あの子 | ナノ
君の不幸を食べてあげる

今日はなんだか良い事がない、ような気がする。朝ご飯の準備をする時に、手を滑らせてお茶碗を一つ割ってしまった。それを片付けようとして、指を少し切ってしまった。そして、結局燭台切に片付けさせてしまった。何もない所で滑って転んでしまった。洗濯物を落として洗い直すハメになってしまった。注意力散漫なのをどうにかしようと道場へ向かったら、出入り口から不意に御手杵の槍が飛び出してきて腹を思い切り突かれてしまった。これに関しては、刃の方でなくて本当に良かったと思う。


「雨が降りそうだな・・・。」


そんな事がありながら、ふと空を見上げてみると、午前中は気持ちの良い晴天だったのに、いつの間にか分厚い雲が覆い被さっていた。曇はあまり好きじゃない。宝箱の中でひたすら眠っていた時を思い出す。蓋をされているような気分になる。
今のうちに洗濯物を寄せてしまおう。きっと、生地の薄いものは乾いてしまっている。生乾きのものは、もう一度室内に干しておこう。今度は、落としてしまわないように慎重に。無理をせず、両手にしっかりと抱えられる分だけ抱えて、物干し場と廊下を何度か行き来する。
全てを落とさずに寄せ終えた頃、少し遠くでドタドタと誰かが走る音が頻繁に聞こえてくる事に気がついた。一人ではなく、何人かの足音だ。何かあったのだろうか・・・ああ、もしかしたら出陣していた部隊が帰ってきたのかもしれない。鯰尾と骨喰が揃って出て行ってしまったから、今日の朝は少しだけ部屋が騒がしかったのを覚えている。
洗濯物を整理するのは後にしよう。私は下駄を脱いで、玄関へと向かった。


「・・・?」


玄関が近づくにつれて、やけに騒がしくなる。どうして、帰ってきたぐらいでそんなに騒がしくなる?それも、嫌な騒がしさだ。廊下ひとつ曲がれば、玄関だ。


「・・・鯰尾?」


石切丸に背負われた鯰尾が、ぐったりと身体を預けている。結っていた髪の毛は解かれているし、服もボロボロだ。そして、指先からは血が滴り落ちている。
血の気が引く、というのはこういう事を言うのだろう。私の身体がゾクリと震える。ひゅ、と喉が鳴ったのを最後に、息も出来なくなってしまった。そうしているうちに、後ろから誰かが駆けてくる音が聞こえてくる。この足音は、主だ。


「急いで手入れ部屋へ!他に怪我したのは!?」

「他の者は殆ど軽傷だよ。すまない、検非違使に苦戦してしまってね。」

「反省は後にしましょう。」


主と石切丸が、手入れ部屋へ向かう。石切丸の背中は、鯰尾の血でべっとりと汚れてしまっていた。


「・・・・・・。」

「椿。」

「ほっ、骨喰、ほねばみ、」

「大丈夫だ。本体が折れない限り、死ぬことはない。」

「で、でも、あんなに血が・・・!」


骨喰は、私を落ち着かせるように抱きしめて背中を撫でる。骨喰は軽傷を負っているのか、頬に傷を作っていた。疲れているだろうに、私が落ち着くまで背中を撫で続けてくれている。


「・・・もう、大丈夫。ありがとう、骨喰。・・・おかえり。」

「・・・ただいま。」

「私、手入れ部屋に行くよ。」

「俺も行く。」

「でも、疲れているんじゃ。」

「行く。」


二人で手を繋いで、手入れ部屋へ向かう。廊下に点々と、鯰尾の血が落ちているのを見て、手に力がこもる。手入れ部屋の近くへ来ると、丁度石切丸が出てくるのが見えた。背中が、赤い。


「石切丸。」

「ああ、二人共。」

「・・・ほ、本当に、死んではいないんだな・・・?」

「危ないところだったけれど、大丈夫だよ。あとは主に任せよう。」

「・・・。」

「椿ちゃんは、重傷者を見るのは初めてだったね。最近は、検非違使も倒し慣れていたから・・・それが、油断に繋がったのだろう。気を引き締めないとね。」

「・・・石切丸だけのせいじゃない。俺も、悪かった。」

「ありがとう、骨喰。反省会は、鯰尾の回復を待ってから行う事になったよ。・・・椿ちゃん、鯰尾はきっと元気になるから、そんな顔をしないでほしい。大丈夫だよ。」


石切丸は、私の頭を撫でようと手を伸ばす。けれど、その手が血に汚れていたからか、結局触れずに降ろす。それから優しく微笑むと、着替えをしてくると言って戻っていった。
主が手入れをしている間は、この部屋には入れない。石切丸は大丈夫だと言っていたが、あんな凄惨な様子の鯰尾を見て、はいそうですかと洗濯物を畳みになど行けない。私は、手入れ部屋の襖の前へ行って、そこに座り込んだ。


「・・・。」

「・・・骨喰、私に付き合わなくていい。」

「・・・。」

「疲れただろう。早く休んだ方が、」

「椿の傍に居たいだけだ。」

「・・・。」


隣に座った骨喰と、再び手を繋ぐ。そして、頭を骨喰の肩に預けた。骨喰が、汚れるぞと言っていたけれど、それぐらいどうってことない。
深い溜息が出る。誰かの死を、こんなにも身近に感じたのは初めてだ。自分の死を想像する事はあっても、此処にいる誰かが死ぬだなんて想像はした事がなかった。誰かが死ぬかもしれないという事が、こんなにも恐ろしい事だとは思わなかった。目に焼き付いてしまった先程の光景が、忘れられない。あの時の、時間が止まってしまったような感覚は、心臓に悪い。悪すぎる。


「ずっとそこに居たの!?」


暫くして部屋から主が出てくると、開口一番驚いたようにそう言った。


「鯰尾は?」

「もう大丈夫。そっか、椿ちゃん初めて見たもんね。心配だったんだね。」

「ああ。・・・大丈夫か。」

「着替えをするのか?」

「そう。骨喰、手伝ってくれる?」

「私も・・・!」

「じゃあ、椿ちゃんは桶にお湯張って、タオルも何枚か持ってきてくれる?着替えは・・・椿ちゃんに裸見られたって鯰尾くんが知ったら死んじゃいそうだから、廊下で待っててくれる?」

「し、死んだら困る・・・。」


私は、主に言われた通りにお湯とタオルを持ってきた。そして、暫く一人で廊下にいる事となった。襖の向こうに三人が居るとは言え、少し寂しく思えてしまう。・・・これだけで寂しく思えるだなんて、私はどうしてしまったのか。
着替えが終わると、主が中から声をかけてくれた。そろりと襖を開ける。鯰尾はすっかり寝巻きに着替え終わっていて、眠っているようだった。主は、桶とボロボロになった鯰尾の服を持つと、部屋を出る。


「傷はもう塞がってるから、後は目を覚ますのを待つだけだよ。椿ちゃん、傍に居てあげてくれる?その方が、鯰尾くん喜ぶと思うから。」


骨喰くんは後で傷治そうね、と言うと器用に足で襖を閉めていった。
主の足音が遠ざかっていくのをぼうっと聞いてから、鯰尾の顔を見る。帰ってきた時にはあまり見えなかった顔がよく見える。あんなに血が出ていた割に顔色が良いのは、主が手入れをしたお陰か。相変わらず、身じろぎもしないで寝息をたてている。寝息がなければ、まるで死んでいるみたいだ。


「・・・今日は、あんまり良い日じゃなかったんだ。お茶碗を割って、指を切ったのは知ってるだろう?その後も、転んだり、洗濯物落として洗い直したり、事故で御手杵に腹を突かれたり・・・。」

「腹を突かれた?」

「怒らないで、事故なんだ。・・・悪い事が続いたあとの、これだから・・・ちょっと、ヘコむな。」

「椿のせいじゃない。」

「・・・でもなぁ・・・。」

「・・・椿が。」

「うん。」

「椿が、兄弟の不幸を請け負ってくれたから、兄弟は折れずに済んだんだ。」

「・・・。」

「指を切ったのも、転んだのも、洗濯物を洗い直したのも、兄弟の為だった。・・・腹を突かれたのは、御手杵が悪い。」

「・・・ふふ。」


私は、布団の中に手を突っ込んで、鯰尾の手を出す。ぎゅうと握っても、鯰尾は起きない。けれど、その手は確かに温かく、生きているのだと実感出来る。手を握って確かめて、ようやく私はほっと出来た。生きている。大丈夫。
安心したというのに泣きそうになっていると、私の背中に骨喰が寄りかかってきた。


「少し寝る。」

「部屋で横になった方が良いんじゃないか?」

「・・・いい。」

「そうか?」

「兄弟ばかり、ずるい。」

「・・・骨喰も、手を繋ぐか?」


右手で鯰尾の手を握って、左手を骨喰に差し出す。骨喰は私の背中に寄りかかったまま、手を握った。少しだけ私の指で遊んで、やがて眠ったようだ。
静かな空間で、今日一日を振り返る。あんまり良い事はなくて、心臓が止まりそうになったけれど・・・鯰尾が、みんなが無事に帰ってきてくれて、良かった。もし、骨喰が言ったように、鯰尾の不幸を私が肩代わりしたお陰で、鯰尾が居なくならずに済んだのなら・・・それなら、私は毎日でも指を切り、転び、洗濯物を洗い直し、腹を突かれよう。
私も少し眠くなってきた。ちょっとの間だけ、目を瞑ろう。


「・・・ん。」


鯰尾の小さな呻き声を聞いて、私はぱちりと目を開けた。鯰尾、と小さく声をかけると、今度はもう少し大きく呻いてからゆっくりと目を開く。


「鯰尾。」

「・・・ん、あれ・・・椿ちゃん?」

「良かった・・・起きた・・・。」

「あー・・・俺、そっか・・・やっちゃったなー・・・。」

「ん、起きたか、兄弟。」

「おはよ、骨喰。」

「まだ夜だ。」


瀕死で帰ってきたのに、一晩もしないでここまで回復するなんて・・・審神者の力は凄いなと感心してしまう。鯰尾は、少し元気はないものの、殆どいつも通りだ。


「あー、なんかお腹空いちゃったなー。夕餉は?もう終わっちゃった?」

「椿は夕餉も食べずに付き添っていた。感謝しろ。」

「そうなの!?」

「骨喰もだ。」

「俺は兄弟に付き添う椿に付き添ったんだ。」

「なんだよー、素直に俺が心配だったって言えば良いのに!」

「うるさい。」

「へへ・・・二人共、ありがと。」

「・・・何か食べるものを持ってくる。」

「照れるなよー!」

20151114
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