は突然やってきた。ぐらぐらと体が揺れて、今までずっと気だるく身体にまとわりついていた眠気が吹き飛んで、ぱっちりと目が開く。それと同時に、暗い世界に白い線が入る。眩しいという新しい感覚は、目に鈍痛を走らせた。白い線はあっという間に太くなり、天井を覆っていく。眩しいという感覚に慣れた時、目に入ったのは美しい銀の髪。
「椿落とし。」
彼が、悠が初めて私を呼んでくれた。その時に、私が産まれたのだ。椿落としという名前の刀が、私。
悠の仲間がやって来て、悠の手にある私をまじまじと見つめる。話を聞くに、私は宝箱に入っていたらしい。どう考えても私が入るような大きさの箱では無かったのだけれど・・・そんな事が些細に思えるくらい、悠の生きる世界は不思議で満ちていた。中でも一番驚いたのは、悠の世界がループしているという事。3月に、悠とお別れをして、私は堂島家の押入れの中にしまわれたはずなのに、すぐに悠は帰ってきたのだ。
「なんだろう、叔父さんのかな?椿落とし・・・綺麗な名前だ。」
武器には丁度良さそうだ、なんて言って悠はまたテレビの中へ入っていった。前までとても仲良くしていた仲間たちが、まるで初対面かのように余所余所しくしているし、出てくる敵は圧倒的に弱い。
最初こそ、それを不思議には思った。が、悠はペルソナではなく私を振るって敵を倒してくれる。それが頼られているようで嬉しかったので、私はその不思議な事を気にしないようにした。何がどうなっていたって、悠がまた私を振るってくれているということが、この上なく嬉しかったのだ。
私の存在意義は、悠の行く手を阻むものを斬ることだけ。ペルソナという、私のような刀では到底敵わない力に嫉妬することもあったけれど・・・神様には勝てない。それでも、悠が私を手放さないでいてくれたのが、私の誇りだった。
「鳴上の刀、切れ味良すぎねぇ?」
「綺麗だよね。名前も、見た目も。」
「光が当たってるとこ、うっすら赤いよね?うわ、こっち向けないでよ!」
「俺の自慢の刀だよ。」
嬉しいよ、悠。でもね、悠。
「椿落とし。」
君の声が、思い出せないんだ。
「!!!」
全身に入った力を抜いて、一つ息を吐く。必死に夢の中の彼の声を思い出そうとしても、既に霞がかってしまって思い出せない。流れてしまっていた涙を拭いながら、上半身を起こす。外は月明かりが煌々としている。
「・・・眠れないか?」
「ああ、骨喰。起こして申し訳ない。少し、喉が渇いただけだ。」
「そうか・・・。」
「私のことは良いから、構わず寝てくれ。朝から出陣するんだろう。」
「ああ・・・。」
寝ぼけ眼で私を気にかけてくれた骨喰は、すぐに寝息を立てる。鯰尾は全く起きる気配を見せない。そんな鯰尾の顔にかかってしまっている髪の毛を、そっと退かしてやってから、私は部屋を出た。
喉が渇いたというのは咄嗟の嘘で、さらさら水を飲みに行く気は無い。置いてあった草履を履いて、本丸の庭を散歩する。月光のお陰で、夜にしては明るいくらいだ。
最近、こうして起きてしまうことが多くなった。そう、この前長谷部とやりあって、悠の名前を口にしてしまってから。見る夢には、毎回悠が出てくる。悠と戦った日々たちが、フラッシュバックするように夢になる。そうして決まって、泣いて、しくしくと痛む胸とともに目が覚める。昼間に眠くなってしまうので、ちゃんと寝たいのだが。
「うわ、誰かと思った。」
「・・・大和守。」
池の水面に映る月を眺めていたら、後ろから大和守に声をかけられた。寝間着に、あの水色の羽織を着ている。随分暖かくなってきたとはいえ、夜は肌寒い。私も何か持って来れば良かった。
「何してるの?」
「・・・ちょっとな。大和守は?」
「ちょっとね。」
大和守も、私の隣に並んで月を眺める。しばらくして、大和守が口を開いた。
「もう、鼻血は出ない?」
「ああ、お陰さまでな。驚かせてすまなかった。」
「そんなに驚いてないけど。」
「?、随分、取り乱しているように見えたけどなぁ。」
「あれは。」
あれは、と大和守はもう一度言って、口ごもってしまう。
「血が苦手か?」
「いや。」
「だろうな。そうだったら、刀なんてやっていられない。」
「・・・前の、主を思い出しちゃって、ね。」
「・・・そうか。私も、前の主を思い出して、起きてしまったんだ。」
「そっか。・・・僕もなんだ。」
「大和守は、前の主の事、ちゃんと覚えているのか?」
「ちゃんと?」
「声、とか。」
「覚えてるよ。・・・離ればなれになって随分経っちゃったけれど、なんとかね。」
「そうか・・・それは、良い事だ。」
私は忘れてしまったよ、と池に小石を投げながら言う。水面の月がぐらぐらと揺れて、形を崩す。
「情けない事に、夢の中では覚えているのに、目が覚めた途端に霧がかかったみたいに分からなくなってしまうんだ。」
「・・・一つ、訊いても良い?」
「ああ。」
「主の事分からなくなるのって、どんな気持ち?」
大和守の顔を見る。くしゃりと泣きそうな顔をして、変わらず水面に視線を向け続けている。私も再び水面に視線を戻す。月はすっかり形を取り戻して、そこに戻ってきていた。
どんな気持ち?どんな気持ち、だろう。気がついたら思い出せなくなっていた情けなさと絶望感、でも夢では分かるもどかしさ。全部混ぜ合わせたら、胸をかきむしって心臓を取り出してしまいたい衝動に駆られる苦しさの正体は。
「悲しい、かな。」
「・・・。」
「実は、私は前の主と一年も一緒に居られなかったんだ。多分。最後の方は、私の記憶がなくなっているから、なんとも言えないけれど・・・私の記憶の中の彼は、一年にも満たない分しかない。
それでも、私の一番初めの主で、大切で、守りたくて・・・大好きだった。そんな人の声を思い出せないのは、悲しい。」
「僕は・・・僕は、それが怖い。忘れたくないから、いつでも思い出せるようにしているけれど、本当にそれが沖田くんの声なのか、分からなくなる時があるんだ。」
「そういう時は、自分の名前を呼ばれた時を思い出してみると良いと思う。私が言っても説得力に欠けるが・・・自分の名前を呼ばれた時を思い出すのが、一番思い出せそうな気がするんだ。」
椿落とし、椿落とし。彼の声で再生しようと試みても、やっぱり聞こえない。けれど、一番胸がそわそわとするのは、やっぱりこの時だった。もどかしい・・・彼の声が、もう少しで思い出せそうな気がするのに。
「どうだ?」
「・・・大丈夫、みたい。」
「良かった。・・・っくしゅ。」
随分冷えてしまった。喉は渇いていないけれど、身体を温めるためにお茶を飲んでから布団に戻ろうか。大和守にもどうかと誘おうとしたところで、肩に何かかけられる。大和守の羽織だった。
「女の子は、身体を冷やしちゃダメなんだって。テレビでやってた。」
「そう、なのか?・・・綺麗な水色だな。」
「水色じゃなくて、浅葱色って言うんだよ。」
「浅葱色。」
「そう、新選組の色。」
「新選組・・・?」
「知らないの?って無理もないか。椿、生まれて日の浅い赤ん坊みたいなものだもんね。」
「赤ん坊は言い過ぎだと思う。」
「しょうがないから、僕が教えてあげるよ。沖田くんの事。」
「大和守の前の主は、沖田くんと言うのか。」
「そうだよ。優しくて、格好良くて、凄い人だった。椿の前の主は?」
「悠と言ってね、私にそっくりな男だ。」
「椿が似たんだろ。」
「はは、そうとも言うな。」
「じゃあ、顔は忘れないね。」
「・・・ああ。」
その後、お茶の間へ寄り道をして、二人で温かいお茶を飲んだ。互いの・・・というか、ほとんど大和守の沖田くんの話だったけれど・・・それでも、大和守相手に話をしているうちに、ほんの記憶の片隅にあった彼のちょっとした事なんかを思い出したりして、有意義な時間を過ごすことが出来た。声は、やっぱり思い出せなかったけれど。
「全く、二人ともこんなお茶の間で仲良く寝て・・・ほら、起きて起きて。つーちゃんは、こんなところを『お兄ちゃん』たちに見られたら、とんでもないことになるよ?」
流石に、燭台切に起こされたときは、有意義な時間を過ごしすぎたと反省した。でも、こうやって前の主について話を出来たのは楽しかったから、二人して夜中に起きてしまった時には、また。
20150629
prev next