フォークに刺さる、匂いからして甘ったるい一口大のチョコレートケーキ。
 を、差し出してニコニコしている整った顔立ちの少年に、早見高也(はやみたかや)は非常に疲れた顔をして、がっくりと項垂れた。

「……臣」
「はい、なんですか。高也さん」

 はぁ〜……と盛大に溜息を吐いて、高也は少年を軽く睨みつける。

「疲れているときは、甘いものですよ」

 よく聞く言葉のあとに、ずいと口元に迫るケーキ。
 とろりと滴るチョコレートソースでコーティングされたチョコレートのスポンジケーキは、匂いこそ甘ったるいものの、カカオが香り高く、ラズベリーの甘酸っぱい香りやリキュールの芳香も漂うビターテイストに仕上がっていることが分かる。
 これなら、甘いものを好んで食べることがない高也でも、口に出来そうだ。
 しかし、問題はそこではない。

「カカオには疲労回復効果があるので、今の高也さんにちょうど良いと思うんですけど」
「そうじゃない」
「またまたぁ、そんな疲れた顔して言われても説得力ないです。なんで昼間より疲れた顔してんですか?」
「だから、そうじゃなくて!」

 もう一度、高也は深い溜息を吐いた。
 目の前の少年が差し出すケーキから目を背け、疲れ目を解すように目頭を押さえて、静かに言い放つ。

「ここは、部外者立ち入り禁止だ」

 これで何度目の通告か、と堪らず小さな呟きを零してしまうほど、何度も繰り返し伝えてきたことだ。
 毎回同じことを言われて懲りない彼も彼だが、毎回同じことしか言えない自分も自分だと、吐き出した溜息には自省も含まれている。

「っていうか、お前らも快く招き入れてんじゃねぇ!」

 ダンッ! と事務机を強く叩きつけ、高也は悔しげに唇を噛んだ。
 お前ら、と矛先を向けられた役員たちはきょとんと目を丸くする。

「えっ、だって彼は特別待遇だろ?」
 何を今さら、と言わんばかりの生徒会副会長。

「そうそう。それに彼のおかげで俺達も美味しいお菓子にありつけるし」
 そう言って、机の上のケーキに目を輝かせる生徒会会計。

「適度な休憩は作業効率を高めるのに良いと思われますが」
 淹れ立ての紅茶の香りを楽しみながら、訪れたティータイムに至福の表情を隠しきれない生徒会書記。

「会長以外、誰も彼を部外者と思ってませんしねー」
 いただきます、と手を合わせて、もはやケーキしか眼中にない生徒会庶務。

「まあまあ、落ち着いて早見くん。ほら、気を鎮めるためにも素直に頂いたらどうです?」
 生徒相手であっても丁寧で穏やかな口調を崩さず、やんわりと多勢の肩を持つ生徒会顧問。

 誰一人、高也の擁護をする者はいない。
 まさか顧問まで参戦するとは思わなかったが、他はあまりにも予想通りの反応すぎて、高也は肩を落として嘆くしかなかった。
「身内に一人も味方がいない」と。
 少年はますます笑みを深くする。

「オレを部外者にしたいなら、なんにでも夢中になる性格を改めて下さい。ね? 会長」

 彼、こと高也にケーキを押し付ける少年──高藤臣(たかふじしん)は、嫌味なほど爽やかで眩しい笑顔を浮かべて宣った。





 私立森ノ中学園高等部──通称・森ノ中高校の生徒会役員は、まず会長選挙を行い、生徒会長を決めるところから始まる。
 そして、生徒会役員は、選挙に当選し全校生徒に承認された生徒会長の指名によって決められる。
 早見高也は、あまり例のない他薦立候補の上、対抗馬無しの不戦勝によって生徒会長に就任した。これは森ノ中高校史上、最も珍しい事例である。会長選に立候補するだけでも自身の地位を誇示でき、名誉となるにも関わらず、彼が出馬すると知れ渡った時点で名乗りを上げる者はいなかったのだ。中にはもちろん、彼を会長にしたくない反対派もいたに違いない。しかし、勝ち目がないこともわかっていたのだろう。
 それほど早見高也が絶対的な存在なのかといえば、実はそうではないのだが、誰もが「彼が会長なら……」と認めるくらいには有名人ではあった。

「さあ、ほら、いいかげん食べてくださいよ。高也さんの疲れを癒すため、高也さんのお口に合うように一所懸命作った自信作なんですから!」

 はい、あーん。と、まるで親子かバカップルか、恥も外聞もない臣の行動に居た堪れなくなった高也は、ついに顔を伏せて拒絶した。

「あっ!」
「もう、お前、しつこいっ」

 孤軍奮闘、こうなれば逃げるしかない。逃げられないとわかっていても、ほんの一時でいいから、この羞恥から逃れたかった。
 なぜ彼は恥ずかしげもなく餌付けを続けるのか。なぜ皆この状況を黙認しているのか。なにより、なぜ自分は会長職を安易に引き受けてしまったのか。
 高也は心底、自分の浅はかさを恨んだ。

「高也さん、高也さん」
「なんだよ」
「これ、全部食べるまで高也さんだけ仕事禁止です」
「は? なんの権限があってそんなこと……」

 にっこりと愛嬌のある笑顔を向ける臣の後ろから、それはいいですね、と援護射撃が飛んでくる。

「まずその疲れた顔をどうにかしてもらわないと」と副会長。

 うんうん、と頷く一同に、やはり高也は孤立無援になってしまう。
 そして高也は、自分の浅はかさとともに、自分の性格までも恨むのだった。


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