世界は未完のまま終わる | ナノ


Long novel


 世界は未完のまま終わる
 ―想いに終わりなんて、ない。
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06


 廊下を挟んだ反対側に広めのリビングがあった。その部屋も壁にたくさんの絵画や地図、何かの紋章が描かれた紙などが飾られている。棚に置かれたランタンや大きなバックパック、何足も並べられた種類の違うブーツやナイフ。綺麗な石や見たことのない小さな石像まである。そして部屋のいたる所に、本棚から溢れた分厚い本やノート、紙の束がところ狭しと積まれている。

ジェミニの部屋でも思ったけど…
この雰囲気、なんか好きだ。

「ハゥくんが起きたよー」
ジェミニの声に、部屋のテーブルセットの椅子に腰掛けていたキリスが立ち上がった。キリスも服は軽装になっているが、体のあちこちに包帯が巻かれていて痛々しい。
「シュウ!」
「シュウ!良かった…!」
隣に座っていたユウナも、起きてきた俺を見て安堵したのか涙ぐんでいた。ユウナは泣き続けていたのだろう、ひどく目が腫れている。それ以外には疲れた表情をしているが目立った外傷はない。
「二人も無事で良かった」
俺も無事を確認できて安堵の笑みがもれる。
「ジェミニが倒れたシュウを助けてくれたんだ」
「あぁ、さっき聞いた」
「……でもセシルは…」
キリスはその先の言葉を飲み込み、俯いて唇を噛んだ。
「目が覚めましたかの」
少し嗄れた穏やかな低い声が聞こえた。リビングから繋がっているキッチンの方から、男性が5つのティーカップとポット、そして少量のお菓子の乗ったお盆を運んでくる。
「私はジェミニの祖父のレイツェルという者だ。あなたもこちらに来てお掛けなさい」
少しの顎髭を生やした顔や手に幾つも皺が刻まれ、ジェミニと同じ紫苑色の髪の毛には白髪が混じり淡い色合いになってはいるものの、足腰を庇っている様子はなく、おじいさんと言っても若々しい印象だ。
「ありがとうございます」
レイツェルに促されてキリスの対面の席に座る。ジェミニも俺の隣―ユウナの正面に座った。
カップにポットからお茶を注ぐ。湯気と香りが立ち、種類までは判別できないが紅茶であることは分かった。
「危険な目に合ったようだね」
ジェミニや起きていた二人に事の経緯を聞いたのだろう。カップを配りながらも苦しそうな険しい表情を浮かべている。一口飲むと、体にじんわり染み渡った。
「天使って…本当にいるんだな」
キリスも紅茶を一口飲んで、ぽつりと言葉をこぼした。授業で習ったことを思い返しているんだろう。
「天使がいるってことは…天界が実在してるってことなのかな」
キリスの呟きにユウナが反応する。温かい紅茶にユウナの表情もほんの少し和らいでいる。
「それなら、そこにセシルは連れてかれた…?」
頭を抱えるキリス。
「だとしたら天界なんてどうやったら行けるんだ?そもそも俺達人間が行けるのか?」
途方もない場所と、予想も出来ない距離に想像すら及ばない。

それもそうだ。
俺達は授業で習った話しか知らないんだ。
セシルはどんな気持ちであの授業を聞いていたんだろうか。
「俺達人間とは住む世界が違う、か…」
女性天使の台詞が頭をよぎる。

「本当にそう思うのかい?」
俺達4人を見渡せる真ん中の席について見守っていたレイツェルが言った。4人の視線が集まる。
「天使だって遥か昔はこの世界で暮らしたんだ。ここが彼らの居場所だとしてもおかしくはないんじゃないかい?それに」
言葉を一旦切り、壁に貼られたかなり古ぼけた世界地図に視線を移した。
「人間だって行こうと思えばどこにだって行ける。それがたとえ天界でもね」

その口振りはまるで。

「て、天界に行ったことがあるんですか!?」
思わず前のめりになって聞いてしまった。
「その時は偶然だったけれどね」
俺の慌てた質問にレイツェルは視線をこちらに戻して、気にせず話を続けてくれた。

「ジェミニから聞いているかもしれないが、私は冒険家でね。自分の足で世界の色んなところに行ったものだ」
そう言われると家のあちこちから旅の気配がしている。

あぁそうか。
この雰囲気、父さんの部屋に似てるんだな。
父さんはトレジャーハンターとして各地を旅している。俺も小さい頃は兄貴と一緒に付いていっていた。

「私もね、もう何十年も前に学校に通ってこの世界の事を学んで、人間界以外の世界に凄く興味を持った」
過去を懐かしむように目を細めた。
「それからは旅に必要な知識を猛勉強して、学校を卒業するのを待たずに、冒険に出てしまった」
あの頃は若かった、と自嘲気味に笑う。
その名残がこの眼前に広がるたくさんの書物達なのだろうか。
「だがいくら調べても天界に関する確信的な情報はほとんどなく、何十年経っても天界に辿り着くことはできなかった」
当然、そんなに容易いことではないことくらいは考えつく。
俺達が今まさにやろうとしていることも同じなのだから。
「それでも私は諦めきれずに様々な場所へ足を運び、そこで得た情報や経験を持ち帰ってそれを整理し、そしてまた冒険に出ては天界を探す日々を続けた。そんなある日」

一呼吸置く為に紅茶をすする。

「私は旅先の深い森の中で、一人の少女が怪我を負って倒れているのを見つけたんだ。その子を治療しようとすると、少女はひどく怯えて私を拒絶した」
レイツェルは困ったように笑う。
「しかし少女の怪我は酷く、そのままにしておくわけにもいかず、私は強引に少女の怪我を手当し介抱した。それで心を許してくれたのか、少女は初めて笑顔を見せてくれた」
そう言ったレイツェルは、今までで1番表情が柔らかくなったように見えた。
「その後だよ、彼女が天使だと知ったのは」
お菓子に手を伸ばしていたジェミニ以外の3人がはっとする。
「彼女は両親から人間は危険な種族だと教えられて育ったようで、それで私を見て怯えていたようだよ」
天使側から見れば人間に隷属化されていた過去がある為、そう教えられていても不思議はない。
「やっぱり天使は人間を恨んでんだな…」
キリスはしゅん、と肩を落とした。
「向こうも同じさ。授業や親の教えでしか人間のことを知らないんだ。現在の人間の姿なんて、上っ面から覗いてるだけに過ぎないよ」
キリスの肩をぽんと叩いてレイツェルは話を続ける。
「そんな彼女とたくさん話をしたんだ。そして天界に行きたいという私の夢を聞くと、天界への内緒の道を教えてくれたんだ」
俺達3人は顔を見合わせると、それぞれが真剣な表情で話を聞く。
「その時は天使の彼女が一緒だから無条件で通る事ができた。私は他の天使達には内緒で天界を軽く案内してもらい、人間界に帰ってきた」
短い時間だったがとても有意義な時間だった、と興奮気味に語気が弾んでいる。
「そして少女とまた会う約束をして別れた。けれど…」
レイツェルの表情がふと暗くなる。
「その後、何度同じ場所に行ってもその少女に会うことは出来なかった」
「どうして…?」
ユウナは首を傾げた。
「分からない。もしかすると天界で私との事が誰かにバレてしまい、咎められたのかもしれない」
あくまで推測に過ぎないが、と付け足す。
「彼女が教えてくれた道にも、その時にはなかった見知らぬ扉ができていて、天界に入ることも当然できなかった」
テーブルの上にのせていた拳がぐっと握られた。
「私はもう一度天界に行くために、その扉を開ける方法がないか隈なく調査した」
暗くなっていた表情がもとに戻る。そしてその視線がジェミニに向けられる。
「ジェミニ」
「なぁに?」
ビスケットを食べていたジェミニが返事をした。
「お前の部屋の本棚に、青いカバーの表紙に金文字で【cielo】と書かれた分厚い本があるはずだ。その本に扉の調査をまとめたメモが挟まってる。取ってきてくれないかい?」
「うん、わかったよおじーちゃん」
紅茶を一口飲んでビスケットを流し込むと、席を立って自分の部屋に戻っていった。





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