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「わかったよ! 食うよ! 食えばいいんだろ? 食うからそれだけは止めろ、臣」
そう言って臣の手からフォークを奪いとる。残念そうにする彼の顔は一切見ないで、高也はやけくそ気味にケーキを口に運んだ。
丹精を尽くしたチョコレートケーキは、文句のつけようもないほどに美味い。
だからといって、すぐに疲労回復の効果が現れるほどカカオに単純な効能があるはずもなく。それどころか、食べ過ぎで胃凭れを起こしはしないかと、一瞬不安になる。そうなっては本末転倒だ。
「……全部食わなきゃダメか?」
三口ばかり食べたところで、高也は臣を窺った。
彼は人並みさえも腹に収められないほどの少食なのだ。その上、甘いものは苦手である。
「もちろんです」
臣は即答する。しかし、すぐに困ったような顔をして、高也の前からケーキの皿を下げて続けた。
「……と言いたいところですが、無理なのは初めから承知してます」
「悪いな」
「いいえ。たった一口でも高也さんに食べてもらえるなら、それだけで作る甲斐がありますから」
どこまでも爽やかな臣の好青年っぷりに、面映ゆいものを感じながら、高也は素直に「美味かった。ごちそうさま」と礼を述べる。
それを聞いて安心したように微笑んだ臣は、それじゃあ部活に戻ります、と生徒会室を後にした。
「最初から素直に食べてればいいのに〜」
「わかってないなぁ、庶務くん。あれも一種の駆け引きだよ、か・け・ひ・き」
「そんなことしなくても公認なんだから、勝手にいちゃつきゃいいのにな」
「どうでもいいです。みなさん休憩が終わったのなら、今日の会議を始めましょう」
臣が出て行くなり、これまでおのおの思うようにティータイムを楽しんでいた面々が、言いたい放題好き勝手に口を開く。書記だけは事の顛末に興味がなさそうだが、他は口々にあることないこと取り集めて高也と臣の成り行きを予想している。
高也は怒鳴りつけたい気持ちを必死に抑えて、頭を抱えた。
どうせ何を言ったところで、多勢に無勢である。
高也は威厳があって会長選に推薦されたわけではない。彼の、寝食を忘れてなんにでも熱中してしまう仕事振りが評価されて、その座が相応しいと認められたのだ。
「早見くんのことに興味が尽きないのはわかりますが、碓井(うすい)くんの言う通り、そろそろ会議を始めましょうか」
結局、顧問が口出しするまで役員たちの雑談は止まらなかった。
*
早見高也と高藤臣の出会いは、彼らが中等部の時代に遡る。
森ノ中学園中等部──通称・森ノ中中学校の生徒会は、高等部と違い、生徒の成績と適性をみて校長・理事長を含めた教職員による職員会議によって選出される仕組みになっている。
高也は中等部でも生徒会長を務めていた。
臣は幼い頃から料理が趣味で、ろくに部活見学もしないまま脇目も振らず調理部に入部。
このとき高也、二年生。臣、一年生。二人に接点などありはしなかった。
ある日のことである。
軽やかな足取りで部活に向かう臣の前に、ふらふらと足元も覚束ない生徒が一人、壁伝いに歩いているのが見えた。
「大丈夫ですか?」
明らかに具合が悪そうな人を放っておけるはずもなく、駆け寄り、声を掛けた瞬間。
臣よりいくらか上背のある彼が、ふらりと倒れ込んできた。体格差など考えるまでもなく、臣はその人を慌てて受け止める。
「えっ、えっ?」
すとん、と腕の中に収まった少年に意識はなかった。おまけに、覚悟していたよりもずっと軽い。
学ランの詰襟についている学年章から、彼が一学年上の先輩であることはわかったが、このときの臣には彼が生徒会長の早見高也であることはわからなかった。
どうしよう、どうすればいいのか、と頭が混乱していて、いっぱいいっぱいだったのだ。
しかし、とりあえず保健室だ、と思い至ってからの行動は早かった。
「睡眠不足と栄養失調による昏倒だな」
保健医の診断は簡潔で、手際よく治療が施されていく。
「栄養失調……」
「こいつあれだ、偏食で少食な生徒会長さん。保健室(うち)の常連じゃねぇけど、医務職員の間では有名人なんだよ」
「あっ!」
言われて、臣は思い出した。
この人が生徒会長。そう思いながら、まじまじと高也の顔を眺める。
中性的できれいな顔立ちをしているのに、今は目の下にうっすらと隈を浮かべ、割れるほどひどくはないが唇も乾いてしまっている。
見るからに睡眠も栄養も足りていない。
「せっかく綺麗な顔してるのに、もったいない」
栄養剤を点滴されて、こんこんと眠り続ける高也を見て、臣は呟いた。
「おお、なんだぁ? 一目惚れか? いくらこいつが綺麗でも、ここは男子校だぞ。早まらんほうがいいんじゃねぇか」
「違います! いや、まあ、一目惚れは否定しませんが、そういう意味じゃないです。せっかく素材が良いのに手入れが行き届いてないことがもったいないな、って……」
「ああ……うん、それには俺も同意だな。偏食で少食なら、せめて高カロリー高タンパク、最悪サプリメントをちゃんと摂るように言い付けてあったのに、この有り様だからなぁ」
一応は臣の言い訳を信じた保健医が、来室記録をとりながら困ったように眉間に皺を寄せる。
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