君は誰と戦うべきか
「主命だ。手合わせへ行くぞ。」
怖い顔をしたへし切長谷部が、挨拶もないままそう言った。彼は私にそう言うだけ言って、背中を向けて歩いていってしまう。行くぞ、ということは、すぐに道場へ行かなければならないのか。私と同じようにポカンとしていた鯰尾は、いいから行きなよと見送ってくれる。えんどうの筋を取る作業は、残りの半分を鯰尾に任せるしかないようだ。
道場へ向かう途中、うっすら汗をかいている蛍丸と愛染に出くわした。向かってきた方向が道場からだったので、きっとさっきまで手合わせをしていたのだろう。私が道場へ向かうのを察したのか、二人共驚いたような顔をした。
「えっ、もしかして長谷部とやるのって、姉ちゃん!?」
「ああ、主命らしい。」
「すっごい怖い顔してたよ。怒らせたの?」
「私の存在が、へし切長谷部を怒らせるからな。」
二人は心配そうな顔をして、気をつけてと言ってくれた。そんなに心配されると、困ってしまう。
へし切長谷部は、私が本丸へ来たときから私の事を随分敵対視してくれている。主が大事だと言う気持ちは分かるから、私も必要がない限り、そして主から近づいてこない限り、主と顔を合わせないように努めてきた。それから、必ず主と二人きりにならない事。髪飾りを買いに行く時は、申し訳ないが燭台切についてきてもらったのだ。やはり、燭台切を連れていたとは言え、主と出掛けるのはまずかったか・・・。
開けられていた襖の奥には、既にへし切長谷部が竹刀を持って立っている。私も彼に倣って、置いてある竹刀を手に取った。
「へし切長谷部、すまないが、」
「本気でかかってこい。さもなくば死ぬぞ。」
あっ、死ぬかもしれない。そう思ったが、ここから何か理由を付けて此処を逃げ出したって、死ぬような気がしてならない。デス、オア、デッド。
そもそも、刀の時代を生きてきた彼と、平和な世で生きてきた私とでは力に歴然の差がある。そりゃあ、私は人ではなくシャドウという化物と戦っては来た・・・人の何倍何十倍の大きさの敵とも戦ってきた・・・しかしそれでも、だ。
「宜しく頼む。」
先手必勝というわけではないけれど、向こうから攻撃されたが最後、防戦一方になってしまいそうなので私から動く。竹刀は簡単に受け止められてしまい、薙ぎ払われる。体勢を崩してしまったが、追撃が来ない。むしろへし切長谷部は、お前の本気はそんなものかとでも言いたげな顔だ。
ちょっとここで、私もカチンと来てしまった。本気で来いと言ったのはお前なのに、どうしてお前は本気じゃないんだ。前の主の動きを思い出しながら、竹刀を振る。
「っ、なんだその滅茶苦茶な動きは。」
「さあ、な!前の主に訊いてくれ!」
へし切長谷部からしたら、私の動きなんて見たことも無いに違いない。前の主は、別に剣の達人だったとか、剣道部に入っていたとかではないのだ。ただ本能の向くまま、滅茶苦茶に、仲間を守る為だけに振るわれた私。そう、彼はたまに素手で殴っていたっけ。
「ッラァ!」
「!」
「はは、男前になったなぁ?へし切長谷部。」
「っ・・・ははっ。」
ぞくりと背中に怖気が走る。なんとか捉えた剣先をなんとか受け止める。竹刀を両手で押さえているのに、力負けしてしまいそうだ。どうにか受け流して、少し距離を取る。
「お前、あわよくば本当に私に死んでほしいだろう?」
「ああ、そうだ。貴様のような不確定なもの、此処にいるだけでもおぞましい。」
「悪かったな。私も、好きで此処に生まれたわけじゃないんだ。」
「じゃあ死ね。」
剣撃がどんどん強くなる。やっぱり防戦一方になってしまった。
好きで此処に生まれたわけじゃない。自分でそう言ったのに、頭の中でしつこく繰り返される。そうだ、生まれたくて生まれたわけじゃない。それなのに、こうして敵対視されて、死ねとまで言われる始末。私が何をしたというんだ。主に危害を加えたとか、刀剣たちを折って回ったとか、していないのに。そんな事、するつもりもないのに。
「っ。」
じわりと視界が滲んで、へし切長谷部の顔さえも見えなくなってしまった。ヤバイと慌てて瞬きをするも時すでに遅し、やけにスローモーションで竹刀が近づいてくるのが見える。ああ、鼻の骨が折れるかもしれない。
「う、ぐぅ・・・ッ!」
「お、おい!大丈、」
「ああああ!ちょっと長谷部!何してんの!」
「鯰尾!一体いつから・・・。」
「最初から!心配で見に来たらこれだ!椿ちゃん、椿ちゃん大丈夫?」
「・・・鼻血が止まらない。」
「ぎゃあああ血だらけ!うううわ、や、薬研ー!薬研ー!あ、主ー!ポンポンしてー!!」
「どうしたら良いんだ。上を向けばいいのか。」
「わ、分かんない・・・!」
「・・・大変だ、鼻と口は繋がってるらしい。」
「吐血した!!」
「ちょっと何ー?騒がしいんだけど。」
「誰か首でも落ちたの?」
「加州!大和守!椿ちゃんが・・・!」
「血はマズイな。」
「お、沖田くん・・・!」
「違うよ椿ちゃんだよ!」
対処法が分からないので、止まらない鼻血をそのままにしていると、ふいにへし切長谷部が私の顔に向かって手を伸ばしてきた。私はついその手を振り払ってしまう。
「・・・手袋が汚れるだろう。」
「・・・確か、鼻をつまんだ方が良いと・・・。」
「痛すぎてつまみたくない。」
「・・・。」
どうしよう、言葉の選択肢を見事に間違えている気がする。前の主のように的確な言葉を選ぶことが出来ない。会話も何処となくぎこちない。すっかり殺気の引っ込んだへし切長谷部と話すのが、なんだか難しい。・・・気恥ずかしい?だって、へし切長谷部はいつだって私に殺気を向けてくるから、こんな『やってしまった』という顔をしているへし切長谷部なんて見たことがなかったから。
私とへし切長谷部が微妙な会話を交わし、大和守と鯰尾がぎゃんぎゃんしている間に、加州が薬研を呼んで来てくれたようだ。
「派手にやったな。」
「まあな。」
「椿姉さん、綺麗な顔してるんだから大切にしたらどうだ?」
「刀なのに大切にしてどうするんだ。」
「ハァ、全く・・・。移動するぞ。こんなに派手にやったとは思わなかった。いっそ手入れしてもらうか?」
「いや、資源を無駄にする必要はない。血が止まればそれで良い。」
「資源っていっても、それくらいの傷なら大した量使わなくない?痛そうだし、直してもらいなって。俺、主に言ってくるわ。」
「悪いな加州。ほら、血だけでもどうにかするぞ。」
薬研が私の手を引っ張る。そこでふと気がついたのだが、そう言えばへし切長谷部の横っ面をぶん殴ってしまったのだ。私の、全力だったけれど彼からすれば軽いパンチ・・・とは言え、口の中が切れてしまっているかもしれない。そうでなくとも、冷やすぐらいはした方が良い。
「薬研、へし切長谷部も見てやってくれ。横っ面を殴ったんだ。」
「殴ったぁ?竹刀で?」
「いや、この右拳だ。」
「ハハッ!手合わせに拳か。椿姉さん、今度は俺っちと手合わせしてくれよ。」
「私は弱いぞ。」
「知ってらぁ。」
「おいへし切長谷部、お前も・・・あれ?どこ行った?」
「ま、どうにも痛けりゃどうにかするさ。」
「・・・やっぱり、言葉の選択肢を間違えたか。」
短刀たちの部屋に入れられて、まずは寝間着に着替えるように言われた。血は洗濯するのに骨が折れるらしい。鼻にガーゼを詰められて、強制的に血を止められる。それから、肌に付いた血を濡れタオルで拭う。あっという間にタオルが血に染まって、少し引いた。
その間に、主に手入れの交渉をしてくれていた加州が来て、主はまだ手が離せないという事を教えてくれた。事情を話した時、すぐにでも飛んで行きそうな勢いだったが、書類が山になっていたらしい。途中からへし切長谷部もやってきて、主による説教が始まったそうだ。説教はともかく、書類の方は、私よりも優先すべき事だ。私は人でなく、ただの刀なのだから。というか、へし切長谷部は主のところへ行っていたのか。
「ま、血さえ止まれば、骨が折れてようが陥没してようが、主にかかればちょちょいのちょいだ。でも大人しくしてないと、また血が出るから気をつけてくれ。」
「そうか。」
「それまで痛むが、我慢出来るか?」
「するしかないだろう。気を紛らわすために、制服を洗ってくる。」
「どうにも我慢出来なかったら言いな。」
「ああ。世話になった。」
「礼は添い寝で良いぜ。」
「あはは、薬研もそんな事を言うのか。また今度な。」
制服を持って、洗面所へ向かう。血はまず水で手洗いしておくと良いらしい。制服の色自体は暗い色だから、きっと残ってしまっても目立たないけれど、問題はスカーフだ。黄色のスカーフに、点々と血が付いてしまっている。ちゃんと洗い流さないと、みっともない。
じゃぶじゃぶとスカーフを洗うが、気が紛れるどころか、さっき考えていたことがふと戻ってきて、それがぐるぐると胸中を彷徨うことになってしまった。もし、今日当たったのが竹刀でなく真剣だったのなら、私はもうこの世には居ない。イレギュラーは居なくなり、主の命を脅かそうとする一つの可能性が消えて、めでたしめでたし。
死んだ方が良かったのか、そう思いながらも、死にたくないと叫ぶ私が居る。前の主の最後、あの時に彼がどうなったのかを知るチャンスなのだ。私は彼を守れたのか、また守れなかったのか、それだけ知りたい。
そう言えばこの世界の敵は、刀剣男士の成れの果てという説があるらしい。もしそれが本当ならば、守れなかったと分かった時にはきっと、私は成れの果てと同じ姿になるに違いない。そうなったら、私は大人しく斬られよう。だから、私は。
「まだ、死ねない。」
でも、無実の罪で責められ、監視されるのはとてつもなく苦しい事に気付いてしまった。私に向けられた殺気が怖い。死にたくない。でも、身の潔白を示すものは何もない。
「・・・悠。」
かつての主の名前を呟く。悠、私はお前のように、上手に生きてはいけないみたい。
「悠。ゆう・・・助けて、悠・・・。」
私が負けた原因となった、突然視界がぼやけるという現象が、また起きた。この現象について薬研に訊くのを、すっかり忘れてしまっていた。また瞬きをしてみると、目からぼたぼたと何かが落ちてくる。手のひらで受け止めてみると、水のようだった。それに驚く暇もなく、次から次へと目から水が出てくる。止めようとすればする程に止まらず、そして胸が苦しくてたまらない。思わずその場にしゃがみこむ。
「っく、う・・・なんっだ、これ・・・うぅ・・・。」
「っ何をしている、大丈夫か!」
「!、へ、へしきっ、」
「お前、そんなに泣いて・・・痛むのか?」
「な、泣いて・・・?」
・・・そうか、泣いているのか私は。いつも、五虎退がそうしているのを見るだけだから・・・いざ自分が泣いていると、分からないものだな・・・。しかし、五虎退でもここまで涙を流す事はないだろう。やっぱり何処かおかしくしてしまったのだろうか?
「・・・あ、また鼻血。」
「何?・・・仕方ない。」
へし切り長谷部は、また私の顔に手を伸ばして鼻をつまもうとする。私もさっきと同じように、その手を振り払った。
「だから、汚れるとっ、言っている・・・ひっく、血は、洗濯が大変なんだぞ・・・。」
「構わん。替えはある。・・・それと、すまなかった。やりすぎた。」
そういうとへし切長谷部は、手袋を手から外して私の鼻の下へ押し付けた。
「つまむと痛むのだろう。」
「・・・へっへし切長谷部が優しいと、戸惑うな・・・。」
「鼻をつまんでやろうか。」
へし切長谷部は、私の背中と膝の裏に腕を回すと、そのまま抱き上げた。一体何が起きたのか分からず呆然としていると、へし切長谷部は問答無用で歩き出す。
「え・・・?え、なんだ?どこへ向かって居るんだ?殺すのか?殺されるのか?」
「うるさい。殺しはしない。主命があるからな。」
「主命のおかげで私は生き延びている・・・。」
「そうだ。主に感謝しろ。・・・あと、いつまで泣いているんだ。酷い顔だぞ。」
それは私が知りたい。目の辺りがカッカして熱くなっているのは、血が集まっているからだろう。だから、おかげで鼻血も止まらない。悠の名前を声に出してしまってから、胸が苦しくてたまらないものどうにかしたい。この胸の苦しさをどうにかしないと、この涙もどうにも出来ない気がする。
「・・・怒った時の長谷部の顔よりマシな自信がある。」
「貴様ァ・・・!」
「その顔だその顔。怖くてまた泣いてしまいそうだ。」
「そんなタマか!」
「長谷部さん、また椿ちゃん泣かしたの?」
「ああ、そうだ。お陰さまで涙が一向に止まら・・・な・・・主。」
「まだ鼻血の止まってない泣いてる寝間着姿の椿ちゃんをお姫様抱っこして、何処へ行くのか・・・訊いても良い?長谷部さん。」
「主・・・これは、別にやましい事は何も。」
「もう椿ちゃんいじめないでって!言ったでしょ!!頼むから仲良くしてって言ったのに、顔面に竹刀ぶち当てて!あまつさえ、なにするの!椿ちゃんにナニするの!?長谷部なんなの!反逆!?反逆なの!?」
「違います主!くっ・・・おい、椿落とし!お前も何か・・・顔が白すぎないか。返事をしろ、返事だ!」
「イヤアア!椿ちゃんが死んじゃう!手入れ部屋へ走って!早く!」
「主命とあらば!」
20150615
prev next