世界は未完のまま終わる | ナノ


Long novel


 世界は未完のまま終わる
 ―想いに終わりなんて、ない。
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07


 陽が落ち辺りも少し薄暗くなってくる。切り取られたハートも紫から深い青へと色彩を移ろわせつつある。
「…うん」
満足気なレストが伸びをして辺りを見渡しながら切り出す。
「あとはもう暗くなるだけかな……もし続きがあるなら気にはなるけど、さすがにそろそろ街に戻らねェとマズイな」
「そうですね〜、名残惜しいですけど」
少女は立ち上がり、コートの埃を手で軽く払う。
「街に戻ったらお前もサッサと家に帰れよ」
「ですから!私は貴方から天使の涙を回収しないと帰れないって言ってるじゃないですか!」
「チッ、忘れてなかったか」
青年の舌打ちに少女が膨れる。
「忘れるわけないです!ちなみに、天使の涙は私の魔力に反応するものなので、私のことを撒いてもそれを持っている限りレストさんの居場所は分かりますからね〜」
「うげ、何だそれ最悪じゃねェか…」
街の中で撒くつもりでいたのか、少女の言葉を聞いた青年がゲンナリする。
「嫌だったら今すぐ返してくださいよ」
「それは…お断りだな!」
レストは急に走り出し登ってきた道を下っていく。
「あっ、…もう!待って下さー…ひゃっ」
突然の青年の行動に、少女も慌てて後を追い駆け出す。しかし砂利道にブーツを突っ掛けてしまい、勢い余ってそのまま崖縁の方へバランスを崩す。少女の情けない声に青年が振り向いたときには少女の体は崖下へ傾いていた。

落ちる。

心臓がどくんと跳ねる。
「―ッ、スィ!」
無意識にその名を呼んだ時には咄嗟に体も動いていた。


 少女の体は地面から離れているがレストの手は細い腕をしっかりと捉えた。レストは安堵して溜息をつく。
「…はぁ。だから気をつけろって…」
言っただろ、と続けるつもりだったが違和感を感じてその言葉を飲み込んでしまった。腕を掴んではいるものの、レストの体に少女の負荷はかかっていない。満面の笑みで白い翼を羽ばたかせている少女の姿が見えた。
「だーいじょうぶ、って言ったじゃないですか」
ふわふわと浮かんだままレストの上体を起こし、崖の上へ降り立つ。レストがハッとする。
「(そうだ、コイツ天使だから落ちねェンだった…!)」
他人の目の前の危機に思わず体が動いた。先刻まで助けないだのなんだの言っていた手前、決まりが悪い。
「やっと私のことを名前で呼んでくれましたね♪」
複雑な表情のレストとは対象的に、ようやく名前を呼ばれた少女は嬉しそうだ。
「一応聞くけど、その為にわざとやった訳じゃねェだろうな?」
「落ちそうになったのは本当にたまたまです。…でもあんなに必死になって助けてくれるとは思いませんでした♪」
「いきなり目の前で人が落ちそうになってりゃ心臓が飛び上がるだろーが!」
普通の人間は空を飛んだりはしない。魔法で空を飛ぶこともできなくはないが、高等技術であり飛行魔法を扱える者は少ない。故に人が崖から足を踏み外せばただでは済まない、と言うのが人間界では一般的だ。そういう意識で生きていれば、見知った人間が危機に直面したら自然と体も動くだろう。
「はぁ……マジで心臓に悪いから気ィつけてくれ…」
どっと疲労感が押し寄せ、がっくりと肩を落とした。
「ご、ごめんなさい…。でも、もとはと言えばレストさんが急に走ったりするから慌てて躓いたんですよ?」
「お前のドジ加減なんて知るかよ」
「ぶー…(またお前に戻ってるし)」
少女は反論したがレストに冷たく返され頬を膨らます。
「まぁでももう分かった」
どう足掻いても付いてくるのなら、この少女を無理に撒こうとせずに目の届くところに置いておこう。そのほうが多少は鬱陶しくとも、まだ穏やかに宝探しの旅が続けられる。そしてそのうち付いてくるのも飽きて天使の涙のことは諦めるだろう。自分の日常を取り戻すために必要なものは、少女との適度な距離感に違いない。青年はそう結論づけた。

「とりあえずさっさと街に戻らねェと」
行きは魔物に遭遇することはなかったが、この時間帯になれば流石に避けられないだろう。
「もう急に走らないでくださいね〜」
「もう急にこけンなよ〜」
少女のからかうような声に、青年もからかうように返し下りの道を歩き出した。青年の背中を見つめて、少女はこっそり笑みをこぼした。

 少女は気付いてしまった。
どれだけ冷たい言葉を発しても、彼が根っからの悪人ではないことを。自分の旅の邪魔になるのに、その邪魔者の危機を完全に無視できない彼の正義感と甘さ、さり気ない優しさを。
「(旅についていく間に説得し続けたら、もしかしたら天使の涙も返してくれるかもしれない…)」
しかし少女は知ってしまった。
青年がどれほど宝探しに夢中なのかを。今の段階では全く手放す気配がないことも。だからといって天使の涙を諦めるわけにはいかない。
「(……うーん…今は難しいのかな…)」
「おい、早く来いよ。…スィ」
何やら考えこんで立ち止まったままの少女を振り返って、青年は小さな声だが確かにその名を呼んだ。
「…! はいっ!」
自分の名前を呼ばれたことがこれほど嬉しかったことはあっただろうか。少女は一際大きな声で返事をして、青年の背中を追った。夜に向かう岬の風は冷たくなったというのに、少女の頬は熱くなるばかりだった。
「(今すぐ取り戻すのが無理なら……長期戦、だよね)」
天使の涙を取り戻さなければ天界には帰れない。必然的にしばらくの間は青年と行動をともにすることになる。自分の目的を果たす為の最短の道に必要なものは、彼の信頼を得ることだろうか。

 それぞれの思いは平行線のまま、人間と天使のでこぼこな旅が始まった。

Section 07. End.





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