あの子 | ナノ
文字の色づき方を教えて

「おはよう、歌仙。」

「おはよう。」


厨房に顔を出すと、もうすっかり朝ご飯の準備が出来ているようだった。ふんわりと廊下に漂っているお味噌汁の匂いで、それは予想通り。それでも他にやる事はあるだろうと、私は歌仙に訊く。


「他に何か手伝うことは?」

「そうだねぇ、盛り付けるにはまだ早いし・・・ああ、じゃあ献立表に、今日の献立を書いておいてくれるかい?」

「分かった。」


献立表というのは、最近、厨房を出たすぐ横の壁に掛けられた大きな黒板の事だ。朝から晩までの食事の内容が、毎日書き換えられる。どうして急に、そんな黒板が設置されたのかというと、料理当番になった人が、今日のご飯は何か?という質問にいちいち答えるのが嫌になってしまったらしい。そりゃあ、当番になる度に、何回、下手すると何十回と同じ質問をされ、同じ返事をするのは苦痛になるだろう。
という事で、急遽黒板が設置されたのである。空いたスペースには、時折短刀の落書きがあったり、献立の要望が人知れず追加されている事もあるので、黒板はいつでも賑やかだ。


「歌仙、『分厚い肉が食べたい』って上の方に書いてある。」

「却下。そんな余裕は此処にはないよ。誰の字だい?」

「分からない。」

「この雅じゃない字と位置の高さは、御手杵かな・・・。」

「・・・豆腐ハンバーグはどうだろう。お望み通りの、『分厚い肉』だ。それに、豆腐は安いし、嵩増しにもなる。」

「ああ、それなら良いね。レシピ本に載っていたかな・・・練習する時には言うから、椿もおいで。」

「良いのか?」

「勿論。平成生まれの方が、洋食には詳しいだろう?」

「・・・関係ないと思う。」


踏み台に乗って黒板を綺麗に消した後、歌仙からメモを受け取る。そこには今日一日の献立が書いてあるので、私はそれを書き写すだけだ。文字を黒板に・・・というか、何かに書くのは初めてだ。少しワクワクしながら、チョークを手に取る。


「ご・・・飯・・・ええと、わ、か、め、の、味・・・噌?・・・そ・・・汁・・・。」

「・・・。」

「し、らす、お、ろ、し。美味しいやつだな。」

「・・・椿。」

「うん?」

「字を書くのは、苦手かい?」


歌仙にそう言われ、私は改めて自分の字を見てみる。そこには、歌仙のメモを見ながら書いたとは思えない、ぐちゃぐちゃの文字が羅列されていた。メモの中の歌仙の字はとても綺麗なのに対し、私のは・・・なんだこれ。なんの暗号だ。


「・・・字は、前後で予想したりしてなんとか読めるんだ。でも、書いたのは今が初めて。」

「初めて!?」

「わざわざ書く用事は無かったからな。文章を書いたとしても、端末のメールを使って・・・。」

「あれは書いたとは言わない!」


歌仙が厳しい顔をして言う。そして、『これが平成生まれ・・・』と小さく呟いた。いや、私がちゃんと生きていた期間が短かったから何も経験して来なかっただけで、平成生まれが悪いわけではないと思う。
まあ、それにしてもこの字は駄目だろう。なんとか読めるにしても、公共の場にはそぐわない。私は歌仙にチョークを差し出した。


「・・・やっぱり、歌仙が書いてくれ。」

「駄目だ。君は字を書く練習をした方が良い。」

「でも。」

「大丈夫、御手杵の字よりは上手だ。それに、何事も練習は必要だよ。ほら。」


歌仙が、私を励ますように頭を撫でる。まあ、確かに練習は必要だ。きっと今後も献立表を任されることもあるだろう。気を取り直して、続きを書き進める。漢字を書くのが、これ程までに難しいとは思わなかった。カタカナが一番描きやすい。
前の主は、ある一定の期間だけ机に向かう事があって、一心不乱にノートに文字を書いていたけれど・・・文字だけではなくて、よく分からない数式?数字をたくさん書いている時もあったなぁ。あんまり楽しそうではなかった彼の気持ちが、今なら私も分かるかもしれない。


「か、書けた・・・疲れた・・・。」

「お疲れ様。」

「ハァ・・・そうだ、ふと気になったんだけれど、つばきって漢字でどう書くの?」

「つばき、は木偏に春と書くよ。風流な名前だ。」


歌仙は、チョークを一本手に取ると、黒板に『椿』と書く。覚えやすくて良いなぁ。覚えておこう。


「そうか?・・・椿は、綺麗な赤色の花だと知っている。椿落とし・・・その花を、落とすんだぞ。」

「ふふ、椿はね、散る時に花の部分が丸ごと落ちるんだ。」

「へえ。」

「その様子が、首が落ちる様子を連想されるからと、一時武士から嫌ったそうだよ。今でも、お見舞いの品には向いていないとされているね。」

「知らなかった・・・。じゃあ、椿は花の椿の事じゃなくて、首の事だったのか・・・!私は過去に、それはもう椿の花という花を切って回った逸話でもあるんじゃないかと・・・。」

「アッハハハ、ああ、そうか。君も過去の記憶を失くしているんだったね。もしかしたら、僕と同じように、何十人もの人間の首を落として来たのかもしれないよ。」

「・・・歌仙と同じように?」

「僕の前の主が、僕を使って手打ちにした人数が36人でね。僕の名前は三十六歌仙という、優れた歌人の総称である言葉にちなんで名付けられたのさ。」

「36人もか!」

「だから、椿には勝手ながら親近感が湧いてしまうんだ。きっと、椿の花が落ちるように、首を綺麗なまま落としたんだろうね・・・実に雅だ。」


私も、シャドウなら2桁では済まない数を倒して来たものだけれど、やはり人間を斬る感覚とは異なるのだろうか?
・・・人間は切ったことがないかもしれない、と歌仙が、皆が知ったらどう思うのだろう。本当は私には記憶が少しだけあって、戦ってきたのは得体の知れないものばかりだと知ったら。刀剣の世の理を知らないから、人間を斬った事が無いというのは、皆にとっては非常識なのかもしれない。私の存在が非常識だなんて、もうずっと前の事からだけれど。


「椿?・・・気を悪くしてしまったかな。」

「ち、違う!違うんだ。・・・私にも記憶があったなら、首落としトークで盛り上がれたかなって。」

「首落としトーク?」

「一番切り口が美しい斬り方は、大体首のこの辺を狙うのが良い、とか・・・?」

「なんだいそれ。」


歌仙が明るく笑う。私はシャドウの綺麗な斬り方しか知らないくせに。私は、居心地の悪さから話題を変える。お腹が空いた、と言えば歌仙が時計を覗いた。


「ああ、もうこんな時間か。そろそろよそってしまおう。」

「そうしよう。」

「その前に、と。」

「?」


ああ、『椿』の文字を消すのだろう。そう思っていたのに、歌仙は黒板消しに持ち替えず、チョークを持ったまま黒板に向かう。サラサラと綺麗な文字で付け足されたのは、『が書きました。』全部繋げると、『椿が書きました。』となる。それから歌仙は白色のチョークを持ち替えて、今度はピンク色のチョークを使い花丸を描く。


「猫も上手に描けているから、花丸をあげよう。」

「あ!やめ、恥ずかしいじゃないか!私が書いたとバレる!こんなぐちゃぐちゃな、ああ!」

「可愛げがあって良いじゃないか。ああ、でも後で一緒に文字の練習をしよう。書き順も見事にバラバラだったからね。」

「それは・・・有難いが・・・。」

「ほら、手伝って。それを消している時間は無いよ。」

「んぐぅ・・・。」


その後、朝ご飯の準備にやって来た人たちから、後から起きて来た者まで、めちゃくちゃにからかわれたのは言うまでもない。女の子だから字も綺麗なのかと思っていたとか、とんだ偏見だ!私は必ず字を上手くすることを決意した。

ご飯を食べ終わってから、主に要らない紙と鉛筆と適当な本を借りて、私はひたすら文字を書き写している。主は、椿ちゃんはそのままで可愛いのにと訳の分からない事を言っていたし、歌仙は書き順がどうのと言っていたけれど、構うものか。綺麗に丁寧に、出来るだけその形のまま写すことに専念する。紙が次々と埋まって、手が痛くなってきた頃、歌仙が部屋にやって来た。


「早速練習していたのかい?」

「ああ、悔しかった。皆がからかってくるから。」

「僕も、ああも皆がからかうなんて思っていなかったよ・・・すまない事をしたね。言いすぎだと判断した者には、ちゃんと仕置きをしておいたから。」

「し、仕置き?」

「お詫びにと言ってはなんだけれど。」


歌仙が、かちゃんとお盆を置く。そこには急須と湯呑と、和菓子がいくつか乗っていた。


「これは?」

「これは練り切り。残念ながら椿の形は無かったけれど、椿の好きそうな形のを買ってきたよ。休憩しよう。」

「うん!」


二つ選んでいいよというので、私はウサギの形をしたのと、桃色の花の形をしたものを選んだ。その間に、歌仙が湯呑にお茶を注いでくれる。湯気の立つそれを、少し冷まして飲む。ほっとしたのか、自分が割と疲れている事に気がついた。背中がバキバキと鳴る。


「おやおや、上達が早いじゃないか。」

「この本を書き写したんだ。とりあえず、形だけは綺麗になったと思う。書き順は分からないままだ。」

「だから僕が来たんじゃないか。休憩が終わったら、教えてあげるよ。」

「本当に良いのか!?」

「勿論さ。まずは平仮名と片仮名から始めよう。」

「歌仙と居ると、頭が良くなる気がする。さっきの椿の話もそうだけれど、知らない事を知る事が出来るのは、楽しいなぁ。」

「ふふ、なんだか僕は、先生にでもなった気分だよ。」

「・・・せんせい。」


そう言えば、前の主はクマに『センセイ』と呼ばれていたっけ。彼がクマに何か教えていた様子は無かったけれど・・・そうか、本来は歌仙みたいな物知りな人にセンセイと使うのか。彼も随分物知りだったけれど、私は『誰よりも強い人』の事を言うのだとばかり思っていた。


「じゃあ、今日から歌仙の事はセンセイと呼ぼう!」

「ええ?」

「センセイ、ウサギの練り切りが可愛くて食べられない。」

「全く、この子は・・・。椿、乾いてしまう前に美味しく食べてしまった方が、ウサギも浮かばれるよ。」

「センセイがそう言うなら、そうなんだろう。・・・いただきます。」

20150918*20160214
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