世界は未完のまま終わる | ナノ


Long novel


 世界は未完のまま終わる
 ―想いに終わりなんて、ない。
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03


 遠くから鐘の音が聞こえてくる。その音に女性は空を仰ぐ。きれいな青空に白い雲が風に流されてゆっくりと動いている。
「ああ、もうお昼ですね、そろそろ私も仕事に戻らないと……。お食事中、お邪魔してごめんなさい」
女性に軽く頭を下げられて、片手を横に振る。
「いやいや、こっちも暇つぶしになったし。あ、あの木……えっとー……」
女性が教えてくれた香りの正体を指差して口籠った。
「金木犀ですよ」
見兼ねた女性が口添えする。
「そ、そうそう!金木犀、な!教えてくれてありがとな」
「ふふ、どういたしまして。では」
女性は軽く会釈をして背中を向けた。
「面白い母娘だったな」
ヨシュアは店に入っていく女性を尻目に呟き、皿に残っていた串団子に手を付ける。
「あぁそうでした」
「あん?」
団子に齧り付いたままヨシュアの動きが止まる。側に立っていたのは店の奥に行ったと思っていた先程の女性だった。
「魔族の方は早めにここを出た方がよろしいかと思いますよ」
「ッ!?」
女性の思わぬ言葉に団子が喉に詰まりかける。既のところで堪えて喉の奥に押し込んだ。手に持っていた串団子が地面に落ちる。
「な、何で……」
魔力を使った訳でもないし、人間に自分の正体が分かるはずがない。と、そこまで考えて思い留まる。

 この女性は普通の人間じゃない。結界師と呼ばれる家系の人間で、それはつまりかなりの魔力を秘めていると言う事だ。特に魔族の様な存在には敏感であってもおかしくはない。

「気付いてた、のか」
「はい」
女性はどこまでも美しい笑顔で佇んでいる。先程までと寸分も違わないのに、正体がバレた今ではそれがいやに冷たく感じてしまう。
「……最初から?」
「はい」
「……俺、退治されんの?」
そう言いながらヨシュアは女性に気付かれないように身構えた。
「…………いいえ」
ヨシュアの問いに女性は首を横に振って否定した。
「結界師なのに?」
油断なく問いを重ねる。
「確かに私は退魔師の一族に属する者ですが、暴れる兆候の無い魔物を闇雲に退治したりしません。この街は魔物との共存を謳っていますからね」
穏やかな笑みのまま、女性は言葉を続ける。
「ましてあなたの様な人の良い魔族となれば退治する必要がありません」
「さっきのは品定めされてたって訳か」
「……言い方によってはそうとも捉えられます」
女性の笑みは少し崩れ、悪びれた表情に変わる。
「俺が本心を話してたとは限らないだろ」
尚も警戒して冷たく言い放つヨシュアに、女性は言葉を返す。
「ええ、ですが真央はあなたに懐きました」
真央、と聞いて先程の少女の手の暖かさを思い返す。
「あの子の魔力はまだ未熟です。ですがあの子は旦那と私、退魔師と結界師の両方の血を受け継いでいる為か、今は本能的に魔族の気配を感じ取ります」
「はっ、だから俺を安全だって?」
判断材料としては乏しそうなものだが、逆にその乏しさがヨシュアに笑みを浮かべさせた。
「はい。少なくとも街に危険を脅かす存在では無いと思います」
「……当然だ。俺はこの街が気に入ってるからな」
危険を脅かすなんてとんでも無い。例え気に入らなかったとしても暴れるつもりはないが。
「それは光栄です」
女性は殊更嬉しそうに言った。

「でも俺が危険だと思ってないなら、何で早めにこの街を出た方がいいだなんて言ったんだ?」
「残念な事に、私達が良いと思っていても魔族と言うだけでそれは危険だと判断する者も居るからです」
大昔に起きた争いが後を引いているのか魔族を嫌う者は少なくなく、さらに最近は狂暴化した魔物によって家族、或いは帰る家を失うことも魔族を毛嫌いする一因となっている。
「ふーん、人間も過去を引き摺るもんなんだな」
魔界でも過去に人間に自分達の住処を奪われたと人間を恨む者は数多くいる。
「はい。ですからあなたが魔族だと勘付かれる前に、ここを離れて頂きたかったのです」
我々以外にも魔族に聡い者がこの街にいますから、と言い添えた。
「そっか。俺に気を遣ってくれたのか。悪かったな」
体の緊張を解きながらヨシュアは女性の様子を探る。
「いえ、突然出て行けと言われたのですから、気に障って当然でしょう……お詫びします」
ヨシュアは謝ったつもりがさらに女性に謝罪を重ねられて狼狽える。
「えっ?いやまぁ、俺もずっと警戒してたからお相子だろ。それより」
謝罪の押し問答になりそうで、早々に切り上げた。
「もう少しゆっくりしたら、次の街に行くよ」
「急がせてしまって」
「あー、謝罪はいいって。俺の為って分かったし、もう十分聞いたからさ」
延々と謝罪を言い続けそうな女性を遮る。ヨシュアに止められて女性は謝罪しようとした口を噤む。
「俺はヨシュア。あんた、名前は?」
さすがにいつまでもあんたと呼び続けるのは無礼だろう。ヨシュアは自分が名乗ってから女性に尋ねる。
「申し遅れました。望月 葵(もちづき あおい)と申します」
女性は名乗ったあとに深々と一礼した。
「モチヅ、キ……」
この街の人間は独特の文化の一つである、漢字と言う難しい言葉で名前を表す。言い慣れない言葉を繰り返す。
「アオイ……葵か。この街、また来てもいいか?」
正直、気に入っているこの街に二度と来られないと言うのは惜しい。女性―葵は極上の笑顔で頷いた。
「はい。私達は歓迎致します。ですが」
「内密に、な」
葵の言わんとすることを先取り、ぱちりとウインクをひとつ。
「はい」
葵は楽しげに笑って返事をした。

――きゃあああぁ!

「!?」
待中に甲高い悲鳴が響き、辺りが騒然とする。
「今の悲鳴は……真央!」
「ちょ、おい!」
言うと同時に葵は着物の裾を掴んで悲鳴の聞こえた方角へ駆けて行く。残されたのはヨシュアと金木犀の場違いな甘ったるい香り。
「えーと、どうすっかなー……」
面倒事には巻き込まれたくないと言うのが彼の本音だが。
「…………」
じっと自分の手を見つめる。思い返したのは自分に触れた真央の温かい手と葵の極上の笑顔。そう言えば弟の手もあんな温かさだっただろうか。
「……知らんぷり……出来ねぇよな」
ヨシュアは呟くと最後の串団子を急いで食べ、温くなったお茶で流し込む。この店のお茶は冷めても美味しさを保っていた。ヨシュアは立ち上がると、皿と湯呑みをベンチに残したまま葵の消えた方角へ走った。





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