世界は未完のまま終わる | ナノ


Long novel


 世界は未完のまま終わる
 ―想いに終わりなんて、ない。
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02


「お兄さん、この街の人じゃないよね?」
前掛けを外しながら言うと、少女はヨシュアの顔を覗き込む。日焼けのない色素の薄い肌色に、吸い込まれそうな淡い紫の瞳が綺麗だな、と少女はこっそり思う。
「ん?んー、そうだな。旅行中、かな」
まさか人間相手に魔族が人間界を漫遊してます、とは言えずヨシュアは言葉を濁して笑う。開いた唇の隙間から尖った白い八重歯が見える。
「そうなんだ。近頃魔物が狂暴化してるから、気を付けてね」
少女が微笑みながら注意を促してくれる。その表情は今まで見た数少ない彼女の表情の中でも、どこか大人びて見えた。
「そうか……あれ、そういや前の街でもそんな事言われたな」
「ええ、今全世界で魔物の狂暴化が問題視されています。ここも例外ではありません」
女性は少し困ったように眉を八の字に下げた。
「その割には平和そのものって感じだけどな」
周りの様子を窺いながら言う。魔物が暴れたらその形跡や被害が少なからず残るはずだ。前の街では壊された建物を補修していたのを見たが、この街はそんな形跡が微塵もない。
「お父さんが魔物を退治してくれるの!」
誇らしげに少女が言った。父親を心から尊敬している事が彼女の輝く黒い瞳から伝わってくる。それを見たヨシュアの瞳は瞬間的に冷たく細められたが、少女は気付かない。
「…………」
「あそこに高い建物があるでしょ?」
その目から逸らすようにヨシュアは少女の指差す方向を見る。そこには他より群を抜いて高い建物があり、その建物の一番上で街の外側を見つめる人の姿がある。
「あそこから魔物がこの街に近づくのを見張ってて、近づいて来たら街に入る前に退魔師が退治するんだ」
「それで街には被害が無いのか」
平和な情景にも納得がいく。
「うん。退魔師が外へ出たら、街にいる結界師が魔物の侵入を防ぐ結界を張るんだ。お母さんの張る結界は、狂暴化した魔物だって弾くんだよ」
その言葉を聞いて、ヨシュアは傍らの立ち姿の綺麗な女性に目を向ける。
「この街にはその……退魔師?みたいのがたくさんいるのか?」
「いいえ、退魔師と結界師はうちの家系だけです。代々受け継がれております」
「へぇ……」
この家族が痛手を負ったら街が危ないのではないかと、個人的にこの街が気に入っているヨシュアは少し心配になる。それを感じ取ってか知らずか、女性は優しく微笑む。
「でも、街の勇敢な者達や街の当主様が手を貸して下さるので、私達は一人ではありません」
「なるほど……自分の街は自分自身の手で護るってか、悪くないな」
ヨシュアは自分もそう言う動き方をする方だと思い、満足気に頷く。
「そうでしょ!」
「!?」
彼に同意されて嬉しかったのか、少女は興奮気味にヨシュアの両手を握る。吸血鬼の彼は人よりも体温が低く、白い手はそれに準じて冷えていた。
「真央(まお)、見知らぬ人に失礼でしょう」
突然の行動に驚きで固まっていると、女性が少女を窘める。
「あっ、ごめんなさい!」
真央と呼ばれた少女は母親に言われ、慌てて手を放して謝る。握られた手から少女の熱が伝わり、離れた後も彼の低い体温を僅かに温もらせている。
「や、平気だけど……くくっ」
くるくるとめまぐるしく変わる表情に思わず笑ってしまう。
「笑わなくてもいいのに……」
ヨシュアが笑いを堪えながら呟くと、今度は頬を膨らませて怒る。その表情すら可愛らしい。将来は隣の母親のように美しく成長するだろう。
「悪い、いちいち可愛くて」
「も、もう!からかわないで!お兄さん、私のお兄ちゃん達みたい!」
するりと零したヨシュアの言葉に、真央は顔を真っ赤にしながらそう言って走り去ってしまう。その動きに合わせるように金木犀の香りがふわりと辺りに舞った。

 笑みを噛み殺しながら遠ざかる後ろ姿を見ていると、女性が代わりに申し訳無さそうに頭を下げた。
「ごめんなさいね」
「あ、いや、こっちこそ」
母親のいる手前で少しバツが悪い。
「あの子には双子の兄がいるのですが、今は魔法学校で勉強する為に二人共ベテルギルウスに行っていて、家を留守にしてるんです」
「ふぅん?」
ベテルギルウスは魔法が栄えた巨大な都市だったな、と女性の声を聞きながら思う。
「二人の兄はあの子をそれはもう可愛がっていましたから。歳の近いあなたと話して、恋しくなったのでしょうね」
少女の最後の言葉がそれを物語っていた。
「確かにあれだけ可愛い妹がいれば、構い倒したくなるのも無理はないな」
反応を思い返してクツクツと笑うヨシュア。女性はその笑顔の奥に微かに慈愛にも似た温かみを感じる。それは双子の兄が真央に向ける眼差しにも似ていた。
「……もしかして、あなたにもご兄弟がいらっしゃるのですか?」
「……え」
思ってもいなかった女性の発言に、ヨシュアは面食らう。自分はそんな発言はひとつもしていなかったからだ。
「あんた、すげーな」
それから彼は辛そうで寂しそうな、それでいて懐かしむような複雑な表情を浮かべた。
「…………一応、弟がいた……けど、小さい頃に別れてそれっきりなんだ」
女性はハッとして口元を左手で覆った。

 泣き虫だった弟の小さな手を引いていたのは、随分遠い昔になってしまった。自分が成長した分、弟も成長しているはずだ。その手を引いてやる必要だってとうにないだろう。
 縋るように手を繋いできた弟の体温はどんなものだっただろうか。今やそれすら曖昧になってしまった。

「ごめんなさい、他人には触れられたくない事だったでしょう」
女性は後悔しながらヨシュアに頭を下げる。
「いや?あんたの観察眼は悪くないと思うぜ」
現にヨシュアに弟がいる事は事実だった。
「たまたま俺の環境がちょっと複雑だっただけ。そうだろ?」
「……はい。ありがとうございます」
女性は謝罪を飲み込み礼を口にする。
「綺麗な女性に悲しい顔させちゃ男が廃るってもんだ」
「ふふっ、本当にお上手な人」
ヨシュアの軟派な台詞に、女性は控えめながらも花が綻ぶように美しく笑った。





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