夢で逢えたら
眠たい時には、体を動かしていれば眠ってしまうことはない。だから私は、眠たい時には掃除をしたり、畑仕事を手伝ったり、夜まで休まず体を動かしているようにする。そうすれば、布団に横になった途端に深く深く眠って、夢を見ることなく目覚められる。・・・そうして、また前の主が出てくる夢を見ては夜中に目覚め、寝不足を繰り返し、いつしか泥のように眠る。ここ最近、私はそんな事を繰り返していた。
鯰尾と骨喰は、私がそれを繰り返しているのを知っているので、よく心配してくれている。でもこればっかりはどうしようもなくて、前の主を忘れられるわけがなくて、私は大丈夫だと繰り返す他なかった。幾度のなく、忘れてしまえたほうが楽なのではないかと思ったけれど、現に記憶のない二人を見ていると、そう楽だとも思えない。どちらにせよ、苦しいのだ。感情というものは、どこまでも厄介なものである。
そんなこんなで、寝不足極まりないある日のこと。とうとう私は縁側で昼寝をしてしまった。私があんまりにも酷い顔をしていたのだろう。堀川も燭台切も、主も私に仕事をくれなかったのだ。あの長谷部にも、いい加減にしろと怒られる始末。お前だって四六時中動いているくせに。
「あ・・・は、・・・かな?」
微睡みの中にいる時に、聞き慣れない男の声が聞こえてきたのが分かった。しかし、どうにも起きられなくて、体はすぐに眠りに落ちてしまう。耳だけは辛うじて起きていて、その男が発する声を聞き取っていた。そう言えば、前の主以外の夢を見るのは久しぶり・・・というか、初めてかもしれない。どうせなら、もっと楽しい夢がいい。この前鯰尾が見た夢は、私と甘いものを食べる夢だったとか・・・羨ましい。
「寝てる、な・・・どうしようか・・・。」
「この子がここの審神者か?ふむ・・・なんだか、君に似ているな。もしや生き別れの妹か?」
「そうだよ。」
「なんだと!?今日一番の驚きだ!」
「嘘に決まってるだろ。」
夢にしては、なんだか騒がしい。目を開ける。
「おお、起きた。」
「鶴丸が騒がしくするから・・・ごめんね、寝てるのに。」
「・・・え。」
目の前は、やたら眩しかった。太陽の光がどうこうというよりも、私の前に立っていた二人が、とても白かったのだ。私の丁度目の前に立っている男は、前の主と瓜二つで、審神者の格好をしている。そして、あの黒縁のメガネをかけていた。・・・とうとう私も、回想ではない可笑しな夢を見るようになった。あの人が審神者をしている夢なんて。
その、前の主そっくりの男の隣には、これまた真っ白な格好をした男が。腰に刀があるので、もしかしたら刀剣男士なのかもしれない。うちの本丸には居ないから、分からないけれど。
「今日、演練の約束がありましたよね?」
「えんれん。」
「・・・おかしいな、ここじゃなかったのかな?」
「いいや、此処であってるはずだぜ。案内役は薬研だったしな。」
「大将、どこ行った大将ー!」
「ああ、薬研。こっちだ。」
「なんでまたこんな所に・・・あんた、一応審神者なんだから、他所では顔を隠してくれなきゃ困るぜ。」
「そう言えば忘れてたな。これいつも付けないから。メガネの上からだと気になるんだ。」
「今更だな。まあ、ここの審神者も付けていないみたいだし、いいんじゃないか?」
「?、ここの大将はちゃあんと付けてたぜ。」
「え?じゃあこの子は?」
彼らの会話を聞いているうちに、私の脳みそもようやく目が覚めたようだった。これは、夢じゃないらしい。何処かを抓って痛ければ夢じゃない、とテレビか何かで聞いていたので、こっそりとそれを試していたら、痛かった。そして、色々なことが駆け巡る。
もう随分と此処に慣れ親しんでいたので忘れていたけれど、私はこれでもイレギュラーな存在だ。この本丸で過ごすだけならまだしも、この事が政府に知られてしまえば、私も主もただじゃ済まないだろう。いや、そもそもこうして誰かが訪ねてくるだなんて聞いていない。主も、一言何か言ってくれていたのなら、こんな縁側で寝るだなんて事はしなかったのに!私という謎の存在を、どうやって説明したら良いのだろう。いや、まず説明をするべきなのか?それとも、隠し通すべき?隠しきれるのか?どうしよう?
「あっ、あー!椿!こんなところに!」
三人分の、私を訝しむ視線に射抜かれそうになったところで、遠くから主の声が聞こえてきた。これ幸いと、私も主のところに駆け寄る。隣には鯰尾も居て、それはもう焦った顔をしていた。
「ごめんね、お客様が来るって言い忘れてて・・・!今日の演練の相手なの。うふふふふ・・・。」
「そ、そうなのか。」
「驚かせてごめんなさい。私の・・・妹、です。」
「は、初めまして・・・い、いもうと?の、椿だ。」
「ほう!こちらの審神者の妹だったか!」
「え?」
「いやな。」
鶴丸と呼ばれていた彼が、私の腕を引いて、相手方の審神者の隣に並べる。そして、せっかく付けていた顔を隠すための布を取り払ってしまった。
「やっぱり、こう言っちゃなんだが、君たちの方が兄妹のようだぜ。」
そう言えば、夢ではなかったんだっけ。改めて、彼の顔をまじまじと見上げる。見れば見るほどに、前の主に似ている。
「こら鶴丸、それは本当に失礼だぞ。・・・ごめんね、ええと、椿ちゃん?」
『椿落とし。』
「!!」
「椿ちゃん!?」
いつの間にか私は、走り出していた。靴を履かないままだったのも気にしないで、私はがむしゃらに走っていく。私を呼んだ彼の声は、かつての私の主と同じ声だった。思い出した。そう、彼はあんな声をしていた。あの声で私を呼んでくれていた。
「ハッ、ハァ、・・・ッ。」
実感が湧かない。どうして、なんで、彼が居る?ありえない。だって彼はあの時生き延びていたとしても、とっくの昔に死んでいるはずだ。いくら、そういくら子孫を残していたとしても、彼と瓜二つの人間が生まれるはずがない。じゃあ、じゃあ彼はなんだ?どうして、どうして・・・。
「なんで、また私の前に現れたんだ・・・。」
不思議と、涙は出てこない。ただ漠然と、もう一度名前を呼んで欲しいと思った。やっと思い出すことの出来た彼の声を、私は再び忘れたくはない。戻ろうか。でも、少し怖い。どうして怖いと思うのか、いまいちよく分からないけれど・・・私は今、あの審神者に会わないときっと後悔してしまう。
無我夢中で走ってきた先は、畑。演練は何処でやるのだろう?道場か?聞いておけば良かった。一通り走って回ればいつか辿り着くか、ともう一度走ろうとしたところで、声をかけられた。
「あれ?椿、今日はお休みじゃなかったっけ?」
「・・・大和守。」
「あ、もしかして手伝いに来てくれたの?でも椿、最近顔色悪いから、って、え!?」
すぐにでも行こうと思っていたのに、大和守の姿を見てしまったせいで足が道場へと動かなくなってしまった。大和守に縋るように抱きつく。肩口に額をくっつけて、胸の中の苦しさを吐き出すように腕に力を込める。
「ちょ、痛い痛い!なに、どうしたの!?」
「思い出したんだ。」
「何を?」
「前の主の声。」
あの日の夜に話した、前の主のこと。忘れかけていた細かなことを思い出せても、どうしても思い出せなかった彼の声。きっかけが不可思議すぎて混乱してしまったけれど、こんなにも嬉しい事はない。でも、嬉しいはずなのに怖くて、泣きそうで、叫びだしたい気持ちになる。
その行き場のない気持ちを、少しだけ大和守にぶつけると、なんとか落ち着くことが出来た。大和守に抱きついたまま、深く呼吸をして離れる。大和守は、訳が分からないとでも言いたげな顔をしていた。
「じゃあ。邪魔してごめん。」
「いやちょっと待って!?」
「なんだ、私は急いでいる。」
「いやいやいや、何がどうしてそうなったの?それだけを言いに此処まで来たの?」
「此処まで来たのは、走ってきた先がたまたま畑だったからだ。そして、たまたま大和守が畑当番だった。それだけだ。」
「そ、そうなんだ。うん、分かった。分かったって事にしておく。でも一言だけで良いから説明して?」
「私にも訳が分からないんだけどな、前の主に瓜二つの男が演練しにやって来たんだ。」
「本当に訳が分からないね。」
「詳しいことは後だ!」
再び走り出す。演練するような場所なんて、道場ぐらいなものだろう。もし違ったとしたら・・・まあいい、その辺に居る誰かに聞けばいい。
普通に道を行くのももどかしいので、塀でも何でも突っ切ってしまおうと思う。早速道を外れようとしたところで、急に首が詰まった。前に進めなかった反動で尻餅までついてしまう。何事かと見上げれば、息を切らせた大和守が居た。私のセーラーの襟を掴んでいる。
「何をするんだ。危ないだろう。」
「それはこっちのセリフ!靴は!?」
「諸事情により置いてきた。」
「靴無しで走り回るとか馬鹿なの?あーあ、タイツ破れちゃってるし。」
「これぐらい大丈夫だ。離してくれ、私は行く。」
「ちょっと、なんで道外れるの!」
「こっちを突っ切れば近道だ。」
「靴履いてないんだから、危ないって!」
「・・・畑当番に戻ったらどうだ。今日は前田とだっただろう。あんな小さな子だけに仕事を押し付けるつもりか?」
「話をそらさない!それに、椿が靴履いてないのに気づいたのは前田だよ。任されたの。」
どうあがいても、大和守は私を野放しにする気はないらしい。くそう、私は早く行きたいのに!堀川や骨喰、鯰尾や燭台切、そしてもちろん主に見つかった時は、こうやって怒られるだろうと思って、いかに隠れながら行くかが鍵だったのに・・・まさか大和守にまでこうして構われるとは。
「ほら、おんぶしてってあげるから。」
「いい。」
「ん?」
「むむぅんうう。」
「何言ってるか分からないよ。」
いいと言っている、と言いたいのに、大和守が私の頬をぎゅうと潰してくれているので上手く言葉にならない。
「僕もその、椿の主に瓜二つの男っていうのに会ってみたいし。ほら、行くよ。」
「・・・走ってくれ。」
「はいはい。」
大和守が走って向かったのは、やはり道場だった。外からでも賑やかな声が聞こえてくる。道場の出入り口から中をこそこそ覗き見れば、もう既に演練が始まっていた。竹刀を打ち合う音が響く道場の中に、主たちが揃っているのが見える。男の方は、結局顔を隠す事を止めたようだ。・・・怖いくらいに瓜二つの顔が、そこにある。
「あの人か・・・確かに、椿にそっくりだね。」
「向こうの男士に、兄妹のようだと言われたよ。今はその場凌ぎの嘘で、主の妹という事になっているがな。」
「・・・その誤魔化し方って大丈夫なの?」
「さあな。とりあえず何も言及はされていない。」
演練が終わるまで、中へ入らない方が良いだろう。その間、存分に彼を観察する。刀剣男士を見守る瞳や、ちょっとした仕草に至るまで、彼は『彼』だった。
「椿はさ。」
「ああ。」
「どうするの?」
「何がだ?」
「主じゃなくて、あの人に付いて行ったりしたいって思うの?」
そこでようやく、彼から視線を外して大和守を見る。
「いや、思わない。」
「どうして?」
「見た目も声も仕草も、私の知る彼そのものだけれど、きっとあの日あの時の彼ではない。」
「・・・。」
「それに、私に人間の体を与えてくれたのは、他でもない今の主だ。その恩を返さないままここを去るのは、きっと神様に怒られる。鯰尾とか、骨喰とか。」
「僕とかね。」
「大和守も怒ってくれるのか。」
「勿論。誰に沖田くんの自慢をすればいいのさ。」
「はは、その為か。」
大和守と話をしている間に、演練は終わったらしい。大和守が道場の中を見ながら、あ、と間抜けな声を出したので、私も大和守の視線を辿る。と、辿るまでもなく大和守が見ていたものが何か分かった。そして私も間抜けな声を出してしまう。
「良かった。今度は逃げられない。・・・ああ、タイツ破れちゃったんだね。怪我はない?」
「さっきはつい逃げ出して済まなかった。怪我はない、大丈夫だ。」
「女の子の寝起きなんて、大勢で見るものじゃなかったよね。ごめんね。」
そう言って彼は、私の頭を優しく撫でる。彼が、かつて妹にしたように頭を撫でてくれる日がやってくるとは思わなかった。私を振るってくれた彼ではないけれど、それでも、夢を見るには十分すぎる。
「なあ、さっき会ったばかりで図々しいとは思うが、私の我が儘を聞いてくれないか?」
「なに?」
「『椿落とし』と言ってくれ。」
「・・・椿落とし。」
椿落とし。椿落とし。噛み締めるように、目を瞑って反復する。その間にも頭は撫でられていて、猫にでもなったような気分だ。
「おっ!主、もしや妹君を攫っていくつもりか!?」
「滅多なこと言うなよ鶴丸。ほら、向こうの鯰尾がすごい目で俺を見てくるじゃないか・・・ああ、こっち来る。」
「椿ちゃん!ダメ!離れて!誘拐される!」
鯰尾が私をぎゅうぎゅうと抱きしめながら、彼からぐいぐいと遠ざける。そうだ、私は決してそちらへは行けない。行かなくても大丈夫。忘れていた声を思い出せただけで、万々歳だ。
「はは、大丈夫だ鯰尾。私の居場所はここ以外無い。」
次こそはきっと、忘れないようにするから。
20151001
prev next