世界は未完のまま終わる | ナノ


Long novel


 世界は未完のまま終わる
 ―想いに終わりなんて、ない。
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07


 ミシェル達の姿は完全に無くなり、残っていた光の筋も跡形もなく消える。結果的に葵が連れ去られた以外、街に被害はなかった。住人達は尚もざわついていたが、徐々に解散していく。
「くそ……!何だってんだ、アイツ!!」
ヨシュアは苛立ちを隠せず地面を蹴る。数年ぶりに会った弟の奇行を止められなかった事、葵を助けられなかった事。自分にも腹が立っている。
「お兄さん……!!」
肩で息をしている真央がやってきてヨシュアに声を掛ける。擦りむいていた膝には白いガーゼが当てられていて、走ってきたせいか少し赤く滲んでいる。
「遅かったか……」
額に汗を滲ませた父親はテノールの落ち着いた声で呟き、葵の消えた場所を見つめた。
「真央……悪い…………葵を助けられなかった」
涙で濡れる漆黒の瞳と目が合い、ヨシュアは自分の不甲斐なさから項垂れる。
「うん……見えてたよ。仕方無い、よ」
真央は笑顔を作ったが、それはとても痛々しく明らかに落ち込んでいる。その表情にヨシュアはいたたまれなくなる。
「旅のお方、話は娘から聞きました。私は望月 藤雲(もちづき とううん)と申します」
「トウ、ウン……藤雲、俺はヨシュアだ。あんたの奥さん助けらんなくてごめん」
ヨシュアは真央にも言ったように藤雲に頭を下げる。だらりと垂らしている左腕からは血が滴り地面を赤く染めている。藤雲は傷を負い服も泥だらけになっているヨシュアの姿を見て首を横に振る。
「頭をお上げください。このオリレノンに被害もなく、娘だけでも無事だったのです。貴方はよくやってくれました」
「……葵は……」
おずおずと頭を上げ、藤雲と目が合うと優しく細められる。
「妻は自ら連れて行かれることを望んだのではありませんか?」
「うん。お母さん……私を庇う為に……」
真央が辛そうに頷いた。自分の所為だと思っているのかもしれない。
「そう、街や家族を守る為なら自分の事など顧みない。妻はそう言う性格なのです」
その真摯な眼差しに、夫婦の強い絆が見え隠れする。
 藤雲がそっとヨシュアの腕に触れ、傷付いた箇所に手を翳して魔力を込める。
「癒やしの光よ、彼の者の傷を癒やせ。ヒールライト」
耳に心地良いテノールが詠唱すると、ヨシュアの腕を白く暖かい光が包む。少しずつ傷が塞がっていく。
「悪いな」
「いえ、当然の事です」
「お兄さん、大丈夫?」
「ああ。ほら」
ヨシュアが礼を言うと、藤雲の手が離れていく。真央に心配そうな声を掛けられ、腕を軽く振って見せる。まだ少し痛んだが動かす事に支障はない。

「葵の捜索は街の当主に依頼します」
「お父さん、私も探しに行く!」
「それはいけません」
父の提案に自らも捜索へ買って出た真央に、藤雲は首を縦に振らなかった。
「どうして!?お父さんはお母さんが心配じゃないの?」
父に難色を示され、訴えるように詰め寄る。父はその華奢な両肩を掴んで娘と視線を合わせる。
「勿論心配だよ。今すぐにでも探しに行ってやりたい。だが真央、私達は退魔師なんだ。街の安全を預かる望月家として、この街を留守にする訳にはいかない」
悲痛な表情で娘を諭す。
「…………」
真央は静かに父親の言葉を聞いている。優しいテノールが言葉を紡いでいく。
「葵が連れ去られた今、この街に結界師は真央しかいないんだ。結界が無ければ街が危険に及ぶ。それでは葵が自ら連れて行かれた意味が無くなってしまう。……わかるね?」
「…………はい」
こくりと頷いた真央の頬にまた一筋涙が流れた。その涙を指で掬ってやりながら、藤雲は微笑みかける。
「大丈夫。私達は行けないが、その代わり優秀な退魔師が街の外に出ているだろう」
「……それって」
少し遅れて真央が反応したのを見てから、藤雲は成り行きを見守っていたヨシュアに向き直る。
「私や真央は退魔師としての務めがある為、街を空ける訳にはいきません。そこで貴方にご迷惑を承知の上、お願いがあります」
真剣な表情で藤雲はヨシュアを見つめる。
「俺に……願い?」
「現在、私の息子達がベテルギルウスにいるのですが、息子達にこの事を知らせて頂きたいのです。事情を聞けば息子達は母親を探すでしょう」
「ああ、魔法学校に通ってるって言う双子のか」
ヨシュアは葵との会話を思い出した。
「ご存知でしたか、そうです。貴方の旅の途中でも構いません。どうかお願い出来ませんか?」
「…………わかった」
「ありがとうございます」
躊躇いながらもヨシュアは藤雲の願いを聞き入れる。いい返事を聞けた藤雲は礼を言うと、ぴっと背筋を伸ばし綺麗なお辞儀をした。

 やはり面倒な事になってしまった、とヨシュアは困惑する。だが、連れ去られた葵の事を放っておく事も出来そうにはない。そしてそれ以上に気に掛かる事が出来てしまった。
「……藤雲、真央、聞いてくれ。葵を誘拐したのは俺の弟だ」
ヨシュアの告白に二人はハッと身を固くする。ヨシュアは自分に対する警戒の色が強まったのを感じ取る。
「貴方は……魔族でしょう?遠目で見た青年には天使の翼が生えている様に思えましたが……」
「えっ、嘘……」
父は驚きつつも気付いてはいたようで、案の定娘の方は気付いていなかった。自分の正体に対する反応が読み通りで少し安心する。
「天使だけど弟なんだ」
「そう、でしたか……」
藤雲は魔界や天界では自分達人間とは違う事情があるのだろう、とヨシュアの告白を受け止める。
「もう何十年も顔を合わせてなかったとはいえ、兄貴である以上葵の誘拐は俺にも責任がある」
「……それはつまり……?」
真央がヨシュアの言葉の続きを待つ。
「俺もあんたの息子達と一緒に葵を探す事にする」
「よろしいのですか?」
藤雲は事情を伝えるだけでなく、息子と共に葵を探すと言う魔族に驚く。多くの魔族は自分勝手なものだと思っていた。その一面は魔物や魔族との共存を望むオリレノンにとって、大きな障害になっているからだ。
「……俺が気になるんだ」
ヨシュアが辛そうに呟いた。それが誰なのかは明確にしなかった。そんな彼に藤雲は何も言わず、再び頭を下げる。
「分かりました。では、くれぐれも宜しくお願い申し上げます」
「お兄さん、私からもお願いします」
父に倣って真央もヨシュアに向けて頭を下げた。
「……ああ、絶対に葵を連れて帰ってくるぜ」
いつまでも頭を下げ続ける親子を見て、ヨシュアは誓うように低く呟いた。

 葵を助けに行く事、それは弟の真意を問いただす事に繋がる。ヨシュアは自分の掌を見つめ、先程掴めなかった弟の腕の温度を想った。

Section 06. End.





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